035 側にいる理由
(およそ3,500文字)
「ねえ、この格好、ヘンじゃないかな?」
「昨日と同じですね」
「もう! そういうことじゃなくてさぁ…」
サニードは鏡の前で何度も髪を整え直していた。
「オクルスの先生に会うんだから、おかしな娘だと思われない様に…あ、でも、オクルスもウチも外に行くなら“留守番”をまた置いて行くの?」
「いいえ。昨日の夜のうちに結界を張っておきましたから。よほど入念に準備しない限り、侵入は難しいでしょう」
オクルスが窓辺に触れようとすると、半透明の障壁が水面のように揺れる。
「オクルスってなんでもできるね。無敵じゃん」
「無敵ではありません。私の知恵や手段はすべて人間から学んだもの。これらを考えついた人間こそが、もっとも恐ろしい存在だと思いますね」
「へ? オクルスの先生って人間なの? 魔物じゃなくて?」
「会えばわかります」
オクルスは準備をすでに終えており、サニードが終わるのを佇んで待っていた。
「……オクルスだってさ」
「私がなんですか?」
「一昨日も昨日も、今日も同じ格好。お金あるのに、なんか少しオシャレしないの?」
「私のこの格好は、商売の交渉をするためだけのものです」
サニードはわざわざ椅子の上にと飛び乗り、オクルスから帽子を取る。
そして自分のカチューシャと入れ替え、代わりにとばかりにオクルスの頭にカチューシャを乗せた。
「アハハ、変なの!」
「…その帽子もスライムです。同化されますよ」
「えっ!?」
サニードは被っていた帽子を慌てて外す。
「冗談です」
「…は? え? オクルスも冗談を…?」
「貴女とシャルレドから学びました。…さあ、気が済んだのなら出発しましょう」
「ちょっと、待ってってば!」
サニードはもう一度鏡を見て、ニッと笑って見せてからオクルスを追いかける。
「あれ? 忘れ物?」
リビングの壁の前に立ったオクルスを見やり、空のリュックを背負ったサニードが問いかけた。
「ここならばいいでしょう」
「えっと、なにやってんの? 行くんでしょ?」
なにもない壁を押したり引いたりしているオクルスを見て、サニードは怪訝そうにした。
「“ゲートロード”を使います」
「は?」
「本来は【トランジション・ゲート】という高位移動魔法です。その代用となる魔法道具なのですが、1つにつき1箇所限りの使い捨てなので、使い勝手もコスパも悪い代物です」
オクルスは壁の四隅に、チェスの駒の様なものを貼り付ける。
すると、その駒同士から黒い紐状の帯が延び出て、それが徐々に激しさを増して渦を生み出す。
「す、スッゲェー!!」
「貴女の魔眼なら、この先が道になっている様に視えるかも知れませんね」
「え? オクルスには…道が視えないの?」
「ええ。私はこの先がどこに繋がっているのか知ってはいます。しかし、見えるのは渦巻く魔力の動きだけですね」
「……道が視えるよ。見たこともない森が、空が、大きな水? あれはヴァロン大河?」
「海ですね」
「初めて見た! 海…それが視えるよ」
サニードの白銀の瞳に、蒼い風景が映り込む。
「そうですか。それは貴女だけに許された世界なのでしょう」
「え?」
思いがけない台詞をかけられたことに、サニードは驚く。
「それはウチが特別って…」
「行きましょう」
「あ! もう! 待ってってば! 腕! 腕を組も!」
「なぜ?」
「は!? それ聞くの!? これは許容範囲でしょ!!」
「いえ、そうではなく…」
オクルスを追いかけ、サニードは黒い渦の中にそのまま飛び込む。
「へ?」
「もう、着きましたので」
薄暗い景色から一転、そこはサニードの視ていた先の森や空や海が辺りに拡がっていた。
「い、一瞬で着くの? さっきの道は?」
自分たちが入ったところを振り返って見ると、そこには入口と同じ渦が、崩れかけた建物の大きな柱に生じていた。
「“道”と言いましても時間や空間を隔てていますから。通常の認知であればそうなります」
「信じられない…。ここはどこなの?」
「我々の住む中央大陸リヴァンティズより、遥か南東にある名もなき島です」
「え? ちょっと待って。ここはサルダンでもなく、ガッドランドでもないってこと!?」
