44.アイリスと私
後の支度のためにとマリーが部屋を出て数刻、他にやることも無い私はサクラの使おうとした魔法について調べながら過ごし、日差しも頂点に差し掛かると言った頃。
学園の職員が持ってくると聞かされていた昼食を、何故か転生者が部屋まで持ってきた。しかも私と自分の分で二食分。
廊下で配膳用のカートをカチャカチャと押す転生者は、さぞ目立っていたに違いない。
「一緒に食べよー」
「いえ、一緒に食べようではなくてですね。一体何してるんですかアイリス様」
「んー、食事を運んでる?なんか今日に限って人手が足りないって食堂の人に聞いたから、代わりに引き受けたの」
話をした食堂の方も、使用人にでも任せると思って託したんだろうに。手押しでカートを押し始めた転生者にはさぞ度肝を抜かれたことだろう。
「……事情はわかりましたけど、だからと言って仮にも侯爵家の人間が給仕の真似事などなさらないでください」
「えー、アシュレイだって良いって言ってたよ?」
転生者の口から飛び出てきた名前に眉間を抑える。
全くあの不良令嬢は余計なことを。絶対わかってやっているわよね。
彼女、常識はある癖にまるでそれを気にしないから転生者とは違った方向に性質が悪い。
「彼女は例外なので間に受けないでください。まったく、侯爵家が揃いも揃って規律を乱そうとしないでください。立場に相応しい振る舞いというものがあるんですから」
「フィリスったらマリーみたいなこと言って!」
眉を吊り上げる私と、ふくれっ面の転生者。間の抜けたにらめっこに、どちらからともなく笑いが漏れる。
わかっている。今更転生者がそう簡単に変わるわけないし、私も本気で言ってるわけじゃない。向こうもそれを理解して、ただふざけているだけ。
あるいは、私自身もう本気で変わって欲しいとは思っていないのかもしれない。なんだかんだ言って、転生者のことを嫌いにはなれなかったから。
グランベイルのために、引いては貴族たちの規範のためにも小言は言うけどね。
私は仕方がないと肩を竦めると、転生者の持ってきたカートからスープを手に取った。
「もう。来てしまったものは仕方ないですね。冷めないうちに食べてしまいましょうか」
二人きりの部屋にカチャリと食器の擦れる音が鳴る。
思えばこれはチャンスかもしれない。私と転生者、何度も顔を合わせているけどいつも隣には誰かが居て、二人きりになるようなことはほとんどなかった。
けれど、今なら二人だけでゆっくりと話し合うことができる。私の身体について核心を突くようなことはまだ聞けないけど、これは転生者の人となりをもっと深く知る事が出来るチャンスだ。
意を決した私は食事をする手を止め、コトリとスプーンを置いた。
「このスープ、おいしいですよね。今までに無かったような味です。最近になって流行り始めたものらしいですけど、聞くところによるとアイリス様の商会発祥だと聞いたのですが、本当ですか?」
「ほんとだよ。ミネストローネって言うんだ。どうしてもこっちで食べたくなって作ってみたら、気付いたら商品になってたの。材料が違うから味を似せるのも大変だったなー」
赤みがかったスープを口に運び、幸せそうに綻ぶ転生者。その様子は、とても現在の王国の食糧事情の最先端を行く人物には見えない。
「食べたかったから、ですか。商業医療魔法、幅広い分野で新天地を開拓してきたのも全部欲しかったから、ですか?」
私の空気が変わったのを察して、転生者も食べる手を止め、私と向き合った。
彼女の真剣な顔は初めて見たかもしれない。
「欲しかった、それも間違ってないよ。半分はね。もう半分は、アイリスはこの世界が大好きだから。大好きな世界がもっと良くなったら、もっともっと大好きになれる。だから世界を良くしたい。それだけだよ」
彼女の口から出たのは、幼い子供の絵空事。けれど、それを一笑に付せないだけの本気がそこにはあった。
ただ真剣に、転生者は世界を良くしたいのだと、嫌でも私はそう感じてしまった。
「アイリスは、ううん。”私”はね、小さいころからずっと寝たきりでさ。だから、窓から見る世界と、箱の中の世界だけが”私”の全部だったの。あ、不満があったわけじゃないよ!パパもママも優しかったし。
でも優しすぎて、”私”もそれに甘えてばっかりで。甘えて甘えて、気が付いたら一人じゃなんにもできなくなってたの」
