閑話12 因縁と忘れ形見
何話か閑話を挟みます。
旦那様がエルヴァ領を拝領して、エルメーダを訪れた時のこと
城の居間。
ルークは疲れたようで、夕食後に早々に眠った。馬車の中……といっても、床の下にある異様に広い部屋で、フラガと走り回っていたものね。私は、その光景を見ながらやっていたことを再開する。
お母様が大柄なメイドと一緒に入って来られて、隣のソファーに座られた。
「あら。ローザさん、刺繍? 見せて」
「はい」
手を止めて、木の丸枠を填めた作りかけの物を向ける。
「まあ、ローザさん。随分腕を上げたわねえ」
「ありがとうございます」
暖炉脇のソファに掛けた旦那様が、ちらっとこちらを、私の顔を見たようだった。
その対面にお義父もいらっしゃったのだけど、少し前に執事が呼びに来て出ていかれた。
「もう私より巧いわね。誰かに習っているの?」
「いえ、そんな。でも、お友達のナディさんって方に教わっています」
編み物もだけれど。
代わりに私の方からはお茶の淹れ方と、彼女の希望でお料理も教えている。料理自体は元々彼女もできるのだけど、貴族好みの物ということで。
あとは、ルークとエリスちゃんが生まれてからだけど、一緒にダンケルクのお義母様に貴族の嗜みというか、所作や立ち居振る舞い、言葉遣いをみっちり仕込まれた。
お義母様はいつもお優しいのだけど、その時だけは中々に厳しくて。中等学校の頃、通っていた男爵様の御館で仕込まれたはずなのだけど。あの時は、貴族としてではなく、あくまでメイドとしてだったものね。
だけど、それもあって、ナディさんとの仲がより一層深まったわね。
「そう。ナディさん……貴族の方?」
「はい。ディオニシウス子爵様の奥様です」
「ああ、賢者様の……」
お義母様は肯いて、旦那様の方を向いた。
それには当然気が付いているのだろうけど、旦那様は本に目を落としたままだ。
「そう。この城にもね、刺繍の名人がいるのよ。紹介しましょうか?」
私に喋り掛けながら、旦那様の方を窺っていらっしゃる。
これは──
どうやら、お義母様の企みに乗ってしまったようだわ。
なるほど。旦那様がさっきこちらを見たのは、感付いていらっしゃたのでしょう。
お義母様は、私には慈しみ深いのだけど、旦那様には持って回った感じというか、なぜだか少し張り合っている気さえする。旦那様が苦手とされている原因なのだけど。お気付きになっていないわ。
とはいえ、これで仲が悪いのならば困りものだけれど、実はお互いに甘えていらっしゃるのねえ。子供の頃からお仕えしているので、よく分かります。
「ありがとうございます。後日にでもご紹介戴ければ」
「まあ、遠慮しなくても良いのよ。あら、ラルフさんどこへ行くの」
旦那様は、すっと立ち上がったのだけど、お母様はずっと目の端で追っていたから逃してはくれませんでした。
「父上の書斎から、次の本を持ってこようと思いまして」
「待って、待って。これから呼ぶのはラルフさんにも縁のある者だから」
「そうですか」
そこまで言われてしまえば、旦那様にも退出はできません。申し訳ないわ……。
「イネスさん。ミリアさんを呼んできて貰えるかしら」
「はい、奥様」
予め言い含められて居たのでしょう。
一緒に入ってきたメイドが、居間を辞して行った。
数分後、間違いなく近くに呼び寄せていたと分かる時間で、見知らぬメイドが入室してきた。見た感じ、私よりやや若い位かしら?
何か眉根を寄せて思い詰めた顔に思わず身構える。
果たせるかな、メイドはつかつかと歩み旦那様の前で、突如跪くと床に突っ伏した。
腰を上げかけたが、旦那様が手で制されたので従う。
まあ、良いでしょう。
この距離です。不穏な兆しがあれば、いつでも壁まで蹴り飛ばすことは可能です。
「母上。この者は?」
「ミリアさん。あなたの願いは、叶えたわ。後は自分でがんばりなさい」
「はっ、はい。奥様。あっ、あのう……子爵様。私、ミリア・ファルムと申します。一昨年、伯爵様のバズイールの御館でメイドをしておりました。そっ、そこで……」
まあ、バズイット家!
