第九十六話 カザネ魔法温泉に入ろう
その猿の知性が磨かれ始めたのはいつの頃だったろう。
もしかすると襲った冒険者達の脳を食べたときかもしれないし氷蜥蜴と呼ばれる山の上に出る上位種の魔物を倒してその肉を食らったときかもしれない。
ともあれ、その猿が他の猿達に比べて高い知能を持っていたのは間違いがなかった。そして知能が上がると同時に身体も肥大化し、力も強くなり、どんな攻撃を食らっても治ってしまう高い回復力を手に入れた。その大猿は気がつけば巨大な群れを率いるボスとなっていた。
そして大猿は、自らの勢力を拡大するため群れの仲間と共に隣の山の群れを襲撃しようと移動していたが、意気揚々と向かった先の群れはすでに瓦解していた。主力となる雄共の多くは人間共に狩り尽くされ、残された猿共も襲ってきた人間に怯えていた。大猿はそれを見て大層苛立った。元より自分が狩る予定だった群れではある。何もせずに雌共を手に入れられたことは上々とも言えるが、それが人間の力によるものと考えると虫唾が走った。
聞けば温かい水が出る場所を人間がやってきて占拠したのだという。大猿はならばそれを自分たちのモノにして人間共に自分たちの力を知らしめようと考えた。群れの数はすでに500に届く。人間たちの王国に匹敵する力だと大猿は思っていた。もっとも食糧の問題もあるし連れ回せるのは戦闘要員として300ほど、その300を率いて人間を襲撃することにする。大猿が人間どもに襲いかかると連中は這々の体で逃げ出した。一匹もしとめられなかったのが悔やまれるが、まあ勝利である。人間共の置いていった食糧を漁り、勝利の美酒を飲み干した。
その翌日である。人間たちが再度やってきたのは。
「キキィ」
様子を見に行った猿が、人間の数は30ほどだと伝えてきた。何人か女が混じっていると聞いた大猿は舌なめずりをした。毛のロクに生えてもいないのが気持ち悪いが、なにぶん大猿のは大き過ぎてまともにメス猿を抱くと相手が壊れてしまう。人間ならばそれなりに保つし壊しても問題はない。そう考えた。
大猿は女は殺すなと命じると猿共を一斉に向かわせた。自分は高みの見物のつもりだ。手に入れた軍団の力を見てみたいという欲求もあった。
もっとも、人間たちの抵抗はかなりのものだった。一人一人が猿共よりも強く、女たちも火の鳥を操り雷を降らせたりと一向に捕まえられる気配はない。そして一緒にいる小さき人が投げる石が凶悪な破壊力だった。猿達のいる木々ごと破壊するそれを見て、元々この森にいた猿達が騒ぎ始めた。『ヤツら』が来たと。
それを聞いた大猿はニヤリと笑った。なるほど、このきっかけを作った人間の連中が来ているのかと喜色満面で人の群れを見た。ならば自ら赴き、群れの長としてそれを殺してみせようと重い腰を上げたところで、
背後から迫る脅威に気付いた。
「スキル・キリングレッグ踵落とし!」
ザシュッと切り裂く音がした。
空中跳びにより舞い上がった風音が、竜爪付きの竜鬼の甲冑靴でキリングレッグを放ったのである。踵落としで。そして、突き出された爪はまるで断罪の鎌のようにイモータルマシラの右腕を宙へと投げ飛ばした。
「グギィィイイイイ」
あまりの痛みに呻きつつも、突然やってきた敵にイモータルマシラが距離をとろうとする。
「逃がさないよ」
だが戦闘に入り『インビジブル』と『光学迷彩』が解けた風音は右腕を突き出し『マテリアルシールド』を発動した。発したのは風音に向き合ったイモータルマシラの背後、バックステップで下がろうとしたイモータルマシラは突然来た後ろからの衝撃に思わず仰け反る。
「はいよっと」
そのイモータルマシラの腹に風音の竜爪解放状態の甲冑靴が突き刺さった。キリングレッグこそ発動してないが、その殺傷能力は高い。風音が『身軽』によってその蹴りに捻りを加え爪をさらに抉り込ませたことで、イモータルマシラが苦痛の悲鳴を搾り出される。
「ギッ、キィィイ」
だが持てる気力で意識を保ちながら、残る左手で風音を殴ろうとして、
「おっと、危ない」
