52.脱走計画
「で、ちょっと遠回りになっちゃったけどここからが本題」
ん。と伸びをしてから、アヤメは硬い木の丸椅子に座り直す。
「ソフィアに使われた魔法がアイリスの思っている通りのものなら、ファンブック。原作の裏話みたいなものなんだけど、その知識でなんとか出来るかもしれないの」
「本当!?」
勢いよく立ち上がったことで、かかとが椅子に当たって鈍い音を立てた。後ろでは椅子の倒れた音もしたけど、今の私には気にならなかった。
ソフィアが目を覚まさない原因は医者にもわからず、使われた魔法も分からないから解決方法も見えない。
今日の今日まで私自身のこともあって散々魔法については調べたのに、だ。
深い霧の中をタイムリミット付きで手探りで歩いていくしかないと思っていたのに、アヤメの言葉で目の前を覆う霧が晴れて、視界が一気に広がった気分だ。
「私に出来る事はある?!なんでもするからその方法を」
「順を追って説明するから待って待って。こういう風に止めるのってどっちかって言うとフィリスの方だと思ってたんだけど、ソフィアのことになると本当見境なくなるよね」
お店に教室に散々好き放題暴走してきたアヤメにそう言われ、流石に私も頭が冷えた。
恥ずかしさをと息に混ぜて大きく息をつき、足元に倒れた椅子を元に戻す。
「ごめんなさい。続けて」
「ん。と、言ってもアイリスの知ってることは多くないんだよね。知ってるのはソフィアに使われた魔法が忌み嫌われて封じられた魔法の一つであることと、それを研究している人」
古い記憶をなぞるように、アヤメは一度目を閉じた。
「クリエット男爵、その人なら解呪できる。それがエンディングのその後、つまり今のソフィアの状態から二人が幸せになる条件だってファンブックの隅に載ってたのをよく覚えてる」
「クリエット男爵?」
聞いたことのない名前だ。国内の有力貴族の名前はほぼ記憶しているはずだから、そうなるとよほど表に出てくることのない名前なのか。
「知らないのも無理ないよ。社交界にも出ず、引きこもって魔法の研究ばかりしている忘れられた一族。原作だとそんな感じだった気がするんだけど、とにかくその家の存在を知ってる人からして極端に少ないの。
禁忌の魔法も研究しているから、あえて名前も姿も出さないんだって」
「禁忌の魔法って魂の関係する魔法?」
頭に過った考えをそのまま口に出して見れば、帰ってきたのは僅かな驚きと肯定の頷き。
やっぱり、と。なら、私にとっては遠い話でも秘匿されたものでもなんでもない。今ここに居る私、フィリス・リードという存在自体がある意味ではその魔法そのものだから。
ガウス翁の元で使われたあの魔法と、あの書物。間違いなく、あれが禁忌の入り口だ。
「その魔法なら私も少しは知ってるわ。事情があって情報源は言えないけど、とにかく存在だけは知ってる」
ガウス翁に釘を刺された手前、あの老人に繋がる言葉は出せないけど、このくらいの確認なら許してくれるはずだ。何より、ソフィアの目覚めに繋がるものならなんでも知っておきたい。
そのくらいの考えだったのに、知ってる、と言った瞬間目の前で人が大怪我でもしたみたいにアヤメは顔色を急変させた。
「知ってって……使ってないよね!?身体は、精神は大丈夫?」
その尋常じゃない焦り具合に私が呆気に取られていると、アヤメは秘密を打ち明けた時と同じくらい神妙な顔を作る。
「アイリスの知っている歴史ではね、”アイリス・グランベイル”はその禁忌の魔法に触れて破滅するの。精神を浸食されるようにして」
背筋が冷えた。それが限りなくあったかもしれない可能性だと言うのなら、アヤメがこの世界に来ていなくて、あの日々の延長に居たら私は……。
「今後のためにも、破滅の原因を聞いておきたいわ。その魔法は私が使うの?それとも誰かに使われて……」
「今は、言えない。今言っても誰も幸せになんてならないと思うから。けど今のフィリスは絶対に原因に接触しない。それは確約出来る」
