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069 悪魔の引き渡し①

(およそ3,000文字)

 ペルシェから東方に数キロ、奥深い森の中に大きな崖と滝があった。名も無き名所であり、知る人は地元の者であっても少ない。


 雨季には切り立った崖の上にまで氾濫した泥水で溢れ返るのだが、今は実に穏やかなもので、小動物たちが川辺に降りて水を飲み、小鳥が鳴いて木の上に巣作りまでしている。


 オクルスはしばらく滝の流れと、陽射しによって生じた虹を見やっていたが、そこには自然への感動も畏怖もなかった。ただ現象を現象として見やっていただけである。


「さすが時間通りだな」


 後ろから声をかけられ、オクルスはゆっくりと振り返る。

 彼が予想していた通り、ヴァルディガとドゥマだった。


「ん? お気に入りの娘とは一緒じゃないのか?」


「ええ。彼女はこの取引とは関係ありませんので」


 サニードはついて来たがったのだが、セフィラネとのやり取りや、ゼリューセとの打ち合わせなどで忙しかったこともあり、オクルスは敢えて置いて来たのだ。


「ま、いいさ。それより、今日が約束の日だな。受け渡しを…」


「アニキ! こいつ手ぶらですぜ! 周りにもなんの気配もない! 騙し討ちだ!」


 ドゥマがいきり立つのに、ヴァルディガは両手をバンザイさせて呆れた顔をする。


「馬鹿だな。いいから黙っていろ。騙し討ちするのに姿を現すかよ」


「でも…」


「うるせぇ。なんならお前は先に帰ってもいいぞ。ついて来いなんて一言も言ってねぇ」


「そんな…」


 ドゥマはシュンと肩を落として黙りこくる。


「先にこれが約束の金だ」


 ヴァルディガは真っ黒な鞄を放る。ドゥマは「あ!」と驚いた顔を浮かべた。


「ちゃんと10億ある。1Eとして欠けてねぇよ。ベイリッド様が先に全額払えって言ったからな」


 支払いの分割を申し出たことへの悪びれもなく、ヴァルディガはニヤリと笑ってみせる。


 オクルスは地面に落ちた鞄を持ち上げ、「確かに」と頷いた。


「中は確認しなくていいのか? 偽札かも知れねえぞ?」


「重さでわかります。偽札はまずないでしょう。ベイリッド閣下の名前に傷がつきますから」


 なんてこともないとオクルスが言うのに、ヴァルディガは少しだけ驚いた顔をしてピューと口笛を吹いた。


「では、こちらも…」


「その前にひとつ聞きたいことがあるんだけどよ」


「? 聞きたいこと?」


「アンタ、キマイラを調達することは可能か?」


 オクルスはヴァルディガの真意を測りかねて目を細める。


「可能ですが、時間はかかります」


「また時間か。悪魔を用意するより大変か?」


「そうですね。野生では生息していない魔物です。つまり絶対的な個体数が少ないので、確保するのはなかなか骨が折れますね。それに魔術に精通した者でないと扱いが難しいです」


「ふーん」


「そもそもキマイラを操れるほど魔術に長けた者ならば、自分で造る方が早い。コレクターでもない限り、魔物商から買うのは滅多にないことです」


 ヴァルディガは「なるほどねー」と頷く。


「もうひとつ聞きたいんだが」


「なんでしょう?」


「襲撃にキマイラを使ったりするもんかね?」


 奇妙な質問だとは思いつつも、オクルスはしばらく考えて、ようやくのことで口を開く。


「いいえ。能力は非常に高くても、意思疎通が難しい魔物です。よい手段とは思えません」


「それでも使うとしたらどんな場合だと思う? どんな人間がそんなことをする?」


「……先に少し言いましたが、希少かつ見目麗しいことから、コレクターが好む魔物ではあります」


「強そうだしな」 

 

 ヴァルディガは頷いて同意する。 


「見た目の派手さで選んだとすれば、体裁を気にする虚栄心の強い人物でしょうね」


「……そっか。はー、なるほどな。参考になったぜ」


 空を見やり、ヴァルディガは自身の頬を撫でて言う。


「キマイラがご入用で?」


「いや、いいんだ。ちぃと聞きたかっただけでね。最近、マンティコアと殺り合ってさ。興味が湧いたんだ。似てんだろ? コイツらはさ」


「まったく別種の魔物ですが…」


「そうかい? そこら辺はトーシローでさ」


 オクルスは、ドゥマの視線が揺れてることでそれが嘘なのだとは察したが、ヴァルディガの意図しているところまでは理解が及ばなかった。


「さ、本題に戻ろうぜ」


 詮索を打ち切る様にヴァルディガはパンと手を叩く。

 オクルスは頷くと、どこからか小さな宝箱を取り出した。蓋を開いてヴァルディガに差し出す。


「へー、これがそうかい?」


「はい。制約の腕輪です」


「意外と飾り気ないのな。もっと派手な装飾でもついてるもんだと思ったぜ」


 ヴァルディガが取って手首に巻きつけたそれは、蛇の鱗の様な模様の入った細いリングだった。赤い宝石こそついているものの、アクセサリーとしては地味な物だ。


「くれぐれも外さないで下さい。彼らが使う“呪音”などからも身を守ってくれます」


 オクルスが自身の左腕を上げると、そこにも制約の腕輪があった。


「呪音?」


 ドゥマが怪訝そうに尋ねる。


「高等悪魔が使う洗脳スキルだ。キマイラの誘惑(チャーム)…いや、歌精霊(セイレーン)どもの使う誘惑(セダクション)に似ているが、相手とのレベル差がありすぎると錯乱することもある」


 キマイラの名前を出して、ヴァルディガは若干気まずそうにして言い換える。

 オクルスは訝しく思ったが口には出さなかった。


「錯乱って…マジすか。え? なら、オイラの分は? 腕輪がないとマズイつーんなら…」


「2つしかありません」


 オクルスがそう言うと、ヴァルディガは肩をすくめる。


「お、おい! ならオイラはどうしろって言うんだよ!」

 

「腕輪の持ち主の半径3m以内にいれば呪音は防げます。彼らに命令や指示こそできませんがね」


 ドゥマは目を瞬くと、ヴァルディガの側に一歩近づく。ヴァルディガは鬱陶しそうに払う仕草をした。


「これから喚びますが、いくつか注意事項をお伝えします」


「なんだ?」


「これから喚ぶ悪魔たちには予め“制約”を掛けています。しかし、だからと言って逆らうことができないわけではありません」


 ヴァルディガは「んん?」と首を傾げる。


「それ、矛盾してねぇか? 逆らわせないように制約してんじゃねぇのかよ?」


「雇い主に直接的な害が加えられないだけです。悪魔は口が達者な者が多い。婉曲的に損害を与える術も知っています」


 ドゥマは眉間にシワを寄せたが、ヴァルディガは「ははーん」と頷く。


「つまり、悪魔の口車には乗るなってことか」


「そういうことです。くれぐれも軽率な契約は結ばれないようにご注意下さい」


「アンタが腕輪をつけている理由もそういうことかい?」


「ええ。譲渡が終わった瞬間、用意した魔物に商人を襲わせる…少なからずそんなことを考える人間はいますからね」


「お客の信用第一じゃないのかい?」


「そこはお互い様でしょう。私が前金制を用いないのは、顧客の信用を試したくないからです」


 オクルスは鞄を軽く叩いて言う。後金を支払わずにあわよくば踏み倒そうと考えていたヴァルディガは「あー、その通りだな」と頭を掻いてみせた。


「説明は以上です。では、始めましょうか」

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