第80話 妹と一緒にキャンプ
ユウとサラがキャンプを始める頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。穏やかな風が花の上を渡っていく。薄青色の花々がかすかに揺れて、金色の芯が呼吸するみたいに明滅し、花から浮かぶ光の粒がふわりと漂う。
「それじゃあ、早速焚き火の準備からするか」
「うん、そうだね」
ユウは慣れた手つきでインベントリを開くと、指先で軽くスワイプする。空間に薄い格子が走り、木材のアイコンがぽん、と跳ねた。次の瞬間、地面の上に乾いた薪がふわりと出現し、軽い音を立てて重なる。それらを手際よく組み上げ、ユウがいつものように火を灯すと、薄い煙の匂いが鼻の奥をくすぐり、ぱち、ぱちと小さな産声をあげた。
「……やっぱり、お兄ちゃん慣れてるね」
「まあな。ずっとこればっかりだしな」
ユウが肩をすくめて苦笑を見せると、ルゥが嬉しそうに「ぴぃっ!」と鳴いた。焚き火の明かりが赤い瞳に反射し、ちいさな胸が期待でふくらむ。セレスも蒼白い尾をゆっくり揺らし、耳を寝かせてご機嫌な様子で焚き火のそばに腰を下ろした。毛並みに炎の色が薄く混じり、呼吸に合わせて金色が流れていく。
新しい土地、新しい景色でも、夜の始まり方は変わらない。焚き火が灯り、二匹が嬉しそうに寄り添い、ユウがほっと息をつく――それが彼らの日常だった。
「ふふ。ルゥちゃんとセレスちゃんも、安心してるのかな」
「どうなんだろな。……なぁ、ふたりとも」
「ぴぃ……」
「……コン」
ユウが仔竜の頭を人差し指で優しく撫でると、ルゥは目を細めて喉の奥で甘い音を鳴らした。もう一方の手でセレスの毛並みを撫でると、セレスはそれに合わせるように、尻尾をゆるやかに揺らし、ユウの足をくすぐるように触れる。穏やかな夜に、いつものぬくもりが戻ってくる。
「で、お兄ちゃん。今日の夜ご飯どうする?」
「んー……ウィンドホークの話も出たし、せっかくだからウィンドホークの肉で焼き鳥にしようか」
「最高じゃん!」
サラの瞳がぱっと明るくなる。
「でも私、ウィンドホークの素材、大体売ってお金にしちゃったんだよねー」
「まあ、それが普通なのかもなー。俺みたいに素材をインベントリに保管してるプレイヤーのほうが少ないんじゃないか」
ユウが笑うと、ルゥとセレスが同時にピクリと反応した。ぴんと耳が立ち、尻尾が弾む。『や・き・と・り』という音が、どうやら二匹の記憶と合致したらしい。ルゥは前足をばたばたさせて、期待感を前面に押し出していて、セレスは無意識のうちに尾を左右に振っていた。焚き火の火の粉がぱっと舞い上がり、ご馳走の期待が空気に混じった。
「よーし、私も頑張って串打ちするよ」
サラがローブの袖をきゅっとたくし上げる。白い手首が炎に照らされ、影が腕に沿って走った。また、それに同意を示すようにルゥが反応した。
「ぴぃ!」
「いやいや、ルゥはさすがにできないだろー」
ユウの言葉に、ルゥはむっと胸を張って「できるもん!」と言わんばかりに翼をぱたつかせてアピールした。けれど、流石に無茶を言っていると悟ったのか、照れ隠しのようにユウの手へ頬をすり寄せて甘えてくる。その無邪気さが可笑しくも愛おしく、ユウは小さく息を漏らして笑った。
「あ、そうだ。焼き鳥なら――これ飲もっか」
サラがインベントリに手を滑らせ、ころんとしたガラス瓶を取り出す。泡立ちのよさそうな琥珀色の液体が入っている。瓶の首には、麦の穂と風車の意匠が描かれた紙ラベル。
「ヴェルムスで買ったんだよねー。まあ、そんな高いやつじゃないけど」
「おおー、最高なやつじゃん」
炭酸が舌を想像のうちに刺激する。麦の香りが喉の奥に広がる感覚が先行して、もう口の中が少し幸せだ。
