バーンズ兄妹の日常
◎ハイヴァーン 北の地 エルゴスの森
「エミリィ。お前、だから早く仕掛けろッて言ってんのに」
「ごっめーん兄さん」
「グウルァアアアアアア」
メキメキと木々の倒れる音がこのエルゴスの森を木霊している。
そして元気の良さそうな若い男女の声とそれを追う何かの咆哮も響きわたる。その声の主はバルーアリザードという巨大トカゲの一種だ。特に特殊な攻撃はないが、体が大きく、力が強く、皮膚が硬くとそれなりに強力な魔物が少年と少女を追いかけていた。
森の木々に邪魔され思うようにバルーアリザードは速度が出ないが距離は徐々に縮まっていっている。そして少年は後ろを見ながら距離が狭まりつつある状況を確認すると少女に声をかけた。
「いいか。俺が止めておく。だからお前はちゃんと仕留めろ」
「ラジャッ」
まるで反省のない明るい声を出す少女に舌打ちしたくなる気持ちを抑えて少年は懐から黒い玉を取り出す。
「高いんだけどな、これ」
そう言いながら少年は黒い玉を投げつける。そしてその玉はバルーアリザードの鼻先まで来たところで爆発した。それはファイアの魔術が込められた魔法具だった。
「ギュァアッ!?」
バルーアリザードが突然の攻撃にその場で転倒しのたうち回る。少女はその隙に走り去り、少年は背中にある二本の内の細長い投擲用の槍の方を取り出しバルーアリザードに対して構える。
(あの突進じゃあ激突されたら終わりだけどよ。止めちまえばまだやりようはある)
そう考えながら少年はグッと槍を投げる体勢に入る。それを見たバルーアリザードが鼻先の傷を気にしながら少年に向かって走り出そうとするが、だが少年の攻撃の方が若干早い。
「雷神槍!」
少年は父親から教えられた雷を纏った槍を勢いよく投擲した。それはバルーアリザードの胸元にグサッと刺さり、堪らずバルーアリザードが悲鳴を上げる。だがすぐに悲鳴は止み、身体も踏みとどまり、敵意に満ちた視線を少年に向ける。
(場所も悪いし威力も中途半端。親父のようにはいかねーか)
敬愛する父親のことを考えながら、少年は己の未熟を恥じる。だが、それは一瞬。今は目の前の敵を倒さなければならない。少年は背中に差したもう一本の槍を取り出して構える。
これは祖父の破壊された槍を修復して再生させたもので竜骨槍という強力な武器だ。竜気という竜独自の力が込められており、実体のない魔物にすらダメージを与えることが可能なものだ。
自分には過ぎたものだが冒険者として旅立つ際に祖父が自ら手渡してくれたものだ。以来、会っていないが少年はその祖父を尊敬している。
「うぉぉおおお!!」
そして少年はバルーアリザードに飛びかかり、ラッシュを見舞う。あまりに鋭い突きの連続にバルーアリザードも溜まらず悲鳴を上げるが、そのまま一回転して尻尾を振るった。
「アブねぇ」
少年はそれをしゃがんでかわすが、だが続いての後ろ足での攻撃はかわせない。とっさに槍を構えて直撃は防げたが、その蹴りの威力に少年は吹き飛び、背後にあった大木に背中からぶち当たった。
「ぐあっ」
「グルウウウァアアアアアア!!!」
バルーアリザードがそれを見て走り出す。口を大きく開けている。そのままひと飲みするつもりだろう。
「エミリィ!」
少年の必死の声に「はーい」と言葉が返ってきて、バルーアリザードの口に風を纏った矢が突き刺さる。そして魔物のノドをその貫通し即死させる。
「相変わらずおっかねえ」
少年は50メートルは後方にいる少女に思わず身震いする。妹エミリィ・バーンズの魔道弓は魔法剣士と同様に魔術を装填し指向性を持たせることで魔術の威力を増大させる武器だ。元より魔力の高い妹だったがハイヴァーンの騎士となるために魔術師ではなく魔道弓使いという道を撰んだ。
そしてエミリィの兄である少年ライル・バーンズは槍使い。牙の槍兵と呼ばれる今現在も現役の高名な冒険者を祖父に持ち、上級騎士にしてハイヴァーンの将軍を務める父を持つ少年だ。ライルとエミリィは3年前にエミリィの教育学校を卒業した後、冒険者として独り立ちすることとなった。これはこの大陸の所謂武闘派の上流階級の家にはよくある習わしだ。
