43.綻び
次の日、起き掛けにベッドからむくりと身体を起こした私は、既に起きて今日の準備を始めていたソフィアへ、おはよう、と声をかけた。極力いつも通り、平静に。
昨日は口を滑らせてしまったけど、私だってソフィアとギクシャクしたいわけじゃない。
出来るなら何も変わらない日常の中で平然と過ごして、昨夜のことをゆっくりと記憶から薄れさせていってくれればいい。
そのためにまず私自身が、大したことなんて無い。何事も無かったんだと、そういう風に振舞おう。そう決めた。
完璧に普段通りの自然な笑顔を再現してソフィアへと向ける。大丈夫、隠してしまうのは得意だから。
そして、きっとソフィアは私のいつも通りの挨拶に少し戸惑いながらも律儀に返事を返すだろう。
彼女の中に残る僅かな違和感を、私が溶かしていってしまえばいい。そうすれば、元通りだ。
脳内でこれからの算段を付けていると、いつの間にか目の前に居たソフィアが私の瞳をじっと見るなり、盛大に溜息をついた。
「はあ。わかりました。フィリスさんがそうしたいなら付き合います。今は」
ソフィアのあまりに透き通った目に、心の内まで見透かされたように感じて、私は何も言えなくなる。
「でも、絶対に考えを変えてみせます。今はまだ、どうすればいいのかちっともわかりませんけど。それじゃ、行ってきます」
気付けば授業の始まるような時間、既に用意を終えていたソフィアは、宣誓のようにそう宣言すると、颯爽と部屋を出た。
部屋には、今日一日謹慎で寮から出られない私だけがポツンと残された。
一体何がダメだったんだろう。私の作り笑顔が崩れていた?声の調子がおかしかった?
そんなことない、私はいつものようにやったはずだ。なのに、なんでソフィアは……。
私の何が間違っていたのかわからず、一人部屋で悶々としていると部屋の扉がコンコンと軽快にノックされた。
学生は授業時間中のはずなのに一体誰が。不審に思いながらもひとまず、どうぞ、と声をかけると聞き知った、失礼しますという声とともにマリーが入室してきた。
私は気分と表情を切り替え、マリーにニコリと笑いかける。
「マリー、久しぶり。学園の方に来てたのね」
「お久しぶりです。勿論、アイリス様の供回りですから」
私に向かって恭しく頭を下げるマリー。今の私をそこまで丁重に扱わなくていいと前にも言っているのに、慇懃なのは相変わらずらしい。
「帰っている様子も無いから薄々察してはいたけど、やっぱり転生者は寮住まいなのね」
「通いでいいのではと申し上げたのですが、学園はそういうものだからと頑として譲られなかったので」
王立学園の学生は通いか寮住まいのどちらかを選んで通学することになる。グランベイル家ほど近場なら通うのが普通なんだけど、転生者はあえて寮生活を選んだみたいだ。
それで、寮生活をする貴族は供回りを何人か連れて来れるのだけど、案の定というかマリーはその供回りの中に選ばれたようだ。
こういったことには慣れっこですから、と眉尻を落として笑うマリー。転生者に振り回されているのも相変わらずみたいだ。
「それで、どうしたの?わざわざ私が謹慎中に訪ねてくるなんて」
「そうですね、私共は学舎には基本立ち入りませんし、授業が終われば別の支度がありますので。謹慎中の身の上であられるフィリス様には申し訳ありませんが、こういった機会でもないと会えませんのでご挨拶と報告をと」
元とは言え、主人が入学早々謹慎なんて頭の痛くなるような出来事を飄々と機会と言ってのける辺り、転生者との一年でマリーの強かさに磨きが掛かっている気がする。言われたところで私が怒るわけもないというのもあるだろうけど。
「で、何か新事実はあった?」
「新事実、というわけではありませんが、アイリス様は商業を中心に着実に街に、引いては国に対する影響力を伸ばしておられます。今までは私どもの隠蔽もあって商人に名が知られている程度でしたが、勘の良い貴族の方々はそろそろお気づきでしょう」
「そう。どんな形にしろ、とうとうグランベイルの名は社交界に轟いてしまうのね」
今までは、名声にほとんど執着を示さない転生者のおかげ、というの変だけど、彼女の作ったものの開発、発案者の名前を別人にすり替えたり、共同開発ということで目立たないようにとマリーが手配してくれていたと聞いているけど、それもとうとう限界に達したようだ。
ここから先は利益に群がる貴族、目の上のたんこぶとばかりに潰しにかかる貴族、元よりグランベイルの敵だった貴族。転生者は様々な貴族たちと相対することになるだろう。
