025 家の購入
(およそ4,500文字)
オクルスが屋敷の外に出ると、サニードは使用人たちとなにやら揉めている様子だった。
「だから、魔法は使えないんだって!」
「ウソつけ。魔法を使えないエルフなんて聞いたことがねぇ」
「ハーフだもん!」
「ハーフだって魔力くらいあんだろ? 風魔法ひとつくらい使えなきゃ、掃除もできねぇじゃんか」
「うるさいな! できないものはできないの! オジサンたちだってホウキ使ってんじゃん!」
「俺たちはヒューマンだしな」
「でも、ハーフエルフのお嬢ちゃんが魔法使えないってのはねぇよな」
「無能だって言いたいのかコノヤロウ!」
「いてッ! コラッ! このガキ! ったく、こんな幼児を引き取る野郎も大概なロリコン…っと」
「誰が幼児な体型だッ! ハーフエルフは18を過ぎてからがスゴイんだから…あ」
「……サニード。なにを騒いでるのですか」
使用人たちに両腕を捕まれ、宙ぶらりんに脚だけバタつかせていたサニードは大人しくなる。
「部屋で待っているように言われたでしょう?」
「だって! 暇すぎたし!」
「遊んでいたいのなら置いて行きます」
「あ! 待って! 離してよ!」
使用人たちが離すと、サニードはアッカンベーをして走ってオクルスに追い付く。
「待って待って! 前にも言ったけど、脚の長さが違いすぎる上にさ、アンタは歩くの速すぎなの!」
「今日は色々とやる事があります。貴女の歩幅に合わせていては日が暮れてしまいます」
「いや、聞いて! お願いだから少し待って! 言わなきゃいけないことがあんだって!」
オクルスが急に立ち止まったので、走っていたサニードはその横をすり抜け、両足で踏ん張ってブレーキをかける。
「あの! 言っとくけど、忘れてたわけじゃないの! 言わなきゃ言わなきゃって思ってたんだけど、タイミングっていうか、それよりもウチがアンタに弟子入りできなきゃそもそも…」
「話は要領よく簡潔にお願いします」
「…はい。えー、昨日、実はウチに初めての後輩ができたんだよ。まさか昨日の今日でお別れすることなるとは思わなかったんだけどさー」
「要点だけ述べて下さい」
「はいはい! それがコボルトの女の子、チルアナってんだけど…あんたが会ってる人のハズ!」
「チルアナ? …ああ」
オクルスは市場であった出来事を思い起こす。しかし首を横に振ると、再び歩き出す。
「あーもう! 聞いてよ!」
「聞いてます。そのチルアナという少女は、ヴァルディガ氏が連れて行きました。貴女の居た娼館に連れて行かれたというのは、なんら不自然でもない事です」
「そう! それで、チルアナのことも助け…」
「却下です」
「まだ全部言ってない!!」
「大方予想がつきます。人間は同情から、自らが損をすることを厭わない。貴女はそういう性格です」
「勝手に決めるなよ! そうなんだけど、そう言われると腹が立つな!」
「そのチルアナを助けることに、私にメリットがなにひとつ無い」
「違うって! あんたの正体がバレたかもなの! …って、うひゃあッ!」
ひたすら前に向かっていたオクルスは、バッと振り返ってサニードを捕まえる。
そして彼女の肩をつかんだまま、路地裏への方へと入り込んだ。
「い、イヤだぁ…。こんなところに連れ込んでなにをするつもり…」
壁に押し付けられて、サニードは引きつった笑顔を浮かべる。
「それは冗談ですね? 冗談は結構です。貴女は私との約束を違えたということですか?」
「…いや、あんたが魔物だとは言ってない。上手く誤魔化したから」
「ならば、なぜ私の正体がバレたと?」
「それはウチのせいじゃないよ。あんたが悪い」
「…なに?」
「チルアナの怪我を治したでしょ? たぶん、メディーナ…?」
オクルスの視線が左右に揺れる。
「病気もそう?」
「……感染症の治癒であれば、メディーナにとっては得意分野に当たります」
「それ。怪我ならなんとでも言い訳できるかもだけど、病気とかになると話は別だよね」
会話の主導権を握ったことを察したサニードは口元を笑わせ、オクルスは手の力を抜く。
「……それで貴女はチルアナになんと言ったのですか?」
「商人だから、不思議な魔法アイテムを使った効果って言っといたけど〜」
「チルアナはそれを信じた、と?」
「ひとまずはね。さっき言ったように、ウチとチルアナと会って話したのは昨日だけだから」
「……」
「もし彼女が誰かに話したら怪しむ人がでてくるかもね」
「……どうしろと?」
「ウチにしたみたいに口止めじゃない? チルアナがお喋りかどうかは、昨日話しただけじゃわからなかったしィ」
「……有益な情報をありがとうございます」
「どういたしまして〜」
オクルスが手を離すと、サニードは少し乱れた着衣を直す。
「で、これから蘭芙庭に行くの?」
「“ランフテイ”?」
「ウチの居た娼館。場所知らないでしょ? 案内するよ」
「……いえ、今は営業時間外でしょう。交渉なら客として赴いた方がよい。ならば夜の方が都合がいいです」
オクルスがそう言うのに、サニードはちょっと不満気な顔をした。
「チルアナは娼婦じゃないよ?」
