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064 商品の検討

(およそ5,000文字)

『ふーん。なるほどねぇ〜』


 水晶球越しに、セフィラネは爪をヤスリで磨いてフッと吹いた。その様子はとても真剣に聞いているようにはサニードには思えない。


「あ、あのさ」


『なぁに?』


「ウチのこと、面白く思ってないのはわかるけど…」


 セフィラネは下から探るように見てくる。湾曲している水晶球のせいで、その暗い闇に浮かぶピンク色の虹彩が一際大きく見えた。


『アタシはプロよ。仕事はキッチリやるわ』


 ヤスリを横に置いて、セフィラネは脚を組む。下着まで見えそうになって、サニードは赤面しそうになった。


『ゼリューセ・ルデアマー。こっちに対抗方法を考えさせるのはなかなか賢いわね。こっちがオクルスの手の内を知ってる前提で話を進めているわ。そんなの拒否すればよかったのに』


「え? ウチはオクルスの取引についてはなんも話して…」


 サニードがキョトンとするのに、セフィラネは心底小馬鹿にした様に笑う。


『話してなくても、この話に“沈黙の肯定”をしたのよ。知らないのなら、「そんな曖昧な取引はできない」って突っぱねるもの。それを黙っているってのは、オクルスがベイリッドに何を売ったか知ってると捉えるわよ』


(あー、ウチ、その前にオクルスの取引内容は話せないって言っちゃってたし…)


 サニードは頭を抱える。


『いまさら後悔してもなんにもならないわ』


「セフィラネは…仮に、これでゼリューセ…ハイドランド側が敗けたらとか考えてるの?」


『勝敗は興味ないわ。オクルスはそう言ったんじゃないのかしら?』


「あー。うん。確かそんなこと言ってた。でも、セフィラネとどっちが商売人として上なのか競うってのも…」


『ならそういうことよ。その意味でなら、アタシも負けるわけにはいかない』


 自分だけが感情の温度が違う気がして、サニードは唇を噛む。


『…これが商売人よ。アナタも商売人を目指すなら、相手を利用して自分の願いを叶える術を身に着けなさい』


 セフィラネは、魔紋の入ったグリンを見やってわずかに目を細める。


「ウチは…」


『泣き言なんて聞かないわ。商品の話をしましょう』


 すっかり弱気のサニードに、セフィラネは顔を背ける様にして眼鏡を掛ける。


『オクルスが用意した上位悪魔は50体。要はこれを撃退できる戦力を確保できればいいのよね?』


「? ベイリッドやヴァルディガは?」


『依頼内容にはなかったんでしょう?』


「う…うん?」


 サニードは半信半疑といった感じで首を傾げた。


『なら、そこはアタシたちには関係ないわ』


「でも、どうしてベイリッドを倒せる武器とか戦士が欲しいとか言わなかったんだろう…?」


 ゼリューセは悪魔のことを知らないのだから、まずはベイリッドの方の対処をすべきじゃないかとサニードは疑問に思ったのだ。


『さてね。なにか当てがあるか、今回はドラゴンスレイヤーの周囲を押さえるだけで終えるつもりなのかもね』


「どういうこと?」


 セフィラネは面倒くさそうな顔を浮かべる。


『敵を全員ブッ殺してハイ終わり…とでも思ってるんじゃないでしょうね? 戦争ってのは独りで行うもんじゃないのよ。ベイリッドがどんなに強くたって、それだけですべてが決まるわけじゃないの』


