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69.事故?

緑香る涼しさが鳴りを潜め、季節の移り変わりを嫌でも実感する纏わりつくような暑さの中、王立学園の長期休暇は始まった。


学園で得た伝手を頼りに社交に精を出す者、領地に帰って学園での学びを生かそうとする者、長期休暇の使い方は人それぞれで、共通しているのは皆一時学園から離れ、各々の立場に帰って行ったということだった。

私とソフィアもその例に漏れず、今は荷物を纏めて教会へと帰る馬車の中で、程よい揺れに二人して揺られていた。




「なんだかお家に帰るのも久しぶりに感じますね」


「まだ学園に通い始めて半年なのにね。随分色々とあったように感じるわ」


本当に、色々あった。アヤメの世界のこと、アシュレイにバレたこと、何故か仲良くなったエミリーにサクラの問題。

この半年の想いを馳せながら、なんとなくさ迷わせた視線がソフィアのそれと交わると、彼女は嬉しげに顔を緩めた。


「おかげで色んな人達と知り合いましたね」


「そうね、おかげでずっと騒がしかった気がするわ」


「いつも一緒に居ましたから。講堂でも、食堂でも。部屋にだって突然来ることも少なくなかったですし」


確かに。気が付けば、彼女たちとはずっと一緒に居たような気がする。

講堂では暗黙の中で爵位順に並んでいた席を、完全に無視して隣に座ろうとするし、食堂でもいつも同じ席に来るから、なんとなく私も一緒に食べるのが日常になっていた。気が付けば、私が昼食に遅れた時も皆の居る席を探していた気がする。

挙句、彼女たちは夜でもおかまいなしに部屋にも突撃してきた。わざわざ平民寮に、貴族がアポイントメントも無しに、だ。

最初は一々貴族としての常識や礼節を説いていたけど、いつの間にかそれも忘れて一緒に話し込んでたっけ。

ずっとずっと、騒がしくて、楽しかった。


勿論、ソフィアと二人きりの今の時間も悪くないけど。


「そう考えると、完全に二人きりっていうのも久しぶりかしら」


なんとなくそう口にすると、一拍の間を置いてからソフィアの視線が急に泳ぎ始めた。


顔も少し赤いし、体調でも崩しているのかしら。


私が顔を覗き込もうとすると、ソフィアは勢いよく後ずさった。

そのままジリジリと私から距離を取ろうとして、そう広くはない馬車の限界にすぐ行き当たる。

それが面白くて私が同じようにジリジリと距離を詰め始めると、ソフィアはわたわたと慌て始めた。


「ちょ、えっと、あっ!あの日、フィリスさんと初めて会った日の帰りも、こんな風に馬車に揺られてましたよね!」


ついに隅っこに追い詰められたソフィアの、無理矢理絞り出したような話題の転換に笑ってしまいそうになる。

それはそれとして、距離を詰めてみたもののこれ以上どうしたものかと内心悩んでいた私は、話題の転換に乗っかることにした。


「懐かしいわね。あの時の私は揺られる身体も無かったけど」


乗っかるついでに軽い霊魂ジョークを飛ばしたら、ソフィアに湿度高めのじとっとした目で睨まれた。どうにもこの手のジョークはソフィアには受けが悪い。


「これでもわたしにとっては結構思い出深い日なんですよ?」


「私にとっても思い出深い日ではあるのよ。ただちょっと冗句が頭に浮かんだからつい言っちゃっただけで」


じとっと私を見つめるソフィアに、何に対してか私が弁解していると、どちらからともなく笑みがこぼれる。

一しきり笑いあった後、ソフィアは馬車の座席に深く腰をかけ直し、

何か懐かしいものを思い出すように、すっと目を細めた。


「……実はわたし、あの日グランベイル家に行くのが嫌で嫌で仕方なかったんです。王族の婚約の儀を取り仕切るのは現総主教に連なる者じゃないといけないんですけど、急にアイリスさんたちの婚約が決まったことと、

