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070 悪魔の引き渡し②

(およそ6,500文字)

「ねぇ、アニキィ」


「なんだよ。うるせぇな」


 しゃがみ込み座りしているドゥマが上目遣いに声を掛けてくるのに、木に寄り掛かったヴァルディガは鬱陶しそうに舌打ちした。


「さっきからあの野郎、ずっと空を見てますよ」 


「…そうだな」


 オクルスは先程から上空を見回し、なにをするでもなく崖の端に立ったままである。


「やっぱりハッタリこいたんですぜ。タダじゃすまさねぇ…」


「ハッタリねぇ〜」


「アニキはおかしいと思わないんすか? だって悪魔なんて来る気配ないじゃねぇすか。そもそも馬車とかで50体も運べるんすか? こんな森の奥地で…」


「商業ギルドでなにやら画期的な運搬手段を広めたらしい」


 ヴァルディガは興味なさげにもそう答える。


「……それって、大型の荷車とかすか?」


「馬鹿か、お前は」


 ヴァルディガは自身のこめかみを叩き、「少しは頭を働かせろ」と示す。


「なにか他に魔法みたいな手立てに決まってるだろうが」


「魔法? でも、アイツ、商人じゃ…」


「もういい。馬鹿が移る。

 …だが、待つのも確かに飽きてきたな」


 ヴァルディガはそう言うと、腰を伸ばして立ち上がる。

 

「なあ、旦那。15分は経つぜ。いつになったら…」


「…結界は張ったので察知はされないと思いますが、念の為、位置がもう少し離れるタイミングを待っていました」


 オクルスは振り返らずにそう言ったので、ヴァルディガは「結界? 位置だ?」と眉を寄せる。


「時間です」


「? なにがだ? …ッ!?」


 ヴァルディガは背筋が凍るような悪寒に一歩後退る。


「アニキ?」


「なんだ…? この寒さは?」


 指が凍り付いたかのように強張るのに、ヴァルディガは腰を低くする。


「なんでこんなに急に暗く? 雨雲?」


 まるで夕闇が落ちたかのように辺りが暗くなったのにドゥマが空を見上げるが、雲はほとんどなく陽の光が暗くなる要因は見当たらなかった。

 それにも関わらず、黒いフィルターでも取り付けたかのように目の前が薄暗くなったのである。


 そして──


 

 ジャラララララッ!!!



 どこからともなく、そんな鉄同士が軋み、甲高く打ち付け合って激しく動く音が響き渡った。


「な、なんだ!? 鎖!?」


 ヴァルディガもドゥマも我が目を疑う。いつの間にか崖の上にポッカリと“黒い大穴”が現れており、そこから錆びた大きな鉄鎖が崖下へと伸び、勢いよく巻き上がっていたからである。


「これはなんだオクルス!」


「もう到着します。少し離れて下さい」


「到着だ? なにが到着するって…」


 ヴァルディガの問い掛けを無視し、オクルスは崖から離れる。


 そして、ガッヂン! という金属板にでもぶつかりでもした不快な音を響かせると、崖の下に垂れていた鎖の端にあった小屋ほどもある籠が跳ね上がって崖っぷちにと落ち込んだ。


「ッッッ!」「あ…う!」


 ヴァルディガもドゥマも思わず剣に手を掛け戦闘態勢となる。二人とも額に汗をかいていた。


 そして黒い大穴から猛禽のような大きな爪が伸びると、鎖の先端でフックを籠から外す。


「ば、化け物か!!」


「ご安心を。危害は加えません」


「なんだと!」

 

