ギャオくんのちょっといい話
◎ウィンラードの街 ジンライ道場
「ここがそうか」
男が一人、道場の前に立っていた。
見た目は三十から四十の間くらいだろうか。銀の短髪で、整っている……とまではいかないが引き締まった精悍な顔をしており、それは熟練の戦士であると一目で分かる外見をした男だった。
「頼もうッ」
男は声を張り上げて、掛け声をかける。
「むう?」
だが声の返ってくる気配はない。それどころか、人のいる気配もない。
「出掛けているのか?」
時間はすでに夕方、夜にさしかかっている頃である。さきほどまで道場で修行をしていた弟子たちも、偶然ではあるがこの男とちょうど入れ替わる形で解散していた。
(まあ、あの人も冒険者であるのだから、いつもこちらにいなくても不思議ではないが)
男はそうは思うが、だが当てが外れたのは確かだ。であれば今日は宿に泊まり、明日にでももう一度訪ねるか、或いはギルドで行方を聞いてみようかと思案をしていると、
「あん、この家になんかようかあ?」
背後から声がかけられた。
「それは私に言っているのであろうか」
男は突然の声に戸惑いながらも、後ろを向いて声をかけてきた獣人に尋ねる。
「おう、そうだよ。その歩く好色老人ジンライ・ハーレム帝王様の御屋敷になんかようかい、お兄さん?」
プハーとアルコールの混じった息を吐く獣人に男は顔をしかめた。それは宮仕えの男にとって今までに接したことのないタイプの人物だった。
「ふむ。まあ、そうなのだが。貴方はこの道場の主と知り合いなのだろうか」
聞き捨てならない単語を口走る獣人に訝しげながらも男は尋ねる。対して獣人は「おうともよー」と返す。
「おれっちとあのハーレム様は一晩中でも語り明かす仲でっすよ。ちくしょうめ」
「そのハーレム様というのは?」
「あん? アンタ、この辺りの人じゃあないね」
ギャオが不審げな顔をする。
「あ、ああ。そうだが、何故だ?」
獣人の言葉に戸惑いながらも男は頷き、そして聞き返す。確かに男はここの出身ではないが、だが街の人間ではないと断言されるような真似をした覚えもない。
「だってよお。ハーレム爺と聞いてこの街でここの爺さんを思い浮かべないヤツなんてこの街にいるわけねえしよお」
獣人のその言葉に男が「ほお」と口にする。
「その話、少し聞かせていただいて良いだろうか?」
「良いよー酔いよー。うん、ちょっと長い話になるし、ちょっくらお酒ちゃんが必要だけど聴くかい?」
「ああ、今夜は私が奢ろう」
その言葉に獣人は大層喜び、男の背中を押しながらせっせと酒場に向かっていった。男はその様子に戸惑いながらも、ここに来た目的をどうやら果たせそうだと安堵した。
◎ウィンラードの街 ギルド隣接酒場
「そんじゃあお兄さん。おれっちの名はギャオってんだ。ここらじゃ鉄甲拳のギャオで通っている冒険者だよっ、チクショーめ」
「私の名はジライド・バーンズ。ジライドで良い」
獣人(まあ言うまでもなくギャオだったのだが)とジライドを名乗る男はテーブルに向き合って座り、ジョッキを片手自己紹介と挨拶を交わす。
「うんうん、ジライドさんね。バーンズ? はてどっかで聞いた気がするが、まあいいか。そんで聞きたいのはあの精力絶倫老人のことなんだよな?」
また名称が変わっている。
「ああ、そうだが。聞きたいのはその、ギャオ殿が言うとおりにあの人は複数の女性と付き合っていたりするのだろうか?」
その問いにギャオは「おいおい、信じられねえ」という顔でジライドを見る。
「そこからかよ。バッカだな。当たり前だろ。あんな良い女が一緒にいて何にもねえとか、ホントバッカだなアンタ」
