46.魔法学実践
学園の庭で生徒たちが見守る中、魔法実践授業を担当するレルーケ先生がお手本として鮮やかな炎を両手から出現させてみせる。
彼の詠唱の正確さ、魔法の顕現の速さは流石に王立学園の教師と言ったところだけど、それに反して生徒からはまばらな拍手がパラパラと送られただけだった。
「見事、ではあるがあれを見た後ではね」
苦笑するアシュレイの目線の先には、それが詠唱なのかどうかすら怪しいような文言を唱えながら、次々と水に火に草にと魔法で具現化しては消していく転生者。
≪燃えて≫≪流れて≫など、通常三文節程ある魔法をただの一言二言で成立させていくその姿は、レルーケ先生とは比べるべくも無い。
規格外、というのはこういうのを言うのでしょうね。
「もうよろしい。次」
さっさと次の生徒を指名しながら、レルーケ先生が苦々し気に歯噛する。この先生はとにかく基本や法則を大事にするので、型破りな転生者とはとにかく相性が悪い。
得意や苦手な属性みたいな魔法の決まりなんて関係ないかのように魔法を使う転生者を受け入れたくない気持ちは全くわからないでもないけど。
見ていると自分の中の常識が崩れていく音がするのよね。私はもう慣れたけど、否定したくなる人がいるのも仕方ない。
「次、ウィンザー!」
「おや、ボクの番みたいだ」
前で実演していた生徒の番が終わり、アシュレイが呼ばれる。
そろそろ私の番も近いかな。
使う予定の魔法を思い浮かべながら、立ち上がる彼女に頑張ってくださいねと適当にエールを送ると、ウィンクが返ってきたのでそれははたき落しておいた。
「先生、実演するのは得意な魔法ならなんでもいい、だよね?」
「なんでもよろしい。早くやりなさい」
その返答にアシュレイはにやりと笑うと、軽く息を吸い込んだ。
≪炎よ!我が声に答えろ!≫
上空に向けて、剣を振るような速度で人一人飲み込みそうな大きさの炎の華が咲く。
これは一般的な炎の魔法……を大幅に崩したアシュレイ流の魔法だ。私も昔説明してもらったことがある。
なんでも、実戦向きに発動の速さと威力を重視したものらしい。本来はもっと長い詠唱なんだけど、詠唱を崩したせいで発生する魔力のロスを持ち前の大量の魔力で無理やり補う形にしているのだ。
自分向けに改良することは悪いことではないし、それが出来るだけの知識や努力は素晴らしいことなんだけど、実戦向きの魔法って侯爵令嬢が一体何と戦う気なんだろうか。
これまた基本的とは言えない魔法の登場に、転生者の時ほどではないけど先生はしかめっ面だ。
「もういい。次だ、ソフィア・リード!」
やり切った感を醸し出すアシュレイに入れ替わり、ソフィアが前に立つ。
ソフィアは一度目を閉じると、ゆっくりと魔力を手に集め始める。
≪光の精に命じます。我は、導を灯す者。迷い子たちにどうか光を≫
ソフィアの手から小さな光がきらきらと舞い上がり、雪のようにはらりはらりと降ってくる。光の初歩的な魔法。私の好きなソフィアの魔法だ。
ただあかりを灯すだけの魔法だけど、魔力操作の繊細なソフィアはその光一つ一つを操作して、宙に浮かべている。これだけのことが出来るのは、少なくともこのクラスには一人も居ない。
幻想的な光景に転生者も、アシュレイでさえも息を呑む。
その反応に私まで嬉しくなって、頬が緩みかけたけど、いけないと小さく首を振って密かに気を引き締め直す。
今は感嘆の声が大きいけど、これだけの魔法だ。終わってみればやっかみの声もあるだろう。特に、転生者やアシュレイに向けられる妬みまで、平民でぶつけやすいからとソフィアに向かう可能性もある。
だったら、私がするべきことは一つだ。
「次、フィリス・リード!」
先生に名前を呼ばれ、私は自分で扱える限界ギリギリの魔力を脳内でイメージしはじめる。
私には転生者ほどの突飛さはなく、アシュレイほどの魔力量もない。ソフィアほどの繊細さもない。
私に出来るのは基本。基本に忠実に、詠唱を完璧に。魔力が魔法に代わる時、詠唱が雑になればなるほど魔力にロスが発生する。だから、私に出来るのはただ詠唱を完璧にこなし、魔力効率を限界まであげて魔法の規模を大きくすること。
私が悪目立ちすれば、ソフィアへ目が向くことも少なくなるはずだ。
手のひらに、ひどく熱が宿る。
≪水の精に命じる。我は、波より浚う者。龍よ、水より出でて水へと還れ≫
手の熱が水へと代わり、とめどなく流れる水は重力に逆らって空へと蠢く水の柱へと変わる。