 オクルスの言う通り、大きな爪は器用に錆びた鎖だけを巻き取りつつ大穴へと戻って行く。


 さっきまでのが幻であったかのように、穴も爪も鎖も消え、冷たい空気や、奇妙な薄暗さもなくなっていた。


 ただ崖端に、大きな四角い鉄製の箱だけが残り、今のが夢や幻ではないのだとヴァルディガとドゥマは思い知らされる。


「…今のはなんなんだ? 魔物なのか?」


 額の汗を指で払い、真顔になったヴァルディガが問う。


「魔物と呼ぶのは正解ではありませんが、そうですね。わかりやすく説明するならば上位悪魔を従えるような存在です」


「そんなものがこの世界にいんのか?」


「この世界とは縁がありません。繰り返しますが、今のが人間世界に危害を加えることはありません。物理的干渉は一時的なものです」


「それを信じろってのか?」


「上位悪魔を50体も用意するのが普通の方法でだとでも思いましたか? それはなんとも浅はかですね」


 しばらくヴァルディガはオクルスを睨みつけていたが、やがて「フー」と息を吐き出すと、髪を掻き上げて、いつもの軽薄そうな笑みで頷く。


「……確かに尋常じゃない話だったな。悪かった。凄いもの見せられて動転したんだ」


「そうですか」


 オクルスは興味なさそうに頷くと、牢屋の方へと近づく。


「その中に?」


「ええ。上位悪魔50体がいます」


 オクルスは迷うことなく、入口と思わしき部分の歯車に似た機構を弄る。数度、押したり引いたりを繰り返すと、内部でなにが回る音がして箱の前面が手前側に倒れ始める。


 外側から見たよりも奥は深いらしく、闇で覆われたその中をヴァルディガは目を細めて見やる。


 なにか蠢く気配があり、赤い2つの光が闇の裡でボウっと灯った。


 そして、その光がゆっくりとこちらの方に向かってくる。


「……女だと?」


 ヴァルディガは剣の柄から手を離し、その両肩が落ちる。


 それは立派な羊角を持ち、赤い瞳、そして鋭い犬歯を持つ悪魔と思わしき要素こそ持ち合わせていたが、黒いツインテールに、本当に大事な部分しか隠されていない、ほぼ裸同然の10代後半の少女にしか思えなかったからだ。


「まさか堕淫悪魔(サキュバス)か?」


「サキュバス? …ああ。いえ、それは正式には種族名ではありませんよ。彼ら、彼女らの系統スキル如何でそう呼ばれることもある。人間で言うところの役職名みたいなものです」


 オクルスがそう言うのに、女悪魔は順繰りに全員の顔を見やっていく。


「彼女の名前はイゼリア。魅了(テンプテーション)の能力もありますが、れっきとした戦闘特化タイプです。レベルは60。この50体の中では一番秀でているリーダー格です」


「なら、その女の命令なら他の悪魔どもも聞くってことかよ?」

 

 ドゥマの問いに、オクルスは首肯する。


「他も全部が女型なのか?」


「いえ、イゼリアも含め3体だけが女性型です」


「その3人を見せてくれ」


「? 全員を出せますが?」


「いや、まずは女だけでいい。てっきり男だけだも思ってたからよ」


 ヴァルディガとドゥマの薄ら笑みを見て、オクルスは訝しげに思ったが頷く。


 オクルスがイゼリアに視線を送ると、彼女は頷くわけではなく軽く頭を振って見せた。


 そして、箱の奥から2つの人影がゆっくりと進み出てくる。


「ヒュウ! こいつは驚いたねぇ〜」


 ヴァルディガが口笛を吹く。


 1体はミディアムに揃えた金髪の上にハンティング帽子を斜向かいに被り、気怠げで胡乱な片目だけを髪の間から出した女性型。


 もう1体はやや赤みがかった髪を後ろでひとつにまとめた、ツリ目の若干幼さを感じさせる女性型。


 双方ともに服装や雰囲気はイゼリアに似たダークゴシック風の美女だったが、頭から生えでた角や、人間のそれとは異なる幾何学模様の虹彩から彼女たちが紛れもなく悪魔なのだと知れる。


