63.大事なこと
長くなる話の前に医務室にやってくる人の気配を感じ、私たちは居場所をロイエス用にアヤメが借りた空き教室へと移した。
滅多に使われない殺風景な空き教室は、ロイエスの持ち込んだ魔術具や薬草類でごった返している。
気の利く侍女ことマリーは皆の喉の渇きを察してか、何に使うのかもわからないような素材を軽く端に避けながら、いつの間にか寮から持ってきていたお茶を各テーブルに用意していった。
マリー以外の皆が手近な椅子へと座ったところで、私は私の身に起こった事、その始まりからを語りだした。
時にアヤメが補足し、ソフィアが相槌を打ちながら話は進む。
マリーはほとんどの事情を知っていたので、眉一つ動かさずにそれを聞いていた。アシュレイは興味深そうに、時折愉しそうに笑った。
そしてロイエスは真剣に、深刻に。ただ、私の話に聞き入っていた。
私が今日に至るまでの出来事を話し終えると、それを待っていたとばかりに鋭い目をしたロイエスが口を開く。
「本当に、その身体を入れ替えた事件以前に同様の魔法を使った事はありませんか」
「少なくとも記憶している限りではないですね」
話の最中からずっと、疑念の宿った目を私に向けていたロイエスは、もしも、と前置きしてから砂糖をティースプーンで一掬いした。
「本当にその事件が禁忌魔術とフィリスくんの最初の邂逅ならば、そこで全ては終わっていなければおかしい。耐性の無い人間の魂が、突如外界へと放り出されればどうなるか。
その答えは、消失です。身体という殻を失った魂は、丁度この砂糖のようなものです。紅茶という世界に注がれて形を保てるわけがなく、そしてそれが元に戻ることもあり得ない。何か、その砂糖が溶けないように細工されたものでもなければ」
ロイエスは紅茶をかき混ぜながら、手癖のようにとんとんと、カップの底をスプーンで突いた。
その動作を数度繰り返してから、ロイエスは何かを決したように続きを口にした。
「前提の話をしましょうか。そもそも僕が今禁忌の魔法と称しているそれは、本来”魂術”と呼ばれる系統の魔法です。そして、これは歴史からも消された忌むべき魔法です。現在使うことが法によって使うことが禁止されている魔法は幾つかありますが、
魂術はそうやって法で縛ることすら生ぬるい、存在を消してしまわねばならないとされた魔法なのです。そしてこれを歴史から消すために暗躍したのが、国、教会、当時最も魂術に精通していた僕の祖先の三つです。
国教が殊更に霊や魂の存在を否定するのは、これら魂術に繋がる要素に触れさせないためというわけです。国が禁じ、教会が人々から存在を抹消する。こうして、僕らみたいな万一魂術が再び世に出た場合に対処をするために残された僅かな人員を残せば、そもそも魂術の存在を知っている人間はごく限られる。
まして、魂術の系統に対する耐性など持っているはずがない。そうでなくとも、フィリスくんの周りには魂術に関する騒動が不自然なくらい多すぎる」
さらりと語られた、明らかに国家機密のそれに私もアシュレイも動揺を隠せない。
そんなことを私たちに明かして、ロイエスは一体何を企んでいるのだろうか。
「つまり、私は疑わしいと。私のことをどうなさるおつもりで?」
「どうもしませんとも。ガウスの人を見る目を僕は信じている。ここまでのこともある。それに、話が全て真実ならばフィリスくんは一貫して被害者ということになる。ひと昔前なら魂術に関わった者として消されていたでしょうが、幸い今代の責任者は僕だ。
この手の対処は全部僕に一任されているので、ここに居る全員を敵に回すよりも協力してもらうほうが有意義だと思いまして。サクラという人物も気になりますし、一人では手が回りそうにありませんからねえ。何せ、魂術とは秘中の秘。おいそれと聞いて周るわけにもいきませんから」
無論、あなた方も魂術を吹聴して回れば消えることになりますが。などとロイエスは冗談めかして付け加えたが、その目は一切笑っていない。
