第66話 その後のモフモフ同盟
「……では、商会に行こうかの」
深く刻まれた皺を揺らしながら、グラナートがゆったりとした声でユウに告げる。
親しみを滲ませた眼差しでユウへと視線を向け、あたかも旧知の友を伴うかのように自然な仕草で歩き出した。
ユウは一瞬だけフェリシアたちの方へ振り返ると、小さく会釈を返す。肩のフードに収まる仔竜が誇らしげに胸を張り、傍らの蒼狐も静かに歩みを合わせていた。
その姿がグラナート商会の中へと消えていく。
――静寂。
喧騒とざわめきに包まれていた広場は、まるで一瞬、張り詰めた糸が切れたかのように気が抜けた。グラナートの放つ独特な雰囲気は、彼がその場を去った途端、潮が引くように消え失せていったのだ。
「……行ったわね」
フェリシアが長く息を吐いた。緊張の糸を解いたその横顔には、ギルドマスターとしての責任感よりも、普段の明るく無邪気な雰囲気が戻っていた。
そして次の瞬間、彼女はばっとイレーネの方へ振り向き、勢いよく言った。
「いやいやいやいや!! ツッコミどころ多すぎるでしょコレ!」
ギルドマスターらしからぬ声量で、両手を広げる。
その突飛な明るさは、静かになった周囲の空気を一気にほぐした。
イレーネが「……フェリシア、あなた声が大きいわよ」と眉をひそめたが、その口元もわずかに笑みを浮かべている。
「ちょっとちょっと! なにあれ! 蒼の幻獣って……もうテイム済み!? え、しかもめっちゃ懐いてたんだけど!? 全然そんなこと知らなかったんですけど!?」
まくしたてるフェリシアの隣で、イレーネは眼鏡を指で押し上げる。
「確かに、完全に想定外だったわね」
「想定外とかいうレベルじゃなくない!?」
フェリシアは頭を抱え、ぐりぐりとこめかみを押さえる。
野次馬のひとりが小声で「そりゃそうだよな……」と呟くと、周囲に苦笑が広がった。
「しかもグラナートさんって呼んでたわよね!? あの人、噂のグラナート商会の会長でしょ!? ヴェルムスで知らない人いないレベルの大物よ!? なんで普通に知り合いみたいに喋ってんの!?」
半ば悲鳴に近い声で叫ぶフェリシア。
イレーネは肩をすくめ、皮肉めいた口調で返す。
「……それは、あなたが突っ込んだからといって説明されるものでもないでしょうね」
「そんなこと、わかってるのよー!」
フェリシアはわーっと頭を振り回し、ドランに当たりそうになって軽くどつかれる。
「暴れるな。落ち着け」
「落ち着けるわけないでしょ!」
フェリシアが半ば逆ギレ気味に叫ぶ中、ドランは肩をすくめ、深く息を吐いた。
騒ぐギルドマスターを横目に、冷静さを取り戻した声音でぼやく。
「……しかし、俺達が噂を集めてるときには、すでにテイム済みだったってか? 俺たち、間抜けすぎだな」
ぶっきらぼうな声だが、そこに混じるのは苛立ちではなく、己への呆れだった。
「はぁ……それにしてもお前ら、ほんと頼むぜ」
腕を組み直しながらドランは、リーダー格の少年がいないお試し加入組に冷たい視線を送る。数人のプレイヤーたちがばつの悪そうにうつむいた。
落ち着きを取り戻したフェリシアも視線をそちらに向け、大きくため息をつき、両手を腰に当てた。
「――それで。あなたたちね」
ぴたりと向けられた視線に、お試し加入のメンバーたちは更に一斉に肩をすくめる。ユウに向けていた威勢はどこへやら、今はすっかり借りてきた猫のような姿だ。
「会長が言ってたでしょ。一度迎え入れた以上は“仲間”だって。だから、安易に追放したりはしないわ」
きっぱりと言い切るフェリシア。その声音には、外へ迷惑をかけまいとするギルドマスターとしての責任感が宿っていた。
「それに――ここで追放しても、あなた達が逆恨みであのプレイヤーに迷惑をかけないとも言い切れない。今のあなた達は、それぐらい信用をなくしてるってこと、分かってる?」
鋭い眼差しに射すくめられ、メンバーの一人が小さく「……はい」とつぶやく。
沈黙を破ったのは、隣に立つドランだった。
「すまんな……こいつらの面接、俺がしたんだ。あの時はやけに真剣そうに見えたんだがな」
自嘲気味に頭をかく。
「だからこそ油断した。まさかこんな真似をするとは」
フェリシアは小さく頷くと、騒動中に集まって来ていた仲間たちを見回した。
「だから方針を変えるわ。しばらくは新規を増やすのをやめて、内部をちゃんとまとめる。いいわね?」
ざわめくメンバーたち。だが誰も反論はしなかった。
フェリシアの声はさらに熱を帯びていく。
「それと――あんなに懐いてるモフモフを引き離そうとするなんて、言語道断! モフモフが嫌がることをするなんて、モフモフ同盟の名が泣くわよ!!」
その勢いのある言葉に、メンバー全員が思わず背筋を伸ばした。
フェリシアは拳を握りしめ、気合十分の顔で続ける。
「確かに私たちはモフモフが大好き。男連中は攻略が好きでしょ? でもね、好きだからって何をしてもいいわけじゃない。モフモフが喜ぶことをするの。嫌がることは絶対にしない! これをギルドの鉄則にするわ!」
高らかに発した力強い宣言に、周囲の空気が一変した。
お試し加入組の顔には反省が入り混じり、古参メンバーたちは気圧されつつも頷いている。
そんな様子を見ていたドランが、ぼそりとつぶやいた。
「……一件落着、なのか?」
その呟きに、イレーネがくすりと笑う。
「でも、これで少しはギルド内が落ち着くでしょ。むしろギルド全体にとって良い薬になったと思うわよ」
フェリシアは胸を張り、ぐっと拳を掲げた。
「よし! これからはもっと“正しいモフモフ愛”を広めていくわよ!」
その声に応えるように、仲間たちの間から小さな声で「お、おー……」と力なき返事が上がった。
広場に再び、笑いとざわめきが戻り始める。
野次馬のひとりがぽつりとつぶやいた。
「……やっぱ、あのギルドただのモフモフ好き集団じゃねぇな」
その言葉に呼応するように周囲からも感想が漏れ始める。ざわめきは小さいが確かな熱を帯び、広場に広がっていった。
「ギルマスの勢いすごすぎて笑ったけど、確かに筋は通ってるよな」
「それにしても蒼の幻獣、実物で見られるとは思わなかった……」
「てか……あの会長とも繋がりあるなんて、いったい何者なんだあのプレイヤー」
「普通こんなの、イベントでもなきゃお目にかかれねぇぞ」
「どっちもめっちゃ可愛かったんだけど……」
「はぁ……触ってみたい……」
「バカ、命が惜しけりゃやめとけ。あんなの逆鱗に触れたら一瞬で消し炭だぞ」
「にしても、あんな光景見せられたら、テイマーやりたくなるよなぁ」
人々は口々に囁き合いながら散っていく。
騒ぎの名残はまだ残っていたが、先ほどまでの緊張感はすっかり和らぎ、街の日常の喧騒が戻りつつあった。




