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Ep.アシュレイ 後編


バカげた量の装飾が施された豪奢なシャンデリアの下、程々に酒の入ったホールでは父たち貴族の見え透いたおべっかと陰湿な言葉の刃が飛び交っていた。

いじらしい華を片手に再びホールにやってきたボクは、彼女の目的の席にはいかず、ボクの父上のところへと向かった。

困惑するアイリスを片目に、ボクはきちんと周りに聞こえるように声を張り上げる。


「父上、暇になりましたので近くにいた彼女と遊んでまいります。ほら、行こう!」


ディンダー公爵が父上の近くに居て良かった。彼にも、これでアイリスが”運悪く”ボクに捕まったことが伝わっただろう。

アイリスの戸惑う顔で、彼女が嫌々ボクに振り回されているのだということも。

ボクの声にホールが騒然となり、後ろから父上の怒鳴る声や虫の羽音のような嫌味が聞こえたが、それはボクの足を止める理由にはならなかった。




休憩用に開けられた部屋にアイリスを押し込み、無理矢理座らせたところでずっとボクに振り回されていたアイリスがようやく口を開いた。


「あ、あのこれは一体」


「ボクが常識知らずにも先約に割って入りキミを夜会から連れ出した。キミは素行の悪いボクの近くに居合わせただけの被害者。そういう筋書きだけど、どうかな。

これなら瑕疵がつくとしてもキミの家ではなくボクだ。それに、怪我で中座よりは素行不良に捕まったという方がまだ穏便だと思うんだが」


場を和ませるためにウィンクをしてみれば、アイリスは余計に恐縮してしまう。


「それでは貴女の名前に傷が……」


「構わないさ。元々ボクはそんなものを必要としていなくてね。それよりも、足の調子は?」


「ええと、大丈夫です」


アイリスの柔らかい表情と声色に騙されそうになるが、靴の下の赤色はさっきよりも随分と版図を広げていた。

大丈夫なわけがない。だが、ただ助けを求めることを建前が邪魔をするのだろう。


「ふむ。そういえば、先日剣の稽古で痛めた手首がまた痛んできたな。これは包帯と薬が要るね。ちょっと持ってくるように伝えてくるよ」


我ながら下手くそな言い訳を盾に部屋を出ると、後ろから蚊の鳴くような謝罪の声が聞こえた。




爪が割れているどころか、無理が祟りほとんど爪が剝がれているようなアイリスの足に包帯を巻いていく。

こういう時、我が家の元騎士だった庭師から治療の手ほどきを受けて置いてよかったと思う。

父は女にそんなものは不要だと言っていたが、やはり役に立つこともあるじゃないか。


包帯を巻き切ったのを見て、そのまま休んでおけばいいのにアイリスはおもむろに立ち上がろうした。


「おい、何してるんだ」


「やっぱり貴女のことだけでも釈明をしておかないと」


何を言い出すのかと思えば、そんなことをされてはボクのしたことだって水の泡だろうに。


「要らないさ。そんなことをすれば、キミのことだって聞かれる。それはボクの望むところじゃないな」


「ですが……」


「言ったろ。ボクはキミにちょっかいが掛けたかっただけなんだ。そのために、キミがあの場から穏便に退場出来るだけの建前は作ったと思うんだけど、ダメだろうか」


「それは、感謝しています。けど貴女の名誉が……」


あんなもの、ボクにとってはなんでもないんだが。

納得できない様子のアイリスを前に、ボクはこれ見よがしに対面の椅子に座り込んだ。


「だったら、代わりにボクと話をしてくれないか。キミのことを聞いてみたい」


ボクが逃がす気が無いことを悟ってか、アイリスはその提案に渋々頷いてくれた。







「ウィンザー家と言うと、最近上り調子の?」


「あ、あぁ。だが、まあボクはあまり我が家のことが好きではなくてね。アシュレイと、名で呼んでくれると助かるよ」


家のことをポロリと口に出してから、しまったとボクは後悔した。

じゃあ追って礼を、なんて言い出しそうだから家名は適当にはぐらかすつもりだったのに、

聡明、打てば響くようなアイリスとの話が楽しくて、ボクの口は思ったよりも軽くなっていたようだ。


「では私のこともアイリス、と。貴女の前で言う事ではないかもしれませんが、私は素敵だと思いますよ、ウィンザー侯爵家。ここ数年の領地の発展も目覚ましいですし、この間打ち出した新政策など各地で早速真似されているではありませんか」


アイリスの言う政策は、おそらくボクの打ち出したものだ。

褒められたことは嬉しいんだが、今鏡を見たらなんとも苦い顔をしたボクが映っていることだろう。


「……信じられないかもしれないが、その新政策とやらの元はボクの出したものでね」


「なら猶更ではないですか?貴女のしたことを、家名とともに誇れるではないですか」


彼女のお人好し具合のせいか、苦笑が勝手に浮かんでくる。


「父も母もキミみたいなら良かったんだが、生憎そうではなくてね。ボクはウィンザー家にとってただの政略結婚の道具であって、政に精通していることは決して褒めるべきことではないんだ。

