第75話 甘え上手な2匹と謎の称号
「さて……旅の準備といえば、やっぱりグラナート商会だよなー」
ユウがぼそりと呟くと、ルゥが「ぴぃ」と短く鳴いた。隣ではセレスが静かに尾を揺らし、淡く光る青白い尻尾がふわりと弾ける。その光は朝日の中に溶け込み、まるでユウの帰還を歓迎してるようだった。
「それに、グラナートさんにも挨拶しておきたいしな」
ユウは、いつもの湖畔をゆっくりと見渡した。水面は穏やかに揺れ、風が周囲の草を撫でている。見慣れたはずの光景――けれど、そのすべてがやはりどこか新しく見えた。
この場所には、たくさんの思い出がある。
ルゥとふたりで初めてたどり着いた日のこと。
焚き火を囲んで話したこと。
グラナートとの出会い、セレスが仲間になった夜。
そのひとつひとつが、風景の中に染み込んでいる気がした。
Ver.2.0の光に包まれたこの湖畔も、確かに思い出の続きにあった。変わったのは世界の形であって、ここで過ごした時間は消えていない。
ユウは小さく息をつき、柔らかな笑みを浮かべる。
「……よし、それじゃあ行くか」
ユウはルゥとセレスに声をかけて歩き出した。
しかし、背後から小さな気配がふたつ、ついてこない。
足元の草が揺れる音だけが、静かに耳に届いた。
「ん? どうした?」
振り返ると、ルゥとセレスが揃ってこちらを見上げていた。
ルゥは赤い瞳をキラキラさせて、後ろ足で立ち上がり、前足を伸ばす。
まるで抱っこをねだる子どものような仕草だった。
セレスはというと、その隣で一度視線を逸らし、ルゥの様子を確認した後、少し照れたように尻尾を揺らしながら、同じように前足を上げた。
「……おいおい。セレスまで」
ユウは思わず苦笑した。
いつも落ち着いて見えるセレスが、こんな甘え方をするなんて。けれど、思えば当たり前のことかもしれない。二日もログインできなかったのは初めてだったのだ。
きっと、ルゥもセレスも、まだまだ甘え足りないのだろう。
そのことを思うと、胸の奥がやわらかくなる。
「よしよし。……ふたりともおいで」
両腕を広げると、ルゥが勢いよく飛び込んできた。
続いてセレスも静かに身を預け、二匹の体温がユウの胸の前で重なる。
セレスはユウの腕の中で、まるでお姫様抱っこのように身体を預けている。
その柔らかな毛並みの上に、ルゥがちょこんと乗るようにして身体を丸め、もふもふの胸元に体を埋めていた。蒼白い光の毛並みと、仔竜の銀の鱗が重なり合い、まるでひとつの生き物のように見える。
そんな二匹の状態を見て、ユウは思わず吹き出した。
「……お、おまえら……鏡餅かよ」
当の本人たちは気にする様子もなく「ぴぃぃ」と満足そうな声と小さくちょっと恥ずかしげな「……コン」とした音が重なった。
笑いながら、ユウは二匹をしっかりと抱き直す。
その温もりが胸の奥にじんわりと広がっていくのを感じながら、改めてヴェルムスに向かって歩み始めた。
草を踏みしめるたび、露が小さく弾けた。丘の上から吹く風が頬を撫で、三人の影を長く伸ばしていく。湖畔からヴェルムスへと続く道は、ところどころでアップデートの影響なのか、変わった新しい草花が混じっていた。
「なんか、少し道の雰囲気も変わってる気がするな。より鮮やかになったというか」
ユウがぽつりと呟くと、胸の中のルゥがウトウトしながら小さく「……ぴぃ」と鳴く。セレスの毛並みに顔を埋め、もふもふの感触に包まれているうちに、まぶたがとろりと重くなっていく。喉の奥から、かすかな寝息のような音が漏れた。
セレスはそんなルゥを抱きかかえるように体を少し丸め、ユウの腕の中で静かに体を預けている。
ユウはそんなふたりの様子に目を細めながら、歩をゆるめた。
「……そういえばな」
穏やかな声で切り出す。
