082 愚者の行進
(およそ4,800文字)
〈この話の登場人物〉
〇ガニメデ…大国ライラードの特使。『065 ライラードの特使』で登場した人物。
〇ノーリス…上位悪魔、リーダーであるイゼリアの側近。『070 悪魔の引き渡し②』で登場した人物。
〇ファウド…エヴァン郷の村長。サニードの育ての親。『009 エヴァン郷の忌み子②』で登場した人物。
ライラード軍は、ゲランド高地を見下ろせるゼリューセ軍とは向かい側にある崖側に陣を敷いていた。
後方支援という名目だったが、実質は積極的に参戦するつもりはなく、ベイリッドの方が優勢になった場合はすべての責任をハイドランドにと押し付け、さっさと戦況報告に本国へ戻るつもりだったのだ。
「んんぅ〜? 何が起きているんだ? アイツらはな〜んで同士討しとるんだぁ?」
ガニメデは双眼鏡を片手に、悪魔に襲われているベイリッド兵の姿をアクビをしながら見やる。
「ハッ! 恐らく悪魔の制御に失敗したものではないかと…」
「ああ? 失敗だと? ベイリッド側が墓穴を掘ったって意味か?」
「はい! そうだと思われます!」
「ならこっちの工作はどうなったんだ? どうにも、ハイドランドが言っていた手筈とも違うぞ。向こう側で用意した悪魔を、こちらが魔法で操ってベイリッドへぶつける手勢とする。その為のエルフだったんだろ?」
ガニメデに聞かれて、情報官は「ええっと…」と言葉に詰まる。
「……まあ、いい。そんでエルフどもの動きはどうなった?」
「予定通りです。ゼリューセ軍……いや、ハイドランド軍の間隙を縫うように行軍しています」
ゼリューセがお飾りであると思い出し、情報官はわざわざ言い直したが、ガニメデは「そんなのどっちでもいい」と鼻を鳴らす。
「ううん? そうなると、やっぱりこの事態は想定外じゃなかったってことか? それとも普通に戦う気なのか?
……ベイリッドの方は何してる?」
「現在、僧兵団と交戦中の模様です」
「パルマフロウか。さっきの爆発音もそうだったみたいだしな。まあ、あの“アチョー連中”も、ベイリッドを倒せないまででも足止めぐらいならできるか」
ガニメデは僧兵の構えを小馬鹿にしたように真似して、何もないところに奇声を上げて正拳突きを出してみせる。
「うーん。それじゃ、こっちはここからどう動いたものかなぁ。まだ静観しとくべきかなぁ…」
「閣下。進言致します」
「ん?」
後ろで待機していたフルプレートを着込んだ一般兵の1人が手を上げる。
「おい。コラ。勝手に…」
情報官が止めようとするが、ガニメデは「言え」とアゴをしゃくる。
「現在、敵の主力はこの事態に混乱し統制が取れず、かといってハイドランド側も柔軟に対応できていないように見えます」
「ああん? そんなんイチイチ言われなくともわかるわ。バカにしてんのか?」
ガニメデはブスッとしたように言う。
「ファウド殿はそれに乗じ、悪魔たちを先に倒すつもりでしょう」
「ああん? バカか、お前は。それに何の利点がある? 悪魔どもが暴れて、ベイリッドと戦ってくれるなら、そのままにしておけばいいだろうが。本当に、バカじゃないのぉ?」
自分のこめかみを拳でグリグリしながら、ガニメデは「ポォー」などと変顔をする。
「意図せぬ窮地に陥った敵を救う……これは美談となります。ファウド殿はそのようにお考えなのではないかと」
「あ? 美談だぁ?」
ガニメデは鼻毛をブチブチと抜きながら、少し考え込む。
「あ! ははーーん! わかった! わかったぞ! そうか。エルフどもの狙いは、エヴァン郷の独立自治だったな!」
「左様です」
「そうかそうか。ここでハイドランドにいいところを見せなきゃいけないってことか! なるほどなー!」
「……左様です」
ファウドが接触してきた理由を思い出し、ガニメデはフンと鼻を鳴らす。