学校卒業後に騎士団にそのまま入団する道もあるが、実際に実力のある子供であれば冒険者となって二十歳までに武勇を上げて箔を付け、然る後に騎士団に入った方が良いとされている。もっとも冒険者暮らしを気に入って、そのまま家に帰らないなんてこともないわけではないのだが。
そして今ライルとエミリィのバーンズ兄妹はハイヴァーンの北にあるエルゴスの森でクエストを行なっている真っ最中だった。
「ええと。バルバルトンボのハネに、リンバ蝶の鱗粉に、このバルーアリザードの胃袋で依頼は完了だっけ?」
エミリィがリュックサックの中を確認しながら尋ねる。
「そうだけど。この胃袋くっせえなあ」
「あ、半径3メートル以内に近づかないでね兄さん」
「ひでえな。お前」
「だって、臭いが残っちゃったらナオキに嫌われるかもしれないじゃない」
「あいつはそんなことで嫌ったりしねえだろうよ」
「でもちょっと臭いが残ってたらやっぱり気にするかしれないし。シーラなんかナオキがいるときに限ってミルディナの香水なんて使っちゃってるんだよ。もう狙ってますよーってバレバレだってのにさー」
そう頬を膨らませる妹に兄は苦笑する。いくら認めた相手だからといって、妹が意中の男の子の話ばかりでは兄としては嫉妬してしまう。
「まあな。けど、今なにやってんのかなナオキのやつ」
「うーん。まさか女王様に惚れられちゃって帰ってこれないーとかないわよね?」
妹の心配にライルは苦笑する。
「心配しすぎ。相手は40の子持ちの人だぞ。そりゃ結構美人なのは確かみたいだけどよ」
「うー、兄さんのスケベ」
「今の言葉にどこがスケベな要素があったよ。オイ」
ライルがそう非難の言葉をあげるがエミリィは、そんなことお構いなしに自分の想像を働かせる。
「ナオキ、カッコいいんだから子持ちだって好きになっちゃうかもしれないでしょ。王子様だってナオキがパパだったらって思っちゃうかもしれないじゃない」
(まあないとはいえないが)
宿屋の女将さんなんかもナオキに対してどこか親しく接している気がする。あの年相応ではないナオキの雰囲気が年上の女性にはかわいいと人気があるらしい。面倒見もよく子供にも好かれる性格だ。
「それにあっちにゃタラシのオーガンだっているのよ。悪い女にひっかかったりしてないかな。あーもう、やっぱりわたしも行けば良かった」
「キー!」となってる妹を余所にライルはテキパキと素材を仕舞い、帰りの準備を進めている。
彼らの話の中心になっているナオキという人物は少し前までライルたちとパーティを組んでいた少年の名だ。二年前に出会って以来ずっと一緒で、強く、優しく、時には厳しく、ライルも親友だライバルだと口では張り合うが「勝てねえな」と思わせるような、ナオキとはそんな少年だった。妹のエミリィもナオキにベタ惚れでライルも「だったら付き合っちゃえよ」と思うのだが、しかしナオキには思い人がいるらしいとふたりはナオキの雰囲気からどことなく察していた。エミリィは自分の存在がナオキの中でその相手ほどには強くはないと感じて二の足を踏んでいるようだった。
そのナオキだが彼は二年前以前にどういう理由か故郷からこのハイヴァーンに飛ばされたらしいのだ。帰る方法をずっと探してるらしいが、このハイヴァーンを出ることも少なく、バーンズ兄妹も事情を簡単には聞いていたがどういうことかよく分からなかった。そして一ヶ月と半月前「知り合いが見つかったかもしれない」と言ってナオキはハイヴァーンから離れたミンシアナ王国へと旅立っていった。
ライルとエミリィも一緒に行くつもりだったが、個人的なことだからとナオキはひとりでいくことを固持したのだ。どうやら長期に国を離れる可能性があったので兄妹の両親に遠慮したからのようだったが、見送ったことをライルもエミリィも後悔していた。やはりナオキがいないと締まらないのだ。心情的な部分だけでなく実際にクエストもワンランク下のモノを受けることが多くなったし、やはり他のギルドの連中にもナオキなしでは信用というものが足りてないように感じる。
「早く帰ってこないかなナオキ」
ナオキは目的が果たせれば帰ってくると言っていた。だが一ヶ月半経ってもまだ帰ってこない。難航しているのかも知れないし、何かトラブルに巻き込まれている可能性もある。
「だなぁ」
ライルもエミリィの言葉に同意する。
