第59話 小さな銀色の鱗と仔竜吸い
ユウは改めて膝の上にルゥを抱え直した。
ルゥは待ってましたと言わんばかりに胸を張り、尻尾をぶんぶん振っている。赤い瞳は期待でまんまるになり、今にも「早く!」と鳴きそうだった。
「よしよし……分かってるって。次はルゥの番だからな」
「ぴぃっ!」
返事のような声が弾み、前足でユウの服をぽすぽすと叩く。
あまりのわかりやすさに、ユウは苦笑しつつインベントリから小瓶を取り出した。
琥珀色の液体が満ちる特製オイル。栓を外すと、爽やかな柑橘の香りがふわりと広がった。途端にルゥは鼻先をひくひくさせ、ぐいっと顔を近づけてくる。
「はは、やっぱり匂いから気に入ってるんだな。……よし、じゃあ始めるぞー」
ユウは掌に数滴を垂らし、両手をすり合わせる。柑橘の香りと、ほんのり温かみを帯びた感触が指の間に広がった。
ルゥはというと、今か今かと体を前のめりにして、喉の奥で小さく「ぴぃ……」と声を漏らしている。まるで「早く撫でて」と急かすように。
ユウは笑いながら、その小さな首筋へと手を滑らせた。
指先が小さな鱗をなぞると、なめらかな感触の下に柔らかさが宿る。まだ幼いせいか、硬さよりもしっとりとした柔らかさが勝っていた。オイルが馴染むたびに銀の鱗は光沢を増し、太陽の光を反射してきらめいた。
「ぴぃぃ……」
ルゥはとろけそうな声を洩らし、目をすうっと細める。
喉の奥から小さな振動がじんわりと伝わり、掌に響く。尻尾は規則的に揺れては止まり、また揺れる。ルゥの機嫌の良さを表しているようだった。
さらに前足でユウの腕をぎゅっと抱きしめ、離す気はないと言わんばかりに小さな爪を軽く引っかけてくる。額をすりすりと腕に押し付け、鼻先からは温かな吐息が漏れた。
「なんというか、お前、ほんとにわかりやすいな」
ユウが笑いながらそう言った、その直後だった。
「あれ……?」
指の下で、小さな違和感が走る。
ふと手元を見ると、ユウの掌に小さな銀の鱗が一枚、剥がれ落ちていた。
「……えっ」
思わず目を瞬かせる。
剥がれた鱗は太陽の光を受けて輝き、まるで宝石の欠片のようだった。
「おいルゥ、大丈夫か……? 痛くないのか?」
心配そうに問いかけると――
「ぴぃ!」
ルゥはむしろ得意げに胸を張った。赤い瞳をきらきらと輝かせ、尻尾をぶんぶん振る。さらに「早く続き!」と言わんばかりに前足でユウの腕をぽすぽすと叩いた。
「えっと……痛くはないんだな。なら……」
ユウが安堵の息を吐いたその時、撫でていた背中から、ぽろり、ともう一枚。
さらに、尾の付け根を撫でた瞬間、二枚、三枚と、小さな鱗が自然に剥がれ落ちた。
「な、なんだ……これ……」
掌に集まった小さな鱗は、どれもきらきらと輝いている。光を受けるたびに宝石の欠片のように煌めき、草の上に散らばった破片さえ幻想的に見えた。
ユウは思わず固唾をのむ。だが、膝の上のルゥはというと――
「ぴぃぃ……」
とろんとした目を細め、気持ちよさそうに喉を鳴らしている。体をぐいっと押し付け、むしろ「もっと」と催促してくる始末だ。
「……なるほど、そういうことか」
ユウはようやく理解した。
これは生え変わり――新しい鱗に入れ替わる自然な過程なのだ。
「しっかし、ちょっと焦ったな」
ホッと胸を撫で下ろしつつ、ユウは再び指先に力を込めた。
首筋から背へ、背から尾の根元へ。撫でるたびに小さな鱗がきらめきを増し、オイルの艶と相まって宝石のように輝いた。
「ぴぃ……」
ルゥは前足でユウの腕をぎゅっと抱きしめ、離そうとしない。鼻先をすりすりと押し付け、甘えるような吐息をこぼした。
「ははっ……ほんと甘えん坊だな、お前は」
ユウは微笑みながら撫で続ける。尾の付け根を重点的に撫でると、ルゥは尻尾をばたばた揺らし、うっとりとした顔を見せた。
