340話 欺し騙され
待て! 慌てるな、孔明の罠だ! 的な?!
「総長閣下。お待たせ致しました」
会議室を辞して、廊下をゆっくり歩いていると、作戦部次長が追い付いてきた。
4月も10日となり、延ばしてきた軍務大臣との会議も、ようやく終わった。
軍務省の庁舎を出て、差し回しの馬車に乗る。
「まったく、何様のつもりなのでしょう」
扉が閉まった途端、次長が吐き捨てる。
先程、大臣が参謀本部に指図めいたことを言ったのが気に入らないのだろう。
「まあ、そう言うな。ヴェルフィス」
「しかし、閣下。元々軍務大臣、陸軍長官、参謀本部総長は同格のはず。あのような物言いは、失礼千万。いくらあのようなことがあったとしても」
「ははは。それはあくまで原則。どのような政体だとしても、予算を握っている者が強いのだ」
ミストリア軍は、次長が言ったように3極だ(海軍も入れれば4極だが)。軍務省が予算と人事、つまり軍政を握る。長官が軍団組織と兵からなる実力部隊を握る。そして我ら参謀本部が作戦行動の立案と実施権を握る。要するに、金と頭脳を部隊から取り上げ、将軍達が勝手な軍事行動をしないよう制限する仕組みだ。中でも軍務省は武官ではないから、文民統制というわけだ。
まあ、次長にしてみれば、私が弱腰に見えるのだろう。その不満を、大臣に向けているように見せかけて、実は私を批判しているのだ。
長らくブツブツとまあそれはそうかも知れませんが、とか文句を言っていたが、参謀本部に着いて玄関で別れた。
御者台から降りてきた従卒が先回りして、自分の執務室の前まで来ると扉を開けた。
一歩中に入ったところで、足が止まる。
「貴官は外で待て」
「はっ!」
少し怪訝そうな顔をした。
扉を閉めると、ソファに座っていた者が立ち上がった。
「総長閣下。ご無沙汰しております」
振り向いた顔が、扉を閉める前に直感した、そのものだった。
「久しぶりだ。王都に居たのだな」
直属ではないが部下だ。いや、既に軍籍は停止されているから、元部下か。今は参謀ですらない。
レミンカ・バズイット。
私を。そして、この建屋に棲む者達を、窮地に陥れている男。
彼を回り込んで、自分の席に座る。
「ふっ、陽動の初歩に過ぎません」
要するに王都を経由し、バズイット領に逃げたと見せ掛けて、実はそのまま王都に居たということなのだろう。
「それは、さておき。ご存知の通り、小官は目下少々困ったことに遭っておりまして。総長閣下の御力をお借りしたいのですが」
「私は、これまで君がバズイットの一族だからというわけではなく、目を掛けていた」
「君……ですか」
レミンカの容貌が少し歪んだ。
「そう。君だ。君は既に軍人ではない。ゆえに貴官と呼ぶわけにはいかん。したがって、これまでのようには、君を我が部下として便宜を図るというわけにもいかんというわけだ。分かってくれるかね」
ターレイといい、バズイットといい、このところ部下運がないな。
「これはまた、随分手厳しいですな」
「大体頼るのであれば、私ではなく、バズイット家の黒幕だろう」
「誰のことを仰っているかわかりませんが……」
ん? 本当に心当たりが無いように見える。彼は、一族といえどもユンカース少佐とは違って直系ではないからか?
「……それはともかく。私を裏切る気ですか?」
「裏切る? 今回のことは、君の独断で行ったことだ。しかも、自分の部下だった者を共犯にしてな」
「今になって、しらばくれるのは、卑怯というものです。何かあった時、参謀本部はバズイット家を支援するとの書簡をくれたではないですか?」
「そのような手紙が、もしあると言うならば、出してみなさい」
「あっ、ありはしませんよ! この書簡を読んだら、すぐ焼き捨てろと書いてあったではないですか」
ふむ。
机の下、設えてあった紐に踵を引っ掛けると手前に引いた。
1分も経たない内に3人の憲兵が現れ、侵入者を連行していった。
†
「失礼致します」
執務室に、スードリが入って来て、一瞬傍らで座って居るローザが身構えた。
「お館様、報告致します」
「うむ」
「2時間程前。参謀本部にて、レミンカ・バズイット元少佐が捕縛されました」
「ほう……」
参謀本部か。
それっきり俺が黙り込んだからだろう、ローザが反応した。
「確か、バズイット伯爵領に逃げたと聞いていましたが? 王都に戻ってきたのですか?