「けどこうしてみると俺らはナオキに頼りすぎだったのかもしれねえな」
二人でクエストをこなすとどこか無理が生じる。ナオキがいないことが負担になっている。それはつまり、今までナオキがその負担を補なっていたということだろう。
「うん。そうかもね」
それにはエミリィも頷いた。
「あいつが帰ってくるまでに俺らもやれることやんなきゃな」
「うん。ナオキが帰ったらうーんと驚くくらいにね」
そう言いあって兄妹は笑いあう。
そして魔物から手に入れた素材の整理がついた二人はそれぞれ荷物を背負い、帰路につくこととなった。
◎オルボアの街 冒険者ギルド隣接酒場
「うーん。クエスト報酬よりもバルーアリザードの皮の方がいい金になっちゃったかぁ」
「ちょうど良い位置を射抜けたからな。状態も良かったしフラムさんも喜んでたぜ」
フラムとはオルボアの街の冒険者ギルドの受付嬢の名である。そしてライルの言葉に「鼻の下伸ばしてるのバレバレだったよ」とエミリィがいうと「マジかよ」とライルが返す。反論しないところを見ると自覚があったようだった。
「ま、気持ちが伝わるならいいさ」
「無理めだけどね」
妹の兄への評価は厳しい。ルックスは悪くないが兄は未だにガキ臭い部分があって女性にモテそうもないタイプだとエミリィは考えている。無論ナオキ基準である。
「でも魔鋼の矢の補充も必要だしここでお金が多く入ったのは運が良かったと思うよ」
「だなあ。俺もそろそろ装備もくたびれてきたし、代え時だしなぁ」
ライルとエミリィがそんなことを話しながら、冒険者ギルドの隣りにある酒場へと入っていくと、冒険者たちがワイワイと話している最中だった。
「なんだろ?」
「大闘技会じゃないか? ようやく開催したって話だしな」
エミリィの疑問にライルがそう答える。ライルはまずはメシだといって空いているテーブルに向かっていく。
エミリィが話の内容をよくよく聞いてみると確かに冒険者たちは大闘技会のことを話していた。なんでも今大会は強豪が少ないだの、だったら俺が出てもいいとこいったんじゃねえ?だの、常勝召喚師カルティや今話題の鬼殺し姫のことなど次々と話題が入れ替わっていた。
「ふーん」
「面白い話でもしてたか」
まだ興味深そうに話をしている連中を見ているエミリィに、先に席に座ったライルが尋ねる。
「ほら、最近話題の鬼殺し姫、なんか大闘技会に出てるらしいよ」
「マジかよ。つーかホントに実在してたんだな」
二人が話している鬼殺し姫とはここ最近急に話題にあがり始めたニュービーの冒険者のことだ。オーガをひと蹴りで殺すだの盗賊団を皆殺しにしただの守護獣を殴り殺しただの血生臭い話題が尽きないが、他にも穴を掘るとお湯が出てくるだの、洞窟内を馬で爆走してるだのワケの分からん話まで上がっている。
「うーん、そうなるとお爺さまも一緒に来てるのかしらね」
「噂通りならな」
バーンズ兄妹にとってその鬼殺し姫が他人事にはできないのは、鬼殺し姫が率いているとされる白き一団というパーティに彼らの祖父である牙の槍兵ジンライ・バーンズもいるという噂があるからである。もっとも最近は女の子だらけのハーレムパーティを率いているなどという噂も広がっていてどうも誰かの恨みでも買ってデマを流されてるんじゃないかと二人は考えていた。いくら祖父が強者を求めていると知ってはいても、そこまで凶悪な人物と共に旅ができるとは思えないからだ。
「しっかしどんな連中なんだろうなぁ」
「とんでもない化け物女なんでしょうね。ほら、ドア磨かせるぞ〜とかもあったっけ」
エミリィのその言葉にライルがビクッとして、周囲を見渡して誰も反応してないのを確認してから小声で妹に注意を促す。
「おい、それあんま口にするなよ。アウターの連中、マジで神経質になってるんだからさ」
「分かってるってば」
そう言ってから「ビビリー」と呟くエミリィにライルが眉をひそめて「まったく」と言う。
「おいっ」
そんな兄妹に突然声がかかったものだから二人ともビクッと声の方を向いた。
「なんだよ?」
そこにいたのは馴染みの冒険者のヨークだった。二人の反応にややビビり気味である。
「脅かさないでよ」
「お前の顔、ヤベーんだから」