「う、うん…?」


『戦力差でいえばディバー側が圧倒的に有利なわけ。そこを踏まえているからこそ、ベイリッドは上位悪魔を欲した……? んん? 悪魔?』


 そこまで言って、セフィラネはふと首を傾げる。


「どうしたの?」


『……いえ、そういえば、なんで悪魔なのかと思ってね』


「え?」


『強い魔物なら他にもいるわ。よりによって扱いづらい悪魔族を…。依頼者の要望なのか、オクルスの都合でなのか。どっちかしらね』


 セフィラネは『そこら辺がわからないなら考えても仕方がないか』と肩をすくめる。


「その強い悪魔に勝てる方法は…あるの?」


『……悪魔祓いの専門職ってのがレンジャーにはいるわ』


「専門職?」


『ええ。最適なのは退魔師(エクソシスト)ね。どんな悪魔に対しても力を発揮する、言わば天敵てやつよ』


「な、なら、それを雇えれば…」


『そう簡単じゃないわ。ここ数十…いえ、数百年。平和になってからはとんと見なくなったわ。まったく居ないってことはないだろうけれど、捜すには時間もお金もかかるわね』


「お金はともかく、時間は…」


 セフィラネは『わかっている』と頷く。


『他にも悪魔討伐を生業としている業者はいるわ。幾つか冒険者ギルドを紹介してあげる。区域外特別任務…出張扱いになるから、別途料金が掛かるけど』


「? ペルシェやディバーにはいないの?」


『少しは頭を使いなさい。悪魔が発生しない地域にいるわけないじゃないの。それに、そこら辺のレンジャーはせいぜいレッドランク止まりでしょ。中位悪魔ミドルデーモンを倒せるかどうかも怪しいわ』


 セフィラネは、サニードに紙とペンを用意するように言う。


 サニードが言われた通りに水晶球の横に置き、セフィラネが人差し指をクイッと動かすと、ペンが勝手に動いて紙に文字を書き出した。


『各ギルドに所属している“デビルハンター”の特徴や能力、雇入れる際の手付け金。費用についてはギルドへの登録依頼費と斡旋料なども掛かるけど、そこはオマケしといてあげる』


「ちょっと…」


『ここに書いてあるのは請負最低額ね。そこからチームアップだ、追加の任務だとかなるとさらに支払う報酬が上乗せされるけど、だいたいは現場でレンジャーと直接交渉となるわ。そこはギルドも暗黙の了解ってやつね。そこからの金額交渉はアナタ次第。ここに自分の取り分を考えてやんなさい。そうじゃないと赤字よ』


「ちょっと待って! それってウチが…」


 困惑したサニードは書面をチラッと見て目をまん丸にさせる。


「3,000万E!? え!? これ1人雇うだけで!?」


『それでも格安よ。相手が上位悪魔なら1億でもおかしくないわね』


「い、1億…」


『あと、忠告。具体的な悪魔の総数は言わないこと』


「え? なんで?」


『単純な話、討伐難度が上がるからよ。それに応じて金額も嵩むわ。グレーターデーモンなら、本来ならパープルやブラックのレンジャーが対応しなきゃいけないレベルね。それが複数体となれば、数十億と掛かってもおかしくはないけれど、サルダン小国にそれがポンと支払えるとは思えないし』


 聞いたこともない金額に、サニードは目眩を覚える。


『そもそもこの時代に、パープルやブラックに認定されるレンジャーが少ないわ。今のレッドの中にはその強さを持つレンジャーもいるでしょうけど、そんなのをイチイチ選別している余裕はないでしょ』


 レンジャーに対しての知見を持ち合わせていないサニードは頷くしかできなかった。


『依頼者側の情報の秘匿はご法度だけれど、悪魔退治には相応のリスクがあるってのを普通のレンジャーなら理解してるわ。…それでも、もしトラブルになる様なら、アタシが仲裁に入ってあげる』


 セフィラネは指で円を作り、『有償だけどね』と付け加える。


『ああ、そうそうそう。それとぉ〜』


 セフィラネが急に猫撫で声に戻ったのに、サニードは訝しそうにした。


『もし、出てきた悪魔が“爵位(ノビリティー)”持ちなら要注意よ』


「ノビリティー?」


『ええ。悪魔族の種族位階は上中下だけじゃないの。他の魔物と違って、悪魔で“位”で示すのは、これが単なる種族の実力差なだけであって、本当の強さそのものの尺度とされるのがノビリティーよ。戦闘能力だけで言うなれば、それこそが本当の“級”に相当するわ』


「???」


『基本的に爵位持ちは最上位だけなんだけれど、中には下位悪魔(レッサーデーモン)でもそういう個体がいるわ』


「ど、どういうこと?」


 サニードが理解を示さないのに、セフィラネはため息をつく。


『レンジャーに例えるとわかりやすわね。彼らのランクは基本的にギルドに承認されない限りは上がらない。駆け出しのホワイトランクやイエローランクの中に、パープルランク級の猛者がいてもおかしくはないとは思わない?』


