294話 非公式要請
新しい期と章が始まりました。まあ地味な出だしですが(汗)。引き続きご精読下さい。
久しぶりに外務省庁舎内の大使事務所で執務していると、内務省の若い事務官がやって来た。外務省と内務省。少しは隔意が有りそうなものだが。何食わぬ顔で来た。
事務官が来たのは、サフェールズ内務卿の言葉を伝えにだった。官房へ来て欲しいとのことだ。
アストラを制して1人で、事務官に付いていくと、官房内の応接室に通された。
「ラルフェウス・ラングレン。お召しにより参上しました」
応接室の壁際には6人の男が立ち、真ん中のソファーには2人の年配男性が座っている。
1人は顔馴染みだ。
「おおっ、帰国早々呼び出して済まないな。大使殿」
サフェールズ内務卿は、眼を細めた。
「とんでもございません」
ソファーに座るもう1人は、面識はないが、式典で何回か見掛けたことがある。
「彼は、分かるな?」
「はっ! 初めて御意を得ます。ベルウィン閣下。ラルフェウス・ラングレンと申します。よろしくお願い致します」
白眉が下がり福々しい顔を向けられる。
歳の頃は60歳を超えているだろう。
「おお、ラルフェウス卿。そんなに改まる必要はない、私も同じ子爵だ。よろしくな」
爵位は同じでも、向こうは民部大臣だ。たしか、同省生え抜きの官僚で男爵出身。功績をあげて宮廷子爵となられた方だ。それに、現役閣僚は宮廷伯以上の待遇となる。
「はぁ。畏れ多いです」
しかし、この2閣僚のとり合わせは、なんだろう。
「それで、今日呼んだのは、ベルウィンに頼まれたからだ」
呼び捨て。随分親密そうだな。
「はぁ。なんでしょうか?」
それにしても何の用だ?
民部卿……か。彼に向き直る。
「そうなのだ。卿を呼んでもらったのは、他でもない。卿というか、卿の家より申請されている新治療薬の件だ」
やはりそうか。
ミストリアの行政府は、建国時には少ない省しかなかったのだが、時代を経るに従って徐々に増えてきている。中でも内務省は所管項目が増えたため、50年程前に3つ分割された。それが文化省と民部省だ。
民部省は、名前の通り主に民間というか平民のための所管項目を担っている。大多数の平民が携わる農林水産業や、小規模な商工業、製薬業もその1つだ。
薬と聞いて興味を持ったのだろう、サフェールズ閣下が前傾してきた。
「ほう。そんなことまでやっているのか……相変わらずだな」
「ええ。まあ」
「それで。なんの薬だ?」
「はい。外傷治療薬、怪我を治すためのものです」
「ほう。なるほど、卿の任務にも役に立つ薬だな……ん? ちょっと待て、一般薬は薬師ギルドの管轄ではないのか、ベルウィン?」
やはり、サフェールズ閣下は博識だ。
「うむ、確かにそうだが。用量換算で年間1万単位を超える規模の大きい製薬を行う場合は、民部省所管の審議会を経ることになっている」
「なんだと、そんな規模で薬を作るつもりなのか? あああ、部外者が割り込んで済まない。話を進めてくれ」
「いやあ、実はサフェールズ卿にもまんざら関係ない話でもないのだ」
「んん?」
「それは、光神教団に臨床試験を依頼していることですか?」
宗教団体の所管は内務省だ。
「ふふふ。その通りだよ」
「ふーむ、光神教団にな。相変わらず、変わったことを考える……確かに教団は薬剤の大きな需要家ではある。つまりは、臨床面では権威と言ってもいい。民部省も結果に文句を付けづらいな」
いや、睨まないで欲しいのだが。
その代わり、教団は結果に厳しいのですよ。特に司教殿とか。
「ははは、民部省としては文句など付ける気などないさ。そもそも、提出された試供品を試させた……ああ、後ろに立っている技官によると、効き目は既存市販薬に比べてかなり高いとのことだがらな。ありがたいことだ。それで、試験はどの程度進んで居るのか聞かせて貰えるか?」
ほう。あの人は医系技官か。
「はい。当方に入っている情報では、半分程度と」
「半分も!」
さっき技官と言われた男から、声が上がる。
「ああっ、失礼致しました」
「ふむ、流石は、光神教団と言うところか。それはともかく、試験もそう遠くない時期に終わりそうだな」
「おそらくは」
「うむ。では、これからは交渉だ。生産認可が降りたとして、市販は控えて欲しい」
「はっ?」
「ベルウィン、どういうことか? そのような権限は民部省にはない。薬効によって認可するかどうかは決められるが。できるのは精々薬価に注文を付けるぐらいのはずだ」
むう。
他の治療薬が売れなくなるという話は、館でもした。その線か?
