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癒し目的で始めたVRMMO、なぜか最強になっていた。  作者: branche_noir
3章 妹との旅路、水上都市ミレシア

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第74話 Ver.2.0初ログイン、甘えん坊が加速した仔竜

 ――《Everdawn Online Ver.2.0 “星環の大地” アップデート完了》


 いつも使用しているVR端末に、黒の背景に、白いフォントのシステムメッセージが浮かび上がる。その下には小さな進捗バーがあり、つい数分前まで「99.9%」の状態で固まっていたものが、ようやくすべての区切りを塗りつぶしている。


「……ふぅ。やっと終わったな」


 いつもと同じように仕事を終わらせて、帰ってきたユウは背もたれに体を預け、深く息を吐いた。膝の上に置いた黒いVR端末は、相変わらず無機質な光を放ち続けている。このバーがここまで埋まるのに、結局まる二日ほどかかっていた。昨日の夜に確認してから寝て、仕事に行って、帰ってきて――それでもまだ「90%」ほどだったのを思い出して、ユウは思わず苦笑した。


 ほんの二日――けれど、それはアップデート後の世界を待ち望むプレイヤーにとっては永遠にも感じられる時間だった。世界が閉じ、音が止まり、ログインできない二日間。掲示板には「早く終わってくれー」という書き込みが溢れ、今か今かと待ち望むプレイヤーたちで盛り上がっていた。

 この二日間、誰もが、Everdawn Onlineがある日常を恋しく思っていたのは間違いない。


「しっかし……二日か。ほんとに長かったな」


 呟きながら、ユウはVR端末を手に取り、装着する。すると現実の光と音がすっと遠のいた。代わりに、視界の奥で光がひとつ弾ける。なんと、そこに広がっていたのは、見慣れたログイン画面ではなかった。


 暗い空を横切る流れ星。

 環のように弧を描く光の帯が、今までの大地を包み込むように輝いている。

 星々の間を風が吹き抜け、遠くで鐘の音のような音が響いた。

 それは、まるでひとつの世界が、再び呼吸を始めたかのようだった。


 ――《Everdawn Online Ver.2.0 星環の大地》


 タイトルロゴがゆっくりと浮かび上がる。

 続いて、静かなナレーションが流れ始めた。


 世界は、まだ終わりを知らない。


 その音声と共に、映像が切り替わる。大都市ヴェルムスを中心に、光の環がゆっくりと広がっていく。霧が晴れ、五つの国々が星のようにその周囲を囲む――森と湖の王国、鋼の連邦、魔導の都、祈りの国、そして交易都市連合。その全てが、光の帯の上でひとつに結ばれていた。


 「……すげぇ」


 思わず、声が漏れた。ただのログイン画面なのに、まるで新しい映画の予告映像を見ているようだった。それほどまでに、空気が違う。今まで見慣れていた入り口が、まるで別の世界の門に変わっているようだった。


 やがて、画面の中央に見慣れた白い文字が浮かぶ。


 ――《Everdawn Onlineへようこそ》


 その瞬間、胸の奥にじんわりと温かさが戻ってくる。

 まるで旅行を終えて、自分の家に帰ってきたような安心感だった。

 けれど同時に、見たことのない景色が待っているという高揚もあった。


 Ver.2.0――星環の大地

 いよいよ、この世界の第二の時代が幕を開ける。


 しかし、ユウの胸のうちには、そんな高揚感とは別の想いがあった。

 世界がどれほど広がっても、最初に思い浮かべるのは、湖畔の焚き火と、そこで眠る二匹の姿だった。アップデートが始まってから、もう二日。


「……ルゥとセレス、寂しがってないといいんだけど」


 目の前に映る光景を見つめながら、そんな言葉が漏れた。


 ルゥは前に一度、一日だけログインできなかったときでさえ、翌日ログインしたときにはずっと離れずに寄り添ってきて、常に甘えモードだったことを思い出す。小さな前足で服をとんとん叩いて、「どこ行ってたの?」とでも言いたげに見上げてきたあの表情を思い出す。

 セレスもまた、普段は落ち着いているように見えて、意外と寂しがり屋だ。気がつくと、そっと近くにいて機嫌良さそうに尻尾を揺らしている。あの仕草を思い出すだけで、ユウは胸の奥に小さな温もりが広がっていくのを感じていた。


「……ま、二人のことだ。寂しかったら、しっかり甘えてくるだろ」


 苦笑を浮かべながら、ユウは指先を伸ばす。


 ――《ログインしますか?》


「はい」


 ボタンを押すと、世界がふっと光に包まれた。視界が溶け、身体がほどけていくような感覚。浮かんでいるような、落ちていくような、そんな世界に入り込むような不思議な感覚だった。


