095 哀愁のセンティネルズ⑥
(およそ6,300文字)
強めの性的描写や表現があります。
深く、長い過去の夢は終わる──
パチッという木の爆ぜる音で目を開いた。
「……アアシ……いったい?」
さっきまで見ていた夢の内容も思い出せず、シャルレドは頭を軽く振る。
頭を動かすだけでもしんどく、軽く目眩を覚えたが、それでも何度もまばたきをして焦点を合わせる。
「……なんで、生きてる、にゃ?」
冷気のせいで喉が焼かれ、自分でも驚くほどのガラガラ声だった。
ここは最後に記憶がある、雪山の中ではない。
身体には布が掛けられ、辺りは焚き火の光でかろうじて見えるぐらいで、そこが洞窟の中であることはすぐにわかった。
「……起きたか。具合はどうだ? シャルレド」
焚き火の向こう、陽炎の先に鋭い眼光が見えた。
「ヴァルディガ…?」
「回復魔法は掛けてある。痛みはなくなったと思うが、俺は神官や僧侶じゃねぇからな。機能までは治せていない」
シャルレドはハッとして、布を捲り右脚を見やる。
言う通り痛みはなく、傷口は閉じてこそいたが、折れた骨はズレたままで、無理やりに真っ直ぐにした形跡があり、膝下と足首に掛けて添え木が当てられていた。
「……どうして? ここに?」
口から出た言葉は感謝ではなかったが、ヴァルディガは気にした素振りも見せなかった。
「オマエは、ベイリッドと一緒にドラゴンを討ってるはずにゃ……」
「……フロストドラゴンはベイリッドが独りで倒せる」
「そういう話じゃねぇだろうが!!」
シャルレドとヴァルディガは、しばし炎を挟んで睨み合う。
「……お前が心配で、俺だけ単独で捜しに来た」
「はぁ!? 誰がそんなこと頼んだにゃ!」
「……ベイリッドだ」
シャルレドは唇が血が滲むほどに噛む。
「……ヘマやって、危機に陥ったのはアアシのミスにゃ。それを誰かに尻ぬぐいさせて喜ぶと思うか?」
「お前の性格を知ってるなら思わねぇな」
「なら、どうして助けた! ベイリッドに言われたからどうしたにゃ! あのまま見殺しにすりゃよかったにゃ!」
「そんなことできるわけねぇだろうが!!」
ヴァルディガが怒鳴るのに、シャルレドは少しも怯むことなく射殺さんばかりに睨む。
「……ハン。助けてどうなるにゃ? この脚で山を降りることはできないにゃ。どうせ死ぬだけ。まったく意味のない行為にゃ」
シャルレドは自嘲気味に笑い、ヴァルディガに右脚を見せる。
「……吹雪が止んだら、俺がお前を背負って山を降りる」
「バカかッ!? ヴァルディガ! ついに頭がイカれたかにゃ! そんなことできるわけない! さっさと独りでベイリッドの元に戻れ!」
「……あーあ、うるせぇなぁ」
ヴァルディガが大きくため息をつくのに、シャルレドは怪訝そうに眉を寄せた。
「ベイリッド、ベイリッド、ベイリッド……お前の口からその名前を聞くとイライラすんだよ」
「な……に?」
「お前を助けろとよ、ベイリッドがそう言ったのはさ、これが“最後の仕事”だからだ」
「最後の仕事? なんにゃ? なにを言ってるにゃ」
「そのまんまの意味だ。フロストドラゴンの討伐が済み次第、ベイリッドはレンジャーを辞める。“センティネルズ”も解散。『はい、さようなら』ってわけだ」
シャルレドは口を開いたまましばし固まる。
「……解散? 意味がわからないにゃ。依頼も増えて、チームも大きくなっているこんな時に解散?」
ヴァルディガは自分の頭をガリガリと掻く。
「ベイリッドの出自は知ってるか?」
「……? ガットランドの、名も無い国……貧しい貴族の出ってことは聞いたにゃ」
「間違いじゃねぇが、名も無い貧しい国ってのは嘘だ。サルダンって国……周囲からは“小国”なんて言われてるが、そこそこ大きいとこの領主、大物貴族の息子だ」
