036 欠如なき魔商
(およそ4,000文字)
「さあ、よってらっしゃい、みてらっしゃい〜」
大きな白亜の建物の前にある庭園。雲ひとつない青空の下、薄茶のシートの上にガラクタを並べ、狐耳の小さな少年が座っていた。
「どれもこれも安いよ〜。…お! そこの奥さん。お目が高いねぇ!」
誰もいない草原を前に、少年は指を立ててチッチッと振る。
「それは今朝、仕入れたばかりのテンモ綿でさぁ。旦那さんのマフラーにするにゃあ最適ですよ〜。ええ? いまは夫婦ケンカ中ですって? ありゃりゃ! それなら、こっちの麺棒はどうだい? パスタも作れるけど、口うるさい旦那さんを静かにさせる事にも使えまさぁ! さあさ、50Eなら……え? 高いですって? いやいや、ボクに首を吊れと? ひどいね! 泣いちゃうよ! あー、わかりました、わかりましたよ! まったく奥さんには敵わねぇや! ボクも男だ! 破格の30E! どうだい!? これ以上はビタ一文まからねぇ!」
「新品なら15Eが相場ですね」
「え?」
長い手が横から伸びて麺棒を取り上げたので、少年はギョッとした顔をする。
「しかし、この麺棒は汚れている。中古品ですね。手入れもされていない。売り物にするならば、綺麗にすることです。バンドル効果を狙うのなら、小麦やのし板とセットにして、30から交渉し、それで落とし所がようやく25から20ぐらいが妥当でしょうか」
「オクルス!」
「お久しぶりです。セージ」
「戻って来たんだね!」
セージと呼ばれた少年は、嬉しそうにオクルスの周囲を丸い尻尾を振って駆け回る。
「え、えっと、オクルス? この狐人の子は?」
「彼はセージ。見習い商人とでも言えばいいでしょうか」
セージの眠そうな眼が、サニードへ向けられた。
「オクルス。この人はだぁれ?」
「彼女はサニード。私の弟子です。貴方と同じく商人を目指しています」
「ホント? なら、ボクは先輩だね!」
腰に手を当てて偉そうにするセージ。
「う。か、カワイイ…」
サニードは母性本能を刺激されて、思わずそう口走った。
「ム! カワイイはダメ! ボクのことは、ちゃんとセージ先輩って呼んで! わかった? サニードお姉ちゃん!」
「う、うん。わかったよ。セージ先輩」
「よろしい! へへ! よろしくね!」
セージは満足そうに笑うと、おもむろにサニードに抱きついた。
「や、やわらかい…。あったかぁい。尻尾もフカフカ……あー、しあわせ!」
サニードはとろけそうな顔で、セージを抱き返す。
「セージ。先生に会いたいのですが」
「うん! お家にいるよ! 案内する!」
そう言ってセージはパッと離れてしまったので、まだ触りたりなさそうにサニードは手をワキワキとさせた。
「この島には、セージ先輩とその先生しかいないの?」
「そうだよ!」
「ああ、じゃあ庭でやってたのは物を売る特訓だったんだね」
「うん! お客さんがいないから、本を読んだり、イメージトレーニングするしかないんだ!」
セージはスタタッと先へ行き、サニードたちがそれに追いつかないと見るや、わざわざ戻ってきては、また先へ行くを繰り返す。そんな仕草も愛らしくて、サニードはホウッとため息をついた。
「先生、オクルスの顔を見たら喜ぶと思うよ」
「そうですね」
(オクルスは、この子のことをどう思っているんだろう…)
セージの話や問いかけに、オクルスは普通に答えている。しかし、それはサニードに対しても同じだ。これだけではなんとも判断がつかなかった。
(ても、子供に懐かれるってことは、オクルスはやっぱりそんなに悪い存在じゃないってことだよね)
そして、オクルスの背丈の倍はあろうかという巨大な玄関の前にと到達する。
「さて、セージの領域を抜けましたね」
オクルスが奇妙なことを口走る。
「あ、あれ? セージ先輩は? 前に居たのに…どこに?」
忽然とセージがいなくなったのに、サニードは周囲を見回す。
「あそこですよ」
オクルスが指差したのは、さっきまで居た庭の中央だった。
そこではセージが座り、誰もいない場所で啖呵売りを行っている。
「え? ええ? なんで? 案内してくれるんじゃないの?」
「サニード。彼が子供に見えますか?」
「え? そりゃそうでしょ。5歳か6歳くらい?」
「彼は門番です。年齢は貴女どころか、私よりも遥かに上です」
「ええ!? オクルスは100歳以上で…それ以外ってこと? そんなの信じられないよ!」
「貴女の魔眼ならば、正体を見破れるやも知れませんね」
「え? うーんと…」
サニードは目を凝らして、セージの方を視やる。
「なんかボヤけて…」
途端、ひとりで意気揚々と喋っていたセージが、無表情に首だけをこちらにグルンと向けた。
「あ、あれ…?」
サニードの眼に、幼子の後ろに立つ細面の美青年が視える。それはまるでセージをそのまま大人にしたかの様な姿をしていた。
──ああ。覗き見だなんて、悪い娘だね。お姉ちゃん──
パァンッ!!