それは紛れもない、アイリスとしてのカバーではなく転生者本人の身の上。
どこか懐古を目に宿して語る転生者の話を、私はただ黙して聞いていた。
「だからかな、とっても鮮烈だった。一人でなんでも背負って、一人でなんでもやってしまう人が、”私”の見た世界に居たんだ。信じられないくらい自分に厳しくて。でも、とっても魅力的に見えたの。だから自分もそんな風にやってみたいって、そう思って踏み出せたんだ。
ま、最初は失敗しちゃったけど。けど、”私”はここに居る。神様のくれた二度目のチャンス、それをアイリスは切っ掛けをくれたこの世界のために使いたいの。”私”もこのくらい出来るって、大好きな世界に見せてみたい」
違和感のある言い回しは幾つかあったけど、転生者の動機も出発点も、これで知ることができた。
「そういうことならばアイリス様の名声も功績も、もう充分に一人で立っておられますね」
「まだまだだよ。アイリスはただ知ってるだけだから。知ってることをやっただけ。アイリスはね、未来が見えるの。信じる?」
世間話の最中に言う冗談のようにふわりと投げられた言葉のボールを、私は衝撃と共に受け取った。
私の中で、欠けたピースが嵌ってしまったように感じたから。
転生者の生み出すものは、どれもこれも先進的で、その発想は未来から得たと言われても納得するようなものばかりで。
それだけじゃない。今年の凶作に備えたかのような食料改革、下落する産業からのいち早い撤退。マリーから渡された報告だけでも、未来予知じみた動きは散見されていた。
だから、もしかしたら。そう思えてしまった。
「信じてみてももいい、かもしれませんね」
「意外。フィリスはそういう冗談言わないと思ってた」
「冗談ではないですよ。ただ本当に、信じてもいいと思ったんです」
転生者は、ふーん、と値踏みするように私の顔を見ると、机の上に置いていた私の手に被せるようにきゅっと握った。
「ありがと。信じてくれて」
身体を寄せた転生者の香水が鼻孔をくすぐる。同性の私ですらドキリとする仕草。殿下はこれにやられたのか。
脳裏にソフィアがチラつく。なんでわからないけど、ソフィアにここを見られるとまずい気がする。
謎の焦りに背を押されるようにして、とにかく話題を変えてしまおうという思いが私の口を動した。
「そうだ。アイリス様の手本になった方は一体誰なのですか」
私が何気ない質問を投げかけると、転生者の表情が急に昏みを帯びた。まさか。
「もう、居られないのですか……?」
「……わからない。けど、アイリスは絶対に会えないの」
生死もわからないのに、確信を持って会えないと言える人物。まるで謎かけね。
「侯爵家の力と、今の貴女の財力なら国中だって探せるのに?」
「無理。アイリスがアイリスである限り、会うことは出来ない人なんだ」
問題は地位でも金でもない。ますますその人物とやらがわからなくなり、私は頭を捻る。
するとある疑問が頭に浮かんだ。言葉に、引っかかるところがあったから。
「アイリス様がアイリス様でなければ、出会うことができるのですか?」
我ながら言葉遊びのよう。そんな風に思いながらも、私は問わずにはいられなかった。これが謎かけの答えだと、理論以外の私の中の何かがそう告げていたから。
転生者も、それが答えだと言わんばかりに目を見開く。
「そうだね。アイリスがアイリスじゃなかったら、絶対に会いにいってた。あ、でも最初はエリオットかな。エリオットに会って、それからその人。絶対エリオットの近くに居るから、別々にする意味も薄いけどね」
「殿下に近しい方なのに、アイリス様では会えないと?見当もつきません。誰なのですか、その方は」
条件は絞られていっているはずなのに、絞れば絞るほどわからなくなり、私はとうとうギブアップを宣言。
すると、転生者は唇の前に一指し指を立て、妖しげに笑った。
「内緒。こればっかりはエリオットにだって言えない。さっ、そろそろ授業が始まるから、もういくね!」
大急ぎで食器を片付けると、転生者は嵐のように去って行った。
「アイリスの知ってる未来には居ないのに、学園編でフェードアウトするわけでもないし。なんか、まだありそうな気がするんだよね。フィリス・リード、一体何者なのかなー」
カラカラ。廊下には、カートを押す音だけが反響していた。




