61.おかえり
息苦しさが消えて、新鮮な空気が肺に入り込んでくる。
どこかに横たわっている、そう気づいたのはもう二三度浅く呼吸を繰り返してからだった。
ゆっくりと目を開けると、ぼやけた視界のピントが段々と合っていく。一番に目に入ったのは、長い睫毛と澄み切った碧。
「……目覚めを待つのは私の方だと思ってたんだけど」
「ばか」
ソフィアが私をぎゅっと抱きしめ、私もソフィアの背に腕を回して抱き返す。
そこでようやく私は、自分がソフィアの膝の上に寝かされていたのだと気づいた。
より正確に言うなら、ベッドで身を起こしているソフィアの膝。多分、ソフィアと額を合わせ意識を飛ばしてから、ほとんどそのままなのだろう。
先に目覚めたソフィアが、私のことを膝にのせて待っててくれていたのだ。
そういえば、他の人はどうしたのか。
若干の名残惜しさを抱きつつも抱擁を解き、先ほどから視線を感じていた場所に目をやると、こちらを凝視していたアヤメ(と他数名)とばっちり目が合う。
「あ、こっちのことは気にしないで。存分にイチャイチャしてていいからね」
そのサムズアップは何のつもりなのか。ニカっと整った歯を見せるアヤメのところにズカズカと近づき、私はアヤメの立てた親指を思いっきり握りこんだ。
「見世物じゃないわよ」
「イタタタ!ギブ、ギブだから!」
ぱっと指を離すと、警戒も露わに私から距離を取り、赤くなった指にふーふーと息を吹きかけるアヤメ。
なら最初からやらなければいいのに。
「大体、イチャイチャとかそういう表現は異性の恋人か、最低でも好きあってる人同士に使うものでしょ。その言い方はソフィアに失礼よ」
私としては至極当然のことを言ったつもりが、何故かその場に居た全員から可哀そうなものを見るような目で見つめられた。
しかも背中側からも無言の抗議を感じるのは何故なのか。そっちにはソフィアしかいないはずなのに。
「フィリスの方が失れ……なんでもない。フィリスがそう言うなら今はそれでいいんじゃないかな」
含みのある言い方が気になるけど、納得してくれたのなら良い、のだろうか。アヤメの妙に生暖かい視線の理由がすごく気になる。
アシュレイはアシュレイでソフィアの肩を叩いて、頑張れよと絶賛謎の激励の真っ最中だ。
こういう時、出来る侍女のマリーは我関せずで飲み水の用意にいそしんでいるし。
場の混沌具合に頭を抱えていると、クスクスという笑い声がベッドから聞こえてきた。
「ソフィア?」
「ごめんなさい。なんだか、帰ってきたんだなあって思ったらつい」
「……そうね。お帰り、ソフィア」
「ただいま、です」
その目元の緩んだ恥ずかしがるような控え目な笑顔を見て、まだ強張っていたらしい身体の力が抜けて行くのを感じる。
意識だけとは言え溺死寸前まで行ったことは、思っていた以上に私に緊張を与えていたらしい。
ソフィアが、助かった。そんな現実に私の意識がようやく追いついた。そんな気がした。
ふらつくフィリスを抱きとめたソフィアが、彼女の顔を愛おしそうに眺める。その瞳の中で、今まで淡くまだ名前の無かった感情が、形を持ち始めていた。
その後も、四人の姦しくも他愛もない話はいた。
意識が無い間も話がソフィアに聞こえていたことや、そこから私が意識を落とす前にアシュレイたちに言った言葉があまりにも言葉足らずだったと話が私に飛び火したり。
曰く、あれでは死に行くみたいな物言いだったと。せめて私がソフィアに語った成功する確信があったことでも話していけば少しは違ったのだろうけど、私も私でそこまで頭を回す余裕は流石になかった。
そのせいで、ソフィアが先に起きて私が絶対に戻ると断言するまでは、アヤメたちは心配で心配で仕方なったらしい。
……彼女たちには悪いけど、実感してみればこうして他人に心配されるというのはむず痒いけど悪いものじゃない。その気持ちを素直に受け取れるようになったことが、一連の出来事で私が得た一番の物だろうか。
勿論、だからと言ってわざわざ心を砕かせるような真似を自分からしようとは思わないけど。
ソフィアは私が意識の海での最後に溺れかけていたことにも気づいていたらしく、その件には大層ご立腹だった。
信じていたから送り出したけど、もしもそれで私が次ソフィアと同じ状態になったらどれだけ成功率が低くても実行すると言われたのは、私に対する脅し文句としては最上級だ。
一連のごたごたで消えてしまった、遊びに行こうという約束を復活させることでご機嫌をとり、私はなんとか事なきを得た。
ついでとばかりに同行者を三人ほど増やしたお出かけの予定を立て始めていると、それまで意図して気配を消しながら様子を静観していたロイエスが、頃合いとばかりに立ち上がった。
「再開の喜びに割って入るのはどうにも忍びない上趣味でもないのですが、一つ、僕から大事な話があるのです。よろしいでしょうか?」
この件の功労者であり一番に感謝すべき人物だったと言うのに、皆の意識の外に消えつつあった申し訳なさも相まって若干気まずい視線が彼に集まる。
「あぁ、そのようになさらなくても大丈夫です。邪魔をしたくなくて僕は今まで自分から壁の染みになろうと徹していたのですから。ただまあ、一区切りついたようですので、最低限お話しなければならないことがありまして。
まずは改めて、これらの魔法とその存在は他言無用です。もしもここから魔法の存在が漏れるようなことがあれば、自分の全身全霊を持って全てを無かったことに致しますのでご注意を」
異なんてあるわけも無かったけれど、それを侯爵家二家の前で堂々と言い放てることに私は驚いた。
世間話の延長のように、なんてことのないことのように言ったのは、絶対に私たちごと消せると確信していることへの裏返しだろう。
私たちに反論が無いことを確認し、ロイエスは話を続ける。
「ここまではこの魔法に関わった者に対して発生する当然の義務と諸注意です。そして、大事な話はここからなのですが」
ぐいとロイエスが私に顔を向ける。
「フィリス・リード。貴女、どこかで類似の魔法を使ったことがありますね?」
どきりと、心臓の跳ねる音がした。




