39.入学式
人気のほとんどない廊下を、こんなに走ったのはいつぶりだろうかと思えるくらいに疾走してなんとか講堂前に辿りついた私とソフィア。
ぜいぜいと息を切らせながら講堂へ続く扉を開けると、扉の開いた音に既に集まっていた生徒たちの視線が私たちに集中する。
嫌な人目の集め方にたじろいでいると、私たちに向かって講堂の壇上から声がかかった。
「刻限丁度、ほとんど遅刻ですよ。今回は不問としますが以後気を付けるように」
壇上に居る、髭を蓄えた男性、恐らく先生だろう。に注意された私とソフィアは、視線を極力避けるように小さくなって、平民出身の生とたちの固まっている中で空いている席に向かった。
立場上あんまり目立ちたく無かったのに、私のポカで入学早々やってしまった……。あとそこで小さく笑いを堪えてるアシュレイ、あなたいつか覚えてなさいよ。
まだ微妙に生徒たちの注目を浴びながら私たちが着席すると、壇上に居た先生がおほんと咳払いをした。
「集まりましたね。それでは、皆様の入学を祝い、エリオット・ジグ・ガストラル殿下より全生徒を代表しての挨拶があります」
先生が壇上を退き、代わりに見覚えのある金髪、エリオット殿下が登壇する。前に立つ彼が軽く微笑むと、その甘いルックスで女性陣から黄色い悲鳴があがった。
うーん、私は転生者にでろでろなところを見てしまっているからかな、特になんとも思わないけど……。転生者の件が無かったら私もあの声をあげてる一団の一人なってたのかな?……やっぱりあんまり想像が出来ない。
殿下が壇上に登り切り、第一声を発さんと息を軽く吸い込んだ時。ダァン!という鋭い音が後方から鳴り響いた。それが扉の音だとすぐに気づけたのは、件の音の原因のせいで慣れてたからだろうか。転生者っていうんだけど。
「よし!ギリ間に合ったセーフ!」
「十分アウトよ!?」
講堂に転がり込んできた転生者のあんまりな言葉に、私の口からついツッコミが漏れてしまう。
思わず声をあげてしまったけど、これ以上の悪目立ちするのはまずいと私は咄嗟に口を手で塞ぐ。幸い衆目は転生者に集まってる上に講堂は闖入者の登場でざわついていたので、私のことは眼中に入らなかったようだ。よし。
全生徒の目が転生者に集中する中、ソフィアだけが居た堪れないような目で私を見つめていた。
「静粛に!静粛に!殿下のご登壇中ですよ!」
講堂中のどよめきの中で鋭い声が飛ぶ。ざわつきの収まらない生徒たち相手に、大慌てで登壇しなおした先生のものだ。転生者は登場だけでも十二分なインパクトがあったのに、仮にも殿下の挨拶の邪魔をしたとなればそれもそれで事だからだ。
先生は真っ青になりながら事態の収拾を図っているけど、その件の殿下は転生者を見てのほほんと微笑んでいるどころか小さく手まで振っていることには気づいているだろうか。
「そ、そこの君、早く着座しなさい!早くしないと罰則も考慮に……」
「まあまあ、いいじゃないですか。まだ初日なんですから」
憤る先生を殿下が宥めすかすと、それ以上何も言えなくなった先生はすごすごと引き下がる。
転生者は転生者ではーいといい加減な返事をすると、空き席を見繕うためくるりと講堂を一望して、……私たちを発見してしまった。
出来れば目立つので私たちに向かって手を振るのは辞め、うわ、こっちに来ちゃった。おーいじゃないの、ここ平民が固まってる席だしなんとなく貴族も序列順で座ってるのに気づいて欲しいし誰か止めて欲しい。残念ながらこれを平民の私から指摘すると失礼に当たる辺り、階級社会はなんて理不尽なんだろうと私は今まさに痛感している。知り合いしかいないなら指摘しただろうけど、こんな衆目の中じゃそんなこと出来るはずもなく。
結局、転生者はニコニコ顔で堂々と、誰も阻まれることなく私の隣に着座してしまった。殿下、しっかり手綱を握っておいてください。元気でいいですよね、なんて絶句してる先生に言ってる場合じゃないですよ。
微妙な空気の中、殿下だけがマイペースに挨拶の続きを始める。なんとか再開した入学式の最中、私は転生者に向けられる奇異の視線の流れ弾を浴び続けたのだった。
「やっと終わった……」
「お疲れ様です……」
拍手とともに降壇する殿下を後目に、ぐったりとする私とそれを慰めるソフィア。今私はそのまま机に突っ伏したくなる欲求を、ギリギリのところで跳ねのけて理性で体勢を維持している。
私も腐っても元貴族令嬢、流石に人目のあるところでそんな事をするわけにはいかないのだ。横の転生者は思いっきり机に顔を付けて寝ちゃってるけどね!
