027 便利な魔物
(およそ2,500文字)
「ただいま…うぇぃやァ!」
家に入ったサニードが変な悲鳴を上げたのは、扉を開いた瞬間にとんでもない熱気と腐臭を感じたからだった。
「なになに!? なにこれぇ!?」
目の前に飛び込んで来た光景に、サニードの銀色の目が驚きに見開かれる。
まず最初に見えたのは、大火力で熱せられて盛大に蒸気を上げている大釜だった。
蓋はガタゴトと揺れ、底の部分は熱が凄すぎるせいで真っ赤になっている。
「やけに遅かったですね。あと30分は早く帰宅できたはず…」
「いや、言われたヤツが市場になかったから探してたんだしッ! って、それよりなにやってんの!! あー! 壁がない!!」
リビングとキッチンを隔てていた壁が取り払われ、階段の反対側にあった小さな倉庫として使えるはずのスペースが剥き出しになっていた。つまり、1階部分が完全にワンフロアになってしまっていたのである。
「荷物を下さい」
「いやいやいやッ!!」
オクルスはリュックを取ろうとするが、サニードはそれどころじゃないと、プルプルと震えながらリビングのテーブルの脇を横切る。
「ど、どこからこんなものを…持ってきて…入れたってのよ? こんな短時間に…?」
サニードが心底驚いたのは、壁を取り払って作ったスペースに、人の背丈はある巨大な瓶が幾つも並び、その上を銅の配管が通り、天井の梁をグルリと回った挙げ句、終点である巨大な平テーブルの上の蓋付きの箱に繋がっている…そんな見たこともない装置を前にしたからである。
「これでなにを…」
「後で説明します。今すぐに必要な素材がありますから、先にそれを渡して下さい」
「う、うん…」
オクルスはリュックを受け取ると、その中身を平テーブルの上にズラリと並べる。
「全部揃えるの大変だったんだよ」
「そうですか。お疲れ様です」
そっけなくオクルスは答え、その中から星霜屑の入った袋を取ると、大釜の方へと向かった。サニードも後を追う。
「凄いニオイの正体はこれだよね。一体なにを茹でてるのさ? 食べれるの?」
「人間が食べるものではありません。それにまだ精製中です」
オクルスは釜の蓋を外すと、激しく煮えたぎっているところに、袋の中身を一気に放り込む。それは湯の中で弾けるようにしてキラキラと輝いた。
「おお! なんか奥にいっぱいある!」
湯気に気をつけながらサニードが覗き込むと、奥の方でなにやら石の塊みたいなものがたくさん転がっているのが見えた。
さらによく見ようとサニードが近づこうとする前に、オクルスは蓋をしめて上から重石を乗せる。なにやら弾ける様な音が釜の奥底から聞こえてくる。
「…なにをしたの?」
「表層に刺激を与えて脆くしています」
「それって、さっきの玉っころのこと?」
「ええ。これで外殻が壊れ、次の工程へ進めますが、あと1日は煮続ける必要があります」
「そ、そんなに? おダシでも取ってるみたい…」
「さて、夕方になる前に出掛けるところがあります。その前に下準備を終わらせてしまいましょう」
「下準備?」
オクルスは平テーブルの側に行き、椅子を引いて腰をかける。そして、なにやら装置の部品交換を始め出した。
「えっと、ウチはなにをすれば…」
「なにもしなくて構いません」
「いや、そんなわけには…」
ただ待っているのは退屈だとサニードは思う。そして机の上の料理本を見て「これだ!」という顔をした。
「いまのうちに夕飯をなんか作ろうか? 簡単なものなら、ウチにだって…」
「料理の経験は?」
「え? あー、いや、お肉を焼いたことくらいはあるけど…」
消し炭のように真っ黒に焦げた肉を思い出して、サニードはぎこちない笑顔を浮かべる。
「時間はかかりますか?」
「え? そりゃ、初めてやるから…手際良くとはいかないかもだけど」
「それならば、今日は私が作ります」
「え? でも、オクルスだって料理できるの?」
「やったことはありません。ですから、いまここで学ぶのです」
「え?」
不思議に思っていると、オクルスは左手で機材を弄りつつ、右手でサニードから料理本を受け取った。
「う、うあ…」
オクルスの顔面が消え、そこに無数の目が生じる。サニードは唖然としてその場で固まった。
「不気味と感じるなら席を外して下さっても構いませんよ」
無数の目のうちの1つが、サニードをジロリと見やる。
「い、いや。ちょっと驚いただけだって…」
「そうですか」
オクルスの右手を補佐するかのように、上腕から2本の触覚が伸び、物凄い勢いで本のページを送る。無数の目は上下左右に眼球を動かして、文字や絵を素早く捉えていった。
「それで読めているの?」
「私は複数で構成されていますから、読む部分を分担し、得た情報を後から統合するのです」
「便利…だね」
「人間が不便なだけです」
サニードはそこで気づいたのだが、オクルスの左手側にも目玉のついた触覚みたいなものが飛び出ており、左手は左手で機械の方を操作していた。
「に、人間業じゃない……あ、人間じゃなかったか」
サニードは彼が魔物なのだということを改めて認識する。
「……一通り覚えました」
「え? もう?」
オクルスはそう言うと、本を閉じて“普通の人間形態”へと戻る。
ちょうど同じタイミングで、左手の方も作業を終えた様だった。
「それでは出掛けます。サニードはどうしますか?」
「え? あ、ウチももちろん行くよ!」
「疲れているのなら家に居てくれても構いませんが…」
「いや、こんなことで疲れてないし! …もしかしてそれが狙いだった?」
「……いえ、別に」
「絶対について行く!!」