『直感』によって事前予測をした風音が後ろに下がったために空振りに終わる。しかし風音が離れたのはイモータルマシラにとっても好機であった。今度こそイモータルマシラは一気に距離をあけた。そして途中に落ちていた右腕を拾い、断面同士を接触させる。すると接触した断面がシュウウと音をたてながら繋がっていった。
(イモータル、不死性、つまり回復能力が高いってことかな)
風音は頭の中のイモータルマシラの情報を更新する。無限に再生するわけでもないだろうが、さっさと片付けないと粘られるだろうし逃げ出されると厄介だろうと。
「キキィ、キィィイイイ」
風音が思案しているとイモータルマシラが周囲の猿共に何かしらを命じている。
「ふーん」
風音がその様子を見ながら自分を取り囲もうとしている猿共を観察する。
(囲んで一気に攻める気かぁ。タイマンする気はないっと)
だが風音は慌てずチャイルドストーンを取り出した。
「来てユッコネエ!!」
「にゃおおお!!」
風音の声に反応しチャイルドストーンからユッコネエが現れる。ドラゴンの肉を食べたことでユッコネエの身体は一回り大きくなり、尻尾は二股に分かれ、その尻尾の先には炎が灯っていた。
「にゃっ」
召喚されたユッコネエはまずは尻尾を振って炎の玉をモーターマシラたちに投げつける。
「キィィイイイ」
見事に二匹の猿に命中し、燃えた猿が地面で悶え転がる。そしてその様子に驚いた猿達の隙を狙ってユッコネエは猛然と群れの中に飛び込み、その爪で以て二体三体と切り裂いた。
「キキキィイ」
切り裂かれたモーターマシラは断末魔の悲鳴を上げて崩れ落ちる。そして傷口からボウッと炎が吹き出て全身に燃え広がった。その様子を見て猿達がざわめき一斉にユッコネエから離れていく。猿達がユッコネエの爪を見ると、それは赤く灼熱化していた。スキルでいえば『炎の爪』と呼ばれるものだ。
「よしっ」
風音の声にユッコネエが嬉しそうに鳴く。元々弱くもないが特筆するほどでもなかったユッコネエの攻撃力だがドラゴンの肉を食べたことによって二股しっぽの炎での中距離攻撃が可能となり、炎の爪によって接近戦の威力も大きく上昇していた。それはモーターマシラ程度ならば一撃でしとめられるほどに。
「それじゃあ周りは任せた」
「にゃにゃっ」
風音の指示に頷くユッコネエ。その風音達の状況はスキル『情報連携』によりティアラ達にも伝わっている。唐突に冒険者たちの攻撃が激しくなったことでモーターマシラ達はボスの下に向かうどころではなくなってしまう。
ドゴン!ドゴン!と投石の破壊音が響く中、イモータルマシラは気付けば風音と一対一の状況を強いられていた。
「キィイ!!」
だが如何に自分に二撃もダメージを与えたとはいえ、目の前にいるのは人間の子供。群れの長たるプライドが、警告を発する野生の本能を強引にねじ伏せ、風音に対して向かっていく。
「ギィィイイイ!!!」
イモータルマシラは叫びながら両腕を振り上げて風音に掴みかかった。
「スキル・ダッシュ」
だが風音は直感でそれを読み、イモータルマシラの脇を潜ってすり抜けた。そしてストリートガゼルから手に入れたダッシュでイモータルマシラの周囲を高速で回り出す。
「キッ、キイ!」
対してイモータルマシラはその風音の速度に追い付けない。風音からファイア・ヴォーテックスが右から左からと放たれ、次々とイモータルマシラにダメージが蓄積されていく。両腕で防御しようとしても風音はそのたびにマテリアルシールドでイモータルマシラの体勢を崩し、隙を見て幾度となくヴォーテックスをヒットさせた。
「もういっちょ」
風音が狙ったのは両腕と内臓に足。狙い通りに動きを殺し、イモータルマシラが鈍ったところでスキル『突進』で一気に距離を詰め、蹴りを放とうとする。
だがそれはイモータルマシラにとっても望むところだ。さきほどの腹に受けた蹴りは確かに強力だが、だが耐えられぬ程ではない。来ることが分かっているのならば耐え抜いて、掴み、そしてくびり殺すことができるはず……そう考えながら攻撃に耐えようと構えて、