」
「いや……」
2人がこちらを向く。
「王都に戻ってくれば、都市間転送所か、門で捕まる可能性が高い。手配される前から……つまり、グルモア辺境伯領から逐電したとき以来、王都にずっと潜伏していたのだろう」
「おそらくは」
スードリの肯定に、ローザも肯いた。
しかし、あの男は、なぜ参謀本部へ行ったのか?
素直に考えれば、捕縛される可能性が大だ。実際そうなったしな。
ならば、自分に協力する者が居る、そういう確信があったのか?
まあいい。
俺が深入りする必要はない。
そもそもあの男に特段の感情があるわけではない。館を襲った者達を後ろで糸を引いていた者であれば別だが、彼がそうである可能性は低い。
†
公館で執務していると、ノックと共にアリーが入って来た。
「サラっち、早く早く」
「ああ、はい。失礼します」
後ろから懐かしい顔が入って来た。
「おお、サラ。久しぶりだな」
エルメーダ郊外の新薬工場へずっと派遣していた、サラスヴァーダが王都へ帰ってきたのだ。
「はい。お館様。ただいま戻りました。あのぅ。ラトルト殿はモーガン殿と打ち合わせをされてます。私は待っていようと思っていたのですが、アリーさんが……」
「そんな水臭いこと言わなくてもいいよ」
きっと、無理矢理アリーに引っ張られてきたのだろう。
「ああ、その通りだ。ご苦労だったな。まあ、掛けてくれ。それにしても……少し陽に灼けてないか?」
立ち上がって、ソファーを勧める。
「ああ、はい。日焼けは……」
「ん?」
4人でテーブルを囲んで座る。
「それが、工場の例のところに詰めていたのですが、おじじ様に」
「爺様?」
ブリジット以外にもそう呼ばせているらしい。
「若い娘が、陽の当たらない場所にずっと居てどうする、そう叱られまして。1日1時間は外で汗を流しております」
「はははは。そうか」
「お館様の部下ならば、我が孫も同然と。近いうちに婿候補を紹介してやろうと仰いまして」
爺様……。
「そうかそうか。気に入った者が居れば世話になると良い」
「いえ、薬師もまだまだ修行の身。第一、製薬事業が軌道に乗るまでは、そんな暇はありません」
なぜか、真っ赤になってる。
「えぇぇ。仕事と恋愛は別だよ! ねえ?」
「あっ、あのぅ。はっ、話が大幅に逸れました。ササンテ生産の方はお館様の設備とガルさんの尽力で、特に支障は起こっていません。それと薬草の入手が順調になって来ました。まだ生産能力の上限には達して居ておりませんが、1ヶ月前の倍、月産1万単位の水準に近づいて居ます」
「わあ、そりゃあすごい」
素直にアリーが喜んで居る。
「薬草の入手が好転してきた理由は?」
「はい。男爵様とバロック殿の尽力ももちろんあるのですが。そのぅ……」
なんだ?
「バズイット伯爵領の問屋や商人達の対応が、今月になって変わってきてまして」
「ほう……」
「おかげでウチの工場の求人応募も増えましたし、それに聞いた話ですが、……ササンティア鉱山の人間の作業員が、先月末から増えたようです」
「へぇ、なんで?」
「それが、ご想像通りバズイット家の威信が大幅に低下してるんです」
「へぇぇ。そうなんだ」
サラは上体を前に出す。
「若様と……」
「若様?!」
「ああ、あのお館様のことなんですが。若様を襲っただけではなく、お留守のここまで襲うなんて、ひどい! 許せないって! エルメーダはもちろんそうなんですが、バズイット領でも、そう言う話で持ちきりになっていまして」
「あらまあ」
「特にお館様が、賢者にお成りになったという知らせが届いてからは、顕著になりまして。大逆罪相当なので、改易になるのではないかと……」
「サラ、滅多なことを言ってはなりませんよ」
ふむ。国王陛下はそのご意向のようだったな。
「はい。師匠、申し訳ありません。でも、私が言ってるわけではなくて。エルメーダでは、皆そう話していまして。で、どうなんでしょう? お館様」
「ふっははは。俺が知っているわけはなかろう」
「そうですか……」
「まあ、バズイットのことはともかく、エルメーダは良い方向に回っているようだ」
「はい。それはもう」
「それで。サラっち、何時まで王都に居るの?」
「はい。薬師ギルドに呼ばれただけなんで。その用が終わったらすぐ戻ります。多分2、3日かと思います」
「えぇぇ……、まあいいや、ル-ちゃんの顔を見たら帰りたくなくなるよ」
「ルーちゃん?」
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2020/12/19 誤字訂正、ガレロンの一人称統一
2022/08/18 誤字訂正(ID:1844825さん ありがとうございます)
2022/09/23 誤字訂正(ID:288175さん ありがとうございます)