「それなら――俺がグラナート商会で買った酒は、食後にのんびり飲むか」
「お兄ちゃんもお酒買ったの?」
「まあな。ちょっと気になって」
「ふふ、楽しみ増えたね!」
「よし。それじゃあ早速、焼き鳥の準備するか」
ユウはそう言いながら、グラナート商会で毛布を買ったときについでに買っておいた質のいい調理道具を取り出すと、ウィンドホークの肉を切り分け始めた。
「しかし……改めて見るといい肉だなー」
「これで焼き鳥、贅沢すぎるかな」
「はは。せっかくのゲームの中くらい贅沢していこうぜ」
ユウは手早く一口大に切り分け、前回同様、皮も剥ぎ取り使うことにした。皮の脂は指に触れるとすぐに体温でとろけ、質の良さを表しているようだった。サラは横で串を並べ、リズムよく刺していく。途中、形のいいやつを一本取り、胸を張って「できたよ」と掲げる。
「お、早いな」
「へへ。料理は結構好きだからね」
ルゥがその赤い瞳で串をじっと見つめていた。尻尾は落ち着きなく揺れ、足先までそわそわとしている。
「はは。ルゥも楽しみにしてるっぽいな」
「ふふ、それで味付けどうするの?」
「んー今日は塩だな。やっぱり酒飲むなら塩だろ」
「賛成!」
ユウはインベントリから《湖塩》を取り出し、指先で白い塩をつまみ静かに振りかけた。舞い落ちる白い粒が炎に照らされ、星のように煌めく。焚き火の音がひときわ大きく弾け、期待感が夜の気配に混じった。
「よし――串、投入」
焚き火の上にセットした網の上で串が並び、油が落ちる音がぱちぱちと心地よいリズムを刻む。火力に注意しながら焼いていくと、焼けた皮がきゅっと縮み、香ばしい匂いがあたりを満たした。
「うわ……めっちゃいい匂い……」
サラが思わず身を乗り出す。ルゥはもう待ちきれないとばかりに小さく跳ね、尻尾をぶんぶんと揺らした。セレスも前足を半歩踏み出し、蒼い瞳をきらりと光らせながら、香ばしい匂いの漂う串を凝視している。
焼き鳥の焼けていく音が、夜の静けさに小気味よく響く。油が落ちるたびに炎が小さく揺れ、香ばしい煙がふわりと漂った。ぱち、ぱち、と炎が応えるたびに、肉の表面がわずかに膨らみ、脂が黄金色に光った。
「そろそろいいかな」
ユウは串を一本取り上げ、焼き加減を確かめる。皮はこんがりと黄金色に焼け、肉は中心から透明な肉汁がじわりと滲み出ている。――絶妙な仕上がりだった。
その光沢を見ただけで、サラの喉がごくりと鳴る。
「うわぁ……おいしそうだね……」
「ああ。これはやっばいな」
「ぴぃっ!」
そのやり取りを遮るように、ルゥが甲高く鳴いた。
もう我慢できない――そんな気持ちが全身からあふれている。翼をぱたぱたさせ、尻尾をぶんぶんと揺らしながら、今にも串に飛びつきそうな勢いだ。
「はいはい、まずはルゥの分な」
ユウは苦笑しながら、串からルゥが食べやすいように肉を外し、小皿にのせてルゥの前に差し出した。
「ほら、やけどすんなよ」
ルゥは嬉しそうに翼をひと振りし、勢いよく飛びつく。ぱくりと咥えた瞬間、肉汁が弾け、香ばしい香りが鼻先をくすぐった。仔竜の頬がふわっと緩み、目を細めながら小さく喉を鳴らす。
「ぴぃぃぃっ!」
それは言葉がなくても伝わる最高の声だった。ユウが微笑んだその瞬間、ルゥは弾かれたように顔を上げ、勢いよくユウの足元へ――こつん。
「おっと」
小さな頭突きが軽く当たる。痛くはない。ただ、気持ちがまっすぐに伝わってきた。「おいしいよ」という気持ちが。
「ははっ、そりゃよかったな」
ユウが笑いながらその頭を撫でると、ルゥは満足げに喉を鳴らし、尻尾を嬉しそうに揺らした。続いてユウは、セレスの前にも同じように焼き鳥を差し出した。セレスは静かに目を細め、鼻先でふわりと匂いを確かめてから、上品に肉へと歯を立てる。肉汁が弾ける音とともに、尾がゆるやかに揺れた。