その時兄が偶然隣国に行っていたことで、わたしに白羽の矢がたちました。でも、あの時のわたしはまだまだ不勉強でしたから、何もわからないし、失敗とか粗相をしたらどうしよう、って考えると気分がすごく落ち込みました」


「婚約の儀の進行は見事なものだったと思うわよ。最初見た時はおどおどしてて、大丈夫かなって思ってたけど、完璧だったわ。

それ以外は……あの時のアヤメがアヤメだったから粗相をする暇も無かったんじゃない?」


ソフィアの儀式中の凛とした立ち居振る舞いは、今でも覚えている。あの時はそれまでのギャップに随分と驚いたものね。

それと、あの時のアヤメの行動も。アヤメの素性が素性だけに今なら仕方なかったと言い切れるけれど、それにしても殿下と初対面なのに距離が近い近い。

不敬にも殿下にちょっとした不信感を抱いたのもあの日だった。今ではそんなことないし、殿下も学園で関わるうちに優秀な人だと解ってきたけれど、アヤメが関わるとダメになるのは変わらずだ。


「あの時のアヤメさんには本当に驚きました。わたしも何が正しいのか知りませんでしたから、もしかしたらあれが正解なのかと」


「無い無い」


あれが普遍的になってしまうと、この国の風紀の終わりだ。

私の必死の否定に、ソフィアがクスリと笑う。


「勿論今は分かってますよ?でも、当時はそのくらい何も知らなかったんです。丁寧な言葉遣いも、貴族の方に対する振舞い方も、誰も教えてくれませんでしたから。だから、本当に不安だったんです。わたしで大丈夫なのかなって」


胸の前で手をぎゅっと握ったソフィアは、ほぅ、と息を吐くと目を弧にした。


「でも、あの日選ばれたのがわたしでよかった。今は心の底からそう思います」


ソフィアの言葉で、暖かいものが胸に流れ込んでくる。ぎゅっとソフィアを抱きしめたい衝動を、狭い馬車の中だからと自分に言い聞かせて。

代償行為に右手をソフィアの頬に添えると、ソフィアはくすぐったそうに目を細めた。


「私も、最初は助けてくれるなら誰でも良かった。誰とも繋がれない、ただ見ているだけの地獄から脱出する切っ掛けになるなら、誰でも。

けど、今はもう、ソフィア以外は考えられないわ」


熱を帯びて潤んだソフィアの青い瞳が、空を写した朝露みたいに輝いている。

その輝きに吸い込まれるように顔を近づけると、お互いの顔が段々と近づいて行って――



ガタン。



石でも跳ねたのか、大きく馬車が揺れ、私とソフィアは思いっきり額をぶつけあった。


「「痛っー!!」」


赤くなった額をさすりながら、私は混乱の極みにいた。


(今、私何をしようと―?!)


あのまま馬車が跳ねなかったら、私は何をしていたのか。あのまま互いの距離が零になったら……。

頭を振って妙な考えを追い出すと、それまで聞こえていなかった馬車の外の喧噪が段々と耳に入ってくるようになった。


「そ、そろそろ教会よね。妙に騒々しくないかしら」


「そ、そうですね。普段はもっと静かなはずですけど」


若干お互いの間にぎこちなさを残しつつも、一緒に窓の外を覗き込むと、なんと教会の前には人だかりが出来ていた。

私が何事か見渡していると、その人だかりの中に居たエラが、窓から顔を覗かせた私に気付き、ぶんぶんと手を振ってきた。

それは久しぶりに会った知人に対する手振りというより、どことなく必死さを感じさせるものだった。


「なんだか嫌な予感がするわ」


「わたしもです」


御者にここで馬車を止めるように伝える。すると、停車した途端エラが必死の形相で走りこんで来て扉を叩いた。


「は、早く来て!あれ全員フィリス待ちなのよ!」


学園に居ようと教会に帰ろうと、今日も私の周りは騒がしい。


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