ヴァルディガは側にあった木の枝を折り、火の中に乱暴に焚べる。
「立場も次男。長男が酷く病弱だからな。実のところ、能力や力量で言えばベイリッドが上だ。本人が望みさえすりゃ、一国の王になるのはそう難しくねぇ」
「……なんでそんな人間が、レンジャーになったんにゃ?」
ヴァルディガにジロリと睨まれ、さっきとはうって変わって気弱な表情を浮かべるシャルレドは、心の中で聞きたくない気持ちと、どうしても聞かねばという気持ちの葛藤の中で揺れ動いていた。
「……知りたいよな。お前、ベイリッドに惚れてるんだもんな」
ヴァルディガはフッと笑う。
「そんなわけ……」
「好きな女がいたからさ」
「……え?」
シャルレドが紅くなって怒ろうとしたのに被せて、ヴァルディガは冷徹に言う。
「クライラって、そりゃ綺麗なエルフの女さ。お互いに心底惚れ合っていた」
ズキリとした胸の痛みと共に、シャルレドは目の前が真っ暗になった気がした。
「……だが、ベイリッドの親父は認めなかった。ふたりは駆け落ち同然に、国を棄てるつもりだった」
耳を塞ぎたい気持ちを抑えながら、シャルレドは喉を静かに鳴らす。
「つもりだった?」
「そうだ。クライラは出立の待ち合わせに来なかった。それでベイリッドは、警護役の俺とだけ、一緒に国を出たわけさ」
「なんで……クライラは来なかったの?」
ヴァルディガはキョトンとした顔を浮かべ、肩を大きくすくめる。
「さぁーな。直前になってビビっちまったのか、それとも仲間のエルフに止められたのか。今となっちゃ真相はわからねぇよ。ベイリッドもその話はしたがらねぇ」
「……知らなかった」
シャルレドは震える手で、自分の膝をギュッと握る。
「こんなに長年……一緒にいたのに、なんで話して……くれなか…ったん……にゃ」
ポロポロと涙が溢れ、そんな姿を見られたくなく、シャルレドは顔を覆う。
「ベイリッドはそういう男なんだ。自分の内情は話さねぇ。だから、勝手にレンジャーになって、勝手に“センティネルズ”なんてチームを作って、やることやって飽きたら、棄てて勝手に故郷に帰るってわけさ」
ヴァルディガが達観したように言うのに、泣いていたシャルレドは真っ赤になった目を見開く。
「……飽きたから? 飽きたからレンジャーを辞める? それで“センティネルズ”を解散するってのか!?」
「そうだよ。ベイリッドは剣の腕が立った。だから、貴族の道楽で金を少しばかり稼ぐつもりでレンジャーになった。そんなことずっと続けるわけがない。帰るところがあんだからな」
なんてことはないとばかりにヴァルディガは頷く。
「ヴァルディガ! オマエは腹が立たないのか! ベイリッドの都合に振り回されて! そんなの……レンジャーになったのは単なる腰掛けじゃにゃいか!」
ヴァルディガはわざとらしく「うーん」と首を傾げる。
「腹は立たないな」
「なんでにゃ!?」
「俺の人生はベイリッドのためにあるからな」
「……は?」
シャルレドは呆気にとられる。
「ベイリッドは強い。強いから何をやっても許されると俺は思う。“覇王”の特権ってやつだろ」
「な、なにを言ってるんにゃ、オマエは……」
長年一緒にいたはずの、戦闘では阿吽の呼吸だったはずの、そんな仲間のヴァルディガの気持ちが今はまるでわからなくなる。
「あー、だからよー。俺がムカッ腹が立つのは、むしろその“覇道”を邪魔しようとするヤツなんだよな」
ヴァルディガはゆっくりと立ち上がる。
「クライラ。だから、あいつの存在は本当に目障りで仕方がなかった」
「え?」