それに、どのみちここまで明かしたということは私たちにこの話の拒否権はないのだろう。彼は暗に拒否すれば国が敵にまわると言っているのだ。知ってはならないことを知ってしまった私たちに、目こぼしをするから協力をと。
元々真相に追いつくためには拒否する気もないけど、ロイエスもロイエスで私の周りに感じたきな臭いものを探るため、即座に打算して私たちを巻き込んだというわけだ。
剽軽な態度を取ることも多く、出会ったときにはしがない次男坊などと言っていたが、やはり彼も立派な貴族の一員であるということを思い知らされる。
「いいですよ、私は協力しましょう。ただし、二つ条件があります」
指を二本立てた私を、ロイエスは値踏みするようにじっと見つめ、続きをと促す。
「国家を挙げての秘密なら明かせないことも多いでしょう。それらを無理に明かせとは言いませんが、魂術で私とアヤメに繋がるものは極力教えてください」
「当然の要求ですね。もう一つは?」
「危ないことは出来るだけさせないでください。悲しむ人が居るので」
私がそう言った瞬間、それまで真面目な空気で傍観していたアシュレイとアヤメとソフィアとマリーが突然噴き出した。
ロイエスまでもが毒気を抜かれたように笑いを堪えている。
場の状況に困惑していると、目に涙を溜めたアシュレイがポンと私の左肩に手を載せた。
「お前からそんな言葉が出るなんてなあ、良い感じに阿保になったじゃないか。ソフィア様様だ。クソ真面目な顔から出てくる言葉が惚気とは……フフッ、お前をよく知るやつほど効くなこれは……」
片手で顔を覆ったアシュレイはぷるぷると震えながらぶつぶつと何かを言っている。アヤメは頬に手を当ててくねくねしているし、ソフィアに至っては何かの抗議か先ほどから私の右肩をバシバシと叩いている。状況が解らないんだけど、ソフィアの顔も赤いし、何か怒らせるようなことをしたかな……。
あ、そうか。この言い方だとその人が私の弱みだと言うのがバレバレだものね。交渉事ならもっと上手く隠して運べと、そういうことね。保身することの大事さを知ったとはいえ、慣れない条件を付け加えるのは難しいわ。
ソフィアの言わんとすることは完璧に理解した。今回は失敗したけど、次はもっと上手く織り込もう。
そう心に書き留めていると、いきなりパチパチと拍手の音が部屋に鳴り響いた。
「いやはや、なんとも巧妙な不意打ちでした。戦場へと赴いたのに向かった先で家庭料理で歓待されたような気分ですよ。
フィリスくんからは社交界に咲かれる花々のような"臭い"を感じていたのですが、それとは趣が違ったらしい。僕の鼻も鈍ったものだ。年頃のお嬢さんが相手となれば下手な交渉も探り合いも無しです。美しき友情のためにも、僕の知ることの全てを詳らかにしましょう」
表情を隠す薄ら笑いの仮面を投げ捨て、心底嬉しそうに笑うロイエス。
それに対して私はというと、何がそこまで彼の琴線を刺激したのかわからず、困惑気味だ。
貴族然とした雰囲気からただの青年へと人を変えたロイエス。彼は紅茶を一口、口へと運んでから、改めて真剣に表情を引き締めた。
「手始めに、フィリスくん。その身体となってから意識を失ったことはありますか。例えば、感情の昂りなどによってです」
「……何度かあります。ショックで倒れたことが」
思い返せば、この身体になってすぐの頃はアヤメのショッキングな報せを聞くたびに意識を持っていかれそうになっていた。
ただ未知の衝撃に脳が着いて行けなくなっていただけかと思っていたけど、いざ指摘されてみれば元の身体の時にはそんな理由で気絶したことなんて無かった。
「やはりですか。冷静に聞いてください。フィリスくんは以前にも魂術を使用している。それも一度や二度ではなく、度重なる使用によって魂が摩耗している。気絶の理由は摩耗により魂の定着率が著しく低かったからでしょう。
今は身体が慣れて安定しているかもしれませんが、それにもタイムリミットがあります」
真摯ながらも落ち着き払っているロイエスの姿は、重大な病気を患者に宣告する医師のようにも見えた。




