26.想定外
結局、私が半ば思いつきで提案した、警備面に不安があるのなら各自魔法で合図が出来るようにしておこうという提案は、教会のお偉方の会議を通して正式に採用された。
私が新参であることやソフィアと関係が深いことから多少嫌煙されたらしいが、ガウス翁の奮闘によって案が通ったらしい。
けれど、特に教会育ちのシスターには魔法が不得意な者が多く、それによって日々の不便も少なからず感じていたということで、改めて魔法の講習が開かれることになった。講師役に私を指名して。
正直、エラとマイラに教えたような少人数でのものならともかく大人数となると面倒ではあったけど、私が提案した手前責任を持たなければという思いと、新参の私が馴染むのに手っ取り早いというのもあって承諾した。
それに、いざ講習を始めてみると思いがけないプラス要素も舞い込んできた。皆のソフィアに対する意識が変わってきたのである。
元々周囲のソフィアに対する印象は、ガウス翁の政敵が流布した噂によるところ大きく、ソフィア本人が積極的に関りも持たず否定もしなかったから、皆に避けられる結果になっていた。
それが講習で関わっていくうちに、何人かはソフィアが噂通りの人物ではないことに気付いてきたのだ。
それでもまだまだソフィアを嫌ったり関わりを避ける人は多いけれど、その分友好的や、少なくとも敵対的ではないと言える人も少しづつ増えつつある。
講習を始めた当初は身の置き所も無さげに一人でいたことが多いソフィアだったけれど、今では新しく出来た友人と笑いあっていることも少なくない。
これだけでも、講師役を引き受けてよかったと思える。
肝心の魔法の講義の方はほどほどと言った感じだ。魔法が上手く使えなくて不便を感じていた若い世代はそれなりに熱心に取り組んでいて、覚えも早い者が多い。一方で上の世代に行くほど、今まで通りで良いという意見が多くて、成果も芳しくなかった。
数人に一人が目的の魔法を使えれば当日はそれで問題ないと言われているので、現状で問題ないと言えばないんだけど。私も勉学の強制まではする気もないし。
そんなこんなで日々が過ぎていき、ついに下層で慈善事業を行う日の当日がやってきた。
この日、私は転生者本人も慈善事業に来るということで、転生者のことを直接は関わらない程度の距離感で観察しようと決めていた。色々と聞き出したいこともあるが、直接関わらない理由は、万一私の正体がばれたらどうなるかわからないのと、身分差のある相手と面倒ごとを起こしてしまう可能性を嫌ったためだ。
だから私はまずつかず離れずくらいの位置でそれとなく会話に聞き耳を立てる程度にしておこうと決めていた。その後、大丈夫そうならば機を見て多少の接触はしよう、とそのくらいの気持ちで。そのはずだったのに。
「どうしてこうなったの……」
「何してるの?早くいくよ!」
転生者が私の手を引いて走り出す。今は真昼時、太陽もさんさんと降り注ぐ時間帯。何故か私はその心地よい程度の熱気の中、観察対象に手を引かれて疾走していた。
時は遡り今日の朝。教会は侯爵家の令嬢が直々に来訪するということでどこか浮足立っていた。
本日シスターはいくつかの班に分かれて活動することになっている。主な活動は下層での炊き出しなので、材料の運搬や調理、料理の受け渡しにその他雑用と大まかに分けるとこんなところになる。
私は主に料理の受け渡しを担当する。理由は物覚えが良いからだそうだ。なんども受け取りに来る人が居ないか見て置いてほしいと。ソフィア、エラにマイラも同じ班なのは、単にガウス翁辺りが気を利かせてくれたのか、三人とも物覚えが良いからか、どちらかが理由だろうと私は勝手に予想している。
エラとマイラに勉強を教えるようになって以降、この四人で居ることが増えたけど、班が決まってからは更に顕著だ。なんなら、他のシスターからは四人セットで見られている節もすらある。でも、だからってエラやマイラを探す時に真っ先に私のところを訪ねてくるのは辞めて欲しい。特にバイロンが二日に一回のペースで聞きにくるのは、一体どれだけ彼女たちに用事があるというんだろう。とにかく、なんだかんだ私たちは四人でうまくやっていた。
いつものように私とソフィア、エラとマイラが大聖堂で炊き出しの打ち合わせをしていると、教会の入り口に大きな見覚えのある馬車が止まるのが見えた。
木そのものの色を基調に、ところどころに青や紫で装飾を施したそれは、間違いなく我が家、グランベイル家の馬車だ。
「ついにきたわね」
私の呟きにソフィアが頷く。ソフィアにも今回私がどう動くかは伝えている。ソフィアも私が極力直接転生者と接触しないように、かつ監視は出来るように、出来る限り力を貸したり、間に入ってくれる予定だ。
転生者が何を目的に教会を巻き込んでこんなに派手に動いているのか、何故直接出向いてきたのか、そもそも転生者が私の身体を乗っ取って何をしようとしているのか。知りたいことはたくさんある。ソフィアの協力の上で、そのうち一つくらいは今日のうちに聞き出しておきたい。
カツン、という足音と共に転生者、アイリス・グランベイルが馬車から降りてくる。それに合わせて、作業していた者も雑談をしていた者も一様に手を止め、口を閉じた。
「ようこそおいでくださいました、グランベイル様」
どこからか現れた現総主教が転生者に一礼する。それを転生者は興味なさげに一瞥すると、大聖堂に向かって歩き始めた。
「ここに居るのは皆、今日の活動に来る人達?」
ぐるりと大聖堂に居るシスターたちを見回す転生者と、転生者を観察していた私の目がばっちりと合う。それから転生者は三秒ほど私を凝視して、ずんずんとこちらに歩を進めてくる。