「いるかぁ? 顔だけいいエルフの女なんてさぁ。頭は悪いし、自ら戦うこともできない。どう思うよ? ベイリッドにゃ相応しくないとは思わないか? シャルレド?」
ヴァルディガは世間話でもするかのように一方的に話し続ける。
「ついて来なくて本当に良かったよ。ベイリッドにはそんなこと言えないけどな。もしついてきたとしたら、きっと俺がどこかでブッ殺してたに違いない。……ああ、間違いないぜ」
シャルレドは今になって、ヴァルディガの異常性に気づき始める。
「……そして、シャルレド。お前だ」
「え?」
「ベイリッドに近づく女なんて、冒険の途中で始末しちまった方がいい……何度、寝ているその首によ、間違えて剣を落としてやろうと思ったことか」
不穏な話をしているのに、ヴァルディガはヘラヘラと笑う。
「だけど、お前は優秀だった。純粋に剣技だけじゃ、俺も太刀打ちできねぇ腕前だ。レンジャーとしての能力は最高峰だと言ってもいい。正直、俺が背中を預けられるのは、お前かベイリッドぐらいなもんさ」
「……こっちに来るな」
「俺もさぁ、人間だから色々と悩んだよ。ベイリッドに擦り寄るお前に反吐が出ると同時に、仲間としてのお前を称賛している気持ちも本物だ」
「……来るなって言ってるだろ」
シャルレドは左脚で踏ん張り立つが、力が入らず尻もちをつく。
ヴァルディガは両手を広げ、焚き火を迂回して来る。
「殺したいほど憎いのに、側において置きたい気持ち……これは何とも奇妙な感覚だったぜ」
ニタリと笑うヴァルディガに、シャルレドは背筋に強く悪寒を感じる。
「……オマエはどこかおかしいにゃ」
「おいおい。酷いなぁ、シャルレド」
ヴァルディガは腰のベルトを外し始める。
シャルレドは総毛立ち、辺りを見回す。
(剣! アアシの剣は……)
そして、向こうの焚き火の側にあった、ヴァルディガの剣を目にして、彼の来る反対側から転げるようにして移動する。
「おいおい。無理するなよ。動ける身体じゃないだろ」
シャルレドは剣を手にすると、鞘から引き抜いてヴァルディガに向ける。
「……やめろ。アアシに指1本でも触れたら殺すぞ」
「お前ほどの最高の剣士に殺されるなら本望だぜ」
最後の警告とばかりに言うが、ヴァルディガはニヤニヤと笑ったままだ。
「……それからよ、考えたさ。ベイリッドの邪魔にならねぇよう、それでいて上手いこと仲間のままでいられる方法をよ」
「寄るにゃってんだろ!」
シャルレドが剣を振るが、ヴァルディガは軽くそれを受け流し、手首を掴んで押さえ込んでしまう。
「グッ!」
手首に走る痛みのあまり、剣を落としてしまい、洞窟内にガシャンという金属音が響いた。
「思いついた解決策は思ったより簡単なもんだったよ。ベイリッドにちょっかいかけないよう、お前を大人しくさせて、それで俺の側から離れられねぇようにすればいいんだ……ってね」
「なにをオマエ…うっ!」
いきなり口付けされ、シャルレドはヴァルディガを突き飛ばす。
「ふざけんな!」
突き飛ばされたヴァルディガは、噛まれて血が出た自分の唇を親指で拭うとニヤリと笑った。
「……もう気づいてるんだろ?」
「こんなこと! なにがにゃ!」
「これは“恋”だぜ」
「は!?」
ヴァルディガが下履きを下ろしたのに、シャルレドは目を見開く。
「気でも狂ったのか!! 冗談じゃない!!」
「冗談? 冗談なわけあるかよ。シャルレド。俺は本気だぜ。“ベイリッドのためにお前を愛する”ことにしたんだ」
「オマエは異常にゃ!」
「ああん? まあ、それならそれでもいいさ」
抵抗するシャルレドを、ヴァルディガはいとも簡単に押さえ込む。自慢の脚力で蹴り飛ばそうとするが、内股をそっと素手で触れられ、シャルレドはあまりの気持ち悪さに身を竦ませた。
「このままじゃヤリずれぇな」
