第64話 モフモフ同盟との対話
「フェリシア! あっちの通りで仮加入してるプレイヤーが問題を起こしてるって報告が!」
通りの奥から駆けてきたのは、眼鏡をかけた黒髪の女性プレイヤー――イレーネだ。肩で息をしながらも表情は真剣で、彼女の声は群衆のざわめきを割って通りに届いた。
「なんですって……?」
長い金髪を後ろで束ねた女性――モフモフ同盟のギルドマスター、フェリシアが眉をひそめる。彼女の隣には、大柄で筋肉質な男、ドランも足を止めていた。サブマスターとしてモフモフ同盟の攻略を担当している。
「まさか、あいつらか? 詳しくは?」
「まだはっきりとは……。ただ、幻獣連れのプレイヤーに絡んでいたって報告があったわ」
「幻獣を……連れたプレイヤーに……?」
フェリシアの声がわずかに震える。
その存在を必死に追い求め、しかし決して手に入らなかった存在。その名を耳にした瞬間、胸の奥が揺さぶられるのを抑えきれなかった。
「……先を越されていたのか」
ドランが低く唸る。悔しさと驚愕が入り混じった声音。攻略組であるモフモフ同盟が挑んだが、噂しか手に入れられず、果たせなかった“幻獣のテイム”。それを成し遂げた者が現れたという現実を突きつけられていた。
だが、フェリシアはすぐに表情を引き締める。
「……でも、そうも言っていられないわ。まずは事態の把握をしないと」
その一言に、ドランも息を呑み、真剣な表情で頷いた。
そして三人は周囲に集まる人々を一瞥する。すでに通りには野次馬が溢れ、皆一様に興奮と驚きの入り混じった表情を浮かべていた。
「……おい、見ろよ。あれ、モフモフ同盟のギルマスじゃないか?」
「ほんとだ、フェリシアだ……やべぇ、本人が来たぞ」
「そりゃそうだろ。“お試し”で入ってた奴が問題起こしたんだからな」
「今来たんだが、仔竜がひと鳴きしただけで狼が全部伏せたって話、マジだったのか……?」
「それだけじゃねぇ、その後に危ない命令出して……運営に一発で凍結されてたぞ」
次々と飛び交う声に、フェリシアの表情が険しくなる。
その横でドランも腕を組み、低く唸った。
「はぁ……事実なら、完全にこちらの落ち度だな」
「ええ。“お試し加入”とはいえ、ギルドの名前を使わせた以上、責任は私たちにあるわね」
フェリシアは深く息を吐き、覚悟を決めたように群衆をかき分けるように進み出た。その背中には、普段の“モフモフ愛好家”の明るい雰囲気はなく、ギルドを率いる者としての責任感がにじみ出ていた。
やがて――視線の先に、静かに立つ青年の姿を見つける。
肩のフードから仔竜を覗かせ、隣には蒼白い毛並みの幻獣を従えている。
「……あなたが、噂のプレイヤーね」
フェリシアの言葉に、ユウはわずかに肩を揺らし、視線を向けた。
赤い瞳をしたルゥは相変わらず呑気にフードの中からユウに甘えていて、セレスは凛とした姿勢で興味なさげに通りを見渡している。
通りのざわめきが一段と強まる中、フェリシアはユウの前に立ち止まった。
いつものはっちゃけた様子はなく責任感のある表情で、彼女は深く腰を折った。
「……本当にごめんなさい」
突然の深い謝罪に、ユウは思わず目を瞬かせる。
その仕草に続くように、イレーネもドランも頭を下げた。
「お試し加入であろうと、私のギルドメンバーが迷惑をかけた以上、言い訳はできません。彼が取った行動は、ギルド全体の責任です」
フェリシアの声は凛として、揺らぎがなかった。
その光景に、周囲の野次馬から驚きの声が漏れる。
「いや、ちゃんとギルマスしてるんだな……」
「モフモフのこと以外でここまで真剣なの、初めて見たかも……」
「なんというか、普段とのギャップがすごいな……」
だがユウは、すぐには返事をしなかった。
フードの中のルゥが、自分の匂いをつけるようにスリスリと甘えてくる。
その仕草に心が少し緩むのを感じながら、ユウは心の中でつぶやいた。
(……正直、謝られてもな。本人はもうアカウント凍結されて消えてるし)
(ぶっちゃけ、もうどうでもいいんだよなー。ルゥのお陰でスッキリしたしな)
ユウは小さく息を吐き、口を開いた。
「……まあ、確かに迷惑はかけられた。けど、もう済んだことだ」
フェリシアは顔を上げ、ユウの言葉を逃すまいと真っ直ぐに視線を向けてきた。
「……本当に、それでいいのかしら?」
「まあ……本人もアカウントの一時凍結受けて、いないしな」
ユウは肩のフードから覗く仔竜の頭を軽く撫でた。ルゥは満足そうに目を細め、鼻先でユウの指をつつく。その仕草に、張り詰めた空気がほんの少しだけ和らいだ。
「だからもう、怒ってはいない。ただ……」
ユウは言葉を区切り、表情を引き締める。
「こういうことは二度と起こさないようにしてくれ。次に同じことをされたら、さすがに笑って流すなんてできない」
その一言に、フェリシアは深く頷いた。
「それは、もちろんよ。今回の件はギルド全体に共有して、再発を防ぐわ」
横でイレーネが小さく眼鏡を押し上げ、言葉を添える。