「それで焦って、無理矢理な進軍か! これでアイツらが余計なことをした上、ベイリッドに敗れたとしたら、エルフは面目を潰される形になるな! こりゃ笑えるぜ!」
一般兵はガニメデに気づかれないよう小さく舌打ちする。
「そうなっても俺は知らーん! 助けてやらーん! エルフどもが勝手にやったことだぞ! ハイドランドにはそう言っとけばいいさ! ガッハッハ!」
「ばーか」と小石を崖に投げ捨てるガニメデに、部下たちは揃って困った顔を浮かべた。
「……勝てば、それは美談としてハイドランドも無視できぬ功績となるでしょう」
「あ?」
「仮に負けたとしても、ベイリッドにはその恩を売れます。どちらに転んだとしても、エルフ側から見れば利となります」
ガニメデはバカ笑いを止め、ハッとして一般兵を見やった。
「どういうことだ? 何を言ってる?」
「……今は我々の立場の話をしています」
なんとも話しが噛み合わないのに、ガニメデは「んがぁ!」と吼える。
「回りくどいぞ! ん〜、ったく! エルフどもめ! 小賢しい日和見しおってからに! 俺への恩も忘れて……」
誰もが人の事は言えないだろうと思ったが、ガニメデの叱責を受けたくないあまりに黙っていた。
「……閣下。ここまで話して、お気づきにはならないのですか?」
「だから! 回りくどい! 何が言いたい!」
「エルフたちに先手を打たれたのですよ」
「はあ?」
「ゼリューセ様に、ファウド様を引き合わせた立役者はガニメデ閣下です」
ガニメデの目が大きく見開かれる。
「……それがどうしたと? いや、待てよ。確かに、ゼリューセに戦の才能はないと、ファウドという援軍を仲介したのは俺だ」
ガニメデは手袋の親指を噛む。
「もし、俺がそれを見過ごしたらどうなる?」
「え? いえ、閣下が仲介した者が武功を上げたとやれば、それは閣下の株が上がるだけで…仮に負けたとしても別に……」
「“後方で傍観していた無能”の烙印を押されるでしょうね」
一般兵がそう言ったのに、情報官はギョッとする。
「ライラード軍は、大軍を率いて小国の内乱に参入しつつ、何の役割りも果たせなかった。エヴァン郷などという、名も知れぬ地の者どもに任せっきりにした…」
「おいおい! お前、何を言っている! この兄弟間の跡目争いは、ライラードは何の関係もない! この国の者たちが解決すべき問題だ! それに軍を派遣したのは、後のサルダン小国の秩序を維持するためなのだぞ! 感謝されこそ、傍観してなどとはならん!」
情報官は、発言した一般兵に向かいつつも、むしろガニメデの方を説得する感じに言った。
「表向きはそうでしょう。しかし、後のサルダン小国を背負って立つ姫君はそうは思いますまい」
ガニメデの頬がピクッと動く。
ライラードからすれば、今回はハイドランドを勝たせたいと考えたのは、ベイリッドという超越者が王座につくことを防ぎたいからに他ならない。
しかし、仮にハイドランドが敗れた場合でも、民衆を焚き付けてベイリッドを権力の座を引き下ろし、ゼリューセを持ち上げて擁立するという代案も考えてはあった。
状況によっては、戦争が起きる前にハイドランドを暗殺してもよいと……実のところ、そんな権限までガニメデは与えられている。
しかし、そうしなかったのは……
「ゼリューセ様の立場を確立する。その台座をガニメデ閣下こそが拵えた……とするのが最も理想的な形ですね」
まるで心の中を見透かしてくるような物言いに、ガニメデはヒュッと息を呑む。
「……悪魔どもをこちらが倒した場合、ベイリッドが退く可能性はあるか?」
「あります」
情報官が「ヴァルディガという参謀が…」と口を開くのを遮って、一般兵がそう断言した。