「うーん。そうだね。確かに」


『逆に言えば、いかに上位悪魔(グレーターデーモン)といえど、爵位持ちじゃなきゃ倒せる可能性があるってことよ』


「な、ならなんとかできる…?」


『…かもしれないという話よ』


「そんなぁ…。そこら辺、詳しくわかんないの?」


 サニードはガックリと項垂れる。


『アタシもオクルスの取引相手をすべて把握しているわけじゃないわ』


「それはシャ…ムグッ!」


 シャクルモーグの名前を出そうとした瞬間、セフィラネがなにか掴むような仕草をしただけで、サニードの口がパクンと閉じる。


「ルール違反はなしよ。手の内がわかってる賭け事なんて面白くないわ」


「ンーン!」


『それに向こうが強力な魔物を用意する時間があったのに、こちらは時間というハンデに加え、“倫理観”なんてダサい制限も掛かっているしぃ〜』


「…ッパ!」


 セフィラネが指を開くと、サニードの口も開く。奇妙な魔法に、サニードは目を白黒とさせた。


「り、倫理観って?」


『こちら側も強力な悪魔を使えれば…』


「悪魔を喚び出すってこと!? そんなの絶対にダメだよ!」


『それはどうしてかしらァ?』


 セフィラネは口元をニヤリとさせて挑発的に尋ねる。


「……それをやったら、ベイリッドやヴァルティガとおんなじになっちゃう」


『テイマー見習いの言うセリフかしらね』


 セフィラネは、サニードの抱きかかえるグリンを見やって鼻で笑う。


『まあいいわ。方法、機会は与えてあげた。後はアナタと領主代行がどこまで考えてやれるかよ』


 サニードは強く頷く。


「セフィラネ」


『なぁに?』


「ありがとう」


 セフィラネはほんの一瞬だけ目を見開き、それから眉根のシワを深く寄せた。


『……やめて。言ったでしょ。アタシはビジネスに私情は挟まないだけ』


「それでも、セフィラネがいなきゃ…ウチはベイリッドに対してなんもできなかった」


『なにもできない? そうかしらね?』


 セフィラネは妖しく微笑む。


「え?」


『いいこと。生きてるうちに頭を使いなさい。サニード・エヴァン。ルデアマーがこちらを利用してくるのなら、逆にこちらも利用してやることができるのよ』


「それって…」


『話はここまで。あとは自分でお考えなさいな』


「あ…」


 そう言って、水晶玉に映っていたセフィラネの姿は掻き消えてしまったのだった──。




□■□




「……よかったのですか? セフィ様」


 後ろに控えていたセージが遠慮がちに疑問を口にする。


「なにが?」


「いえ、てっきりセフィ様はサニードお姉ちゃんを貶めたいのかと…」


「オクルスが納得しないでしょ。それに悪意を持って接すれば、メディーナが先に気付くわ。あの娘をとても気に入ってるもの。ふたりにキラわれるのはゴメンよ」


 不貞腐れたようにセフィラネは手の平を顎に当てる。


「しかし、あそこまでヒントを与えなくともよかったのでは?」 


「いいのよ。これで“自分の使い方”に気付くのなら、それはあの娘の才能と素直に認めるべきでしょ。でないなら、単なるおバカさんよ」


 爪ヤスリを化粧棚に放り、セフィラネはひとつ欠伸をする。


「現状、ベイリッド・ルデアマーを倒すことはできない可能性が高い。サニードが腹を決めるか、ゼリューセとかいう温室育ちのお嬢様が……」


 セフィラネは白けた顔で頭を振る。


「バカバカしい。そこはどうでもいいわ。…それより気になる噂があったの」


「気になる噂…ですか?」


「『凝黒の花蕾』が見つかったって話」


 セージの目が驚きに見開かれる。


「まさか…。オクルスは……」


「まだ噂の段階。けど、これが本当としたなら……」


 セフィラネは生真面目な顔で水晶を見やる。


「……サルダン小国どころか、ガットランドが消えることになるかもね」

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