393話 賢者暗殺さる(2)
敵を欺くにはまず味方からと言いますが。欺かれた方は溜まったものじゃないですよねえ。
バッシャッ!
まだ夜も明けやらぬ街路に、水音が響いた。
それに紛れて、運河脇に居た2頭立ての馬車が、カチカチと蹄鉄を鳴らして走り出した。
そして、人影もない石畳を進むと、ゆっくりと角を曲がっていった。
えっ?
隣に居た旦那様が裏路地から飛び出した。
見る間に街路を横切り、水音がした運河へ……しかし水面には落ちず、まるで宙に地面があるように立ち止まる。
はぁ。今夜は心臓に悪いことばかりだわ。
旦那様が、手を下に向けると運河から、泥の塊が浮き上がってきた。そのまま振り返ると、それを畔に降ろした。
あれ? 私?
手招きしているわ。
悪い予感がするけど、裏路地から出て駆け寄る。
「何、これ。人間?」
泥を被っていない部位から、服と手が見えた。
旦那様が綺麗な手を翳すと、泥まみれの塊から顔が出て来た。
清拭魔術だわ。あんなに強力な攻撃魔術を使えるのに、生活魔術も器用に使うのよね。憎たらしいわね。
ナディさんによると、バロールさんは全然できないって言ってたけど。そっちの方が普通よね。いや、賢者様が普通ってのは、おかしいか。
「この顔色でわかるだろう、毒を飲まされている。アリーも手伝え」
「嫌よ!」
「なんだと?」
あったりまえでしょ!
「旦那様を殺そうとしたヤツじゃない!」
「その通りだ。刺客と思うな、証人……いや証拠品だと思え。命令だ! 放っておくと、死んで役に立たなくなるぞ」
「むぅ、わかったわよ!」
忌々しく思いながらも、旦那様がここまでやるところを見ると、単なる刺客ではないに違いない。気持ちに折り合いを付けた。
両手を突き出す。
【恩寵!】【快癒!】
「ふーむ。いつもながら美しい。アリー」
ふん。どうせ魔術のことよね。
「でしょう。ラルちゃんって天使が口移しで教えてくれるからね」
「無詠唱までは教えていないが」
やっぱりね。
「細かいことを言わないの」
旦那様のも合わせて3本の腕から、色違いの魔粒光が降り注ぎ続ける。魔力を印加していると、数時間前のことが頭を過ぎった。
†
「アリー! アリー!」
「んん……あなたぁ」
んもぅ、寝入ったばっかりなのに。もう1回……って訳ではないみたいね。
「起きろ! 姿を消して、シャワーを浴びているフリをしてくれ」
はぁ? さっき浴びたわよ。 ああ、フリか。
半身を起こして、薄暗い中、旦那様の顔をまじまじと見た。うわっ、男前度2倍、緊急時の顔付きだ。
そういえば、声を顰めている。
「どういうこと?」
私も、ひそひそとなる。
「刺客だ。時間が無い、後で説明する」
刺客?
「わかった!」
ベッドから起き上がる。何か羽織る物……を。
「何も持つな」
まったく! 私、裸なんだけど。
慌てて浴室に入る。魔灯を点けて、シャワーの蛇口を捻る。
通路の陰から部屋を覗くと、旦那様はベッドに寝ていた。
油断させて引き付ける気ね。
何かもやっとしたものが、部屋に入って来る。
刺客!
宙に何かが魔灯を照り返した。ナイフだ! それが振り降ろされて……随分ゆっくりと見える。ちょっと! なんで起きないのよ!
ああ! 駄目!!!!
思わず叫ぼうとした私の口は塞がれた。
「……あれは、レプリー3だ」
私だけに聞こえる声、旦那様だ。
はあ。まったく、もう!
ベッドの主は、ジタバタと手脚を動かしたが、10秒も経たない間に静かになった。
やられたのがレプリーとわかったけど、旦那様そっくりなので、胸にどす黒い物が上がってくる。
あっ。
刺客が姿を現した。
「ヒヒヒ……」
うぅわぁ、殺人鬼の顔だ。下卑て歪んでいる。
いや、殺していないか。ともかく、そのまま姿消していればよいのに!