……なんだか心労が凄くてもう自室に帰ったら即座にベッドにダイブしたい。式の間だけで1年分くらいやつれた気がする。
大体、ただでさえ平民は立場が弱いのに、今日だけで私が予定していた目立たないようにする処世術が早速破綻してしまった。転生者は言わずもがなだし、挨拶中もおもちゃを見る子供みたいな目で私のことを見ていたアシュレイも絶対後で絡みにくる。
こんな変人2人に絡まれたら目立たないなんて不可能だ。これじゃソフィアに学園で貴族との接し方を教えるどころか私が先にどうにかなってしまいそう。多分私と、あの前で顔が引きつりに引きつっている先生とでどっちが先に倒れるかのチキンレースだ。
私が暗雲立ち込めるこれからの学園生活をを予想して一人黄昏ていると、誰かにポンといきなり背中を叩かれる。
「やっほ!フィリス!」
何時の間にか起きてきていた転生者が、ニコニコ笑顔で私の後ろに立っていた。
「あ、アイリス様おはようございます。エリオット殿下の方はいいんですか?殿下も貴女と話したそう、と言うか貴女のことを捨てられた子犬みたいな目で見てますけど」
式が終わってから微妙にずっと殿下の視線がこちらに向いているのだ。じっと見ているわけじゃなくてチラチラと視線を寄越してる形だけど、これはこれで凄く気になる。
転生者と話したいんだろうなってのは分かるんだけど、この分だと私が知っている頃よりも殿下の転生者に対する溺愛が悪化していそうだ。
「あとで会いにいくからだいじょぶ」
そんな殿下を知ってか知らずか、しれっと言い放った転生者の言葉にソフィアが首を傾げた。
「あれ?でも確か王族の方々は寮の方に専用の居があって、そこに住まわれるんですよね。男性寮は女人禁制ですし、会いに行くのは無理じゃないですか?この後寮生は帰って施設の説明を受けるって先生も言ってましたし、外で会う時間もないですよね」
ソフィアの言葉を受け、転生者がそれは計算外とでも言いたげな顔で固まっていると、前の席からいつの間にかこっちに来ていたアシュレイが転生者に声をかけた。
「やあ、アイリス。久しぶりだね」
「あなたは?……あー、アシュレイね!」
まるで初対面の人に会うようなそぶりの転生者に、アシュレイは一瞬怪訝な顔を見せたが、すぐに表情を戻した。
いや、転生者のことだから本当に初対面なのかもしれないんだけど、せめて私の交友関係くらいは把握しておいて欲しかったと思う。特にアシュレイは親しくしていた相手なんだし。
「あなたは?なんてずいぶんじゃないか。確かにここ1年くらいはほとんど会っていなかったけど、それでもボクたちは友達だろう?」
一部の隙も無いような完璧な笑顔を浮かべるアシュレイ。やけに似合っている男装も相まって絵になるんだけど、私は知っている。こういう顔の時のアシュレイは大抵ろくでもないことを考えているか、相手に何か探りを入れている時だ。
「そうね、そうだった。これからよろしくね!で、ごめん。早速だけどアイリス、ちょっとエリオット様のところに行ってくるね」
不穏な空気を察してか、はたまた偶然か。転生者はアシュレイとの会話を早々に切り上げると、哀愁すら漂わせはじめた殿下の元にターッと走って行ってしまった。
「逃げられちゃったな。で、キミらは仲良さそうにしてたけど、アイリスとは知り合いなのかい?」
物騒な笑顔のアシュレイが私に矛先を変える。アイリス・グランベイルの変化について何かしら聞き出そうとする腹なんだろうけど、私にだって言えないことはある。と言うか言えないことしかない。
だけどアシュレイは表情の僅かな変化から感情の機微を読み取ったりするのが上手いのよね。
なので私も長年の付き合いからくる、こういう時の対アシュレイ用笑顔の鉄仮面を装備して、笑顔のまま表情一つ動かさずに、口だけを動かしていく。
「はいアシュレイ様。アイリス様とは、教会のある催しで出会った縁で仲良くさせていただいています」
「ふぅん?相手は侯爵家だよ?」
アシュレイは観察するように私の顔をしばらく見つめると、あっさりと臨戦態勢を解いた。
「まあ今はいいか。キミはなんだか手強そうだ」
アシュレイは肩を竦めると、それよりも、と続けた。
「様付けはよしてくれ。ボクのことはアシュレイでいいよ。いや、そうだな。なんなら”アーシェ”でもいい」
「ご冗談を。ですが、そうですね。間をとってアシュレイさんで如何でしょう」
揶揄うように言うアシュレイを私は適当に流しつつ、折衷案をさりげなく提示する。ここで無理に様付けを続けると、アシュレイの性格上退かないに違いない。彼女を相手にするときは、適度に退路を用意しておく方が吉なのだ。
「へぇ?わかったよ。キミとはこれから長い付き合いになりそうだし、呼び捨ては親しくなってからでも遅くはないね」
それじゃあ、また寮で。と言って去って行くアシュレイ。だが私は察してしまった。アシュレイの目の奥が光っていたことを。何が彼女のお眼鏡にかなってしまったのかはわからないけど、こうなった彼女は一度食いつくと離さないことを私は知っている。
これから私の周りで起こるであろう波乱の予感にげんなりして、私はソフィアの肩に頭をうずめた。