「美味いか?」
「……コン」
その満ち足りた声だけで、満足感が伝わってきた。
「ふふ、セレスちゃんも満足そうだね」
「だな。じゃあ、ようやく俺たちの番だ」
ユウはサラに串を一本手渡した。熱を逃がすように塩の香りが立ちのぼり、二人の間を通り抜ける。
「いただきまーす!」
サラが勢いよくかぶりつく。塩が舌の上でぱらりと弾け、肉の甘みと脂の旨味を引き立てる。噛むたびにじゅわりと肉汁が広がり、思わず目を閉じた。
「……っ、おいしいっ……! なにこれ、ほんとに美味しいよお兄ちゃん」
「だろ? ウィンドホークって美味いんだよ」
ユウも一本取り、静かに口へ運ぶ。焚き火で焼いた香ばしさと、ウィンドホーク特有の強い旨味が舌に広がる。噛むたびに繊維がほどけ、肉汁が舌の奥でとろりと溶けた。熱と香り、そして塩気のバランスが完璧だ。
「……本当うまいなこれ」
「でしょ!」
サラが嬉しそうに笑う。その声に反応するように、少し離れた場所から「ぴぃっ!」という鳴き声が上がった。見ると、ルゥが食べ終えた小皿の横で尻尾をばたつかせながら網の上を見上げ、セレスも前足を揃えて静かに待っている。
「おっと、もう食べたのか。おかわりも今出すからなー」
ユウは網の端で余分な火が入らないように避けておいた串の中から、香ばしく焼き上がった二本を手に取った。小皿の前で肉を外していると、ルゥはもう待ちきれないとばかりに小さく跳ねる。
「まだだぞ」
ユウが笑いながらたしなめると、仔竜は慌てて前足をぴしっと揃えて座った。だが、尻尾だけは正直にぱたぱたと揺れている。その愛らしい様子に、サラが思わず吹き出した。
「ふふ、ほんとに食いしん坊だね」
ユウが肉の焼き加減を確かめ、皿を二匹の前に差し出した。
「ほら、いいぞ」
その一言を合図に、ルゥは弾かれたように飛びついてぱくりと食べる。セレスも静かに身を寄せ、香りを確かめてから、上品に肉を噛みしめた。噛んだ瞬間、二匹とも瞳を細め、同時に尾をふわりと揺らす。焚き火の橙がその毛並みや銀の鱗に反射し、嬉しそうな光がきらめいた。
「お兄ちゃん、私たちも二本目行こうよ!」
「そうだな。――って、その前に乾杯しないか?」
「あっ、つい忘れてたよ!」
サラが慌ててインベントリから瓶を掴み、蓋を外した。
――ぷしゅっ。
小気味いい音とともに、琥珀色の泡が勢いよく瓶の口元から溢れ出す。焚き火の光を受けたその液体は、まるで夕陽のようにきらめき、泡が立ち上るたびに小さな星屑のような光を散らした。
ふわりと漂う麦の香り。ほのかな甘みと香ばしさが混じり、夜の冷たさと交わって心地よい温度を作る。サラは慎重にカップを二つ並べ、少しずつ注ぎ入れた。泡が静かに盛り上がり、細かな粒が音もなく消えていく。その様子を見つめながら、ユウは思わず口元をほころばせた。
「……いい注ぎっぷりだな」
「でしょー? お父さん相手にちょっと練習したんだよ」
サラが得意げに笑う。焚き火の橙、花の青、そして酒の金。三つの色が夜の中で溶け合い、世界が少しだけ柔らかく見えた。
「じゃ、アーヴェンティア初キャンプに」
「うん――かんぱーい!」
カップが触れ合い、澄んだ音が静かな夜に響く。二人は同時に口をつけ、冷たい液体が喉を滑り落ちる。苦みの奥にある優しい甘さが広がり、焚き火の熱が内側から溶かしていく。
「……っ、うまい!」
「ね! 外で飲むと、なんでこんなに美味しいんだろ」
二人は笑い合いながら、焚き火を囲んで再び串を取った。ルゥとセレスも夢中になって焼き鳥を食べている。塩の香りと麦の風味が夜風に混じり、炎がゆるやかに揺れた。
こうして二人と二匹によるアーヴェンティアでの初めてのキャンプは過ぎていく。