セレスがわずかに耳を動かし、ユウの顔を見上げた。
「このあとの旅なんだけど、妹と合流しようと思ってるんだ」
ルゥはその言葉を聞いたのか、寝ぼけたように「ぴぃ……」と鳴いた。
セレスは静かに瞬きをして、ほんの少し首を傾げる。
「前に少し話しててな。一緒に旅してみようかって」
ユウは小さく笑って、二匹に尋ねる。
「ルゥとセレスがいいなら、一緒に行きたいんだけど……どうだ?」
セレスはユウの腕の中でゆるやかに尾を揺らした。毛先が太陽の光を受けて淡くきらめく。やがて小さく息を整え、喉の奥で澄んだ音を響かせた。
「……コン」
続いて、セレスの毛の中からルゥが寝ぼけ眼のまま「ぴぃ」と小さく返す。そのままルゥは、もぞもぞと体を動かしながらユウの胸元へ顔を寄せ、頬を押しつけるようにグリグリとすり寄ってくる。小さな鼻先が服の布地を押し上げ、温かな吐息がかすかに当たった。まるで「ユウがいるなら、なんでもいい」と言わんばかりの仕草だった。
ユウは思わず口元を緩めた。
「……はは。頼もしいな、お前らは」
そう言って、二匹をぎゅっと抱きしめ直した。
毛並みと鱗の温もりが掌に広がり、胸の奥がやわらかくなる。
丘の向こうには、ヴェルムスの街並みが小さく見え始めていた。
青と白の街並みが光を受け、遠くからでもはっきりと輝いている。
その景色を眺めながら、ユウは小さく息を吸った。
ヴェルムスまであと少しのころだった。
足元の草がざわめき、遠くで鳥の群れが舞い上がる。街の鐘がゆるやかに響き、ヴェルムスが目を覚ましつつあるのがわかる。風に乗って、露店にある香辛料の匂いまでかすかに届いてきた。
「よし。もうすぐだな」
ユウがつぶやき、腕の中のふたりに目を落とす。
ルゥは完全に寝落ちていて、セレスも気持ちよさそうに目を細めていた。
その穏やかな寝息のリズムに、ユウの心も自然とゆるんでいく。
――そのときだった。
空気を割るように、耳慣れた電子音が鳴った。
ピコン。
「……ん?」
ユウの視界に、淡い光のウィンドウがふわりと浮かぶ。朝日を透かしたような光の粒が、その周囲を漂っていた。まるで世界そのものが、息をひそめて見守っているかのように静かだった。
【特殊な条件を達成しました】
「……特殊な条件?」
ウィンドウがゆっくりと展開されていく。
スクロールする光の帯。その中央に、奇妙な文字列が現れた。
――称号|《?∨??∂⟠ωη ?◎ЯΣのお気に入り》を獲得しました。
――効果:????????????????
「……は?」
ユウは思わず声を漏らした。
意味の分からない称号。
文字化けのような記号と、説明のない効果欄。
おまけに獲得条件すら表示されていない。
ただ、何かのお気に入りになっていることだけが分かる称号だった。
「……なんだこれ。なんかのイベントか?」
思わずウィンドウを凝視して確認するが、詳細は一切なし。
ウィンドウを操作してみても、特にプラスで確認できることもなし。
バグでもなさそうだが、どう見ても普通じゃない。
ルゥが胸元で小さく身じろぎし、セレスが薄く目を開ける。
ふたりの視線が同時にウィンドウに向けられた。
「……お前らも見えてるか?」
問いかけに、ルゥが「ぴぃ!……」と小さく鳴き、セレスは静かに首を傾げた。
その反応を見て、ユウは苦笑いを浮かべる。
「ま、いいか。わからないなら気にしても仕方ないな」
そう言ってウィンドウを閉じる。
光が静かに消え、風の音だけが戻ってきた。
気づけば、ヴェルムスの門がすぐそこに見えていた。
人の声と市場の喧騒が、少しずつ近づいてくる。
「よし……グラナート商会に行くか」
ユウは笑みを浮かべ、腕の中のふたりを軽く抱き直した。
太陽の光が三人の背を照らし、淡い金の粒が風の中に舞った。




