第35話 【妹視点】お兄ちゃんの話題
笑いの余韻が残るまま、五人は再び足を動かした。肩を並べて歩き出せば、さっきまでの重い話題も、街の喧騒に溶けていく。
通りをさらに進むと、宿屋の連なる区画に出た。宿屋の軒先では吟遊詩人NPCがリュートを奏で、テラス席から香草の匂いが漂ってくる。
「わー、ここメニューよさそう。夜はここにしない?」
「昼の下見、夜の本番。賛成」
「エリナの言い回し、好きだわ」
「褒められてる気がしない」
軽口を交わしながら、五人はヴェルムスの街を歩いていった。メイン広場を抜け、大通りを進み、さらに細い路地へ入る。通りを変えるたびに景色も匂いもがらりと変わる。香辛料の匂いが強い区画もあれば、鉄を打つ音が響く鍛冶屋通りもある。屋台が並ぶ路地では甘い菓子の香りが漂い、子どもたちの笑い声が混じっていた。
ひとしきり歩いたところで、メアリーが手を叩いた。
「さて。情報も集まったし、一旦冒険者ギルドに戻ってクエストを選びましょうか。信用も稼いでおきたいし」
「はーい。私は護衛系がいいな。服屋さんの荷馬車の護送とか」
「それ“信用”っていうより“欲望”」
エリナの淡々とした突っ込みに笑いが生まれる。
冒険者ギルドへ戻ろうと踵を返したとき、アイがふと思い出したようにサラに振り向いた。
「そういえばサラってさ、特典アカウント、お兄さんに渡したんだよね?」
瞬間、カレンが「えっそうなの!」と身を乗り出す。メアリーも興味深そうに視線を向け、エリナは黙って様子を見た。
「うん。……βテスト終わりのタイミングで、ね」
「今って、どこで遊んでるの? 合流とか、しない?」
アイの言い方は軽い。誘いの気配はあるが、押しつけがましくはない。
サラは一瞬だけ迷って、首を横に振った。
「んーわかんない。……でも、街の喧騒は苦手だと思う。だから合流は……やめておこうかな」
「えー、残念。五人でも楽しいけど、六人目がいたらもっと賑やかになるのにー」
カレンが頬を膨らませる。
「サラのお兄さんって、どんな人なの?」
アイが首をかしげる。
「のんびりするのが好きで、マイペースな人、かな」
サラは肩の力を抜くように言った。
しかし、胸の奥では別の映像が浮かぶ――銀色の仔竜を肩に乗せ、フードの影で穏やかに笑う姿。掲示板に載っていたスクリーンショットの人物は、どう見てもあの「キャンプおじさん」……いや、間違いなく自分の兄だった。
(ほんとに……キャンプして肉焼いてるの、お兄ちゃんにしか見えないんだよなー)
思わず口元が緩みそうになるのを抑え、サラは小さく息を吐いた。
「……だから、ごめんね。合流はしない」
サラはやんわりと断りながら、笑みを浮かべて頭を下げた。
「そっか。うん、分かった。サラがそう言うなら」
アイが肩をすくめて笑い、カレンは「でもいつか“オフ会”しようね!」と明るく言った後で、「……いや、この世界でオフ会って何?」と自分で自分に突っ込んだ。
メアリーは「家族のことは家族が一番分かる、ってやつね」と穏やかに言い、エリナは「のんびりマイペース……いい。それが似合うなら」と短く付け加えた。
そんな会話をしながら五人は冒険者ギルドへ戻る。掲示板には新しい依頼が貼られ、冒険者ギルド前は小走りの冒険者でせわしない。
「護衛系、搬送系、採集系。どれにする?」
メアリーが手早く三つの案件をピックアップする。
「採集! 森に行きたい!」
「荷馬車護衛! 服……じゃなくて、布地の仕入れってことは、素材集めに役立つし」
「服って言いかけたなー。欲望ダダ漏れじゃん」
「言ってない!」
アイとカレンのやり取りに、エリナがふっと溜め息を吐く。サラはその空気に笑った。
「……決めたわ。今日は採集にしましょう。街の外縁の丘、薬草の“セイリーフ”が夕方に香りが立つって、さっき行商さんが言ってたわ」
メアリーの提案に、アイが「やったー!」と両手を高く上げた。
一方でカレンは「えー、服の護衛じゃないのー?」と名残惜しそうに唇を尖らせる。だがすぐに肩をすくめて笑った。
「ま、薬草も大事だよね! 終わったら服屋に寄るんだから!」
カレンはしっかり主張してから、次の瞬間にはもう気持ちを切り替えていた。
「……で、その前に! やっぱりパン屋で補給!」
「クロッカンの列、まだ長かったけど」
サラがそう答えるとメアリーが言う。
「じゃあ役割分担しましょう。カレンとアイは列に並んで。私とエリナでギルドで受注してくるわ。サラはその間に地図にルートを書き込んでおいて」
「わかった。丘の位置も確認しとく」
サラが頷くとカレンが張り切って言った。
「じゃあパンは確保しておくね!」
「……あんまり買いすぎないでよ」
五人はそれぞれに役割を分け、冒険者ギルドの中で軽やかに散った。
サラは散っていく背を見送りながら、森のどこか、焚き火の前で同じ空を見上げているであろう人のことを、静かに思った。
(お兄ちゃん。――大丈夫、こっちはこっちで楽しくやるから)
サラは瞬きを一度だけして、地図にルートを書き込み始めた。
その背を押すように、ヴェルムスの賑わいが流れていた。




