13 幕間狂言(2)
一人残された市川は、すぐにフロントに行くべきか、迷っていた。
加山からは店を見ていろと言われたが、今現在、コーヒーラウンジにさほどゲストが入っているわけではない。今日は大きな宴会も入っていないので、急に混みだす心配もなかった。
それでもしばらくは様子を見ていたが、ゲストのオーダーが一段落したところで、市川は店を離れることにした。
近くにいたスタッフに「ちょっと行ってくる」とは言ったものの、どこへとは告げなかった。
ロビーのなるべく端の方を横切って、フロントカウンターの前に行く。遠くから、花園がいることは確認済みだ。ちょうどゲストの流れも途切れている。
レジストレーション(=宿泊客のデータ)を端末に打ち込んでいたらしい花園は、人が近づく気配にパッと顔を上げた。
「あら」接客用の笑顔が、もっと親しげなものに変わった。
「あ、どうも」市川も笑顔を返したが、目尻が下がっている。
「先ほどはすみませんでした。せっかくお誘いいただいたのに、先約があって」
「いやいや、それはもういいんです。また、別の機会にお誘いしますので。実は、ちょっと別件なんですが」
「なんでしょう?」
「同期の広崎はいますか?」(もちろん、いないことはわかっているけどね)
「ちょっと、待ってくださいね」花園は勤務表らしきものを確認し「今日は夜勤明けですね。昼過ぎまで残っていらしたような気がしますが、しばらく姿を見ていませんから、多分、もう帰られたと思いますよ」
「ええっ、困ったなあ」(ちょっとワザとらしいかな)
「お約束だったんですか?」
「大した約束じゃないんですけど、今度同期会をやるので、その打ち合わせをしようって言ってたんですが」(ウソだけどね)
「うらやましいですね。わたしは中途入社で同期がいないので」
「そうか、花園さんは帰国子女でしたね。よっかったら、おれ、あ、いや、ぼくたちの同期会に参加しませんか?」
「ありがとうございます」一瞬微妙な笑顔になったが、急に何か思い出した、という顔をした。
「あ、そうそう、そう言えば、昨日からお泊りのお友達が尋ねて来られて、しばらくロビーで話されていましたから、お二人でどこかへ行かれたかもしれませんね」
「ほう。彼女かな」(じゃないけどね)
「いえいえ、男の方です」少し笑って「ちょっと、残念な格好でしたけど」
「え、残念って?」(知ってるけどね)
「ああ、すみません。勝手にそう思っただけです」
「ふーん。何屋さん風ですか?」(わかってるけどね)
「むずかしいですね。失礼かもしれませんが、見た感じはフリーターですね。そうそう、『仕事を紹介してくれてありがとう』みたいなことを言われてました」
「うーん、すると、やはり、斎条先生の後釜かな」
「え?」
「あ、いや、こちらの話です。ところで、広崎は他に何か言ってませんでしたか?」
「すみません。プライベートでは、あまり話したことがないので」
それを聞いて、市川はちょっと嬉しそうな顔になった。
「そうですか。いろいろ聞いてすみませんでした」
「いえいえ。こちらこそ、お力になれなくて。もしかしたら、インチャージ(=当日の現場責任者)が何かご存知かもしれませんから、聞いてみましょうか?」
「あ、いえ、そこまでしていただくほどじゃありません。プライベートなことですし」ちょっとあわてて「そうかあ、フロントはキャプテンとかマネージャーとか言わず、インチャージって言うんでしたね。覚えとかなきゃ。それじゃ、さっき社食でも言いましたが、来月から異動ですので、よろしくお願いしますね」
「え、ああ、そうでしたね。頑張ってください」
視界の隅にゲストが近づくのが見えたため、市川は花園に小声で「ありがとうございました」と言ってカウンターを離れた。
しかし、コーヒーラウンジには戻らず、何か思いついた様子で、玄関を出た。
玄関の前ではツバ付きの帽子をかぶった玄田が、ゲストの車を駐車場に誘導しているのが見えた。
「オッラーイ! ラーイ! はーい、オッケーでーす!」
誘導が終わるのを待って、声をかけた。
「やあ」
「あ、ども」
「玄田くんだよね」
「はあ、そうです」
「広崎の同期の市川だけど、来月からフロントなんだ。よろしく頼むよ」
「はあ」
「ところで、昨日から、広崎にお客が来ているみたいだけど、どういう人か聞いているかい?」
「男です」
「あ、そう。他には?」
「モジャモジャでした」
「え、何が?」
「髪の毛です」
「うーん。他に何か言ってなかったかい?」
「えっと、広崎先輩が『仕事をお願いしたい』って言ってました」
「そりゃ、逆だろう。うーん、まあ、いいか」
「あのー」
「うん、なんだい?」
「人間の虫よけって、どういう意味ですか?」
理事会の間中、畑中の言ったことが頭から離れず、加山は気もそぞろで何が話し合われたかも、ほとんど覚えていなかった。気が付くと理事会は終了しており、畑中から「本当に大丈夫?」と言われたが、黙ってうなずき、そのまま席を立った。
なんだか熱っぽく、頭がボーッとしている。
少しふらつきながら加山が戻るのと、玄関からブツブツ言いながら市川が戻るのが、ほぼ同時だった。加山の太い眉がギュッと中央に寄った。
「おい、何をしてる。店を見てろと言っただろう」
「あ、ええと、ゲストをお見送りしてました」
「ふん。美人のゲストだからといって、一々玄関まで送る必要はないぞ」
「いえいえ、そういう訳じゃありません。それよりマネージャー、大丈夫ですか? 顔が赤いですよ」
「おれは、なんとも」
ない、と言う前に、加山はフラフラと倒れ込んだ。
市川は、あわてて加山の体を支えた。
「マネージャー! しっかりしてください!」
市川が加山の額に手を当てると、あまりの高熱に驚いた。
「やっべえな、こりゃ……」