ヴァルディガはまるで物でも扱うように、シャルレドの身体を横に回し、壁に胸を押し付けさせて、両脚を開かせる。
「ホントに、やめ…」
シャルレドの抗議の声も虚しく、ヴァルディガは彼女の下履きを力付くで脱がさせる。
秘部に冷気が当たったことで、シャルレドはようやく今自分が置かれている異状な状況を認識する。
「や、やめて!」
恐怖心に駆られたシャルレドがそう叫ぶが、彼女の髪を弄んでいるヴァルディガはブツブツと「ベイリッドが…」などと言っていた。
「……そうだ。同意が先に欲しいんだった」
「同意? こんな、こんな事をして……オマエは…」
「ああ。お前はベイリッドが好きだが、それでも俺のこともそんなに悪くねぇと思ってただろ?」
シャルレドは口元を震わせる。
考えなかったわけじゃない。ベイリッドとの恋が報われなかったら、ヴァルディガと親密になって、その先の発展があるかも知れない……
打算的で、まるで2番手をキープするかのような、女としての醜い自分の考え……シャルレドは途中で止めて、深くは考えないようにしていたが、今のヴァルディガの指摘でそれを思い起こす。
「違う……違う、違う」
「違わねぇよ。今は俺しかいねぇ。嘘は言わなくていい」
ヴァルディガに耳元で甘く囁かれる。
臀部に直に触れられ、それが剣を握って共に戦ったヴァルディガの指なのだと、一瞬だけシャルレドの頰が朱に染まった。
だが、それは本当に一瞬だった。
嫌悪感、惨めさ、後悔……そういった感情がシャルレドの胸の中で濁流となって襲いかかる。
しかし、ヴァルディガの手は止まらない。彼女の感じているものなど無関係に、まるで“自分のモノ”だと言わんばかりに好き勝手にまさぐられる。
しかし、そんなものよりもっと最悪だったのは、ヴァルディガが呪詛のようにベイリッドの名前を連呼していたことだ。
ヴァルディガは最悪の行為をしているにもかかわらず、その心はベイリッドのところにある……それが肉体よりもシャルレドに強い不快感を与えた。
「少し痛いかも知れねぇぞ」
「……あ、ああッ」
今まで経験したことのない圧迫感と苦痛に、戦場での傷は慣れていたはずのシャルレドは喉の奥から悲鳴を上げる。
それに反応したのか、体内に潜り込んだヴァルディガがさらに怒張し、シャルレドの股から一筋の鮮血が流れ落ちた。
卑猥な水音が、弾ける火の音に重なる。
「お、オマエは…最低にゃ。レンジャー、仲間に……仲間を……こんな!」
シャルレドは洞窟の壁にもたれかかり、後ろ下から連続して突き上げられる行為に、息も絶え絶えに言う。
「あー、最高だ。シャルレド。いいぜぇ」
ヴァルディガは、シャルレドへの配慮など皆無に、自身の快楽に急き立てられて腰を動かす。
剥き出しになった乳房を掴まれるが、シャルレドはもはや抵抗する気をなくしていた。
舌を出し、噛み切ろうとした瞬間、ヴァルディガが自分の革手袋をシャルレドの口の中に突っ込む。
唾液と血が混ざり合い、顎を伝ってしたたり、自身の胸や脚を濡らす。
遠ざかる意識に、シャルレドは子供の頃のある出来事を思い出した。
いつも、しかめっ面をしていた父。商品棚に品物を並べながら、「レンジャーになりたいだと? やめとけ、やめとけ。そんな夢ある綺麗な仕事じゃねぇんだぞ。シャルレド」と、汚い前掛けをはたいて言う。
そんな父に反発して家を出たままだったが、シャルレドは無性に生まれた町に戻りたい気分になった。
「いい! イクぞッ! ああ、ベイリッド! シャルレド!」
ここに居もしない男の名も交えて、精を吐き出して叫ぶヴァルディガの声は、シャルレドには獣の意味もない咆哮のようしか聴こえなかったのだった──。




