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040 恋する女の闘い

(およそ5,500文字)

「う、うおえぇぇぇッ!!」


 サニードは洗面所で盛大に吐いた。


 さっき“見たもの”が信じられなくて、それを信じたくなくて、感情がグチャグチャになっていた。


「オクルスが…人を…食べた…」


 無数の蛇のようなものが、闇から這い出て来て男の身体にと喰らいつき、徐々に溶かしつつ呑み込んでいく、それはなんとも悍ましい光景だった。


「あんな…あんまり…な…ウブッ!」


 青い顔をして口元を抑える。なによりも、闇の中で無数に動く目が人間のそれとは違い、生理的な嫌悪感や忌避感を抱かせた。


「オクルスは…魔物…わかってた…ハズなのに…」


 セフィラネに言われた事が、頭の中をグルグルと巡る。


「ウチ…ウチは……」


 決意が鈍る。“こんなこと”で自分の心がかき乱されるのがサニード自身にも驚きだった。


「エヴァン郷を出た時に覚悟して……え?」


 脚に柔らかい感触を覚え、サニードは振り返った……




□■□




 いつもと変わらぬ静かな島の朝。いつもと同じように燦々と朝日が差し込む書斎で、いつもと同じようにダージリンティーを嗜む。


 セフィラネは丸眼鏡をかけて、これから会う顧客の情報が書かれたリストを見やっていた。


「セフィ様」


「おはよう。セージ。気持ちのよい朝ね」


 狐耳の白いスーツ姿の青年が入って来たのに、セフィラネは片手を上げて挨拶する。


「ゲートロードは正門のところに?」


「はい。仰せられた通り設置しましたが…」


「アタシがあの()を助けたのが意外?」


「いえ…」


「言いたいことはわかるわ。食べさせてしまうのもひとつの手だったけれど、あの()の血肉の一片でも、オクルスの一部にしたくなかったの。女心ってそんなものなのよ」


「あの、実は…」


 セージが言い淀むのに、セフィラネは怪訝そうに眉を寄せる。




□■□




 早足でやって来たセフィラネが、リビングルームの扉を勢いよく開く。


「ん? おっふよう! ごちなっまっふッ!」


 セフィラネの目に入ってきたのは、パンを頬張りながら頭を下げるサニードであった。


「な、なんでアナタがここに…」


「? おなふぁがふぃたから?」


「口に物を入れながら喋らないで! 飲み込みなさい!」


 サニードは口の中の物を、オニオンスープで飲み込む。その行儀の悪さに、セフィラネは頬をひきつらせた。


「…ッハー! お腹が空いたから、先に食べてたの!」


「は? 違う違う違う! そんなこと聞いていない! なんでアナタは帰らず、この屋敷にまだいるのかを聞いてるの! 昨日の“あの光景”を見たんでしょう!?」


 セフィラネがそう叫ぶのに、壁を背にしていたオクルスが不思議そうな顔を浮かべていたが、彼女はそれを見なかったフリをしてサニードにと対峙する。


「うん。見たよ」


「なら! ならならなら! 逃げて出て行くのが普通でしょ!? 町に帰るハズ!!」


「なんで?」


「なんで…って、彼は人間を喰う化け物なのよ!?」


「肉はウチも食べる!」

  

 サニードは振り下ろしたフォークでソーセージを勢いよく刺す。


「……は?」


「オクルスが人を食べてるのを見てビックリしたし、気分はスッゴーク悪かった。最悪。けど、ウチもこうやってなにかを食べなきゃ生きられない。だから、オクルスもそうなんだって思ったの」


「意味がわからない…。メルシーや鳥とは違うのよ? 近似種を食べられて、そんな風に割り切れるなんて…アナタどこかおかしいんじゃない?」


「そうだね。ウチはどっかおかしいのかも。そうじゃなきゃ、魔物から何かを教わって、商人になりたいなんて言わないだろうし」


「異常異常異常! アタシは異常だって言ってるのよ!」


「セフィ様」


 セージが後ろから声を掛けるも、セフィラネは「わかってる」と手で払う仕草をした。


「……鈍感娘。こちらが譲歩していれば、ホントに辟易とするわ」


「それはどうも」


 手についたパンのクズを払い、サニードは肩を竦める。


「もうハッキリと言うわ。アナタはオクルスとは一緒にはいられない。そんなものは認めない。それに、そんな生活は一時的なもので上手くいくはずもない」


 セフィラネはコホンと咳払いする。 


「いい? サニード。商人になりたいのなら手助けはしてあげる。なんなら軌道に乗るまでサポートしてあげてもいい。だから、今までのことは忘れなさい。わかった?」 


「それ、オクルス本人がそう言ったの?」

 