「スキル・キリングレッグ!!」
先程とはまるで重みの違う蹴りを食らって内臓を破裂させた。掴むどころではない。まるで巨人が全力で放った蹴りのように響き渡った。
「ギィィィイギジイイイ!!」
あまりにも巨大な衝撃は腹から全身へと伝わっていく。普通であれば絶命するほどのダメージにイモータルマシラはよろめくが、だが自らの特徴である再生能力がなんとかその命をこの世に留める。しかし、攻撃がそれで終わりのはずもなかった。
「スキル・チャージ」
風音の足が赤く光る。躊躇などしない。油断などもってのほかだ。冒険者であれば、詰めを誤るような無様はありえない。
そして竜爪までもが真っ赤に輝く様を見て、生き抜こうと再生を行い続ける身体とは対照的にイモータルマシラの精神は自らの死を理解した。
「キリングレッグゥゥ!!」
巨人の一撃を竜爪の切れ味に乗せた蹴りはイモータルマシラの身体を真っ二つにして吹き飛ばし、そのどちらもを十数メートル先の木々にまで激突させる。メキメキと折れていく木々を見て周囲の猿達の表情が恐怖で固まった。
「ふうっ」
そして息をついて他の猿たちに備え、再び構える風音のスキルウィンドウに『リジェネレイト』というパッシブスキルが追加された。このスキルがあの回復力の原因だったのだろう。
風音が周囲をひと睨みすると猿達はもはや恥も外聞もなく全力で逃げ出していった。自分たちと大して変わらない体躯でありながら、その倍はある彼らのボスを完膚無きまでに殺し尽くした化け物に挑もうという勇者はそこにはいなかったのだ。
そして風音がフィアボイスを使うまでもなく猿達の群れは「キキィ」と互いに声をかけながら冒険者達と闘っていたグループも含めてまとめて逃げ出していく。
「にゃーご」
風音の横に戻ったユッコネエが追うかと尋ねるが風音は首を振った。すでに勝敗は決した。彼らがこの地に戻ることはもはやないだろうと風音は『直感』的に理解していた。
「なー」
そう鳴いてからユッコネエは頷き、チャイルドストーンの中へと戻っていった。
そして風音がティアラ達の方に目を向けると万歳しながら勝利の声を上げる冒険者達の姿があった。その姿を羨ましく思った風音はスキル『ダッシュ』で一気に仲間の下に戻り、その場で胴上げをしてもらった。
なおイモータルマシラの肉は薬草とともに煮詰めることで強力な精力剤になる素材らしく結構な額で換金されることとなる。
そうしてすべての始末が終わり風音達はようやく望みの状況を手に入れることとなった。つまり温泉である。
◎カザネ魔法温泉宿 夕方
「うふふふふ、ようやく綺麗になったでございますわね」
マッカが嬉しそうな顔でお湯に浸かる。さきほどまで護衛部隊を総動員してこの施設を掃除していた。これは風音達も一緒に手伝った。
「まあ、あんまり荒らされてなくて良かったよねえ」
マッカの横で風音も満足した顔でゆったりと温泉に浸かっていた。
風音達が猿退治を終え温泉までたどり着くと、かつて風音の造ったコテージは神殿のような外見はそのままではあるものの、かなり手を入れて改装されており、なかなかに見事な宿へと変わっていた。周囲には他にもいくつかの建物が並び、馬車を止める停留所も用意されていた。
今までリンドー王国とミンシアナ王国の国境近くのここらにあるのは旅人が次の街に行く前に泊まることも多い野営地ぐらいだったのである。山道で険しいため小さな村も存在していない。なので、このまま休憩地としてここを運営して、やがては街へと発展させていくというのがマッカの計画だった。
「壊れたのはいくつかの窓ガラスと内装ぐらいかしらね。まあ昨日の今日で取り戻せたのは大きかったんだろうけど」
ルイーズがそう言いながらプカプカと浮かせている。ティアラも「そうですわねえ」と言いながらプカプカと浮かせている。なおマッカおばちゃんも年こそとっているが恐ろしくナイスバディな人でプカプカ浮かせていた。ちなみにおばちゃんだから口元にしわとかあるがなかなか美人で、身体はボンキュッボンであった。需要があるのかは知らないが。
