第7話 槇嶋-まきしま-⑴
ん?
叫び声が聞こえた。距離は離れている。しかも、1人ではなく複数人。大勢が一斉に叫ぶことはそうそうあることじゃない。あるとしたら、それは何かしらの異常が起きてるってことだ。
他にもある。俺は足元を見る。まさに今、微かな揺れに気づいたからだ。最初、地震かと思った。けど体が、違うぞ、と訴えてくる。それに、収まるかなと思ったらまた揺れが激しくなるという妙な波がある。床の振動は走っていることによって生じているもののようにも感じた。もしかして、走ってる? さっきのと合わせて考えると、複数人が走ってる?
屋外でもないのに、大勢が一斉に走ることなんてない。いや……まああるかもしれないけど、そう頻度のあることではない。それに、もし何かのイベントであるならら、チラシなり張り紙なりアナウンスなりで事前に知らせるはずだ。
『あれ?』受話器から聞こえてくる。『電波悪いのかな』
あっ。
「ああ、すいません。聞こえてます」
疑問はとりあえず胸の中にしまった。おそらく、スピーカーか何かから流れている音楽がたまたまロックか何かでそれが叫んでいるように聞こえただけだという、とりあえずの結論を出して。走ってるのは何か時間か人数限定のセールでもしているからというサブの結論も出して。
早乙女愛と中を歩き始めた途端、“電話をくれ”という内容のメールが届いた。何かあったのかもしれない。俺は仕方なく、トイレということで早乙女愛を置き、人気のないところを探した。見つけたのは、スタッフオンリーの扉前。ここに来るには遠くの方にある直角を曲がらなければならない。だから、人が来たら見えるし、扉が開けばすぐに声を小さくできる。そう思い、俺はここで電話をかけた。
『どう思います?』
「何とも言えないですね……」頬を掻く。「とりあえず状況を見てみないと」
『であれば、今夜会えますか?』
俺は腕時計を見る。「8時過ぎであれば」
『じゃあ、8時にいつものトコで』
「はい」
俺は電話を切って、大きな息を宙に吐く。ひとまずこれで安心だ。
用の済んだスマホをポケットにしまう。反対に、先程までの疑問が顔を出した。
やっぱ、変だよな……
タイミング的に、叫びと走りは全く別物というのは考えにくい。大人数が叫んで走るような事。しかも、屋内……あっ。
閃いた。閃いてしまった。
ま、まさか……火事、じゃないよな?
いやいや……そんなの……でも、叫んでいたのは燃えている火に一斉に気づいたからで、床が振動していたのはみんなが必死に逃げていたから。そう解釈すれば、一応の説明はついちゃう。そこまで極端な無理はない……
いやいやいや、大丈夫か俺。煙の臭いとかしてないじゃん。軽く横に振り、弾き飛ばすように否定する。けれど、なかなか逃げてくれない。こういうのは一度考え出しちゃうと、頭から離れな叶ってしまう。幽霊かもと思ったら、急に肝が冷えだすみたいな感覚と一緒で。
一応、逃げておくべきか。俺も今すぐ。俺はまたスマホを取り出す。とりあえず、早乙女愛に連絡を取ってみよう。スマホを操作し、耳につける。だが、応答はない。
なんで出ないんだ? プルプル音は聞こえてくるってことは、圏外ではないはず。繋がってはいるのに出ないということは……やっぱ何か起きてるのか?