ん? 魔導具? ああ、そうか。姿を現したのは、撮影するためか。迷彩を掛けたままだと干渉するからね。
「……シャワーを止めてきてくれ……」
言う通りにして部屋に戻ると、魔灯が点いていた。
なぜか旦那様は、魔導具でベッドの上に寝ている、もう1人の旦那様を撮している。
「あれ? 刺客は?」
「塀の向こうだ。悲鳴を上げてくれ」
「えっ、逃がしたの?」
「悲鳴だ!」
私は溜まっていた鬱憤と共に、渾身の大声を張り上げた。
余程喧しかったのだろう、顔を顰めている。旦那様が悲鳴って言ったんだからね。
「よし。ガウンを羽織れ」
「はっ?」
「バルサム達がすぐやってくる」
†
そのあと、たくさん団員達が躍り込んできて、こってりと副長から叱られた。
私まで。
賊が侵入したのに、知らせない段階で同罪?
私は、口を塞がれていたのよ!
でも反論しなかった。したら長くなるのよ、小言が。
それからもう1回寝たのだけど、数時間で起こされて、旦那様にここへ連れ出された。その私達を、ここでサダールが待ち構えていた。
「あっ、そうだ。 サダールは?」
先まで居たのに、姿はどこにも見えない。この場所で待機して、旦那様を魔導通信で呼び出したのは、彼だ。
「ああ、馬車を追っていった。おい! 手を見ろ」
「おっと!」
刺客に翳した手がズレていた。
「なるほどね」
そう、刺客を、宿舎で取り押さえても意味がない。
この男に旦那様を殺したと思い込ませて泳がせて、背後関係を探るのが目的というわけだ。
そりゃあ肝心なのは、この男より馬車よねえ。
落ち着けば、それぐらいは私にも分かるわよ。分かるけどね……。
当然、サダールは旦那様の命令で、刺客の後を付けて見張っていたのだ。
ということは、襲ってくることが予め分かっていた?!
旦那様に限って、自分の仲間に殺され掛かるような間抜けな刺客にやられるわけはない。論理を詰めれば、旦那様の思惑通りになったに決まっている。
でもね、論理じゃないのよ! ああ、もう! えっ?
ゲフッ、ゲフ、グク……ハァ、ハァ……
辛うじて絶命していなかった男が息を吹き返した。蘇生成功だ。
「終了!」
ツーンと横を向く。
「うむ。ありがとう。アリーは頼りになるなぁ」
そういうお礼の言葉が聞きたいわけじゃない。
今になってわかる。忌々しさの半分は、この刺客じゃ無かった。
旦那様だ。
あの時……妻が夫を殺されると思って、半狂乱になっているっていうのに、何事もなかったかのように涼しい顔だったからだ。
女の気持ちってものにも、少しは興味を示して貰いたいものだわ!
「ふーんだ。頭巾巫女を舐めて貰っては困るわ……って、何やっているの?」
「見た通りだ。気が付いた時に、暴れ出したら面倒だからな」
足と後ろ手に手首を縛り、口に何か噛まして猿ぐつわをした。
「わぁ!」
「ああ、すまん」
急に刺客が消え失せたのだ。ここに来る時、私が入っていた、例の亜空間だっけ、そこに突っ込んだのね。一々心臓に悪いっての!
「さあ、もうここには用はない。帰るぞ」
旦那様は立ち上がると、ローブを捲り腕をすこし上げた。誘っているんだわ。
業腹だが、素直に腕を組んだ。
でも、こんなことでは騙されないんだからね!
運河沿いの細い通りから一筋出て来ると、朝日が差してきた。
巡礼者だろう人達が、ぱらぱらと歩いて居る。
そういえば久しぶりだわ、2人で町を歩くなんて。
旦那様は、スパイラスではすっかり有名人になっちゃって、まともに出歩くなんてできないし。
「帰ったら好きなだけ寝ていいぞ。暫くはあの宿に引きこもるからな」
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訂正履歴
2021/11/13 少々加筆、表現変え
2025/05/24 誤字訂正 (コペルHSさん ありがとうございます)