「ああ、言い方が悪かったな。一般への販売はしばらく延期して貰いたいと言うことだ」
有期ということか。
一応念を押しておこう。
「恐縮ながら、仰っている件は、大使あるいは超獣対策特別職の任務とも異なる、私的事業です。交渉は当家の家令に願いたいのですが」
ソファーの向こうに立つ何人かの男達から怒気が沸き立つ。
「ああ、まあそうなんだがな」
民部卿は、軽く目を瞑って何度か肯いた。
「ただ、それでは、交渉は認可の後になる。だから、こうやってラルフェウス卿を信じて非公式に頼んでいるというわけだ」
なるほど。直接民部省に俺を呼び出さなかったのはそういうことか。
「ラルフェウス卿」
サフェールズ閣下だ。
「交渉は卿が言う通り、家令とやることにしてだ。話だけは聞いてやってはどうかな?」
「はい」
「ああ、サフェールズ卿、助かる。話を戻すが、ただ売るなと言っているわけでない。政府で買い上げたいと思っている」
「備蓄するのか?」
「その通り。あとは伯爵領以上に備蓄を促す。ただし後者は、政府としては銘柄の推奨に留まるが」
大きい話になりそうだ。
「備蓄と仰いましたが、その規模は?」
「どうかな?」
民部卿の問いで、先程の技官が反応する。
「はい。量については、予算と価格の兼ね合いとなりますが、市販薬の2倍価格として。政府分として、ざっと1万5千単位を目指します」
天領の人口が約75万人として、その100分の2か。
「どうかな?」
焦臭い。政府にそんな需要があるとは思えないが。
「先程内務卿が仰った通り、自家で使う分に加え、教団には優先で販売することになっています。仮に政府にお納めするとしても、少なくともそれは省いて残った量ということになります」
「うむ。状況は民部省として理解した」
ベルウィン卿は肯いた。まだ分からないが、国王命令等強権発動まではやる気がないようだ。
長居は無用だな。
「はっ。お話が以上で有れば、失礼を……」
「ああ、待て待て。ラルフェウス卿」
「はい」
部屋を辞そうと立ち上がり掛けたら、サフェールズ卿に呼び止められた。
「エルメーダに行くことあれば、寄るであろうスワレス卿に良く礼を言うことだ。そなたの一族が名誉回復できたは、無論卿の働きが大きいが、彼の伯爵が以前より何度も貴族局に嘆願していたこともある」
「はい」
会議室を辞した。
†
「ではな」
ラルフに続いて、ベルウィンも立ち上がり掛ける。
サフェールズが指を立てると、後に居た秘書官が壁に設えられた戸棚を空けて、中にあった魔石に触った。
「で?」
「ああ? 何かな」
ベルウィンは、再び腰を下ろした。
「何のために備蓄する?」
「民部省がやる仕事。ミストリア臣民のために決まっている」
「ふっ、臣民のためな。言っておくが、ラルフェウス卿を甘く見ない方が良いぞ」
†
内務省庁舎から、大使事務所に戻る。
アストラは……居ないな。ちょうどいい。
「パレビー来てくれ」
「はい!」
事務官たちがいる部屋を通り過ぎて、執務室に入ると音響結界を張る。
少し遅れて、パレビーが部屋に入ってくると、気付いたのか片眉を上げた。
「御館様。裏の業務でしょうか?」
ここでは、アストラに倣って閣下と呼んでいたが。
「そうだ」
パレビーは、人懐こい好青年から、鋭い目付きに切り替わった。
彼は、俺が正式な特命全権委任大使になった時に事務官としたが、元々外務省出身でもないし、そもそも役人ですらない。
実は、スードリの配下、諜報を生業とする者達の1人だ。
それが、この事務所に溶け込み、立派な役人に見えるのだから、大したものだ。
「承ります」
「先程、内務卿に呼ばれて行ってみると、民部卿に会わされた」
無言で肯く。
「用向きは、家業でやっている新薬を大量に買い取りたいと言うことだった」
「はあ。しかし、あれはまだ、流通の認可が得られていないのでは?」
「そうだ、それを認可が得られれば備蓄するので、市販は見合わせろとな。どう思う?」
「ほう……そう仰るからには、御館様は何か怪しいとお考えなのですね」
察しが良い。肯く。
「確かに出来過ぎな話……ですな。御館様の言が無ければ気が付きませんでしたが。私が申すのは烏滸がましいですが。当代国王陛下は、開明的な君主でいらっしゃいます。ですが、ご自身で国の有り様を作ったわけではない」
「そういうことだ。政府とは、統治の道具として生み出された物、つまり主権者のためにある。そう簡単に民衆のために金は使わない」
「他の用途ということですか? 新薬の用途として、大量に怪我人が出る可能性に備えるわけですから、絞られるかと思いますが」
「まずは先入観を持たず調査してくれ」
「畏まりました! ところでお頭には?」
「話して構わない」
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訂正履歴
2020/07/04 誤字、少々加筆
2022/01/30 誤字訂正(ID:1897697さん ありがとうございます)
2022/02/14 誤字訂正(ID:1907347さん ありがとうございます)
2022/08/03 誤字訂正(ID:1346548さん ありがとうございます)