「えぇ、そうですが……如何しましたか?!」
慌てる総主教をよそに、転生者は私の目の前まで来て、再びじっと私を見つめ始めた。
まずい、私と転生者、正確には今の私とアイリス・グランベイルがだけど、は見た目が結構似ているのでその辺りで何か勘付かれただろうか。
嫌な汗が背を伝う。相手の状況もわからない中で私から動くわけにもいかず、転生者の動きをじっと待っていると、転生者が突然私の手を取った。
「あなた、アイリスにとっても似てるのね!ほら」
アイリスに似ている。そう言われて心臓が跳ね上がるかのように動機が激しくなる。まさか、私が本物のアイリスだということがバレたのだろうか。
「そ、そうでしょうか」
引きつらないように表情を必死に作りながら、正面から見られないようなんとか顔を逸らす。転生者はそんなことお構いなしにグイっと距離を詰め、息がかかるようなところまで顔を寄せてきた。
「うん、やっぱり似てるわ。決めた。アイリスは今日、この人と一緒に行くことにする」
その話し方で、ようやく私は転生者の言うアイリスとは自分のことで、つまりは一人称であることに思い至った。さっきのアイリスに似ているとは特に深い意味ではなく、単に自分と似ているという意味だった可能性が高い。
まだ、何かに勘付かれた可能性もないではないけど、そうとわかれば気持ちも少しは楽になる。強張っていた全身から力が抜けたところで、今さっき言われたことを頭の中で反芻して、私はフリーズした。”今日、この人と一緒に行く”と、転生者は今確かに言わなかっただろうか。それはつまり
「い、一緒に行くって今日共に活動するということですか?!」
「そうだよ?」
屈託なく笑う転生者に固まる私。助けを求めて視線をさ迷わせてみても、どうしたらいいかわからずにおろおろしているソフィアが目に入ってきただけだった。わかるよソフィア、私もどうしたらいいかわからない。
「それは困りますぞ、グランベイル様!こちらとしても段取りがですな」
声を荒げた総主教が私たちの間に割って入る。総主教も自身の手の者を転生者周りにつける事で今日一日でグランベイル家との関係強化や派閥争いへの利用を考えていただろうから、それが鶴の一声でご破算になりかけていることに声の焦りが透けて見える。
私もこれが通ると困るので今回ばかりは総主教を応援したい。
「この人と一緒に行動することで何か問題でもあるの?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
「ならいいじゃない。決まりね」
ばっさりと言ってのける転生者に、総主教はついに言葉に詰まってしまう。なんとか言葉を探そうとするも、侯爵家相手では強くものを言うことも出来ず、結局総主教は了承の返事を返すので精一杯だった。
思惑がご破算になったことでガクリと項垂れ、「あとは君たちのところで預かりたまえ」と私に言葉を残してその場から去っていく総主教。去り際になぜか私が睨まれたが、私だって困っているのだ、睨むくらいならもっとしっかり説得なり根回しなりしておいて欲しかった。
「これであなたと一緒に動けるね!アイリス・グランベイルよ。アイリスと呼んで」
私の沈んでいく気持ちとは対照的に、心底嬉しそうに転生者が手を差し出してくる。もはや、転生者と一緒に動くことになるのは不可避と諦め、私はその手を恐る恐る握り返しながら、目だけでソフィアとエラとマイラにこちらに来るように合図する。
「私はフィリス・リードです。呼び方は好きにお呼びください。それと、本日共に活動するのでしたら、こちらが班員のソフィア、エラ、マイラです」
三人を軽く紹介していき、順々に一礼する。転生者も笑顔でそれぞれによろしくねと返して、一見すると和気あいあいとした場が出来上がっていく。尚、私の心情は置いておくものとする。
「あ、そうだ!これから皆一緒に動くんだから、アイリスも一人紹介しておかないと。おーい、こっちよ!」
転生者が、大聖堂に入口に向かって声をあげた。思わず、貴族令嬢がそんな大声をあげてはと注意しそうになったが、転生者に呼ばれてやってきた人物の顔を見て、私の考えは全て吹き飛んだ。
「侯爵令嬢がそう大声をあげるものではありませんよ」
凛とした声がその場に響いた。声の主は星の見えない夜のような真っ黒な髪と目。高めの身長を侍女服に包んだその人は、見間違えるはずもない、私の数少ない心許せる人だった、侍女のマリーだ。
私があまりの驚きに目を何度も瞬かせていると、マリーも私を見て、あり得ないものを見たかのように、目をいっぱいに見開いた。
「アイリス様……?」
「に、見えるでしょ。アイリスとそっくりなの。フィリスって言うんだって」
「え、えぇ。そうですね。本当にそっくりで、驚きました」
マリーが私をマジマジと見つめる。その表情は、未だ驚愕冷めあらんと言ったばかりだ。
「ご紹介に預かりました、フィリス・リードです」
「これは失礼。アイリス様の侍女のマリーです」
私とマリーが、お互いぎこちなく一礼する。淑女教育や家族のことで辛かった時、色々と助けてもらったマリーと、こんな風に赤の他人として話さなければいけないのは胸が痛い。
私はそこから言葉が出てこなくなってしまい、逃げるように後ろに一歩退いた。入れ替わるようにエラがマリーに自己紹介を始めたので、私が下がったのがそんなに不自然に見えなかったことだけが救いだ。
それからある程度の打ち合わせを経て、私たちはいよいよ下層に向かうことになった。
下層へは予定より少し早めについたせいで、下見のためにと転生者に手を引かれ、制止するマリーの声を遥か後ろに聞きながら下層の街中を疾走することになって、今に至る。
「どうしてこうなったの……」