 サニードが、オクルスを指さして尋ねる。


「言わなくても、そんなことわかるでしょう!!」


「わかんないし、イヤだと言ったら?」


「こんのアマッ! 下手に出てりゃいい気になりやがって!! オクルスの側に、アタシ以外の女がいるのは許さないってんだよッ!!」


 セフィラネの額に角が生え、肌色が青白くなり、全身を漆黒の魔力が包み込む。

 セージはそれを見て息を呑み込んだ。


「最初からそう言えばいいじゃん! でも、ウチはイヤだ! オクルスの側から離れないよーだ!」


 サニードは椅子を蹴って立ち上がり、オクルスの側に寄ってアッカンベーをする。それがセフィラネの怒りにさらに油を注ぐことになる。


「セフィラネ」


「オクルス! メディーナはアタシが説得する! だから、その女を殺せ! 今すぐに殺せ!!」


「なぜですか?」


 オクルスがそう言うのに、セフィラネは怪訝な顔を浮かべた。


「その娘が邪魔なんでしょう!?」


「そうだとしても、貴女に命令されて殺す理由もないですね」


「な…ん…?」

 

 まるでオクルスに拒絶された気がして、セフィラネはたじろぐ。


「なら、アタシがここで始末する!」


 セフィラネは軽く息を吸い、口をすぼめ、針のような物を吹き出す!


 オクルスは組んでいた腕を開き、翼の様にしてサニードを庇い、その針を弾いた。


「ま、まさか…」


 セージがあんぐりと口を開く。


 一瞬のことでなにをされたかわかっていなかったサニードも、床に落ちた鋭く太い針を見て「げえッ!」と声を上げる。


「【腐毒針アーゴ・アッヴェレナート】まで使いますか…」


 針を受けた自身の身体が腐食して溶け出すのを見て、オクルスは目を細めた。そして毒が回るのを防ぐべく、躊躇なく自分の腕を切断する。


「なんでその女を庇ったの!? オクルス!」


 この世が終わってしまったかの様な顔で狼狽するセフィラネは、戦闘態勢を解除したせいか角も青い肌も消えていた。

 