ひと通り全身を撫で終える頃には、ルゥの鱗は一段と艶を増していた。光を浴びると銀の粒がきらめくように反射し、風に揺れるたびに淡い輝きを放つ。
「……よし、これで仕上がりだな」
声をかけると、ルゥはとろんとした瞳をぱちぱちと瞬かせ――次の瞬間、膝の上で胸をぐっと張って「ぴぃ!」と高らかに鳴いた。赤い瞳は誇らしげに輝き、尻尾は勢いよくぶんぶんと振られている。
しかし、ひと通りのお手入れを終えても、ルゥはまだユウの膝の上から離れようとしなかった。前足を器用に掛け、まるで「抱っこ」のような姿勢で胸元へしがみついてくる。赤い瞳はきらきらと輝き、尻尾をぶんぶん振りながら、どこか「もっと構え!」と訴えているようだった。
「……ん? なんだその顔。まだ足りないって?」
「ぴぃ!」
即答するように鳴くルゥ。その調子に、ユウは思わず苦笑をこぼした。
けれど、ふと頭に浮かんだのは――つい先ほどの光景だった。
セレスのふわふわの毛並みに顔を埋め、「狐吸い」なんて冗談半分に呼んでしまったひととき。その場にいたルゥが、ぷくっと頬を膨らませてヤキモチを焼いていたのを思い出す。
「……ああ、そういうことか」
ユウが小さく呟くと、ルゥはさらに顔を押し付けてきた。
まるで「自分にもやれ!」と全力でアピールしているように。
「ははっ……わかったわかった。じゃあ、今度は“仔竜吸い”でもしてやるか」
そう言って、ユウはルゥをそっと抱き上げた。まだ幼い体は小さくて軽く、鱗は滑らかながらもどこか温もりを帯びている。胸元にぎゅっと抱き寄せると、ルゥは満足そうに目を細め、小さな吐息を漏らした。
ユウはその額に頬を寄せて、そっと顔を埋める。
「……おぉ、これはこれで……なんか不思議な癒やしだな」
毛の柔らかさとは違う、仔竜の鱗特有のすべすべとした感触。その隙間から伝わる温かな体温は、焚き火とはまた違う種類の心地よさを与えてくれた。
「ぴぃぃ……」
ルゥはうっとりとした声を漏らし、さらに小さな前足でユウの服をきゅっと掴んでくる。尻尾は嬉しそうにばたばたと揺れ、今にも音が鳴りそうな勢いだ。
「お前も……やっぱりこういうの好きなんだな」
ユウは思わず笑みをこぼし、ルゥを優しく抱きしめ直した。
頬に伝わる温もりがじんわりと広がり、先ほどの「狐吸い」とは違う、また新しい癒やしを覚える。
ちらりと横を見ると、セレスがその様子を静かに見つめていた。 蒼い瞳は穏やかだが、その奥にはわずかに拗ねたような色が混じっている。 尾をゆるりと揺らす仕草も、余裕を装っているようで――どこか「私にももう一回」と訴えているかのようだった。
「……ははっ。ほんと、お前たちといると退屈しないな」
ユウはそう呟きながら、嬉しそうに笑った。
その声に答えるように「ぴぃ」と小さく鳴いた仔竜の声が、午後の穏やかな丘陵地に優しく響いた。
「しかし……すごい満足そうだな、ルゥ。そういえば……抜け落ちた鱗も、しっかりしまっておくぞ」
ユウは笑みをこぼしながら、煌めく小さな鱗をそっと見つめた。
陽光を受けてきらめくそれは、単なる副産物ではなく、確かにルゥが成長している証だった。
「……これ、グラナートさんに見せたら、きっと驚くだろうなー」
ぽつりと呟き、インベントリに鱗を収める。
商会で話を聞けば、この不思議な鱗がどういうものなのか、もっと詳しく知ることができるかもしれない。
膝の上で胸を張るルゥの頭を撫でながら、ユウは小さく息を吐いた。
「よし。まだ昼だし帰り際に、商会に持って行ってみようか。ついでに依頼の報告もできるし」
赤い瞳が「ぴぃ!」と鳴き声とともに輝いた。鼻先をちょんちょんとユウの手に押し当て、尻尾をせわしなく振るその仕草は――自分も気になっていることを全身で伝えているようだった。
丘陵地の風は穏やかで、太陽の光は柔らかい。
二匹に寄り添われながら、ユウは次に訪れる街での出来事へと、自然と期待を膨らませていた。