「側近に当たるノーリスとリヴェカです」


「女が上に立っているのか?」


 ヴァルディガの挟んだ疑問に、オクルスは不可解そうな顔を浮かべる。


「性別の指定はなかったかと…」


「あー、いや、その通りだ。別にいいんだ。少し嬉しい誤算というか、サプライズだったんでね」


 オクルスは、イゼリアたちを見て目を細める。


「別の意味でも楽しませてくれそうだ」


 ヴァルディガが下卑た笑いを浮かべて言うと、イゼリアたちの視線が彼に向く。


「この人が御主人様?」


「そうです。貴女方の所有権は…」


 オクルスが説明を終える前に、イゼリアは音もなく前に進み出る。


「よろしくな。俺はヴァルディガだ。こっちはドゥマ」


 ヴァルディガが笑いかけると、イゼリアたちも柔らかく微笑む。


「こちらこそヨロシク。ヴァルディガ様」


 イゼリアは手を差し出す。従順な態度に気をよくしたヴァルディガが握手しようとした瞬間、イゼリアの表情が真顔になる。


「シャアッ!!」


 イゼリアは差し出した手の指を広げ、そのままヴァルディガの首元を狙う。

 それに合わせるかのようにノーリスがオクルスに向かい魔法を唱え、リヴェカは一足飛びにドゥマに襲い掛かる。


「やめろ」


 オクルスはノーリスの脚を鞄で払い、腕輪を掲げつつそう言う。


「グッ!」「ち、ちくしょ!」


 イゼリアは前屈みに苦しそうに呻き、リヴェカは地面に突っ伏して動けなくなる。


「今のは危なかったな。俺としたことが、直前まで殺気をまったく感じなかったぜ」


「人間なぞに従うかよ! クソが! クソにまみれて死にやがれ! ウゴッ!!」


 苦しみつつも叫ぶイゼリアの顎を、ヴァルディガは容赦なく蹴り上げた。


「……相手は悪魔です。見た目で判断して油断されぬように」


 下から射殺そうとせんばかりの視線を向けてくるノーリスを冷やかに見やり、オクルスは言う。


「わーってるよ」


「コイツら急に襲いかかって来やがって! ふざけんな!」


 剣を抜いたドゥマは落ち着かなさそうに、リヴェカの前を行ったり来たりする。

 リヴェカは近づいた度に拳を振り上げようとするが、起き上がることすらままならなかった。


「ま、これぐらい元気じゃねぇとな」


「アニキ!」

 

「俺が提示したのは、“最低限の命令を聞く知性”だ。反抗しないってのは条件に含まれてねぇよ」


 ヴァルディガは、箱の中から光る目たちが唸り声を上げているのを見て、イゼリアたちと示し合わせて一気に襲い掛かる算段だったのだろうと理解する。


「制約の腕輪は物理的な制限を掛けるだけであり、精神面で従属させることはできません。“計画”に組み込むには不向きかと」


「それはこっちの問題だ。ミスター。お前が気にする事じゃない」


 オクルスは「確かに」と頷く。


「悪かったな。俺がいけねぇのにな、自分の不甲斐なさについカッとなっちまったぜ」

 

