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癒し目的で始めたVRMMO、なぜか最強になっていた。  作者: branche_noir
2章 大都市ヴェルムスと蒼の幻獣

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第67話 毛と鱗の価値、縁の交渉

 厚い扉が閉まると同時に、外の喧騒はまるで別世界のものとなった。以前も訪れた応接室には、温かな明かりと落ち着いた木の匂いが漂っている。商会の威光を示しながらも、来客を安心させる空間づくりが徹底されていた。


「……いやはや、大変じゃったの。あの場で絡まれるとは」


 グラナートは労わるように目を細め、ユウを一瞥する。


「改めて聞くが、怪我や不都合はなかったかの?」


「いえ特には。……グラナートさんが来てくれて助かりました」


「ふむ、そう言ってもらえるのはありがたいがの。儂は特に何もしておらんよ。せいぜい老人の教えを一つ口にした程度じゃ」


 軽く肩をすくめるような声音に、ユウもつい苦笑を浮かべた。


「……さて、それはそれとして」


 深く刻まれた皺を揺らしながら、グラナートは大きな肘掛け椅子にゆったりと腰を下ろし、穏やかな視線をユウへと戻す。


「今日は何の用で来たのじゃ?」


「はい。まずは依頼が終わったので報告を。それと……またセレスの毛が溜まったので、持ってきました」


 ユウはグラナートの向かいのソファに腰を下ろす。その瞬間、ルゥがちょこんと横に飛び乗り、当たり前のようにぴったりと身体を寄せて丸くなった。反対側には、セレスが静かに歩み寄り、ゆったりと腰を下ろす。蒼白い尾を揺らしながらも、やはりユウの隣から離れる気配はない。


 まるで「ここが自分たちの定位置だ」と言わんばかりに、二匹は左右からユウを挟み込んでいた。


「……ふむ」


 その光景を眺めていたグラナートが、目を細めて小さく頷いた。


「仔竜は相変わらず懐いておるし……蒼の幻獣との距離も、どうやら随分と縮まったようじゃな」


 労わるような声音に、ユウは少し照れたように苦笑を浮かべて頷く。

 そのままインベントリを開き、光の粒子と共に掌の上へ淡く蒼白い毛束を取り出した。――ブラッシングで抜け落ちたセレスの毛である。


「さて……まず依頼については承知した。あとで報酬を持ってこさせよう」


 グラナートは軽く頷き、すぐに視線をユウの手元へと移す。


「そして――本題はその手に持っておる毛についてじゃな」


「はい。前に取引していただいたものと同じですが……また少し集まったので」


 ユウは肩をすくめ、まるで「まあ、ただの毛なんですけど」と言いたげに言葉を添える。


 グラナートはユウから受け取った毛束を両手で持ち上げ、光に透かすように眺めた。蒼白く輝く毛並みは、ただの抜け毛とは思えぬほど整っており、見る角度によってきらめきが変わる。


「……実はの。前回よりも価値は上がっておるぞ」


「えっ……?」


 思わず声を上げるユウ。


「これは、研究が進んでわかったんじゃが、この毛を織り込んで防具を作れば魔法抵抗が高まるらしくての。それも特に幻術への抵抗が高まるようじゃの」


「な、なるほど……」


 ユウにとっては、ただブラッシングをして落ちた副産物に過ぎない。

 しかし、グラナートの説明を聞けば、その価値がとんでもないものであることは嫌でも理解できた。


「市場で取引されれば、前回提示した額よりもはるかに高値で売れるじゃろう。……いや、もはや値を付けること自体が難しいかもしれんの」


 穏やかな声で告げられた言葉に、ユウは呆然と毛束を見下ろした。


(いやいやいや……ブラッシングで勝手に落ちてくる抜け毛だぞ!? ただでさえ過大評価だと思ったのに、なんで価値上がってるんだよ……)


 そして、話題になってるセレスはというと、当たり前のようにユウの隣に腰を下ろし、すました顔で尾を揺らしている。自分の毛がとんでもない値がついていることなど、まるで気にしていないかのように。


「……お前なぁ」


 ユウはそんな様子に思わず苦笑しながら、そのモフモフな体を両手でわしゃわしゃと撫で回した。セレスは抵抗することなく、むしろ気持ちよさそうに「……コン」と甘えた声を漏らし、瞳を細める。外では凛とした幻獣らしい佇まいをしていたセレスが、こうして素直に甘える姿は、ユウにとって何よりも愛おしかった。