ボクにとってのウィンザー家はただ自由を縛る鎖か、いいとこ重石くらいだ。大手を振って当主に慣れたのなら、自身の手腕を思う存分振るえたのならと思ったことも一度や二度じゃない。

ボクはね、”ウィンザー侯爵家令嬢アシュレイ・ウィンザー”以外の何者かになりたいのさ」


つい勢いで全部言ってしまったが、さて。アイリスの反応はどうだろうか。

貴族令嬢というものの体現者である彼女からすれば、役割を放棄して生きたがるボクなど、軽蔑に値するのかな。


「私は好きですよ。貴女の生き方」


驚きで、表情がスコンと抜け落ちた。苦言を呈されたり軽く流されたりするならともかく、肯定されるとは思っていなかったからだ。


「何故、好きだと?キミの生き方とは正反対じゃないか。淑女とは斯くあるべし、それがキミだと思っていたんだが」


「だから、ですよ。私はどこまで行っても一貴族の令嬢でしかない。それしか生き方を知りません。精一杯皆に報いる方法が、私はこれなんです」


そう言って、アイリスがボクの手を優しく包み込んだ。


「貴女は自分の手で道を選ぶ覚悟も、きっとその強さもある。だから応援しますよ。私も見てみたくなりましたから。貴女の治める領地と、その領民を」


あぁ、くそ。顔のにやけが止まらないじゃないか。

ずっとずっと欲しかった言葉を、アイリスはくれた。心がいつになく暖かい。ボクの諦めた道を行く彼女の言葉だからこそ、こんなにも響く。

ボクがもし男なら、段階なんて全部すっ飛ばしてこの場で愛の告白をしていたことだろう。

同時に、こうも想う。どうにかして彼女の檻を壊してやりたい。彼女が自分のことを語る折に、時たま見せる諦めをどうにか払ってやることは出来ないか。

優しく聡明な彼女ならば、いくらでも道はあるのだと、教えてやることは。だが、他でもないその道から逃げ出したボクの言葉では、まだ届かないだろう。

だから、ボクに出来そうな最大限をしよう。今日のようなことがあった時に、また近くに居られるように。それがボクなりの、ボクの道を肯定してくれたことへの恩返しだ。


「アイリス、ボクらここでこうしているのも何かの縁だと思う。友達にならないか。建前や、貴族同士の繋がりじゃない、ただ言葉通りの友に」







そうして、ボクらは友となる。家が同派閥だったことも幸いし、ボクらの交流はそれからずっと続いた。

その間、様々なことがあった。政策について議論を交わしたことは一度や二度じゃないし、互いの家を行き来することも多かった。

面子の絡まない小さな夜会では、あいつの手を取って踊ったこともあった。男性パートをボクが踊れるとしった時は驚いた顔をしていたし、あの顔が見れただけでも教わった甲斐はあった。

いつまで経っても考えを曲げない両親に反発し、とことん親の思い描く令嬢から離れてやろうと騎士の真似事を始めた時、笑ってボクらしいと言ってくれたこともあったか。


友になって以来、度々思うことがある。もしもボクが本当に男だったら、と。そしたらこんなに良い女を放っては置かなかっただろう。

例え相手が公爵だろうが殿下だろうが、ボクはあらゆる手練手管を駆使してその隣を譲ることは無かったと言い切れる。

だが、ボクは女だ。アイリスのことはかけがえのない友であり、最も仲の深い人物だと言いきれたが、特段性別の壁を越えようとまでは思わなかった。

いや、そもそも思いつきもしなかった。そういう感情を向けてもいいのだと言うことを。ま、今更ではあるが。


だからこそ、かな。その壁を越えてまで恋慕の情を向けるソフィアに、少し負けた気がする。

ソフィアはあいつの檻を壊してくれた。こんなに楽しそうな顔をするアイリスのことが見れるのは、彼女のおかげだろう。

悔しいが、あいつの隣はソフィアのものだ。それにあいつだって自覚はしてなさそうだが、満更じゃなさそうだからな。

自分のことになると鈍いあいつのことだから、気付くのはいつになるかわからないが。



さて、脱落したボクは、せめて応援してやろう。二人の険しいであろう恋路を。

いつか、アイリスがボクの道を認めてくれた時と同じように。

ま、応援と同じ分だけ揶揄いもさせてもらうけどね。




「そろそろ解散しないか。明日も授業があるし、ソフィアが眠っていた間の勉強を教えてやらないと。ほらフィリス、キミの出番だぞ。部屋で”二人で”復習してくるといい」


にやけた顔でそう言ってやれば、ソフィアはボクの意図に気付いたらしく、もぅ!と顔を赤くして吠えた。



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