アフターデイズ編 新人教育1
「なんということだ。カザネコテージが出ないだと!?」
夜の闇の中で、男の激昂した声が響き渡った。
その問いに今は十代半ばにまで若返っているジンライが「当たり前だろう」と呆れた顔で返す。この場に風音はいないのだから、当然カザネコテージなど出せるわけもない。その当たり前の話に気付けない男に対してジンライがそのような反応を示すのは当然であった。
対して憮然とした顔をしながら焚き火を挟んで反対側に座っている男は「盲点だったな」とガックリとした顔をしていた。
なおその男の名はライノクスと言った。かつてのハイヴァーン公国の大公であり、ハイヴァーンをライルを王とした王国へと変革した後は引退して、今では冒険者となり、白き一団のひとりとして活動していた。
「それで今日はこんな草むらで寝ろというのかジンライ?」
「寝ろ。それにその不滅のマントがあれば、並のベッドよりは寝心地も良いであろうに。これだから贅沢者はいかんのだ」
ジンライの言葉にはライノクスがぐぬぬという顔になったが、同時に納得もせざるを得なかった。白き一団になった証として与えられた不滅のマントはまさしく極上の肌触りであり、それに包まれることによる多幸感は一種の中毒症状を引き起こすのだ。今のライノクスも返せと言われても絶対に返すつもりはなかった。
そんなライノクスの様子を見ながらジンライが横で丸くなっている巨猫のシップーの背を撫でる。
「贅沢病とでもいうのか。これだからカザネとずっと冒険の旅をしておると怖いのだ。なあ、シップーよ」
「なー」
シップーが鳴いて頷く。
あのパーティはともかく居心地が良すぎるのだ。それはパーティの雰囲気や仲間との繋がりが……という面は当然のことながら、生活水準の高さが尋常ではないという部分が大きい。それはパーティのメンツの影響により、凝り性であった風音が王族関係も普通に満足できるレベルにまで水準を引き上げたのが原因であった。
「良いかライノクス。これが普通なのだ。普通の冒険者はこうして、パーティを組んで交代で番をして、武器を常に近くに置きながら魔物に備えて夜を過ごすのだ」
「話には聞いていたが……まさか、己がそうした状況に直面するとはな。分からないものだ」
ライノクスが真面目くさった顔でそう返す。
似たような立場であったメフィルスは、元々ルビーグリフォンを得るために修練の一環として冒険者をしていたのだから慣れてもいたのだが、ライノクスは生まれたときから大公としての道を歩んできた純粋培養の男である。
槍の腕は本人の努力によって鍛え上げられたものではあるが、ジンライたちのように泥臭い戦いに興じて育ててきたわけではないのだ。武芸の一環として習い、いつの間にやら槍聖王と呼ばれるまでに至っていた。弓花の『天賦の才:槍』を生まれながらに持っていたといえば、おおよそ正しい才能の持ち主なのである。
「そんなことだから、お前は成長が遅いのだ」
「確かにそれは実感するがな。ここ最近、俺は自分が強くなっているのを実感している」
「それはそれで腹が立つ」
ジンライがそう毒付く。
ライノクスがパーティに来てからの対戦成績はおおよそ一進一退だったのだが、また少し負け越し始めているのをジンライは気にしていた。無論『なんでもあり』のルールであればジンライの勝利は揺るがないだろうが、純粋に槍の技量のみでほ勝負においてまた差がつき始めたことがジンライにとっては腹立たしくもあった。
「何を言う。お前は強くなった。であれば俺も強くならねば不公平だ」
「ふん。お前が強くなる分には構わぬさ。それ以上にワシが強くなれば良いだけだからな」
ジンライがそう言って水筒の酒を煽る。さすがに酒精は弱目ではあるが、ようやく並び立った親友がまた距離を開け始めたのだから飲まずにはいられない。それにライノクスがフッと笑う。
「お前も大変だな。弟子も後ろから迫ってきているしなぁ」
「弓花にはワシの背中を追わせ続けると決めている。それにお前も追い抜く。どちらにせよワシが強くなれば良いだけだ。それだけなのだからな」