「伯爵の手が付いて娘を産んだと聞いているが」
「ひっ、ひぃぃ……」
女は震えだした。
「あら、ラルフさん。知っていたの?」
旦那様は細かく肯いた。
そうらしい。
「なっ、なにとぞ。なにとぞ娘の命をお助け下さい。私はどうなっても構いません!」
言い放つや、これ以上低く這えるのかというほど平伏した。
哀れだ、そして勁い。
母とは、子のためならば、ここまでできるものなのだわ。
旦那様はどうされるお積もりでしょう。もちろん幼子に罪を問いはしないでしょうけれど、それよりどう収めるのか……と思っていたら、一瞬旦那様の目線がこちらに来て顎が動いた。
えっ? 私?
ああ、なるほど。
「旦那様。バズイット伯爵家には、我が子ルークを狙われた遺恨がございます」
平伏した女が、涙に濡れた顔をこちらに向けた。
「しかし、この者に何の罪がございましょうか? ましてや、その子に罪などあるはずがございません」
「あっ、あぁぁぁ……」
「ふむ。恨みならば一番深いローザがそう申すのならば、私に異存は無い。我が妻と、母に免じて、ミリア・ファルムとその子に一切の遺恨は持たぬ」
「はっ! あっ、ありがとうございます。あり・が・と……」
痙攣のような震えが消えて、弛緩した。
「あらあら。気を喪ってしまったようだわ。下がらせて休ませてあげて」
イネスをはじめとして、数人のメイドがミリアを持ち上げると、部屋を辞して行った。
「ふーん。しかし酷いお芝居を見せられたものだわ」
私と旦那様を、交互にご覧になった。
流石は、お義母様。全て見抜いておられたようです。
「佳い芝居には、佳い脚本が欠かせませんが」
「ふん。ところで。ミリアさんのことは、誰から聞いたの……あっ! ソフィーね。全くあの子は」
「芝居はともかく。母上の思い通りの結果が得られたのでしょう」
「まあね。貴族局がお構いなしにしたのだから、ラルフさんが何かするわけ無いと、何度か説いたのだけど、聞かなくてね。まあ、ミリアさんもこれで満足したことでしょう。それに、私に免じてと言ったから、よしとしましょう」
そうね。恐怖とはそういうもの。理性では中々割り切れない。
人は告解することで、罰せられるかも知れないという恐怖を払拭したいもの。そうエルディア大司祭様は仰っていたけど。
でもそれを逆手にとって手を下そうと思えば、いつでも下せる。旦那様はお赦しになったけれど、お義母様を徒や疎かにすることは許さないと、脅しもしたのだわ。そこで、お義母様が優しくすれば、あの者は心から尽くすことでしょう。
ということは、けして酷い芝居ではなかったのでは?
「ちょっとローザさん」
「あっ、はい」
「にやけすぎよ」
「失礼しました」
顔に出ていたようだわ。
「しかし、あの合図だけで、ラルフさんの意図通りに演じるとは、流石ね」
「恐縮です」
「ふーん。うちの旦那様は、その辺がねえ。まあ、素が良いから問題ないけど」
旦那様が大きく肯いて、お義母様は眉根を寄せた。
お読み頂き感謝致します。
ブクマもありがとうございます。
誤字報告戴いている方々、助かっております。
また皆様のご評価、ご感想が指針となります。
叱咤激励、御賛辞関わらずお待ちしています。
ぜひよろしくお願い致します。
Twitterもよろしく!
https://twitter.com/NittaUya
訂正履歴
2021/08/28 微妙に表現変え
2021/09/02 誤字訂正
2022/08/19 誤字訂正(ID:1844825さん ありがとうございます)