その時、貴族間のパワーバランスを揺るがしかねない転生者が、グランベイルという家がどのようにされるのか、私にも想像は出来ない。お父様だって、介入することはないだろう。ただ一つわかるのは、転生者の凡そ貴族らしくない素行が瞬く間に調べ上げられ、社交界での話の種の一つとなるだろうということくらいだ。
それで凹むような質ではないだろうけど、それでも貴族たちからの陰湿な冷笑に転生者が参ってしまわないか、心配だ。
「出来るだけ味方を増やす方向でいきましょう。貴族との交渉は難しいでしょうから、商人を通すやり方で」
「わかりました。そのようにします。……それと、これは些事なので報告するか迷ったのですが、念のために。グランベイルの倉庫に見慣れぬ書物がありました。かなり古い文字で書かれていたので内容はわからず、持ち出すわけにもいかなかったので題名と目次だけ書き写しでここに」
マリーが紙の切れ端を私に手渡す。私はしばらく紙とにらめっこをすると、ゆっくりと首を横に振った。
「ダメね、私にも読めないわ。学園の蔵書からなら何かわかるかもしれないから、今度調べておくわね。他にはある?」
「これはアイリス様のこと柄ではないのですが、旦那様が近頃頻繁に外出なさっているようです。行先も不明で、それを従者にも告げることはありません」
「お父様が?」
お父様は社交界にすら滅多に顔を出さないような、年中書斎に籠っているような人だった。それが急変するなんて、何か意図があってのことに違いない。けれど、何をしているかまでは私には見当もつかない。
あの人の考える事は、昔からずっとわからないから。
「気にはなるけど、そこまではマリーも手が回らないでしょうし置いておきましょう。それ以外にはまだある?例えば転生者が何を目的に動いてる、とか、何故アイリスと入れ替わったのか、とか」
「申し訳ありません、目的、と言っても無軌道にやりたいことを次々と言われますので、これと言った大目的があるようには今のところは思えません。アイリス様を狙った理由についても全く。ただ、そうですね。昔からのアイリス様のことを知っている、いや、知りすぎている節があるように感じます」
「知りすぎている?どういうこと?」
「調べればわかるような事は勿論、私と貴女様しか知らないような出来事まで知っていたのです。昔、お稽古が辛いと零した貴女に、夜中こっそりとお菓子を差し上げたことがあったでしょう。それ以外にも幾つか、私と貴女様の間でだけの出来事を、現アイリス様は思い出の一つのように語られることがあります」
背筋に寒気が走る。私も、転生者は私のことを知っている人物だという検討はつけていた。だけど、マリーの語った出来事は私たち以外の誰であっても知り得ないことだ。なら一体転生者とは、何者なのか。
「仮に、よ。私の身体を乗っ取ったことで、記憶まで引き継いだという説はある?」
「その線は薄いと思われます。変わられる直近の記憶や、貴女ならば忘れるであろうはずのない出来事が曖昧だったりしますから。何かを基準に知っていることと知らないことに線引きがあるとしか」
「そう……」
結局、何一つわからないまま、転生者の正体からより遠ざかった気分だ。けれど、頑張ってくれているマリーのためにも、私がここで弱音を吐くことは出来ない。
「まあ、そちらは学園で接触する機会も多い今、私が直接探ればいいことだから。それよりも、転生者のサポートと家のこと、お願いね」
「はっ。貴女様の戻られる場所は、私が必ず」
力強い声を伴って、マリーは仰々しくも頭を垂れた。
side マリー
「失礼します」
そう言って私が入室すると、フィリス様が私にニコリと笑いかけられた。
その時、私は直感した。これは嘘だ、と。無理をして笑っておられることを、私は悟ってしまったのだ。
しかし、私がそのことを指摘すれば、貴女様はもっと奥深くに感情を隠してしまおうとなさるでしょう。
故に、私は何も言わない。私に出来ることは、ただ見て見ぬふりをすることだけ。
それでも、私は嬉しく思うのです。丁度一年ほど前の、見本のような貴族令嬢として完成していた貴女なら、私は嘘を見抜くことが出来なかったでしょう。
それが綻んだことが、解きほぐしてくださる誰かが現れたことが。ほんの少し、羨ましくもあります。きっと、それを成した同室の少女が。
願わくば、貴女様がただの年頃の少女として振舞える場所が見つかりますように。