その二人の言葉にヨークは心外そうな顔をする。強面であることは冒険者としては有利なことだが、根が優しいヨークには負担でもあった。
「傷つくこと言うなよな。せっかくナオキの話を持ってきてやったってのによ」
「本当か?」「本当?」
ヨークの言葉に兄妹が同時に顔をつきだした。そのリアクションにヨークは驚きながらも知っていることを話し始める。
「お、おう。なんでも大闘技会に出場してたらしいんだよ」
その言葉にライルが「マジかよ」という顔をした。リザレクトの街の大闘技会は延期にさえなっていなければ今年は三人とも出場するつもりだったのだ。だがミンシアナとソルダードの戦争の話が続き、大会は開催時期が未定となり出場を諦めざるを得なかった。
「なんだよ。俺も誘ってくれりゃあいいのによ」
ヨークはそりゃムチャだろという顔をした。この世界の伝達技術はそれほど発展してはいない。飛竜便や魔術による伝達などもあるが、民間に浸透するほど広まってはいないので当然ライルへの連絡など大会開催中に届くとも限らない。
「もしかして優勝しちゃったりとかしたの?」
エミリィが少し興奮した顔で尋ねるが、ヨークは首を横に振る。
「いや本選二日目で負けちまったらしい」
そうヨークが口にすると兄妹は肩を落とした。その落胆する兄妹にヨークは「けどな」とフォローを入れる。
「まあ相手が準優勝のヤツだったらしくてな。なんでも斧魔神も一蹴しちまうような相手だってんだ。ナオキはそいつ相手に随分と奮闘したってえ話だぜ」
ライルはその言葉に顔を上げる。
「そっか。じゃあ仕方ねえな」
斧魔神とはジャカル共和国付近で活動している冒険者だが、リザレクトの大闘技会の常連選手でもある。ライルもその斧技を見たことがあるが、その凶悪な斧捌きはどうやっても防げそうにないと思ったものだった。確かにそんな猛者を軽く倒してしまう相手ではナオキでも相手にするのは難しいだろう。
「でもナオキ、落ちこんでるんじゃないかな」
エミリィが心配そうにそう口にする。
「あいつも根が負けず嫌いだからな」
ライルも妹の言葉に頷いた。ナオキは才能にあぐらをかかず努力家でもあった。そして自分の至らぬところを見つけるとともかく乗り越えるか、何かしらで補うかと自分の壁を乗り越える。だが落ち込むことは落ち込むし、結構後に引くのだ。
「帰ってきたら慰めてあげなきゃね」
「そうだなあ」
妹のナオキへの心配と自分の望みが混ざった言葉にライルも軽く同意だけする。そっとしておく方が良いこともあるのだがナオキならばスルーするよりは腹を割って話した方が良い気がしたのだ。
「うーん。兄さん、ナオキが戻ってきたってことは、わたしたちもいったん首都に戻った方が良くない?」
「だな。親父と顔を合わせるのはちょっとコエエけどな」
エミリィの意見にライルも頷きながら、そう応える。
「なんだよ。行っちまうのか?」
それをヨークが寂しそうな顔で見ているが、だがライルとエミリィの気持ちが変わらないであろうことも理解している。やはり三人そろってこそのこいつらなんだとヨークは分かってる。「ごめんね」「ああ、いくわ」と兄妹はヨークに返すとヨークは仕方ねえなあという顔をした。
「ま、アイツにあったらよろしく言っといてくれよ」
だからヨークはそう口にしてみれば兄妹たちも「おうよ」「任せて」と言って、来たばかりの酒場を走って出ていってしまった。
そしてその後ろ姿が見えなくなってからヨークは「あっ」と声を上げた。
「そういえば言うの忘れてたな。ナオキが鬼殺し姫といっしょにいるかもしれないってことを」
もっともヨークもそれがただの噂だろうとは思っていたので、大して気にも留めていなかったし、そのまま「まあいいか」と言って再び話題の盛り上がってる席へと戻っていった。彼は彼でこれから急ぎの仕事がある。あまりのんびりもしていられないのだ。
そうしてライルとエミリィのバーンズ兄妹はハイヴァーン首都へと向かうことを決めた。しかし彼らはまだ知らない。ナオキと再会する……ということが如何なる意味を持っているのかを。
それは祖父との再会、鬼殺し姫との出会い、或いは父と祖父の、祖母と祖父の争いに巻き込まれるかも知れないということを、このときのふたりはまだなにも知らなかったのである。




