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024 ベイリッド・ルデアマー

(およそ4,000文字)

 オクルスはなぜか屋敷の中庭へと連れて来られた。

 緑に包まれた庭園の中、案内人に「ここから先は1人で、石畳に沿って進む様に」と言われ、それに従って歩いて行く。


 中庭には小川まであり、小さな黄い鳥が噴水の上で水浴びを楽しんでいた。昼下がりということも相まって、俗世から隔絶されたような長閑で牧歌的な雰囲気に満ちていたが、オクルスはそんな感傷に浸ることもなく先を急ぐ。


 そして中央らへんまで来たと思わしきところで、色とりどりの薔薇で囲まれた見事なガーデンアーチがあり、そこに人の気配があった。


「“ウィベィナローズ”だよ。南方デマラグラン産でね。寒さに弱く、湿気も苦手だ」


 オクルスの方を見ることもなく、園芸三脚に乗った男は作業を続けながらそう言った。

 剪定鋏で余分な枝葉を落とし、花の向きをひとつひとつ優しく調整する。


「雨期の多いこの地域で育てるには、なかなか難しいのだよ。だがね、こうやって丁寧に面倒さえみてやれば、こうも見事に咲く。外側の花弁が強くハネているのがなんとも力強いだろう? 私の一番好きな花でね」


 脚立から降り、鋏を丸テーブルにと置くと、軍手を脱いで振り返った。


 癖のない直ぐな長い黒髪、額についた3本傷、鷹のように鋭い眼つき、そして短く揃えた顎髭。長身痩躯だが、白シャツの上からでも鍛え上げられた筋肉で全身が覆われていることがわかる。

 そんな歴戦の猛者を思わせる容貌と、いま着ている薄汚れた前掛けがなんともミスマッチだった。


「はじめまして。私がベイリッド・ルデアマーだ。罪与の商人オクルス」


 ベイリッドから握手を求められたので、オクルスはそれに応える。


「お招きに預かり光栄です。ベイリッド陛下」


「陛下? フハハ。止めてくれ。どうせ部下共が勝手を言っているだけだろう。まだ違うしな。真に受けんでくれ。呼び捨てでも構わんよ。敬称が必要なら“閣下”とでも…」


「かしこまりました。ベイリッド閣下」


 ベイリッドは肩を竦めると、「かけたまえ」と丸テーブルに座るように促す。

 オクルスが座ると、彼は当たり前のように紅茶の準備を始めた。


「悪かったね。本来ならば依頼した私が真っ先に会うべきだったな。散々遠回りさせてしまって申し訳ない。…ところで、カモミールは大丈夫かね?」


「大丈夫です。…閣下に複雑な事情があることは承知しております」


「その大丈夫は、カモミールの方かな? 遠回りさせてしまった事かな? いや、冗談だ。両方だな」


 ティーカップを差し出しながら、ベイリッドも向かい側の席につく。

 やさしくフルーティーな薫りが辺りに漂い、ベイリッドは「うーん」とそれを愉しむが、オクルスにはそれがなにを意味しているかわからなかった。


「……私のことは聞いたかい? 市井での噂は散々だったんじゃないかね?」


 ベイリッドの目にふとイタズラめいたものが浮かぶ。


「剣を振るしか能のない馬鹿な次男坊が、親の死に目に家督を欲してペルシェに帰って来た…それが酒ではなく、紅茶を嗜むのは意外だったかね?」


「噂というものは得てしてそういうものです。事実とは乖離があります」


「確かに。君ももっと恐ろしい人物だと思っていたが、意外と話してみると普通だ。世の中とはそんなものだな」

 

 オクルスはベイリッドを見やり、その無防備な自然体からも尋常ならざる強さを感じ取っていた。


(強い…。あのヴァルディガより遥か上だ。“竜殺し”は嘘ではなさそうだ)


 ベイリッドは剣を帯びてすらいなかった。仮にその状態にあっても、ここでオクルスが暴れたとしても制圧できる力を持っているという自信の表れに他ならないのだろう。


「……それで、ヴァルディガは無理難題を吹っ掛けてきたかい?」


「いえ、特には…」


「嘘は言わなくてもいい。わかっているさ。金額の交渉して来たんじゃないかね? あの男は人を試す悪い癖がある」


「……支払いを、前金5億に後金5億と」


 オクルスがそう言うと、ベイリッドは吹き出す。


「いや、悪い悪い。ヴァルディガらしいと思ってね。このままだと、後金の方は散々支払いを渋られて逃げられかねんよ、君」


「……それは困りますね」


「しかし、下級悪魔(レッサーデーモン)に10億とは…君もなかなか吹っ掛けるものだねぇ」


「……」


 余計な発言はすまいと、オクルスは答えない。その沈黙の意味を別のものと捉えたベイリッドは再び笑う。


「いいだろう。その10億は私が責任を持って出そう」


「戦争準備に金が掛かると言っていましたが…」


「ヴァルディガがそんなことを言ったのかい? …私は戦争する気などないよ。これはそれを回避するためのものだからね」


「示威ですか。貴方の力を見せつける?」


「……やりたくはないのだがね。兄は頑固な人なんだ」


 今まで柔らかかったベイリッドの表情が固く曇る。


「シャルレドも君に迷惑をかけたそうだね。それについても謝罪しよう」


「彼女も貴方を恨んでいる様子でしたが…」


「それはそうだろう。私のせいで冒険者を続けられなくなったわけだからね。さらに、私はレンジャーを辞めて領主になろうとしている。彼女からすれば、私が道楽の腰掛けにやっていたと思えただろう。命を賭けてレンジャーをやっていた者には許せんはずだ」


