第三百四十三話 躾をしよう
「「「グォォォオオオオオオオオオオオオ!!」」」
叫び声が響きわたる。
その声は人間の本能の奥底にある根源的な感情を呼び覚ますようであった。
その感情とは即ち『恐怖』。
この探査室はマイティーも悠々と入れるぐらいにそこそこの面積はある。それはゴーレムなどの大型のものも調べられるようにしたということと、単純にアガトが望む精度の高い探査の術式の魔法陣の構築にそれだけの広さが必要だったということもあった。
だが、それでもその軍団が顕現するには十分だとは言えない。彼らは全員が3メートルを越す巨体であり、中でもその中心にいる魔物は4メートル以上の体格だ。
それが、突如としてその部屋に現れたのである。
「ひゃあああああああッ!?」
腐っても魔具工房の長であるアガトではあるが、さすがにこの近距離で、オーガの、それもダークオーガと便宜上風音が付けた進化したオーガたちの群れを前にしては叫ばざるを得なかった。
寧ろ、発せられたオーガのスキル『フィアボイス』に耐えられただけでも見事であると言えるだろう。風音たちは気付いていないが、工房員の何割かが最初の叫びで意識を失っていた。
だが、そんな『外』の状況を、今の風音たちが知るすべはなかった。なぜならば、そこは既に外とは隔絶された異界の中であったのだ。
それは『浸食結界』という、ナーガの『霧の結界』と同質のモノ。風音曰くボス空間がそこには広がっていた。
そう、探査室の中はすでに別の世界となっていた。オーガたちの闘気が部屋全体を歪めて広げ、そしてその造形をも禍々しく変質させていた。壁は遠く離れ、全体がドームのように変異している。
そして壁や床は今や黒く染められた肉と臓物、それらを囲うように無数の骨と太く赤い血管が絡み合う、何かの体内のような空間へと変貌していたのだった。
「これは……浸食結界が張られたのか」
唖然とするアガトに、風音も驚きの顔で周囲を見渡す。だが風音の驚きはアガトとは異なる思いによるもの。
「これ……街に被害が出ないように、結界を張ったの?」
その風音の問いに、狂い鬼が「グルゥ」と唸って笑う。
そのうなり声の意味は「これなら主も存分にやれるだろう」という狂い鬼の心遣いが込められていた。最初に比べれば随分となつかれたと言えるし、いわゆるデレ期に入ってきたのであろう。その傾向は風音の魔王宣言以降、徐々に高まっていた。
『まったくボスの実力を疑うとはトンでもないバカどもばかりですが、まあ、ボスの手に掛かればこいつらなんざ一捻りでしょう。軽く準備運動でもすると思って相手をしてやってはくれませんかね。あ、俺も』
狂い鬼の思考を読む限り、大体そんなことを考えているようだった。「あ、俺も」じゃないと風音は思ったが、狂い鬼がこうした状況でおとなしくしているわけもなく、風音は「ぐぬぬ」と唸りながら、覚悟を決めるしかなかった。
「まさか、ここで強制イベントとかね」
ため息を吐いてから風音はアガトに視線を送る。
「アガトさん、下がってて」
「え、このオーガの群れを相手にするんですか?」
アガトの驚きももっともだが、しかしここは応対せねば死ぬ場面だ。召喚体との共存には常にこうした危険が伴う。それは召喚師にとっては周知の事実である。
そして、風音はドラグホーントンファーをアイテムボックスから取り出し、全身を黒い炎で覆い尽くした。そしてその炎が消えたとき、赤いラインの入った黒い軽装鎧に身を包んだ風音の姿があったのである。
それは『武具創造:黒炎』による黒炎装備。『竜喰らいし鬼軍の鎧』に比べれば心許ないものだが、今はその鎧の中身が相手である。気にしていても仕方がない。
そして臨戦形態になった風音を見て、アガトも恐る恐る後ろへと下がった。
24体からなる黒いオーガの群れ。如何に鬼殺し姫と名付けられた冒険者といえど無謀過ぎるとアガトは思う。だが、風音は臆することなく仁王立ちで狂い鬼たちを見た。
「お灸を据えてやるッ!」
数の上で既に不利である。故にまずは減らそうと、風音は一気に勝負に出た。
「最初からのッメガビーム!!」
そして初っ端からの容赦のない無慈悲な一撃が風音の瞳から発せられる。マッドスパイダーを蒸発させたその一撃がダークオーガの群れに直撃したのだ。
しかし狂い鬼はその風音の思考を理解していた。そして狂い鬼の指示により、恐れを知らぬダークオーガの肉の壁が正面に立っていたのだ。
(潰しにきた。けどッ!!)