「ベイリッド・ルデアマーは元は高ランクのレンジャーだと聞きます。なれば、醜聞には敏感なはず。敵に助けられたとあれば、義理立てし、この場は退くことでしょう。ましてやライラードと望んで事を荒立てる理由もない」
ガニメデは「ふぅむ」と頷く。
「期待していなかったライラードの援軍。それが白眉の活躍をしたとしたら、閣下の立場もより大きなものとなるでしょう」
「うう〜む!」
ガニメデの鼻の穴が大きく膨らむ。
「この国は、閣下の御威光を軽んじているように思います」
「お!」と驚き、「お前、よくわかってるじゃないか!」と、ガニメデはコクコクと頷く。
「しかし、だがな〜」
チラリと戦場の方を見やり、ガニメデは気後れしたように頬をポリッと掻いた。
「あの悪魔どもを相手にだなぁ…」
「悪魔と言えど、相手は下位悪魔です。恐れるに足りません」
その断定的な物言いに、情報官が目を真ん丸くする。
「そうか! よし、ならば、まずは斥候を出してだな…」
「閣下。女というものは、自ら剣を持って戦闘に立つ男にこそ惚れるものですよ」
「え?」
「ゼリューセ様とて例外ではございません」
「……それは本当か?」
甘い囁きに、ガニメデは喉をコクリと鳴らす。
「はい。ましてや、ライラードの重鎮が先陣を斬って戦うのですよ。これに感謝しない者がありましょうか?」
「……俺に惚れるか?」
「それは、もうメロメロでしょう」
戦場を駆けるガニメデ。
それを頬を紅くして見つめるゼリューセ。
情けなく退くベイリッド軍。
勝鬨を上げるガニメデ。
走り寄ってくるゼリューセ。
2人は見つめ合い──
そして、熱い口づけを──
「悪魔などライラードの敵ではぬぁい! 遅れるな! 俺に続けい!!」
ガニメデは指揮剣をぎこちない動作で抜くと、我先にと走り出す。
「か、閣下!」「お待ち下さい!」
情報官を含む兵士たちが、慌ててそれを追い掛ける。
集団が一気に崖から降りていく途中、情報官はふと「あれ? こんなにうちに兵はいたっけ?」と疑問に思ったが、勢いを増して走って行くガニメデに伝えることは適わなかった。
もぬけの殻となった陣地を見やり、1人佇む一般兵はフルフェイスメットを脱いで崖下に放り捨てる。
「……はー。疲れたネ。ホント、頭が悪いって罪ヨ」
一般兵……ノーリスは短い金髪を振る。
「男はバカなのよネ。まあ、そこがカワイイところなんだけれども」
自身の悪魔の角に触れると、気怠げに笑ったのだった。
□■□
森とほぼ同化しつつ、少しづつファウド率いるエルフ軍はひたすら前進していた。
そして崖上から下って来るライラード軍を見やり、エルフたちは樹木に擬態していた魔法を解く。
「“爆弾”を持って走り出したか。愚かな男だ」
ファウドは静かにそう呟いた。
「村長。そろそろベイリッド軍と悪魔に出くわす頃です」
「ああ。下位悪魔たちとの戦いはほどほどでいい。どうせあれはベイリッドを誘導するためだけの餌だ」
「はい。しかし、ライラード軍は…」
「放っておいていい。どうせ数人を残すだけで、後は間違いなく全滅する」
「は? ならば、どうしてライラード軍を通して、ハイドランド側に協力を? 直接、やり取りをした方が早かったのではありませんか?」
「ガニメデなど最初から眼中にない。あの男の部下を通じて、エヴァン郷が“サルダンの支配者”となるのにどれだけ相応しいかをライラード本国に伝えてある。ハイドランドもベイリッドもいなくなれば、彼らとしても我々に頼らざるを得まい」
無表情にそう言うファウドに、部下のエルフは小さく喉を鳴らした。
「……だからこそ、“生き残るライラード兵”には、“恐怖の語り部”として帰って貰わねばならん」
ファウドは木の杖を掲げる。その先端の膨らみが大きく拡がったかと思いきや、中から黒い光を放つ石が現れる。
「支配者気取りの標人どもよ。我々、森人というものの恐ろしさを身を持って嫌と言うほど味わわせてやろう」