幾本もの水の柱が何本も立ち上がり、空で渦巻く巨大な球体になったところで、辺りからは悲鳴混じりの歓声が上がった。十分衆目を集めたところで、私は力を抜いて水の球体を霧散させる。
下層で転生者に魔法を見せられてから、一層力を入れて大きい魔力を扱う練習をしてきて良かった。
これで貴族に目を付けられることがあるとしてもソフィアではなく私になるだろう。
「文句なし。完璧。貴族に生まれていないのが惜しいくらいだ」
レルーケ先生は私の教科書通りの魔法に満点の評価をつけると、次の生徒の名を呼ぶ。
騒然とした空気の中、私は自身の席へとそそくさと引っ込んだ。
「過保護め」
私が戻るなり、アシュレイは第一声でそういった。
「何のことでしょう」
「とぼけるなよ。今まで陰でそつなくこなしていた癖に、ここぞとばかりにこんな目立つ真似をしたのはソフィアのためだろう?ソフィアもそのことに気付いて気を落としていたよ。また無理させたって」
咎めるような視線を私に向けるアシュレイ。
私だって流石にそろそろわかっている。こういうことをすればソフィアが気に病むことくらい。
けれど、こうしてしまった方が誰も損しないのだから仕方ない。
「それでも、よ。私の方が貴族の妬み嫉みのあしらい方を知っていますから、一纏めこっちに向くようにしてしまった方が良いでしょう」
「全くキミの言うことは正しい。理屈の上ではね。頭でっかちなんだ、考えが。大体、今回のことだって事前にソフィアに力を抜くように言えば良かっただろう。彼女も手を抜くのは苦手だろうが、
キミの言葉なら素直に従っただろうに」
「……想定外だったんです。ソフィアが想像よりも成長してることもだけど、それ以上に他の低さが」
先ほど名前を呼ばれた貴族の生徒が、皆の前でろうそくのような火を指先から灯す。
その火はとても不安定で、魔力の量だけで無理に維持しているといった有様だ。
彼だけではない。そよ風のような風魔法に、小指の先ほどしかない小石を生成する土の魔法。
前に私に突っかかってきた伯爵令嬢などはまともに魔法を使えているので全員ではないにせよ、私が想像していたよりも遥かにこのクラスには魔法の拙い貴族が多かった。
「ソフィアがいくら優秀でも、きちんと教育を受けた貴族たちの中ならそれも紛れてしまうと思っていたんです。ですがこれは……彼らは貴族なのですよね?」
「貴族とは立場に見合うだけの努力と能力を持たなければならない。キミに似たボクの友人の言葉なんだけどね。ボクから言わせれば彼女もキミも貴族に対して夢を見すぎだよ。
先々代の王の悪政以来、貴族の子が減り競争も減った。競争が無くなれば、自ずと人は楽な方に流れるものさ。それを踏まえて、キミの基準は些か求めすぎなのさ。身近なサンプルがキミ自身やソフィアではそれも仕方ないのかもしれないけどね」
私の貴族観を揺るがすような言葉に反論をしようと口を開いたが、目の前にたしかにある現実を前にそれを否定する言葉が出て来ない。
言葉に詰まる私の肩をアシュレイがポンと叩く。
「ま、そんな遠いところの話より、ソフィアに心配をかけないことを優先しなよ。あいつらの口さがない悪意からソフィアを守ろうって気持ちは買うけど、キミが全部やらずともいざとなればボクが出て行くし、そこの彼女だって力を貸してくれる、だろ?」
アシュレイが私の後ろをクイと顎で指す。振り向いてみると、転生者が静かに眉間に皺を寄せながら佇んでいた。
声をかけられ、そこでようやくはっとしたように顔をあげる転生者。
「え、あ、うん。もちろん貸す、貸すよ!友達だもん!」
「あ、ありがとうございます。ところで、いつの間にそこに……?」
「まあ、ちょっと聞きたいことがあってね」
歯切れの悪い返事。なんというか、転生者らしくない。いつもなら駆け寄ってくるなり大声で存在をアピールしてくるかタックル紛いの抱擁でもしてきそうなものなのに。
転生者はたっぷり数秒うーんと唸ってから、おずおずと切り出した。
「あのさ、変なこと聞くんだけど、フィリスのさっきの魔法ってフィリス自身の魔法なの?」
意味も意図もわからない質問に、仕方なく言葉通りの意味で受け取った私がそうですが、と答えると、転生者は眉間の皺を深くした。
「そっか。ありがと。それだけ聞きたかったの。じゃあね!」
タタタと小走りで走り去っていく転生者。心なしか、その足取りはいつもよりも重い。
「どういう意味なんだい?さっきの質問」
「わかりません。言葉そのまま、としか」
授業の終了が告げられたのは、それから間もなくのことだった。