「そう言っています」
「いや、冷静に言わないでよ! 馬にも船にも乗らずに、こんな遠くに一瞬で移動できるなんて!」
「陸路や海路を使ったならば、およそ1年はかかる道程ですね」
「それに、海! こんなに大きいの!? 眼の前いっぱいの青じゃん!!」
森の端から見える海を見て、サニードは飛び上がってはしゃぐ。
「ねえ! もっと側で見たい!」
「後にして下さい。待たせています」
「あ。そうか…。先生が待ってるんだよね」
オクルスは不可解そうな目でサニードを見る。
「なに?」
「……いえ、もっと抵抗されるかと思いましたので」
「抵抗? もしかして、ワガママ言うってこと?」
「ええ。そうとも言いますかね」
「う、ウチだって時と場合を選べるから! 先生! 先生が優先でしょ!! 行こう! 行くわよ!! もちろん!!」
「……そうですか」
□■□
名もなき島は、半日ほど歩けば1周できてしまうほどの小さな島であった。
中央部分が森林地帯となり、その外周はほとんどが切り立った崖で、船などが接岸しにくく、まるで他者を拒むような形をしていた。
オクルスは深い森の中を迷うことなく、島の中央を目指してひたすら歩き続ける。
「なんで転移アイテムで移動できるのに、もっとその先生の家の近くにしなかったのさ?」
汗を拭いながら、サニードは疲れ切った顔で問う。
サルダンと比べて気温や湿度が高いせいで、森の中で生活していた彼女も環境に慣れずに疲労困憊していたのだ。
「外敵の侵入を想定しての事と、先ほどの遺跡の一部が目印となる“魔痕”をつけるのに適していたからです」
「マコン?」
「簡単に言うと目印です。大型魔力船などを誘導する浮標にも使われますね」
「つまり、どこでも好きには出入口にはできないってこと?」
「そうです。家などの人工物。人間種や魔物の生活空間には魔力による痕が残りやすい。それは多少の年月の経過があったとしても残ります。…これを追跡させることで、ゲートロードを使う条件が初めて成立するのです」
「ふーん。よくわかんないけどそうなんだ」
「使い勝手が悪いと言ったのもこのためです」
「あ。待てよ。いま、すごーくイヤなこと思いついたんだけど…」
「そうですか」
「いや、聞いてよ。あのさ、このゲートロードっての使えばさ、ウチを…この島みたいな無人島…」
「ここは無人島ではありません」
「それは知ってるよ! そうじゃなくて、ウチをどこか遠くの無人島へ連れてって、ペルシェに帰れなくすることもできるんじゃ…ないの?」
サニードは、オクルスの反応を見つつ尋ねる。
「そうですね」
「……なんでそうしなかったの?」
「殺すのも、遠くへ追いやるも、監禁してしまうこともすべて同じことです。いずれにせよ、メディーナは私に反発するでしょう」
「やっぱメディーナか…」
サニードは苦々しそうな顔をした。
「でも、メディーナはどうしてウチをそんなに気にかけてくれるの?」
オクルスの内側にいるであろうメディーナにと向かって、サニードは問いかける。
「貴女に感化されたからでしょう。スライム種は順応しやすい」
「オクルスも?」
「否定はしません。私もメディーナも自我は持っていますが、これを決定づけたものは先生や、貴女たち人間の影響によるものです」
「なら、オクルスもウチに…」
「それに貴女を側に置く理由は他にもあります。なにか問題があった場合に、即応するためにも手の届く範囲にいてくれた方が都合がいい」
「…それはオクルスの考え?」
「メディーナの意見に聞こえましたか?」
「ううん。そんなことない。…なんか木の根っこ多いから歩きづらいよ。手を握ってくれる?」
オクルスは振り返って手を伸ばす。サニードは少し嬉しそうにその手を握った。
(やっぱりそうだ。そこに“ちゃんとした理由”があればオクルスは応えてくれる…)
その関係性は希薄であやふや危険なものかも知れない。しかし、その冷徹で徹底的なまでの合理主義が、今の自分を守ってくれている様な気がサニードはしていた。
(ウチは…オクルスの側にいたい。彼の側にいる“理由”を見つけ……)
「見えてきましたね。あれが“魔商の館”です」