「ぬう」
バカバカと連呼され、さすがに不機嫌になるジライドだがギャオの言葉は止まらない。
「いいか。よく聞けよ。あのジンライってじいさんはな、エルフで巨乳のルイーズさんを始め、お子様のカザネに弟子のユミカにお嬢様のティアラを相手に日々酒池肉林の日々を送ってるってえわけよ。そんでまあ、温泉・女・温泉・女・温泉・女・温泉・女と毎日毎日繰り返し繰り返ししてるわけだ。カーあやかりてえなあ」
ギャオは自分で口にしながら感極まったか、頭を抱えて叫んでいた。
「ルイーズ……だと? それはルイーズ・キャンサーのことだろうか」
その名に思わずジライドが反応する。
「おうよ、あの超イケてるルイーズさんだよ。おっぱいとかマジ揉みてえな。エルフなのになんであんなデカいんだろうな。なに詰まってるんだろうな。夢かな? 希望かな?」
「いや、脂肪ではないだろうか」
ジライドはそう言いながらも動揺は隠せなかった。
(ルイーズ・キャンサーがここに。ではまさか、あの話は事実だったというのか)
そう戦慄するジライドの心中を余所にギャオのトークは続いていく。
「ま、この間はツヴァーラの温泉街で豪遊してたってぇ話だぜ。そんで戻ってきてみればすぐまたコンラッドの奥地の秘湯でしっぽりして、それからまた今度は自分達で温泉掘ってよろしくやってんだぜ。なんだよ、それ。畜生! 勝ち組め! リア充め!!」
ギャオが一気にジョッキを飲み干した。
「俺なんかよお。オーガ退治で一躍有名になれたのはいいけどよお。メロウは最近冷たいしカザネのせいで浮気ヤローっていう悪名がついちまうしよお。メロウさんに悪いからーとか素気なく断られるんだよ。それどころかカザネさんに悪いからって断るのって何? 流行りなの? おれっちロリコンじゃねえよ」
だんだん愚痴になってくるギャオに今の言葉の中で気になった名の人物のことを尋ねる。
「カザネというのはその、ハーレムメンバーのだろうか?」
「うん、そうねえ。あいつはトンでもねえお子様よ」
「だがまだ子供なのだろう。それがハーレムのメンバーなどと」
ジライドがそう口にするがギャオがジョッキをガンとテーブルにおいて目を見開く。
「何言ってんのアンタ、カザネってのはすげえヤツよ。あんただってなー。あいつ前に立ったらきっと一声で膝ガクガクきちゃうぜ」
声だけで足腰が立たなくなる。その言葉にジライドの顔が赤くなる。
「そ、そうなのか。確かに私のようなつまらぬ男では、そうしたおなごの相手は務まらぬと思うが」
「どうだろな。あんたも中々いけっと思うが、だがあいつはものが違う。あんときゃ確か50体くらいだったかね。ヤツの一声でみんなイッちまった」
(子供相手に50人!?)
乱れている……そう、ジライドは思った。確かに男女ともに貞淑を良しとするハイヴァーンよりも他の国はそうした面に大らかだとは聞いていた。だが、それでも子供1人に50人の男どもが乱交パーティとは。あまりにも下劣な話ではないか。ジライドは憤った。そしてあるひとつの可能性に気付き、まさかと思いながらも尋ねてみる。
「その、父上もそこにいたのだろうか?」
「父上? うん? ああ、そうか。道理で見たことあると思ったらアンタ、あの爺さんの息子かぁ」
いやー似てる似てると笑うギャオにジライドは顔を近づけて迫り、繰り返し尋ねる。
「いたのか? いなかったのか?」
ないと思いたい。だがそう思うジライドの希望はあっけなく崩された。
「いたに決まってるだろうが。あの男こそ執拗に攻め立てて、何度も何度も突いては抜き突いては抜きで、昇天させまくってたっての」
(なんということだッ!)