「今回の件は本当に申し訳ありませんでした。事実関係を整理して、全員に徹底させます」
ドランもまた低く付け加えた。
「信用を守れなければ、攻略組としても終わりだからな。今回のことは、我々の恥として刻ませてもらう」
三人の声には一切の誤魔化しがなく、真摯さがにじみ出ていた。
ユウは軽く肩をすくめ、ため息を漏らした。
「……わかった。なら、もうそれでいいよ」
フェリシアが再び口を開く。
「それでも――迷惑をかけたことに変わりはないわ。せめて、私達からの謝意を形にさせてもらえないかしら」
「形に?」
「お詫びの品よ。ギルドには攻略で得たアイテムがいくつもあるわ。回復薬でも装備でも、必要なものを……」
その言葉にユウは苦笑を浮かべた。
「いや……別にいらないよ」
あっさりとしたその一言に、フェリシアは目を瞬かせる。
イレーネも「え?」と小さく声を漏らした。
「確かに迷惑はかけられたけど、今は気分も落ち着いてるし。欲しいものがあるかって言われても、特にないからな……。だから、本当に大丈夫だ」
すると横にいたドランが、低く現実的な声を差し挟んだ。
「……だが、攻略に必要な物資なら別だろう。装備でも回復でも、困ることはないはずだ」
するとユウは肩をすくめ、笑いながら言った。
「いや、だから平気だって。俺は攻略なんてしてないからな。ただ、のんびり遊んでるだけだから」
ユウのあっさりとした返答に、三人の目が驚きを表すように見開かれた。
ドランは思わず、誰にも聞こえないほどの低い声でぽつりと漏らす。
「……攻略してない、のに幻獣を……?」
その一言は、三人が共通して抱いた驚きを代弁するものだった。
衝撃から一番に立ち直ったのはギルドマスターであるフェリシアだった。
「……わかったわ。無理にとは言わない。でも――今回は本当にごめんなさい」
フェリシアに続き、イレーネとドランもまた頭を下げる。
三人揃っての誠意ある態度に、通りの空気が少しずつ静まっていくのが分かった。
(攻略組ってもっと偉そうだと思ってたけど……意外とちゃんとしてるんだな。)
(まあ、俺は攻略がメインじゃないし、今後関わることは無さそうだけど……)
ユウは心の中で呟き、フェリシアを改めて見つめた。
周囲を囲んでいた野次馬たちの間から、次々と声が漏れた。
「モフモフ同盟のギルマスってモフモフ言ってるだけじゃないんだな」
「思ってたよりずっと真面目だな」
先ほどまで「どうなるんだ」とざわめいていた群衆も、フェリシアたちの態度を目にして徐々に表情を和らげていく。
すると、フードの中から顔を出したルゥが「ぴぃ」と鳴き、ユウの頬に頭突きをしてくる。まるで「ちゃんと解決したんだから、ご褒美を忘れるな」とでも言っているようだ。
「はいはい」
ユウが指で軽く撫でてやると、ルゥは気持ちよさそうに目を細める。
その様子を横で見ていたセレスが、ふっと尾を揺らしながら一歩近づく。蒼い瞳を細め、ユウの手元をじっと見上げる姿は――「自分も撫でて」と言わんばかりだった。
(……セレスも、最近はよく甘えてくるようになったな)
以前は凛とした幻獣らしさを崩さなかったが、こうして素直に距離を詰めてくるのも珍しくなくなってきている。
ユウは苦笑を浮かべながら、蒼白い毛並みに手を伸ばした。
「……はいはい、お前もな」
指先が滑らかな毛並みに触れると、セレスは満足げに目を細め、喉の奥でかすかな音を鳴らす。その姿は神秘的な幻獣というより――ユウに甘える、ただの仲間だった。
ユウのそばで、仔竜と蒼狐が並んで甘えている光景。
それは誰が見ても、心を掴まれるような愛らしさを放っていた。
――そして、それを一番間近で見てしまったフェリシアは。
(……っ、落ち着けー私。今はギルドマスターとして真面目に対応する場面……! ここで飛びついたら絶対に台無しよ……!)
握りしめた拳が小さく震え、頬がぴくりと引きつる。
必死に冷静を装っているが、瞳の奥には「モフりたい」という欲求が渦巻いていた。
「……はああ……」
ごく小さく深呼吸をして、どうにか真剣な表情を保ち続ける。そんなフェリシアの様子に、隣のドランが低く唸る。
「……フェリシア、お前、顔が引きつってるぞ」
イレーネも眼鏡を指で押し上げながら、ひそかに肩をすくめる。
「まったく、あなたの欲求がバレバレよ……」
フェリシアは一瞬で睨み返す。
「し、仕方ないでしょう! あんな姿を見せられて……でも今は我慢……!」
緊張が和らぎ始めたその時だった。
通りの奥から、重厚な靴音が近づいてくる。
「……ふむ。どうやら表が騒がしいと報告があったから来てみたが――」
低く落ち着いた声が響き、人々の視線が一斉にそちらへ向く。
姿を現したのは、仕立ての良さが伝わる服をまとった老人——グラナートだった。
「……大丈夫のようじゃな」
その一言に、ざわめいていた人々が静まり返る。
モフモフ同盟の面々も自然と背筋を伸ばし、思わず真剣な面持ちをしていた。
ユウもまた、自然と姿勢を正しながら心の中で呟いた。
(さて……ここからが本当の本題かもしれないな)