「いいんですかねえ。私もここにいて」
そう言ったのはキンバリーの護衛部隊の中にいた紅一点、魔術師のマカである。こちらは風音と互換性のあるプカプカしないボディだった。名前は似ているがマッカおばちゃんとの関連性はない。以前にオルドロックの洞窟で風音達に救われた冒険者の一人だが、なんでもあのパーティは解散して、今はキンバリー率いるギルド御用達部隊の一員となっているらしい。
「まあまあ、女の子同士。楽に行こうよ」
風音はそう言って畳んだタオルを頭の上に乗せて夜空を見た。
「あ、オリオン座だ」
「なんですの?」
「さあ?」
風音の呟きにティアラもルイーズも首を傾げる。この世界でも星座は存在しているがそれは風音達の世界のモノとは違うらしい。
「でも星空は同じなんだよなあ」
そう言って風音はゆっこ姉の言っていたダンジョン『ゴルド黄金遺跡』のことを考える。
すでに弓花とゆっこ姉と話はしているが、風音は残るか帰るかのどちらを選ぶのかと聞かれれば、この世界に残ることを選ぶつもりだった。
今の自分の能力を考えると元の世界に戻っても馴染めるか疑問だし、こちらでこそこのスキルは活かせると思っている。何より風音はこっちの世界が気に入ってしまった。
(ま、といってもこっちに戻ってこれるなら別だよねえ)
約十二年前、ゆっこ姉はミンシアナの兵団を連れてゴルド黄金遺跡の最深部まで降りて噂にあったあちら側に戻れる穴を発見した。だが、ゆっこ姉は当時ジークを身ごもっていたし、夫を捨てて自分の世界に戻ることもできなかったため穴には入らずにその場で引き返していた。その際にだが、その場にあった石を投げ入れてそれが穴の先の世界にまで届いたのは確認している。つまりこちら側からあちら側に行くことは可能だということだった。
そして風音はあるアイテムを知っている。『帰還の楔』、刻んだ指定ポイントに転送することが可能なコーラル神殿に眠るアーティファクト。
弓花が神殿に行くときには帰還の穴があるとは思いもつかなかったが、あれならば両世界を繋ぐことが可能かも知れない。少なくとも仕様上の説明には『異界とすら繋がることができる』とある。そしてゆっこ姉とも相談し、試してみる価値はあるだろうという結論に至っていた。
だとすれば風音のやることはひとつだ。
(プレイヤーを捜そう。きっとこの世界のどこかにまだいるはずだよね)
知り合いだけでこれだけいたのだ。まだ他にもいる可能性は高い。
だから風音はどこかにいるであろうプレイヤーを捜し、帰還の楔を手にいれてもらい、ダンジョン最深部まで案内して、そして両世界の橋渡しをお願いしよう……と、そう考えていた。少なくともただ流されるがままだった自分たちが得たようやくの反撃の機会だ。
風音はそれを逃すつもりはなかった。
名前:由比浜 風音
職業:魔法剣士
称号:オーガキラー・ドラゴンスレイヤー
装備:杖『白炎』・両手剣『黒牙』・白銀の胸当て・白銀の小手・銀羊の服・甲殻牛のズボン・竜鬼の甲冑靴・不滅のマント・不思議なポーチ・紅の聖柩・英霊召喚の指輪・叡智のサークレット
レベル:29
体力:101
魔力:170+300
筋力:49+10
俊敏力:40
持久力29
知力:55
器用さ:33
スペル:『フライ』『トーチ』『ファイア』『ヒール』『ファイアストーム』
スキル:『戦士の記憶』『夜目』『噛み殺す一撃』『犬の嗅覚』『ゴーレムメーカー:Lv2』『突進』『炎の理:三章』『癒しの理:二章』『空中跳び:Lv2』『キリングレッグ:Lv2』『フィアボイス』『インビジブル』『タイガーアイ』『壁歩き』『直感』『致命の救済』『身軽』『チャージ』『マテリアルシールド』『情報連携』『光学迷彩』『吸血剣』『ダッシュ』『竜体化』『リジェネレイト』
風音「どちらかを選ぶって言うけどさ。異世界って考えずに、故郷に帰らないつもりで別の土地で生活をしようって言ってしまえば実はそこそこ普通の話なんだよね」
弓花「まあ私らもうこっちで職について自活してるしね」