そう口にしたジンライの眼光は鋭く、ライノクスがそれを見て「ククク」と笑う。そうして張り合える友人がいるからこそ、成長期を越えたはずの己がまた伸び始めているのだとライノクスは理解していた。
「ともあれ、野宿は変わらん」
「それはそうだがな」
「まあ、ここいらの魔物はそこそこの強さだが、まあシップーもシンディもおるからどういう事態になっても大事には至らんだろうがな。それに来たならば」
ジンライが己の横に置いてあるふたつの槍を見て笑う。
それはハガスの双牙槍と聖一角獣の槍。どちらもムータンのように今は封印が施されている。どちらもジンライが十全に扱えないというわけではないのだが、強力過ぎて剥き出しにしておくには周囲に与える影響が大き過ぎるために封じられていた。それを見ながらジンライが一言呟く。
「こいつらで、サクッと突いてくれるわ」
その言葉にライノクスがなんとも言えない顔に変わる。それから己の槍を見てから、少しだけ寂しそうに笑った。
「ふぅ。いいな。俺も自分の槍が欲しいぞ」
「くれてやったであろうが」
そう口にしたジンライの視線の先には、ライノクスの現在使っている槍がある。それは神々の雷炎で鍛え上げられたやす作製の槍だ。現在の白き一団で手に入れられる槍の中でも最高峰のものではある。けれども、ライノクスは不満があるようだった。
「貰い物ではな。いや、出来栄えに不満はないが」
ライノクスも己の槍を見て、そう呟いた。
元々ライノクスが使っていた神槍グングニルはハイヴァーン王国の守護兵装であるため、ライノクスの所有物ではないので今は国王となったライルが所持していた。それはライノクスも納得したことではあったが、何十年もの相棒を手放したことが相当に堪えているようだった。
「いずれは己のグングニルを手に入れたいものだなぁ」
その言葉にジンライが北の方に目をやり、それから口を開いた。
「北大陸の闇の森の中に生息する中でも上位の魔物であるオーディン・ケンタウロス。グングニルはそれの甲殻化した腕を加工したものだったな」
「北大陸の闇の森……だが、カザネはそこに向かうつもりは今の所はないようだったな」
ライノクスの問いにジンライが頷く。
「いずれは……とも言っておったがそうだな。アレは前回の攻略を経て、今の戦力では厳しいと判断しておるようだった」
闇の森の攻略も一戦二戦であるならば今の白き一団でも対処は可能だ。けれども闇の森は蟻地獄のように次から次へと魔物がやってくる場所なのだ。直樹が引退したものの弓花がいるのだから帰還の楔の使用は可能だが、魔物の引きは博打に近い面もある。戦闘力には問題なくとも現状の継戦能力を考えると不安があるというのが風音の判断であった。
「もっともライノクスよ。そう遠くない内に向かうとは思うぞ。うちのリーダーは堪え性がないからな」
「かもしれんな。であれば、それまでは己を鍛え直すだけか」
「ふん。ワシがもっと強くなるがな」
そう言い合うとふたりの目が交差して、それからともに笑い合った。
「なぁああ」
それを見ながらシップーが鳴いた。ここ最近のふたりは、このように語り明かすことが多くなっていた。親友であっても立場の違いから語り合う場も少なく、また実力差から真の意味で対等にあることはなかった。少なくともジンライはコンプレックスからそう考えていた。そんなふたりがこうしていられる今を大切に感じているのは当然のことだろう。
「まあ、今はこの依頼に集中せんといかんしな。ライノクス、先ばかりを見ているなよ?」
「分かっているさ。対応するのはこの場のメンツだけとはいえ、我らは白き一団だ。あのチンチクリンに無様な報告はせんよ」
ジンライが取り出した依頼書を見ながら、ライノクスが頷く。
現在ふたりと一匹だけがなぜこうしているのかといえば、指名依頼を彼らだけで受けているからだった。白き一団は今それぞれ別の用事でパーティが一時的に分離していた。その最中に白き一団宛に来た指名依頼を受けるべくジンライたちは、動いていたのである。
そして、それから二週間の旅を経てふたりは依頼主と合流することとなる。
依頼主の名はダインス天使騎士団の団長モーリア。依頼内容は旧ダインス王国の都市のひとつエンデーアの街の奪還であった。