「事実は違うと?」


「そうだな。言っても信じてはもらえん。花が咲き誇って自らを体現するように、私も結果を出して認めて貰うしかないと思っている」


 まるで苦虫でも噛み潰すように、ベイリッドは渋い顔を浮かべた。


「……シャルレドの話はこの辺にしておこう。これは我々の問題だからね。巻き込んでしまった君には申し訳ないが」


「いえ、私に思うところはありません」


「そうか。それはありがとう。…そして、君を今日呼んだのは他でもない」


 ベイリッドは深く息を吸うと、意を決したかのように続けた。


「私と専属契約を結ばないかね?」


「専属契約?」


「聞いたところ、君は魔物だけでなく武器や防具、魔法道具も扱うそうじゃないか」


「仰る通りです」


「このサルダンは小国と呼ばれるだけあって小さい。国土こそ東方ガッドランドの中では2番目に大きいが、主国ライラードに比べれば経済力はその半分以下だ。軍隊の数で言えば、エルフの里を頭数に入れたとしても5分の1に満たない」


 ベイリッドはパンと拳を手で叩く。


「……私がここに戻ってきたわけはね、父コディアックが自身の命がそう長くないと、レンジャーをやっていた私に手紙を寄越したからなんだ」


「その話は初めて聞きました」


 ベイリッドは「だろうね」と頷く。


「その手紙の中には、父が多額の賄賂を支払って、ライラードの大臣に便宜を図って貰っていたということも記されていてね。

 …そう。私は愚かにも、今まで父がそんなことをしていたなんて気づいてもいなかった」


 苦悩に顔を歪ませるベイリッドは、自身を慰めるかのように顔を何度も撫でる。


「……家督は兄に譲られるはずだった。しかし、兄はライラードの靴底を舐める気はないらしい」


「だから、父君はベイリッド閣下に手紙を?」


「今際の際にだよ。話し合う時間は幾らでもあったというのに…なんのため、私が兄に遠慮してレンジャーになったのか父が知らないわけが……これ以上は止めよう。故人を悪く言っても始まらないしな」


 ベイリッドは深く嘆息して首を横に振る。


「兄はサルダン国をガッドランドの主国にする気でいるらしい。そうなると、火と血を見ることになるのは想像するに難くない」


「……なるほど。それを止めるのが、ベイリッド閣下が跡目を狙う理由ですか」


「……不本意だよ。私は戦争する気はない。育った地の民たちに無用な血を流させたくはないさ。当然だろう。どうすればよいかと考えた方法が、力を見せつけるというチンピラのやり方だ」


 ベイリッドは苦しげに拳を握り締める。


「……そのためには悪魔でも魔物でも利用できるものは利用する。私の悪名が地の果てにまで轟いても構わん。兄ハイドランドが、そしてライラードが、無益な戦いを選択しなければな」


 ベイリッドは自分が抑止力となろうとしているのだと、オクルスは気づく。


「私も部下も力だけは十二分にある。しかし、どんなに強かったとしても、所詮は元レンジャーの中…少数の力の話だ。戦争を本業とする彼らが本気になった時、集団の力にはとても敵わない。そこでだ。君の力を貸してくれるとありがたい」


「せっかくのお申し出ですが…」


 戦争に巻き込まれるのは旨味がないと、オクルスは即断する。


「いや、なにもすぐに返事をくれと言っているわけじゃないさ」


 断ろうとしたオクルスの言葉に被せる形でベイリッドが言う。


「…この町にはしばらく滞在するつもりかね?」


「ええ。悪魔族をお売りする手前、それがお客様にとって安全に運用されているかどうかまでは見極める責任がありますので…」


「なるほど。君は真摯な商売人だな。よし。であれば、君にペルシェ内で自由に商売する権利を商工会を通して与えよう。どうかね?」


「……いいのですか?」


「まさか表の顔で、市民に魔物を売るわけではないだろう? 違うかね?」


「それはそうですね」


「私は善人ではない。兄を蹴落とし、領主となる覚悟も……つまり、清濁併せ呑む器量はあると、君には知ってもらいたいのだよ」


(1人でも多くの仲間を得たい…からか。それにしても交渉が上手いとは思えないな)


 ヴァルディガが懸念していたのはこの部分だったのだろうと、オクルスは思う。


「その中で私が…いや、サルダン国がどの方向に向かうか見守っていて欲しい。その上で協力してくれる気になるかも知れんだろう?」


(これは“交渉”ではない。“嘆願”か…)


 オクルスは途端に興味を失う。情に訴えられたところで、それに応える気はさらさらなかった。


「……ご期待には添えないと思いますが」


「そうかね? 私は人から誤解されやすい人間だが、レンジャー時代は人たらしだった事もあるのだよ」


 再びベイリッドが手を差し出してくるのに、オクルスは応える。

 ベイリッドはなにかが伝わったという顔をしていたが、実のところオクルスにはなんの意味もないことだった。


「……厳しい環境でも、きちんと手入れさえすればこの薔薇園のように美しく咲き誇るものさ。私は国も同じはずだと考えているんだよ」


 ベイリッドはそう染み染みと言ったが、残念ながらオクルスの心に一切響くことはなかったのであった──。

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