64.選んだ道は
「そのタイムリミットを超えるとどうなるんですか」
「結びつきを失い、身体という殻から魂は徐々に離れ、守る殻を失った魂は霧散します。残るのは魂の抜けた残骸。死、と。そう定義しても良い状態へと至るでしょう」
小さく悲鳴をあげたのは、アヤメとソフィアだろうか。常に冷静なマリーまで思わず息を呑んだのが手に取るようにわかる。
私よりも周りの方が動揺しているせいか、あるいは考えは変わっても気質はそう変わらないということだろうか。目の前に自分の死をぶら下げられても、私の頭は思いの外澄んでいた。
「なら、そうならないために出来ることをやらないといけませんね。私はそのリミットまでに何が出来るのか、是非ご教授ください」
「リミットは長くて一年。その間に君に出来ることは二つ。一つは、元の身体へと戻ること。生まれ持った身体の中であれば、魂の摩耗は抑えられます」
ですが、と。そう続けようとするロイエスの言葉を遮って、アヤメが前に出た。
「じゃあ自分が身体を返すよ!前はフィリスに断られたけど、死んじゃくらいなら……!」
私なんかよりもよほど必死に声を荒げるアヤメ。けれど、私は首を縦に振らなかった。
身体を今譲られたところで、結局アヤメの魂がどこに行くかという問題は解決したわけじゃない。
死ぬつもりはないけど、友達を犠牲にして生きる道を選ぶつもりもないのだ。
追いすがるアヤメに私がきっぱりと断りを口に出す前に、ロイエスが先にアヤメを手で制した。
「話は最後まで聞いてください。僕はその方法をお勧めしません。アヤメくんもアヤメくんで、異世界から来訪したその行為自体が魂を摩耗させていることは間違いないのですよ。
僕の目算になりますが、その身体という殻から魂を外に出した時点で、魂が崩壊を始める可能性は非常に高い。
フィリスくんが自己利益に帰結する根っからの貴族の娘であったなら、あるいはそれを迷わず選べたのかもしれませんが」
それを聞いてしまったら、猶更了承することは出来ない。私がロイエスに同調するように首を振ると、アヤメは諦めたように俯いた。
死ぬ可能性が高いと言われれば、流石に思うところがあったのだろう。ともあれ、退いてくれてよかった。
そんな私たちのやり取りが終わるのを見計らってから、それまで黙して話を聞いていたアシュレイが軽く手を挙げた。
「話の腰を折ってすまないんだがそもそもロイエス、キミはよく異世界からなんて話を信じたね。ボクだってフィリスの入れ替わりのことは信じても、そちらに関しては半信半疑だ」
アシュレイがとりあげたのは、至極当然の疑問だった。確かに、すんなり受け入れていたけどロイエス最初からそこに関しては疑う素振りもなかった。
私だってアヤメとの付き合いがなければ一笑に付しただろうし、出会ってまで日の短いロイエスなら信じないほうがが当然だ。
なら、何故ロイエスはここまでアヤメが異世界から来たということを前提で話せていたのか。そんな私の疑念はすぐに解消された。
「それは魂術のルーツのせいですね。元来死者の世界という異世界との交信、あるいは行き来を可能にすることを最終目標とされていました。それを可能にしたという話は聞いたことがありませんが、可能性としては存在します。
僕にとってのそれは、荒唐無稽や不可能なものではなく、あくまで手が届かないだけで実現可能な範疇なんです」
「なるほどな。」
「ご納得いただけたようなので、話を元に戻しましょう。僕より優れた魂術の使い手が居れば、無傷で魂の委譲をすることが出来たかもしれませんが、そんなものはこの国には居ないでしょう。
よって一つ目の提案は犠牲の上にしか成り立ちません。次に二つ目。フィリスくんの存在をそのままに、魂と身体をより強く癒着させます。そうすれば魂を護る殻はより強固なものになる。しかし、」
僅かに言い淀んだロイエスの、その言葉の後にどういう言葉が続くのか。彼がそれを口にするよりも早く、理解してしまった。
「その魂を二度と引きはがすことが出来なくなる。ですか?」
「……当たりです。君が元の身体へと戻ることは出来なくなるでしょう」
その言葉を聞いても、私は予想していたほどの衝撃や悲壮感は感じなかった。それがフィリスで居ることに慣れてしまったからなのか、まだ別の方策を選ぶ余裕があるからなのかは私にもわからない。
「つまり、貴方よりも優れた魂術の使い手が居ればその問題は解決するんですよね」
「それはそうですが、もしや」
ハッとしたように顔をあげるロイエス。彼にも私の考えていることが伝わったらしい。
「どのみち、サクラに一度狙われた以上護身の術くらいは教えて貰うと思っていたんです。なら、魂術そのものを教えて貰っても大差はありませんよね」
私も随分と欲張りになったものだと思う。誰かを身代わりにはしたくない。けど、自分を犠牲にもしたくない。
一朝一夕で魂術を習得できるとは思っていないけど、両獲り出来る選択肢があるなら、私はそれに挑戦したい。
ロイエスはううむと唸り、眉間に皺を寄せると、一人口の中で言葉を転がし始める。
「覚えたからと言ってすぐに上達するような類のものではありません。しかし、それならば可能性は……いや、僕の独断で話を進めるには影響が大きすぎます。一度、ガウスの元に相談しに行く必要がありますね」
「その口ぶりからして、貴方自身はこの突飛な案を前向きに考えてくれるのですね」
「とても。とても険しい道ですよ。魂術は一歩間違えば自死する可能性すらある危険な魔法です。危険な山道を急ぎ足で登ることの意味がわからない人ではないでしょう」
「それならば大丈夫でしょう。私も自分の身には最大限気を付けますし、私が行き過ぎた時は手を引いてくれる友も居ます。自棄からじゃない、私は私のやりたいことのために危険にあえて踏み出す。これは許される危険かしら、ソフィア?」
いざという時には私の手を引いてくれる友ことソフィアにそう尋ねると、彼女はやれやれと困ったように溜息を吐いた。
「本当は危ない目になんて合って欲しくないですけど、そういうことなら仕方ないですね。わたしだって引き留めたいだけで束縛したいわけじゃないですから」
ソフィアが合格をくれた。これは私にとって大きな一歩だ。それは私が自分を大事に出来ているということだろうから。
後は、ロイエスだけだ。
「……元より僕には大した才は無い。僕より優れた使い手が居ないのは、そもそもこの国に魂術の使い手なんてものが居ないからです。だから、学べば僕を超えるのはあり得ないことではない。そう思ってしまった。
困難で誰も傷つかない選択、そういうものを躊躇なく選べる人物を僕が嫌いに慣れないというのもあります。……ただ勘違いしないでください。仮に教えたとしても、悪用した場合は即座に消しに行きますよ」
そういうロイエスは俯き気味で、けど目だけは鋭く私のことを見据えていた。
しっかりと釘を刺しつつも私の考えを肯定的に捉えてくれる辺り、結局のところロイエスは根がお人好しなのだろう。
その後いくつかの話を経て、私たちはロイエスの話の対価としてサクラと身辺の調査をすることに決まり、ロイエスはガウス翁との協議のためにとマリーの手配ですぐに教会へと向かった。