ジライドは目の前が真っ暗になった気分だった。ちなみにオーガ討伐の話です。はい。
「爺のくせにえらいハッスルぶりだったぜ。正直、俺もあれにはたまげた。お前さんのオヤジは確かにそりゃあスゲエ爺さんだよ」
そのギャオの声はそのまま言葉の刃となってジライドを襲う。乱交パーティで大ハッスルする父親など褒められても嬉しくないのである。
「思えばあのヤロウのハーレムロードはあの頃から始まったんだろうな」
ギャオは当時のことを思い出し、そう呟いた。もっとも当時とは言ってもまだ三ヶ月くらいである。
「その……カザネというのと、それからずっと?」
「いや、最初はユミカを弟子にしたんだったか。まあちーと若いが張りのある乳だし良い身体してやがっからなあ。アイツも。いいなあ」
ちなみに弓花はギャオの好みの範疇だったりする。年齢がまだ足りないが、後数年したらネンゴロになりてえなあとか思ってたりする。
「後はティアラは……」
そしてギャオは続けてあの上品そうな少女を思い浮かべたが、あの少女を思う度に何故か『地雷』という単語が連想された。それは確か地面に設置する魔術の一種だったはずだ。
「まあいいか」
ギャオは思考を放棄した。
「そんで後はルイーズさんなぁ。ああ、揉みてえなあ。ホント揉みてえ。そういや冒険者仲間から聞いてたけど、その温泉を掘った場所で、なんでも孫と一緒にいたらしいんだよな、あの爺さん」
「孫?」
「それってあんたの子供ってこと?」
「いや、そんなハズはないが」
ジンライの子供は一人だけ。そして孫は二人いるが今はどちらもハイヴァーンにいて、昔から修業の旅をし続けていて現在はここに居着いているジンライとはあまり会ったこともない。
「じゃあ、そこにルイーズさんもいたらしいし、もしかすると二人の孫だったりすんのかなあ。エルフだし、きっと随分前から揉んでたんだろうな、おっぱい。いいなあ、おっぱい」
少しおっぱいおっぱい言い過ぎである。
「……なるほど。今に始まったわけではなかった……ということか」
ジライドはイスに力なくもたれ掛かり「ハハハハハ」と笑いながら涙を流す。鬼の霍乱という言葉もある。或いはなんらしかの心の病にでも冒されたかとも思ったが、違ったらしい。
慕っていた父は今ここで死んだ。いや、そもそも最初からそんな人はいなかったのかもしれない。貞淑な母を騙し、裏であのルイーズという女と通じていたのではもはや言い逃れもできまい。
「そうか。そうだな」
(終わりだ……あの男とは)
もはや父などとは呼ぶまい。外から聞こえる心ない噂に耐える母の力になろうと、そう考えて噂の真相を確かめにきた自分がこれほど惨めで滑稽な気持ちになろうとは思いもしなかった。父の噂などただの間違いだと笑って帰ってこれると信じていたのだ。
(それを私は……今まであんな男を信じていたとは、本当に愚かしい)
そうジライドは後悔する。そして、これまでの自分の人生からあの男を抹消しよう。そう、この場で決めた。
「うんうん、なんだかすっきりしたみたいだな」
ギャオがそう口にする。顔を持ち上げたジライドからはもう迷いは消えていた。
「ああ、なんだか吹っ切れたようだ。ありがとう、ギャオとやら。お前のおかげで色々と私も整理がついた」
「ならいいんだけどよ。まあ、おれっちもあんたの役に立てたんなら嬉しいぜ」
と、ギャオは心底嬉しそうに言い返す。ギャオの価値観からすればハーレム=男の夢だ。これはギャオ……というか獣人族の男によく見られる傾向で本人にも悪気はない。ギャオは心底ジンライを羨み、また認めてもいた。故にきっと目の前の男も自分の父親の偉業を知り納得したのだろうと見当違いの誤解をしていたのだ。まあ、酔っぱらいだから、というのもあるが。
「ギャオよ。父……いや、ジンライ・バーンズが戻ってきたら伝えてほしい」
「おう、なーんでも伝えちゃうよ」
ギャオはドーンと自分の胸をたたく。
「では、『私はもはや自分を貴方の息子だとは思わない。再びバーンズ家の門をくぐろうものならば私はバーンズ家の長として貴方に引導を渡す』……と、そう伝えてほしい」
「ふんふん」
ギャオは「爺さんの息子・ジライド来た。お家に戻るとい…?もの渡す」とメモすると「オッケー」と言って親指を立てた。
「よろしく頼む」
そう言ってジライドはここまでの勘定分の硬貨をテーブルの上に置くとギャオに別れの挨拶をして、酒場を出ていったのだ。
「ヒック」
そしてギャオは再び酒を飲み始める。さっきの男誰だったっけ?と思ったが、メモを読み返して「ああ、息子だ。息子」と思い出して満足し、そのまま酔いつぶれた。