「理解しています。支配人と交渉する上でも、やはり夜の方が望ましい。いま赴いたとしても、反感を抱かれる可能性が高いでしょう」
これにはサニードも頷く。昼間にヴァルディガたちが来て、クズリの機嫌が悪くなるのはいつもの事だったからだ。
「やるべき事を先に済まし、夜に娼館に向かいチルアナと話す。これでよいですか?」
「うん! よいです!」
路地裏から出て、オクルスはややスピードを落として歩き始める。サニードはその後を続く。
「…で、これからどこへ?」
「しばらくこの町に滞在することになりました。ですから、まずは住処を買い求めます」
「え? 住処って…家? 宿じゃダメなの?」
「ええ。ちょうど足りなかったので、作らねばならないから丁度よいのです」
「足りない? 作らねばならない? ちょっと、ちゃんと全部教えてよ!」
□■□
オクルスとサニードは、住宅斡旋業者をいくつか巡り、市場に近い通りを1本挟んだ先の2階建ての家を購入する。
「わー! 思ってたより広いし綺麗だね。なんか薬師だかが住んでいたらしいけど、このアルコールっぽいニオイはそのせいかな?」
サニードは楽しそうに家の中を巡る。
入ってすぐにダイニングがあり、傷だらけの大テーブルにチェアが4脚。その中のひとつは脚が半分に折れてしまっていた。
奥にはキッチンがあり、ここの主だとばかりに大鉄釜が鎮座していて、これで数多くの生薬を煮ていたのか中が黄緑色に変色していた。
ダイニングとキッチンの境目に、粗悪な作りの急階段があり、上に昇ると3つの寝室があった。
「家族が多かったのかねぇ?」
サニードは2階の手摺りから、階下のオクルスに向かって言う。寄り掛かった際にミシッという嫌な音がして慌てて手を離した。
「…広さは充分ですね。隣に荷室もある様ですし」
オクルスはダイニングとキッチンの横のスペースを見て呟く。
「不動産屋のおじいさん、オクルスが大金貨を何枚も見せたらスッゲーびっくりしてたよね! アレ! 面白かったなぁ!!」
階段をドタバタと降りてくるサニードは、土埃を辺りに撒き散らす。オクルスは自分の身に掛かったものを払った。
「で! ウチたち、ここで暮らすんだよね? そうでしょ!?」
「…なにがそんなに貴女を興奮させているのか理解に苦しみます」
「だって! 家だよ!? 買うって言って買えるもんじゃないし! いや、金持ちなのは知ってたけどさ! いきなり、目の前で家を買うだなんて思わないじゃん! そりゃテンション上がるよ!」
サニードがクルクルとその場で回ると、バキッと腐っていた床が抜ける。すんでのところをオクルスが手を伸ばして掴まえた。
「あ、ありがと…。でも掃除だけじゃなく、あちこち修理しなきゃいけないね。あとカーテンもつけて、花も飾ったり、カーペットも買わなきゃね」
「それは後回しです。いまは貴女にとって最低限の物が揃えばいい」
「ウチだけ?」
「私はそもそも人間の住宅を必要としません。誰の目につかないという条件の、広いスペースがあればいい。貴女がいなければ、洞窟や廃神殿などを利用していました」
「ならウチのせい?」
「そうなりますね」
「……そう」
オクルスは銀貨を取り出してサニードに手渡す。
「なに?」
「お使いをお願いします。調合瓶4号形をひとつ、小平皿6枚、ニルビル茎を1束…」
「あー! 待って! 覚えられない! メモするから!」
サニードは壁に立てかけてあった黒板を取り、オクルスの言う物をメモしていく。
「どこで買えるの?」
「市場であれば揃います。それと貴女が食べるものを」
「オクルスは…」
「私は基本的に食事を必要としません。…そうですね。買い物が終わったら、貴女の生活リズムをそこに書いて下さい。睡眠、食事、排泄のパターンなどを大まかに」
「は、排泄ってトイレ!? トイレの回数を書けっての!? ウソでしょ?!」
サニードは恥ずかしそうに驚く。
「共同生活する上で覚える必要があります。貴女がそうしている間に、私はこの家を使う準備を整えています」
「準備って……はぁ、わかったよ」
前の住民が残した玄関扉に掛けてあったリュックサックを取り、メモした黒板を文字が消えぬように気をつけながらしまう。
横目にオクルスが片付けをしているのを見て、さっきまでのハイテンションはどこへ行ったのか、サニードはため息をついた。
「……風魔法のひとつでも使えれば、か。掃除なんて魔法さえ使えたらブァーッて払っておしまいだよね。役に立たないヤツでゴメン」
玄関の下に出来たササクレを足先で突っついているサニードを、オクルスはジロッと見やる。
「……魔眼の持ち主が、その能力を使えないのは魔力のコントロールを学んでいないからです」
「え?」
「魔眼の力が使える様になれば、魔法も必然と使える様になります」
「それホント?」
「ええ。私は教えることはできませんが、そういう事に詳しい知り合いがいます。落ち着いたら紹介しましょう」
「う、うん! わかった! 買い物行ってくるね!!」
慌ただしく出て行くサニードに、オクルスは「扉は閉めなさい」と言ったのだが、その言葉が聞かれることはなかったのだった。