「ぴぃぃっ!」


 負けじとルゥが甲高く鳴き、ユウの膝へ飛び込んでくる。

 小さな前足で膝をぽすぽす叩きながら、全力で「自分も撫でろ」と主張する姿に、思わず笑い声が漏れた。


「はいはい、ちゃんと撫でるからなー」


 左右から迫る温もりに包まれ、ユウは両手を忙しなく動かしながら、なんとも幸せそうに溜め息をついた。


 ふと、視線を感じて顔を上げる。

 そこには、柔らかい目をしたグラナートが、静かにその光景を見守っていた。


「あ……す、すみません。つい」


 ユウが気恥ずかしそうに頭をかくと、老人はただ口元に笑みを浮かべ、首を振った。


「よいよい。それで、どうするかね?」


 グラナートの問いかけに、ユウは小さく息を吐いた。


「えっと……お願いします。取引を」


 正直なところ、ユウにとってセレスの抜け毛など、ただのおまけでしかなかった。どれほど価値があると聞かされても、やはりその感覚は変わらない。


「ふむ。わかった。あとで依頼のお金と一緒に、正当な額を持ってこさせよう」


 グラナートが合図をすると扉が開き、控えていた事務員が記録用の帳簿を持ってきた。さらさらと数字が記され、魔法印が押される。


「よし。これで正式に成立じゃな」


 机の上に置かれた金額を示す紙面を見て、ユウは思わず目を見張った。

 ――まるで現実感のない金額。


 撫でられた流れでさり気なく、ユウの膝上を確保したルゥが「ぴぃ!」と嬉しそうに鳴き、セレスも誇らしげに尾を揺らす。


(しかし……本当に、すごいな)


 ユウは二匹の頭を撫でながら、改めてその存在の特別さを実感した。


「あ……そういえば」


 ユウはふと思い出したようにインベントリを開いた。

 光が瞬き、掌の上に小さな銀色の鱗が現れる。


「こんなものも、あるんですけど」


 机の上にそっと置かれた瞬間、グラナートの瞳が鋭く光った。


「……ほう」


 老人の声に、普段の落ち着きとは違う緊張が混じった。


 鱗は掌に収まるほど小さい。しかし、表面には細かな紋様のような光沢が浮かび、まるで輝いているかのようだった。


 グラナートは慎重にそれを摘み上げ、じっと凝視する。


「おそらく仔竜の鱗じゃろうが……この銀の輝きは尋常ではないの。儂の知る限り、銀色の竜鱗など聞いたことすらない。ゆえに価値の試算すら難しい」


「そうなんですか……?」


 ユウは目を瞬かせる。

 ルゥはまるで自分のことなど他人事のように、尻尾をふわふわと振っている。


「……一つ聞きたいのじゃが」


 鱗を指先で転がしながら、グラナートが低く問う。


「この仔竜――何の属性を使うのか、分かっておるのか?」


 唐突な問いに、ユウは少し考えてから答える。


「最初は炎だけだと思っていたんです。……でも、依頼中に《ウィンドホーク》に遭遇しまして。そのとき雷や氷も使ったんですよね」


「……なに?」


 グラナートの目が大きく見開かれる。

 長い商人人生の中でも、滅多に見せぬ驚愕の表情。


「炎、雷、氷……三属性じゃと……? そんな話は聞いたことがない……!」


 老人は鱗を見つめたまま固まった。

 その手の中で銀色の光が淡く脈打つように輝き、まるでユウの言葉を肯定しているかのように思えた。


「もしそれが事実ならば、この鱗の価値は……」


 言葉を切り、老人は首を振った。


「いや、考えるだけ無駄じゃな。

 誰も前例を知らぬものに、市場の基準など立ちようがない。値を付けること自体が、無意味な行為となろう」


 ユウは思わず胸の内を吐露する。


「その……俺にとっては、ただの生え変わりで落ちただけの鱗としか思えなくて」


「その“ただの”が恐ろしいのじゃよ」


 グラナートは、諭すようにユウを見据えた。


「お主には当たり前に思えることでも、それは歴史に残るほどの代物かもしれん。……そのことを、ゆめゆめ忘れるべきじゃないじゃろう」


 しばしの沈黙の後、老人はゆっくりと鱗をユウの手に戻した。


「……よいか。蒼の幻獣の毛でお主は困らぬほどの財を手に入れた。ならば、この鱗は売らんほうが良い。大事に保管しておけ」


「……保管、ですか」


「そうじゃ。いずれ、お主が必要とする時が来るかもしれん。その時まで、決して手放すでない」


 その声音は、ただの商人の助言ではなかった。

 長き時を生きた者が、後進を導く光のように響いた。


 ユウは小さく頷き、銀色の鱗をインベントリに戻した。


 ふっと、グラナートの口元が和らぐ。


「しかし、不思議なものじゃのう。……引き寄せられるように、お主にはなぜか“縁”が集まってくるようじゃ」


「縁……ですか」


「うむ。お主が仔竜や幻獣と出会い、共に歩むことになったのも偶然ではあるまい。縁を大事にせい。財も力も、縁あってこそ真の価値を持つものじゃ」


 老人の言葉は、ゆっくりと、しかし確かにユウの胸に染み入った。

 ユウは自然と背筋を伸ばし、深く一礼した。


「……ありがとうございます。大切にします」


「うむ。よい心がけじゃ」


 グラナートは満足げに頷き、椅子に深く背を預ける。その眼差しには、商会の長としての威厳だけでなく、ひとりの老人としての温かさもにじんでいた。


 静かな応接室に、しばし沈黙が落ちた。

 だがそれは重苦しいものではなく、互いの信頼を確認し合った後の、穏やかな余韻だった。


 ユウは隣に控える二匹――ルゥとセレスに視線を向ける。仔竜は退屈そうに尾を揺らし、蒼狐は凛とした瞳を細めていた。


 ――この二匹と共にいる限り、きっとまた新たな“縁”が訪れるのだろう。


 ユウはそう思いながら、深く息を吐いた。

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