「キャアッ!」
突如として、眼の前で何かが破裂する音がしてサニードは思わず身を屈めてしまう。
「な、なに…今の?」
オクルスがなぜか手刀を下ろしているのを見つつ、怯えたサニードが問うた。
「セージが魔力を飛ばして来たので弾きました」
オクルスの手から、パチパチと火花の様な物が散っている。
「……セージ。私の邪魔をするなら殺しますよ」
オクルスは低い声で言う。
「あう…うっ」
殺気を漲らせるオクルスを見て、サニードは息を飲んだ。
(チルアナの言っていたことは本当だった…)
さっきの親しげな様子がまるで嘘だったかのように、オクルスの目は暗く深く沈み込み、獣みたいに鋭い歯を剥き出しにする。
「うわぁーん!!」
「え?」
いきなり幼いセージが泣き始めたのを見て、サニードは驚く。思わず駆け寄ろうとしたのをオクルスに掴まれ止められた。
「セージ先輩。泣いているよ…」
「自分の領域に誘い込んでいるのです。彼の幻術に捕らわれたら、私でも容易には抜けられない」
臨戦態勢を取っていたオクルスは、セージがこれ以上は仕掛けて来ないと見て取って元の佇まいに戻る。
「行きましょう」
オクルスに促され、サニードが玄関の中に入る間、ずっとセージは泣き喚いていたのだった。
中に入ると、すでに外観から感じていたように、中は王宮の様な豪華な造りとなっていた。
幾つもの柱が並び立ち、床には金糸や銀糸で縫ったカーペットが一面に敷かれている。
「あの店屋さんの真似事も…罠?」
「あれは符牒です」
「“ふちょう”?」
「合言葉と言った方がわかりやすいですか? 私とセージの間で、金額のやり取りがあったでしょう」
「あ。うん。麺棒がどうこうって言ってた…」
「決められた物、数字…セージが定めた通りの正しい手順を踏まないと、玄関には辿り着けずに、“落とされ”ます」
「落とされるって…?」
「落とされたことがないので知りませんが、恐らくは海の底か地の底へ…“特殊限定魔法”というヤツです」
「というヤツって言われても、ウチあんまよく魔法について知らないんだけど…」
「一定の条件下のみという制約を受けることで、自分の本来の魔力量よりも巨大な魔法を使う手段です。セージの幻影魔法は、“この屋敷の庭のみで発動”…そういう限定的な制約を自身に課しているのです」
「門番として必要な力だったから?」
「そうです」
「お、教えてくれてありがとう…」
「どういたしまして。さあ、向かいましょう。先生は2階にいるはずです」
奥にある長い螺旋階段を昇って行く。段差があまりにも急で、サニードはここから落ちたら大変なことになるだろうと、もう遥か先にある1階の方を見やった。
「ここに居るのって、王様とかなの?」
天井からぶら下がる様々な国の国旗を見やり、サニードは気圧される。
「これは趣味ですね。コレクションのひとつです」
「コレクション? これ、ひとつで幾らだよ? 金持ちの道楽?」
「富豪ではありますね。これから会うのは、この世で持たぬものはひとつもないと言われる『欠如なき魔商』と呼ばれる大商人です」
「そ、それがオクルスの先生?」
サニードの脳裏に、頭にターバンを巻き、偉そうな跳ね返った口髭、金の壺に息を吹きかけて磨いている、でっぷりと肥えた壮年男性が思い浮かんだ。
ようやくのことで階段を昇り切り、突き当りにある扉にと辿り着く。その扉も玄関に負けず劣らずの大きなものであった。
オクルスはノックもせずに扉をおもむろに開いた。
「うっ!」
サニードの目にまず飛び込んで来たのは、部屋一面がピンク一色で染められ、クマのようなヌイグルミが壁面に山のように積まれた、まるで子供部屋の様なところだった。
「ま、まさか、ここが大商人の…」
サニードの中で大商人のイメージが上書きされ、まるで赤ちゃんのように指を舐めてお菓子を頬張る壮年男性にと取って変わる。
「オクルスゥー! オクルスオクルスオクルスゥー!!」
部屋の奥からヒョコッと飛び出し、顔をグシャグシャにしつつ走ってくる女性がいた。
「で、デカァッ!!」
薄い布越しに、上下に大きく揺れる胸を見やり、サニードは目を見張った。
「聞いて聞いて聞いて!! ベガラムじいさんったら、アタシにこーんな粗悪品を売りつけたのォ!!」
女性は青い胸飾りをオクルスに見せる。
「……イミテーションですね」
「そうでしょそうでしょそうでしょ! 魔法がかけられていたから、すっかり騙されて……あら?」
ピンク色のふんわりパーマと耳飾りが揺れ、その深い真紅の瞳がサニードを捉えた。
「まさかこの人が…」
「欠如なき魔商セフィラネ・ノクターナその人です」




