第18話:墜ちた勇者と、残酷な事実
燃費の悪い正義
地下水路の通路にて、勇者ガゼルとコウが対峙する。
ガゼルは黄金の聖剣を高々と掲げ、全身から眩いばかりの光を放った。それは、かつてコウが後ろで魔力制御をしていた頃の必勝パターン、聖剣技グラン・クロスだ。
「消え失せろ、裏切り者! この聖なる光で浄化してやる!」
ガゼルが絶叫と共に剣を振り下ろす。轟音と共に光の十字が放たれ、狭い水路の壁を削りながらコウへと迫る。
しかし、コウはその場から一歩も動かなかった。
「軌道予測完了。魔力密度、拡散しすぎだ」
コウは指先一つで、自身の前に多重構造の氷の鏡を展開した。光の奔流は鏡に反射し、狙いを逸れて天井の配管を破壊しただけだった。
「な、なんだと!? 俺の聖剣技を…弾いただと!?」
ガゼルは驚愕に目を見開く。息が荒い。たった一撃の大技を放っただけで、彼の肩は大きく上下していた。
圧倒的な効率の差
コウは冷徹な眼差しで、かつてのリーダーを見据えた。
「ガゼル。お前、その一撃で体内の魔力の何割を使った?」
「は、あ…? なにを…」
「4割だ。かつて俺が調整していた頃は、同じ威力を1割の消費で撃てていた。今のその戦い方は、穴の空いたバケツで水を運ぶようなものだ。非効率にも程がある」
コウの言葉は、嘲笑ではなく、純粋な事実の指摘だった。しかし、それこそがガゼルのプライドを最も深く傷つけた。
「黙れ! 黙れ黙れ! これは俺の実力だ! お前がいなくなってから調子が悪いのは、お前が俺に呪いをかけたからだろうが!」
ガゼルは聞く耳を持たず、闇雲に剣を振り回して突っ込んでくる。
コウは溜息をついた。かつて自分が支えていた勇者の姿は、ただの魔力任せの蛮族に成り下がっていた。
「呪いなどかけていない。ただ、俺が尻拭いをやめただけだ」
コウはガゼルの大振りな一撃を最小限の動きで回避すると、すれ違いざまにガゼルの手首と膝の裏に、指先から放った麻痺の雷撃を打ち込んだ。
「うぐぁっ!?」
ガゼルは無様に地面へと転がった。剣を取り落とし、痺れて動かない手足に混乱する。
「貴様…! なにをした!」
「神経への直接干渉だ。派手な爆発も光も必要ない。敵を行動不能にするには、これが最も低コストで確実だ」
コウは倒れたガゼルを見下ろした。そこには、かつての仲間への情けも、憎しみすらなかった。あるのは、処理すべき障害物への無関心だけだった。
「寝ていろ、ガゼル。お前の相手をしている時間は、今の俺には非効率だ」
しぶとい敗走
コウが奥へ進もうと背を向けたその時、ガゼルの目が血走った。
「待て…! 逃げるな! 俺は…俺は勇者だぞ! こんな、地味な魔術師ごときに!」
ガゼルは震える手で、懐から不気味な紫色に発光する小瓶を取り出した。それは、Rブレッドクランの治癒師フェリシアから「緊急用の秘薬」として渡されていたものだった。
「うおおおおお!」
ガゼルは秘薬を一気に飲み干した。瞬間、彼の全身からどす黒い魔力が噴出し、無理やり麻痺をこじ開けた。
「まだだ! 俺は負けていない! 戦術的撤退だ!」
ガゼルは理性を失いかけた目で叫ぶと、手にした聖剣を地面に叩きつけ、爆風と土煙を巻き上げた。
「コウ! この屈辱は忘れん! 次こそは、クランの力も借りて、貴様を確実に葬ってやる!」
煙の中で、ガゼルは壁を蹴り、別の通路へと転がるように逃走していった。その姿は、かつての堂々たる勇者ではなく、負け惜しみを叫んで逃げる小物そのものだった。
コウは煙を風魔法で払い、ガゼルが消えた方向を一瞥しただけだった。
「…クランの強化薬か。副作用で魔力回路がボロボロになるぞ。まあ、自業自得か」
コウは深追いをしなかった。逃げたガゼルを追うよりも、中にいる子供たちとサラの援護が最優先だからだ。彼は迷わず実験室へと足を踏み入れた。
実験室の狂気
一方、先に実験室へ踏み込んだサラは、地獄のような光景に息を呑んでいた。
檻の中で怯える子供たち。そして、その中央で優雅にワイングラス(中身は魔獣の血かもしれない)を揺らす幹部、蒐集家ヴェルト。
「おやァ? 勇者ちゃんが騒がしいと思ったら、可愛いネズミが入り込んでいたのかな?」
ヴェルトは、サラの姿を認めると、値踏みするように目を細めた。
「ふうん…地味だねぇ。服もボロボロだし、オーラも薄い。僕のコレクションにはふさわしくないな。廃棄処分かな?」
サラは恐怖で足がすくんだが、檻の中の子供と目が合った瞬間、勇気を振り絞った。
「その子たちを…返してください!」
「返せ? これは正当な商取引で仕入れた素材だよ? 君のような地味な一般人に理解できる高尚な趣味じゃないんだよねぇ」
ヴェルトが指を鳴らすと、部屋の暗がりから、改造された異形の魔獣キメラたちが数体、涎を垂らしながら現れた。
「さあ、食事の時間だ。その地味な女を食い散らかしておしまい」
魔獣たちがサラに飛びかかろうとした、その瞬間。
実験室の扉が凍りつき、粉々に砕け散った。
「…俺の連れを『地味』と呼んでいいのは、俺だけだ」
極寒の冷気を纏ったコウが、静かに、しかし激しい怒りを内包して現れた。