誰も幸せにならないと思う、なんて。ずるい言い方だ。
私の言葉を遮るように、私が未来に起こった事の真相に到達するのを遮るようにアヤメは言葉を被せて来た。
そんな風に言われてしまうと、私はこれ以上追及出来ないし、追及しなくてもいいと思う程度にはアヤメの事を信じてしまっているんだから。
「分かったわ。それはまた追々としましょう。それで私自身のことだけど、多分大丈夫。私がその魔法を知ることになった過程の中に、悪意は入り混じっていないもの。魔法が独りでに私を傷つけようとしない限りは問題ないはずよ」
「そっか。でもフィリスもついでに診てもらったほうがいいと思う。フィリスだけは完全にイレギュラーで、どうなってるかはアイリスにも分からないから」
アヤメの瞳が不安げに揺れる。その不安、心配と言い換えてもいいものを、それよりもと前までの私は切って捨ててしまっただろう。自分よりもソフィアを優先して。
けど、ソフィアは私に教えてくれた。その心配は決して軽々しく流してもいいものではないことを。そうすることは巡り巡って相手を傷つけることを。
だから、私はアヤメに対して自分でも驚くほど素直に頷けた。
「ええ、アヤメが言うならそうするわ。私も絶対に大丈夫、とは言えないしね。で、そのためにもクリエット男爵に会いに行くわけだけど、どうする?」
相手が男爵、つまり貴族なら然るべき手順で面会を申し込んで、学校にもその旨の休暇や外出申請を出してとやることは色々あるわけだけど……。
「抜けだそっか、学園。アイリスたち二人で。それでこっそり会いに行こう」
思ってもみない提案に、力が抜けて身体が傾いた。相変わらずアヤメはずれているというか。
申請さえ出せばこの学園では簡単に休みも外出も出来るし、逆に貴族子女の通う学園だけあって警備はかなり厳しいのに、わざわざ抜け出す意味は薄い。
そもそも男爵位とは言え一端の貴族相手にアポなしで突撃なんて出来るわけもない。
「言いたいことは色々あるけど、申請出せば通るでしょ。それにクリエット男爵のところだっていきなり行っても門前払いでしょ」
一見道理の通らないアヤメに呆れを露わにしていると、そのアヤメが苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
「どうしても不都合があるの。万一にもクリエット男爵のことを知られたくない人が居る。申請でもなんでも、辿られたくない。ただ、その詳しいことについては、その」
「また私に言えないこと?」
言えないことがあるからと言って私は特別怒ったり不信に思っているわけではないんだけど、アヤメは申し訳なさを全身で表すように縮こまって、小さく頭を縦に振った。
「いいわ。今更アヤメを疑わない。理由があるって信じているから。それに話せるようになったら話してくれるんでしょ?」
「うん。終わったら全部説明するつもり」
声色からアヤメの中に説明出来ないことの後ろめたさはまだ若干残っているようだけど、それ以外の不要に重いものは取り払えたようだ。
「なら良し。それよりいつ抜け出す?」
「準備があるし、侍女にも頼れないから四日」
アヤメは決行までの日を指折り数えているけど、その計算は間違っている。
「マリーなら私の事情は知ってるわ。話せば手伝って貰えるはず」
意表を突かれたように金色の目をぱちりとさせるアヤメに、私はマリーとの経緯をさっと説明していく。
説明していく中でアヤメの瞳に粘性の感情が宿った気がするけど多分気のせい。
原作には無かった主従愛、これはこれで……!などとぶつぶつ呟くアヤメのことは一旦無視だ。
「こういうことだから、私からも説明すれば間違いなく力になってくれるわ」
「うん、マリーに頼れるなら二日でいけるかな。二日後の夜、フィリスの部屋に集合ね」
かくしてソフィアのための脱走劇の決行日は決まった。