風音はメガビームを横に一閃せず、正面のダークオーガたちに放射し続ける。そして黒い鬼たちが光の奔流に包まれる。
「グァアアアア!!」
「ガハァアアアッ!?」
鬼たちの叫び声が響きわたる。その光撃には如何に黒岩竜の因子を持つオーガたちとはいえ、保つわけがないのだ。しかし、最初からそれに耐えるつもりで守りを固めたダークオーガたちは硬かった。
「くっ!?」
そして4体目までのダークオーガを消失させたところで、メガビームが先に消失してしまったのである。
撃破数は4体。5体目も瀕死のようだが、だがまだ動いている。それが風音の最大攻撃の成果だった。肉の壁に阻まれた結果、予想以上に倒せた数が少なかった。そして、狂い鬼はその隙を逃さず、後ろに控えさせていた仲間たちに突撃を指示する。
「ちっ、スキル・ワイヤーカッター!!」
特攻するダークオーガたちに向かって風音はアラクネワイヤードのスキルを放つ。細く鋭い糸がダークオーガを切り裂くが、だが致命傷には至らない。やはり黒岩竜の因子による防御力強化は強力に働いているようだった。
「だったら、スパイダーウェブはッ!」
風音は続けて蜘蛛の糸をダークオーガたちに浴びせると、それは効果があったようで、集まっていたダークオーガが団子のようになって転げた。そして動きが止まったダークオーガに今度は風音が特攻する。
「グォッ!?」
「遅いよッ」
ファイアブーストで加速させたトンファーの一撃にダークオーガが吹き飛び、キリングレッグの蹴りの一撃がさらに襲いかかる鬼の頭部に当たり、首の骨を粉砕する。
「ガァアア!」
だが仲間のダメージをも足止めに使い、ダークオーガの一体が風音の腕に掴みかかった。体格差を考えれば絶体絶命。しかし、
「ふんっ」
逆に風音の手がダークオーガの腕をひねりあげ、そのまま力任せに腕を折るという荒技を見せる。スキル『猿の剛腕』に強化された風音の腕力はダークオーガにも匹敵する。無理矢理掴んだ程度ならば逆に反撃することも容易い。
もっとも風音はその腕を折ったオーガにトドメを刺す間もなく、上空から狂い鬼が突進してくるのを『犬の嗅覚』と『直感』で察知する。
「それは甘いッ」
風音はそう口にすると天使化を発動させて翼を広げて空へと舞い上がる。
それを見て狂い鬼は笑う。狂い鬼にしてみれば配下のオーガたちが風音に太刀打ちできるとは考えてもいない。狂い鬼は風音と戦えればそれで満足であった。
だが、攻め方が不味かった。狂い鬼の空からの奇襲は翼が生えたためにいつもと違う方法で攻めてみたに過ぎない。しかし、それは完全な失策だった。未だ空中戦闘の経験の浅い狂い鬼が、常に空中でのコンボを決めにかかる戦いをしている風音に勝てるわけがない。その事実を狂い鬼はこれからその身で知ることとなる。
「グッ、ガァアア!?」
そして狂い鬼は驚愕する。
翼による空中移動に、スキル『空中跳び』『ブースター』とスペル『ファイアブースト』による変則的な機動、それを易々と可能にしてしまう『直感』と『身軽』によって、風音は次々と狂い鬼にトンファーと蹴りを決め、対して狂い鬼は慣れぬ空中での戦闘に戸惑い、地に足が着いていないから踏ん張ることも出来ない。さらには『マテリアルシールド』による牽制により、狂い鬼は自身の動きも封じられ、わずかな攻撃のチャンスも潰されてしまう。
狂い鬼は、風音に対して空中戦を挑む愚を犯した自分に歯噛みする。間に挟まれる『スパイダーウェブ』にも体の自由を奪われた狂い鬼は、なぶり尽くされ、風音の空中10連コンボにより、全身を殴打され尽くし、そのまま『キックの悪魔』のコンボ増幅により攻撃力がマックスになったカカト落としを食らわされて、地面へと叩きつけられた。
「ガハァアアッ!?」
どうにか頭部直撃は避けた狂い鬼だったが、左の肩甲骨から下は抉れたように潰れている。叩きつけられた際に全身の骨も砕けたようだ。まさか実力をまるで発揮できぬまま、ここまで一方的に叩きのめされるとは狂い鬼も思ってもいなかったが、その後悔はすでに遅い。
だが息はまだある。蓄積されたダメージにより動くことが出来ないが、狂い鬼にも再生能力はあった。まだ戦えると狂い鬼はゆっくりと立ち上がろうとするが、彼の主はそれを許すほどの甘さはなかった。
そして風音はそのまま空へと上昇する。
すでに浸食結界によりドーム状に広がった空間に風音を遮るものなど存在していなかった。さらに言えば、狂い鬼が倒れた今、空中にいる風音に有効な攻撃を加えられるモノは存在しない。
呆然と空を見上げるダークオーガたちに対し、風音は魔王の威圧によって彼らの自由を奪う。突如として受けた強力な威圧、そして一緒に放たれたスキル『タイガーアイ』によりダークオーガの何割かは金縛りとなり、その場で固まってしまう。すべての下準備を終えた風音は当然の如く天よりカザネバズーカ・テラバスターを見舞うのであった。