 そして――


 風の音。


 草の香り。


 柔らかく揺れる湖面の反射がまぶたをくすぐる。


 ゆっくりと目を開けると、そこには――見慣れた湖畔の景色が広がっていた。

 けれど、その見慣れたという言葉は、次の瞬間に意味を失った。


「……おいおい、これはとんでもないな」


 丘陵地の向こう――銀霧ミントを採取したときには見られなかった、淡く霧に包まれていたはずの地平が、完全に晴れていた。


 空気は透き通り、風が遠くまで届く。


 視界を少し上げると、そこには天を貫くほどの大きな山脈がはるか彼方に霞んで見えた。さらに周りを見渡すと、遠いはずなのに近くに感じるほど大きな樹木があり、その枝葉のあいだから淡い光がこぼれている。

 空の高みには、雲の上を漂うような影がかすかに浮かび、反対の地平では金色の光がうっすらと揺らめく。


 どれもこの場所では感じたことのないものだった。ユウはしばらく言葉を失い、ただその光景を見つめていた。


 《星環の大地》――その名の通り、世界は確かに、広がっていた。


「本当に……世界が、広がったんだな」


 言葉は自然に零れる。


 そのとき――


「ぴぃーーーーーーー!!」


 高く澄んだ鳴き声が、響いた。

 続けて、ふわりと風が揺れ、次の瞬間には――


「――っと!?」


 何か小さくて柔らかい衝撃が胸元に飛び込んできた。


 ルゥだった。


 勢いそのままに抱きついてきて、顔を胸元にうずめるようにして甘えてくる。


「ぴぃ……っ、ぴぃぃ……!」


「お、おいおい。そんな勢いで来たら――」


 言い終わるより早く、さらにもう一つの影が続いた。

 青白い光の尾を残して、滑るように駆け寄ってくる影――こちらはセレスだった。

 そのまま軽やかに跳びついてきて、ユウのお腹のあたりに鼻先をすり寄せる。


「っわ、ちょ、ちょっと待て……!」


 二匹分の勢いで完全にバランスを崩し、ユウはそのまま地面の上に倒れ込んだ。


 青空が目の前に広がる。

 草の匂い、温かな重み。

 小さな体が胸の上で動き、ふわふわの毛並みが頬を撫でていた。


「ぴぃっ、ぴぃっ……!」

「……コン……コン」


 ルゥは胸元に顔を埋めて、尻尾をばたばた揺らしている。

 セレスはユウの頬にそっと頭突きしてから、首元に頭を擦りつけるようにして身を寄せた。二匹の体温が、まるで本当の温もりのように伝わってくる。


「……お前ら、ほんと寂しかったんだな」


 ユウは苦笑を浮かべながら、そっと両手で二匹を抱き寄せた。

 ルゥの柔らかな鱗と、セレスの絹のような毛並み。それぞれの温もりを確かめるように、指先でゆっくりと撫でていく。


「ほら、ちゃんと戻ってきたろ。でも、ごめんな……今回はちょっと長かったよな」


「ぴぃ……」

「……コン」


 ルゥは顔を上げ、前足でユウの胸をとんとんと叩いた。

 セレスも尾をゆるやかに揺らしながら、喉の奥で小さく鳴く。

 その姿に、ユウの胸が少しだけ締めつけられた。


「……よしよし。もう離れなくていいぞ。ちゃんと傍にいるからな」


 ユウが優しく撫でると、ルゥは満足したように「ぴぃ」と鳴き、ゆっくりとユウの胸の上から降りた。セレスはユウの隣に身体を横たえ、尾で草を撫でるようにして寄り添う。


 風が静かに吹き抜けた。

 木々の間を通る音が、今は少しだけ懐かしく感じる。


 ユウは上半身を起こし、二匹を撫でながら周囲を見渡した。

 湖面は相変わらず、陽光を反射し、ゆらゆらと揺れている。

 そして、視線の先に広がる未知の大地。


「……見ろよ、ルゥ。セレス。あの先が、たぶん星環の大地ってやつだぞ」


 撫でられているルゥがちょこんと顔を上げ、「ぴぃ」と短く鳴く。

 セレスもそっと立ち上がり、風を嗅ぐように鼻を上げた。

 新しい風の匂い――それは、どこか懐かしく、けれど確かに未知を告げる風だった。


「行ってみたいだろ?」


「ぴぃぃ!」

「……コン!」


 ルゥはいつも通り元気いっぱいだった。しかし、セレスの声はいつものように静かだったが、その響きの奥にはユウと再会できたことを喜ぶような僅かな揺らぎがあった。そんな二匹の様子に、ユウは自然と笑みをこぼす。


「そうか。じゃあ――まずは準備からだな」


 立ち上がり、二匹と共にヴェルムスの方へと視線を移す。足元の草がさらりと音を立て、陽光が背を照らす。


 それは、いつもの世界と、まだ見ぬ新たな世界が、境界を失くして溶け合っていくようだった。


 背後で、湖面に映る空が少し揺れる。

 風が一陣吹き抜けると、いつもより遠くまで流れていく気がした。

 その中でユウは、もう一度小さく呟いた。


「――ただいま」


 返るように、「ぴぃ」「コン」と優しい声が響く。


 その音を合図に、広がった世界が今、ゆっくりと動き出す――ユウの新しい日々が、静かに始まろうとしていた。

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