嫌な疑念を断ち切るように俺は一度切って再度かけ直した。けど、出ない。で、また耳から外す。
その時、気付いた、叫び声も振動もなくなったことに。さっきまでの異常な騒音たちが嘘のように静か。ここまで静かだと不気味に感じる。
とりあえず、出よう。出て、さっき別れたところに行ってみよう。
俺は角に、早乙女愛と別れたところにとりあえず向かうことにした。上下が白と肌色の壁に沿って、メイン通路の方へ。段々と角が見えてくる。同時に、人の姿も見えた。
ホッと安心した。ちょうどいい。聞いてみよう。
「すいません」俺は駆け寄り、声を掛ける。
途端に、安心がなくなった。できなくなった。相手の振り返る勢いが素早かったからではない。双肩と左手で3つのダッフルバッグを背負い、覆面を被った男の人は、右手で明らかにおかしなものを持って構えていたからだ。実物を見たことはないけど、多分《《銃》》だ。弾が連続して何発も出る、ゲームや映画ではよく目にするやつだ。
「手ェ上げろ」
男の人がそう口にした。俺は口を真一文字にしたまま、静かに上げた。
相手は左手のバッグを床に置く。ドサっと中の物が揺れる重量感のある音が聞こえる。
「逃げなかったのか?」
「はい?」
「逃げろって言ったのに逃げなかったのか?」相手は声を上げる。
「いや……その……火事ですか?」
「は?」男の人は眉を上げる。
「は?」俺の眉も上がった。
しばし沈黙。混乱気味の頭で考え、俺は間の言葉を抜いてしまっていたことに気づく。言い直そうと、「じゃなくて、その……」と口に出すが、「まあ何でもいい」と男の人は言った。
「とにかく一緒に……」
ガンッ——鈍く重い金属音が鳴り響き、俺は思わず身をすくめ、目を瞑る。撃たれたかと一瞬思ったりしたけど、体に痛みはないから多分違う。
恐る恐る目を開ける。意識的には決してできないほどゆっくりと。男の人は目を見開いている。それに、何故か固まって動か……
瞬間、こちらにまっすぐ倒れてきた。
「おぉ!」
俺は即座に真横に避ける。こんなに俊敏に動けたのかよ、と自分でも驚くぐらいのスピードだった。相手はそのままピカピカの床に倒れ込んだ。手とかを全く使わず、無抵抗のまま顔からぶつかっていった。
な、何が起きた?
「どう?」
へ?
顔を上げると、別の男性がそこに立っていた。紫色の短い髪、両耳に3つずつつけているピアス、茶色のサングラス、ダメージジーンズに茶色い革製の上着の派手な男性。手には消火器を持っている。底が凹んでいる。
「怪我は?」
「あ、ありません……」
「なら良し」足元に消火器を置きながら、派手な男性は倒れた男の人の足元でしゃがむ。「じゃあ、頭、持ってもらっていい?」
「はい?」唐突のことに俺は聞き返した。
「だって、移動させなきゃで、しょっ」
派手な男性は力の抜けた両足を持った。
男の人と複数の荷物を近くにあった喫煙室の椅子に座らせておく。頭は傾き、腕はぶらんと重力に負け、足は開いたまま伸びてるけど、死んではいない。殴ったところは大きな瘤になってるだけで、血は出てない。それにさっき派手な男性が脈を測ってみたら、「うん、生きてるね」って言ったし。銃は奪って、近くの掃除道具入れにしまっておく。そこから出て、スライド式の扉に掃除道具内にあった紐っぽいやつを括り付けておく。これで中から外には出られない。
「これでよしっと」
手を叩くと、派手な男性は俺を見てきた。
「どうも初めまして。お湯に瓶で、湯瓶です」
手を前に出してきた。左手の人指し指と薬指にはめた銀の指輪が光る。
「ま、槇嶋です」手を重ねようと腕を伸ばす。が、耳に届いた轟音により、遮られる。
「何の音?」
それは、湯瓶さんも聞こえていたよう。ガガガガガ、という連続した金属音。時折、壁を擦るような這うような音も聞こえてきた。それに、先ほどよりも大きな振動が地面を揺らしてくる。
ようやく収まったかと思うと、電気が全て突然消えてしまう。広いところの天井から差してくる陽の光から微かに光がくる程度しかなくなってしまった。
「停電したね」
次から次に起きる予想外なことに俺の頭は完全に完璧に混乱していた。
ここで一体、何が起きてるんだよ……




