第258話 走るエクレアと追い詰められた二人
ネロたちと別れたあと――エクレアはマキアとザックスを救うべく廊下を疾駆していた。
雷の紋章を解放すると、走る彼女の両端が電光色に流れてゆく。だが加速の軌跡を遮るように、黒いメイド服が列をつくって現れた。
「不審者は排除する」
「素直に諦めたほうが身のためですわ」
戦闘メイド――平時の給仕とはまるで違う、静かな殺気が漂う。
「ごめんね。こっちは急ぎの用事なの!」
エクレアは雷を身体に纏わせ、床を焦がしながら踏み込む。電撃と共に蹴り飛ばされた数人が、そのまま壁へめり込んで気絶した。
だが、残ったメイドは冷静だった。太腿のガーターから銀のナイフを抜き、雨あられと投じてくる。
(――読まれた!?)
雷加速中は軌道修正が難しい。避け切れないと悟った瞬間、エクレアが覚悟を決めて正面突破。数本の刃が胸当てと脇を掠め、甲高い金属音を撒き散らした。
ドルク・ガラン製の軽甲胄――鍛冶師の力作は、刃を滑らせ傷を浅く留めてくれる。
「っ、助かった! お礼は帰ってから言うわ、ドルク!」
反転し、帯電させた鉄槌を一閃。雷と衝撃波が交じり合い、最後のメイドたちを吹き飛ばす。
転がる彼女たちを横目に、エクレアは走りを再開した。
「――待ってて、マキア、ザックス!」
◆◇◆
「奥様、お嬢様。少し宜しいですか?」
マキアとザックスが化粧道具を片づけていた最中、メイドに導かれる形でアンダラとスネアが控室の奥へ向かった。
扉が閉まった刹那、マキアは弟に小声で告げる。
「ザックス、逃げるわよ」
「は? どういう――」
「顔を見ればわかるでしょ。正体がバレたわ」
「マジかよ!」
鏡台の引き出しから道具を取り出ししまった後、ドアを開く。
――が、廊下には漆黒のエプロンドレスが隙間なく並んでいた。
「逃げ道は最初から潰しておいたってわけ」
「いやらしい真似するわね、スネア」
背後へ向き直れば、白磁の笑みを貼り付けたアンダラとスネア。メイクの薄い肌がかえって冷たさを強調している。
「ネータがあの“ゴミ”だったなんてねえ。完全に騙されたわ」
マキアの額に薄い汗。ザックスは戦慄で肩を竦める。
「姉ちゃん、打つ手あるのかよ?」
「期待しないで。……でも、やれることは全部やるわ」
マキアは懐から化粧筆を抜き、すれ違いざまザックスの頬へ素早く走らせた。
ひと刷毛、ふた刷毛――瞬く間に練朱と墨で大胆な隈取りが描かれていく。
「美容魔法――完成!」
「何のつもり? 無駄なあがきはやめることね」
「今さら化粧で命乞いかしら?」
アンダラとスネアが笑いを漏らす。しかし次の瞬間、ザックスが跳ね上がった。
ザックスは顔を正面に向け、大きく右腕を伸ばす。掌は天を切り裂き、腰は深く落ち、足は見栄を切る角度で捻じ込まれる。
「ヨォオッ! 暁の空に鳴り響く――ザックス屋ッ!」
朗々とした張り扇の声。甲高く響く足拍子。
彼の背後に見えもしない緋の幕が立ち上がり、観客の掛け声が幻聴のように木霊する。
「かろうじて婀娜を漂わせ、疾き風を斬って参上仕ったッ。そこな御仁ら、我が道を塞ぐは無粋の沙汰ッ!」
右袖を翻し、左腕を弧で薙ぎ、指先でひとさし。
藍と朱の隈取りが燦爛と照明を跳ね返し、その眼光は獣さながらの迫力だ。
「ハッ、ハッ、ハァァッ!」
一拍ごとに踏み鳴らす足が床を揺らす。
マキアは息を呑み、アンダラとスネアは思わず後ずさった。
「ヨッ! このザックス郎――修羅場も修羅場、粧い変えてのご登壇ッ。人の情けも知らぬ御仁に、通す道などありはせぬッ!」
高らかに決め台詞を放ち、腕を扇のように広げて静止。廊下の空気が一瞬で張り詰めた。
マキアは呆気に取られつつも、口元を緩めた。
「……フフ、やってみるものね」
アンダラとスネアは互いに視線を交わし、引き攣った笑みを浮かべる。
突如変貌したザックスの迫力と気迫に、容易く踏み込めない。
「ザックス、頼んだよ」
「ヨッ、客の期待に答えるのが、あ、漢のつぅうとおぉおめぇえええッ!」
ザックスは隈取りの下でニヤリと笑い、得物を腰から引き抜いた。
闘う覚悟を燃え上がらせる紅の隈。廊下に張られた緊張が火花を散らす。
――こうして、追い詰められた姉弟の運命は、歌舞いた弟の一振りに託された。




