第244話 ギルの紋章
母の死体は野良犬のように放置されていたと聞いた。そしてギルの母親は貧民層だったばかりに碌な捜査もされず不審死として扱われた。明らかに殺害された痕跡があったにも関わらずだ。
ギルは母が死んでもそこまで悲しいという感情はなかった。だが心にポッカリと穴が空いたような感覚はあった。
母がいなくなりギルはすぐに食うにも困ることになった。あんな母親でも最低限の食事は与えてくれたんだなと知った瞬間でもあった。帰る家もない。次第に服もボロボロとなり髪もボサボサとなりみすぼらしい姿になった。
ギルは考えた。何故自分がこんな目にあわなければいけないのかと。何故俺は全てを奪われているのだと。
「許せない――」
それは唐突に訪れた感情。母を殺した奴を憎んだ。それは母を失った恨みではなく、結果的にギルが不幸な目にあっていることからの怒りだった。
幸いギルには時間だけはあった。この頃にはギルも母親が何をして稼いでいたかぐらいは知っていた。つまり母を殺した相手は母の客である可能性が高い。
そう考え、ギルは母と同じように身を売る女を見つけてはその後をつけ客を探った。母を殺したことで味をしめ再犯する可能性が高いと思ったからだ。
その考えは当たった。ある夜、屈強な男が女に声をかけ路地裏に向かったのを見つけた。何故かはわからないがギルはこいつが犯人だと考えた。それはただの予感だったが、事を終えた後で男が豹変したのを見て確信に変わった。
ギルは飛び出しナイフで男を狙った。ナイフはゴミ箱から拾ったものだった。しかし相手の男は素人ではなかった。ギルのナイフは男の脇を掠めた程度だった。
女はその隙に逃げたがギルにはどうでも良いことだった。一方で男は激昂していた。ギルに獲物を奪われたからだ。
「テメェふざけやがって!」
男が拳を振りギルはゴムボールのように地面を幾度と跳ね壁に叩きつけられた。
拳を鳴らす男の手の甲に紋章が見えた。
「舐めやがって。テメェみたいがガキが冒険者に勝てると思ってやがるのか」
どうやら犯人の男は冒険者だったようだ。やたらと力が強かったのも紋章の力が大きかったのかもしれない。
男はギルの首を掴み持ち上げた。
「なんで邪魔をした!」
「お前、前にも一人殺しただろう?」
そういってギルは母親の特徴を語った。途端に男の唇が歪む。
「何だあの女のことか。あぁそうだ。随分とやせ細った女だったがまぁまぁ楽しめたぜ。そういえばあの女、死ぬ直前にに「ギル、ごめんね……」とか呟いてやがったな。ガハハ」
それを聞いた途端、ギルの目が見開かれた。
「何だその顔? まさかテメェ、あの女のガキか? はは、そうか。邪魔されてムカついたが、親子揃って俺がぶっ殺してやるのも一興か」
男がギルを地面に投げ捨て、ゆっくりと近づいてくる。ギルは男を睨み続けたが、男は気にも留める様子はなかった。
「なんだその目は? もう謝っても許さねぇぞ」
男はそう言ってギルの顔面を殴りつけた。鼻の骨が折れたのか血がポタポタと流れるギルだが、それでも男を睨み続けた。
「まだそんな目ができるのか? だがな、もうお前は死ぬんだよ」
「ぐ、うわぁあぁあああ!」
ギルの首に手をかけてきた男の手をギルが両手で掴んだ。悲鳴を上げながらもギルは考える。何故自分ばかりがこんな目にあわないといけないのか。俺は何もかもを奪われ虫ケラのように踏み潰されて終わるのか。
「そんなのは嫌だ、俺はもう奪われるのはゴメンだ!」
その瞬間だった、左手の紋章が淡く光った。かと思えば右手に別な紋章が浮かび上がる。
「これは――」
「な、なんだ? 急に力が――」
ギルの首を絞めていた男の握力が弱まり、逆にギルの腕に力が宿った。
「うぉおぉおぉぉおお!」
「ぐ、グワァアァアアア!」
ギルが力を込めると男が悲鳴を上げボキッという骨の折れる音がした。
「はあ、はあ、な、なんだこれは? こ、この紋章は一体?」
ギルは自分の左手に浮かんだ紋章を改めて見た。紋章に何かしらの力があることは知っていたが、それはどんなものか理解していなかった。
だが右手の甲に浮かんでいたのが男の紋章であることに気がついた。更に右手の紋章の能力が頭の中に流れ込んでくる。
「剛腕の紋章――?」
どうやら腕の力を強化する紋章だったようだ。そして変化は母を殺した男にも現れていた。
「お、俺の紋章が消えてる! グッ、い、いてぇ、腕が、くそ、テメェ何をしやがった!」
「へぇ……」
男の言葉を聞き、ギルが黒い笑みを浮かべた。そうかと額を押さえ狂ったように笑いだす。
「な、何がおかしい!」
「これが笑わずにいられるか。俺は得たんだ。奪われる人生を変え逆に奪う側に回れる力をな! さて――そうと決まれば、お前は何を奪われたい?」
そしてギルは怯える男を笑いながら殴りつづけその命を奪ったのだった――