「……あれからサニードの有益性を少し考え直しました」


「えっえっえっ!?」


「セージの幻術を見破る魔眼の力…これは私にとって利益となる可能性があります」


「ええーッ?!」


「ですから…」


「この()が好きになっちゃったのォ〜!?」


 オクルスがさらに続けようとした時、セフィラネが涙をボロボロと溢すのを見て止めた。


「好きになったとはなんでしょうか?」


「好きは好きになったってことよ!? ヒドイ!! あんまりよ!!」


「せ、セフィ様」


 セージが止めるも振り払い、セフィラネはワンワンと泣き喚く。


「ちょっと待って!」


「なによ!」


 サニードが間に割って入って来る。


「400年だよね? ずっと一緒だったかは知らないけど、本人に直接聞いたの?」


「聞いた!? なにをよ!?」


「オクルスに必要とされなくなったら殺されるって言ってたじゃん」


 セフィラネは気まずそうな顔で、オクルスを見やる。


「ここでウチが聞いて…」


「や、やめて!」


「聞かなきゃわかんないじゃん! オクルス、どうなの!?」


「なにがですか?」


「やめて!」


「だから、セフィラネが用がなくなったら殺すかって聞いてるの!」


 オクルスは、サニードとセフィラネを交互に見やる。


「欠如なき魔商が用がなくなることがあるかは知りませんが、それだけで殺す理由にもなりませんね」


「だ、だってアナタ、言ったじゃない…。アタシに『意味がなくなったら殺す』って…前に…」


「? そんなことは言った覚えがありませんね」


「は? は? は?」


「『意味不明(・・)なことをするなら殺す』とは言いましたが…」


 セフィラネはキョトンとした顔をする。セージがなにかに気づいて、彼女の耳元で囁いた。


「……オクルスが独立するのを、セフィ様が妨害なさった時のことを言っているのでは?」


 サニードの大きな耳がピクッと動き、それから「ははーん」と頷く。


「そっかー。オクルス、自分のやる事を邪魔されるの大キライだもんねー。恋する女が色々と邪魔してきたら、そりゃ『殺す』とも言いたくなるよねぇー」


「〜〜ッ! 小娘! 小娘! 小娘!  なにを知ったようなことを!」


 セフィラネは涙目でキッとサニードを睨む。 


「400年一緒だったのに、アンタはオクルスのこと何も知らないんだよ!」


「アナタは、た、たった数日間だけの付き合いでしょうが!!!」


「そうだよ! たった数日間! それでも色々と知れたもん! なら、アンタは知ってる!?」


「なにをよ!?」


「オクルスはウチが食事した後に、皿を洗わないで割って捨てちゃうの!」


「な…」


「それだけじゃない! 床に落ちた食事とか気にしないで踏み潰しちゃうし、女の子の寝室にはノックなしに勝手に入ってくるし!」


「や、やめ…」


「ウチの下着は熱湯の中に放り込むし…なんか、そういう当たり前のことがわかってないの!」


 セージが「なんで下着を熱湯に…」と呟いたので、オクルスは「汚物には煮沸消毒が必要」と答え、サニードが「汚物とか言うな!」と怒る。


「これって、アンタがオクルスにあえて教えなかったんだよね!? 人間社会で他の女作らせないようにかなんだか知らんけどさ! 人間的な常識がない方が扱いやすいからじゃないの!?」


「違う違う違う! アタシは!」


「他にもオクルスは…」


「やめて! アタシが知らないオクルスの話をしないで…!!」


 両耳を塞いで、セフィラネはヒステリックに叫ぶ。 


「でも、怒るのは図星だからだろ! これ、アンタが言ったことだよ! 好きだから直接聞けなかったんだ!! 400年も時間があったのにさ!」


 すっかり弱々しくなってしまったセフィラネを見て、セージは深くため息をつく。


「サニードお姉ちゃん、その辺で…」


「セージ先輩?」


 サニードに言われ、青年セージは頷く。


「その姿で“お姉ちゃん”とか言われるのすっごい変な気分なんだけど…」


「昨日来たばかりのお姉ちゃんが、セフィ様を追い詰めていることで、僕も変な気分にさせられているよ…」


 セージはハンケチを取って、セフィラネの涙を拭う。


「……で、オクルス。君にとって、セフィ様は今はどんな感じなんだい?」


「どんな感じとは?」


 オクルスの返答に、セージは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「えーっと、セフィ様とサニードお姉ちゃんならどっちが好きなのか…みたいな?」


 セージは自分で言ってて「変なことを聞いてるな」と苦笑する。


 セフィラネはハンカチ越しに上目遣いをし、サニードも少し真面目な顔つきになった。


「好きとは有益性のことを問うているのですか?」


「あー、うん。もうそれでいいよ」


「それならば、欠如なき魔商の方が上です。魔眼とは比べるべくもない価値がある。彼女が調達できる品は、私よりも遥かに多い。有益(ユティル)です」


 オクルスはそう言って、昨日に手渡された宝箱を取り出す。


「それにセフィラネは私の師であり、ライバルであり、目指すべき目標です。“()与の商人”という名称は不名誉ではありますが、欠如なき魔商がつけたこの名を払拭した時こそ、彼女を越えた証となるでしょう」


「……だそうですよ。セフィ様」


「そ、そうよねそうよねそうよね! アタシがこんな小娘に負けるわけがないわよね!! ふん! ざまあみなさい!!」


 指差されたサニードは「調子に乗っちゃって」と頬を膨らませる。


「とにかく、セフィ様の件はこれで解決だけれども…」


 セージは、サニードの方を見やる。


「サニードお姉ちゃんの方は、オクルスの弟子のままでいいのかい?」


「弟子のままでいいってどういう意味?」


「オクルスはお姉ちゃんの魔眼に価値を見出した。けれど、彼の情報をバラされるってリスクよりはその価値はたぶん上じゃない」


 セージが確認するように見やると、オクルスは「そうですね」と頷く。


「……オクルスは人喰いの魔物だ。彼の側にいるってことは、君こそ役立たなった瞬間、もしくは彼の障害になった時には殺されるだろう」


 サニードは一瞬だけ考えるように床を見て、それから強く頷く。


「大丈夫。それでもウチはオクルスについて行く」


「……さっさとアナタがオクルスに喰われることを祈ってるわ」


 落ち着きを取り戻したセフィラネがフンと鼻を鳴らす。


「もういいでしょう。こんな無益な話は結構です。セフィラネ、鍵を下さい。朝になったら渡す約束です」


 セフィラネは頷き、胸元から豪奢な装飾のついた金色の鍵を取り出してオクルスに渡す。


「セージ。訂正するわ」


「はい?」


「今日は最低最悪の朝だわね」


 セフィラネは窓の外を見やり、疲れ切ったようにそう呟いたのであった。

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