 ヴァルディガは、イゼリアの髪を乱暴に掴み持ち上げる。


「綺麗な顔を台無しにしちまったか? 顎が割れたかね? まさか悪魔がそんなヤワじゃ…」


「ベッ!」


 イゼリアが血反吐をヴァルディガの顔に吹き付け、ドゥマが「あ!」と間抜けな声を上げた。


「……ちょっと前も似たようなことがあったな。最近は人様の顔に唾を吐きかけんのが流行ってんのか?」


「殺す。殺してやる。ヴァルディガ。オメェの名は覚えた。そしてそこの商人オクルス。オメェらは、オレさまが内臓引き摺り出してのたうち回らせた挙げ句に殺してやる…」


 ヴァルディガは「アァン?」と凄みながら顔を合わせてしばらく睨み合うが、どちらも視線は逸らさなかった。


「……気に入った。離してやれ」


 ヴァルディガは髪からパッと手を離し、剣先をリヴェカに突き付けていたドゥマにもそう命じる。


「アニキ! 危険っすよ! コイツらは!」


「危険を承知で大金払ったんだ。

 ミスター・オクルス。これで仕事は完了だな」


「……素晴らしい取引(ブオン・アファーレ)でした」


 オクルスは丁寧にお辞儀してみせた。


「それでだ。アンタにゃ、もう必要ないだろ? それ、オマケに貰えたりはしねぇか?」


 ヴァルディガは自身の手首の腕輪をトントンと叩き、そしてオクルスの腕輪を指差す。


「……申し訳ありませんが、私はしばらくこの国に滞在するつもりですので」


 しばらく悩む素振りを見せ、オクルスはイゼリアたちを一瞥して言う。


「アンタを襲わせたりはしねぇよ。約束する」


「……商人というものは、決して荷崩れしないとわかっていたとしても、荷馬車には保険を掛けているものです」


「用心深いな。それが成功する秘訣か?」


 オクルスが真面目きって頷くのに、ヴァルディガは鼻で笑う。


「それならよ。サニード・エヴァンの件は少し軽率だったな」


「……なんの話でしょうか?」


「とぼけなくたっていいんだぜ。ディバーと交渉しているのは知っている」


 オクルスは目を細める。


「それにシャルレドに…あー、なんて言ったか。犬娘も向こうだろ」


 ヴァルディガがそう言うのに、ドゥマは「え?」と目を丸くさせた。


「そこまで知っていて?」


 オクルスはわずかに腰を落として身構えるのに、ヴァルディガは大袈裟に手を振ってみせた。


「ああ。勘違いすんなよ。取引は無事に終わった。ベイリッド様はアンタを専属として雇いたいみてぇたが、別にどっちだっていい。ハイドランド側と取引したって違法でもなんでもねぇ」


 イゼリアは怪訝そうに、ヴァルディガとオクルスを見やる。


「……理解に苦しみますね。貴方は自ら弱点を晒しているように見えます」


「そうだよ。そっちの方が面白いからな」


「面白い?」


 目的を達成するという欲求しかないオクルスは、ヴァルディガの言っている意味がわからず困惑する。


「なんだよ。アンタも面白いと思ったから、ハイドランドの方についたんじゃねぇのか?」


「いいえ。サニードの行動は彼女の独断です。確かに手助けはしましたが、私はベイリッド閣下に付く方がより有益と考えています」


 ヴァルディガは毒気を抜かれたようなキョトンとした顔を浮かべる。


「……なんだよ。まだ“名器”の設定を続けんのか? 弱味はそこじゃねぇだろうがよ」


「なんですって?」


 オクルスが尋ねると、ヴァルディガは「ハハハ!」と大声で笑いだす。


「サニード・エヴァンは、ベイリッド・ルデアマーの娘だ」


 オクルスの目が大きく見開かれ、ドゥマが大きく口を開く。


「あ、アニキ…」


「お前に話したわけじゃねぇ。黙ってろ」


 ヴァルディガはドゥマに目をやることもなく、ただオクルスの反応を見続ける。


「その顔は知らなかったって感じだな?」


 オクルスは自分が反応してしまった事に心の中で舌打つ。


「なんなんだろうな。オクルス、サニード。アンタらの繋がりは上っ面だけに見えんだよ。それでいて、俺たちを出し抜いてなんかできると思い込んでやがる」


 ヴァルディガは演技ぶった身振り手振りでもって話す。


「俺とベイリッド様は違う。”センティネルズ”じゃ、互いに信頼し合い、相手の気持ちを完全に理解しなきゃ生き残れなかった。ドラゴン討伐専門レンジャーってのはそういうもなのさ」


 昔を懐かしむようにヴァルディガはそう言い、大きくため息をつく。


「……だから、上辺だけ取り繕ったヤツは腹が立って仕方ねぇ。その澄ました顔の面ぁ、剥ぎ取ってやりたくなんだよ」


 獰猛な笑みを浮かべるヴァルディガに、ドゥマは青い顔を浮かべ、イゼリアはなぜか小さく笑いを漏らした。


「……ミスター・オクルス。これはお願いじゃない。命令だ」


 笑みの中に圧を持たせ、ヴァルディガはオクルスに迫る。


「ベイリッド様と俺の戦いを見届けろ。ハイドランド側でな。敵対する全てを叩き潰して、サルダンもシャルレドも全てを掻っ攫ってやる様を見せてやる」


(…恐怖? 歓喜? なんだこれは?)


 オクルスは自身の指が震えていることに気付いて目を細める。


「そうして、つまらねぇ小細工はなしで、アンタは俺たちに跪くんだ。心からな」


「……シヒヒッ。なるほど。それは確かに面白い」


 初めてオクルスが笑みを見せたのに、ヴァルディガは満足気にする。


「次は戦場でだな」


「ええ。ご武運をブォナ・フォルトゥーナ

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