そして、風音のスキルとスペルを複合させて繰り出す強力無比な一撃が、狂い鬼を中心としたダークオーガに突き刺さる。
実のところカザネバズーカは基本的には威力こそでかいが、見れば軌道は読めて避けるのはたやすい。故に今回の攻撃もほぼ瀕死であった狂い鬼や金縛りを受けた狂い鬼の近くにいたダークオーガだけが直撃を食らい、大急ぎで後退した者たちも何体かは巻き込まれたが、逃げることには成功していた。
だが、逃げきれたダークオーガたちもその光景を見て戦慄せざるを得なかった。風音の一撃でバラバラになった狂い鬼の、仲間たちの姿を見て、そこに出来上がったクレーターの巨大さを見て、ダークオーガたちは自分たちの犯した間違いに気付いたのだ。アレには逆らうべきではなかったのだと。
『グォォオオオオオオオオオ!!!』
だが地上に降り立ったチンチクリンは、止まらなかった。躾は最初が肝心だ。どちらが上であるかをここで叩き込もうとトドメに入る。
そして、土煙上がる中から突如として咆哮が響き渡り、中から巨大な黄金の剣が飛び出してきた。それはそのまま、ダークオーガたちへと振るわれ、黄金の光が斬撃となって放たれたのだ。
その黄金の光に切り裂かれ、或いは吹き飛ばされたオーガたちだったが、しかし真に驚愕するのはここから先であった。前に現れたのは7メートルを超える、真白い鳥の翼と虹色の水晶を身体の節々に生やした青い竜。魔物たちのヒエラルキーにおいて最強の種族が目の前に現れる。
もはや、勝敗は決した。オーガたちの戦意は喪失したが、天使化した竜となった風音はさらなる猛威を振るった。
クリスタルブレスでオーガを水晶漬けにし、召喚剣『黄金の黄昏』を振るって切り裂き、『より頑丈な歯』で噛み砕いて、瞬く間にダークオーガを蹂躙し尽くしたのだ。
そして風音が最後のオーガを噛み砕き、その命を絶って咆哮すると、空間にひびが入り、そして浸食結界がガラガラと崩れ、解かれていった。
しかし、風音にとっての本当の試練はここからだったのである。
「あがーーー!?」
「これは……」
竜体化を解いた風音とアガトの目の前に現れたのは、瓦礫の山となった探査室であった。メガビームやカザネバズーカ、そしてクリスタルブレスや『黄金の黄昏』の斬撃などの一撃を結界は吸収しきれていなかったのである。
結果として浸食結界と同化していた探査室は崩壊し、マジリア魔具工房全体も破壊されかかっていた。
そして風音のここ最近の報酬の一切合切は、マジリア魔具工房の修理費となって消えたのであった。
名前:由比浜 風音
職業:召喚闘士
称号:オーガキラー・ドラゴンスレイヤー・ハイビーストサモナー・リア王・解放者
装備:子供用お洋服・カボチャパンツ・不思議なポーチ・紅の聖柩・英霊召喚の指輪・叡智のサークレット・アイムの腕輪・蓄魔器・白蓄魔器・虹のネックレス・虹竜の指輪・天使の腕輪
レベル:38
体力:152
魔力:340+420
筋力:72
俊敏力:78
持久力:43
知力:75
器用さ:51
スペル:『フライ』『トーチ』『ファイア』『ヒール』『ファイアストーム』『ヒーラーレイ』『ハイヒール』『黄金の黄昏[竜専用]』『ミラーシールド』『ラビットスピード』『フレアミラージュ』
スキル:『キックの悪魔』『戦士の記憶:Lv2』『夜目』『噛み殺す一撃』『犬の嗅覚:Lv2』『ゴーレムメーカー:Lv4』『イージスシールド』『炎の理:三章』『癒しの理:四章』『空中跳び:Lv2』『キリングレッグ:Lv3』『フィアボイス』『インビジブル』『タイガーアイ』『壁歩き』『直感:Lv2』『致命の救済』『身軽』『チャージ』『マテリアルシールド:Lv2』『情報連携:Lv2』『光学迷彩』『吸血剣』『ハイ・ダッシュ』『竜体化:Lv2[竜系統]』『リジェネレイト』『魂を砕く刃』『そっと乗せる手』『サンダーチャリオット:Lv2』『より頑丈な歯:Lv2[竜系統]』『水晶化:Lv2[竜系統]』『魔王の威圧』『ストーンミノタウロス:Lv2』『メガビーム:Lv2』『空間拡張』『偽銀生成』『毒爪』『炎球[竜系統]』『キューティクル[竜系統]』『武具創造:黒炎』『食材の目利き:Lv2』『ドラゴンフェロモン[竜系統]』『ブースト』『猿の剛腕』『二刀流』『オッパイプラス』『リビングアーマー』『アラーム』『六刀流』『精神攻撃完全防御』『スパイダーウェブ』『ワイヤーカッター』
弓花「まあ、狂い鬼が日和った……じゃなくて、デレ期で被害が少なかったと思うべきなのかな、これは?」
風音「……(土下座中)」
ゆっこ姉「普通なら投獄なんだけど、称号持ちってこういう点で融通が効くからね。お金だけで済んで良かったわね」
風音「……(土下座中)」




