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020 犬人娘の病

(およそ5,500文字)

「なにが個室でハッピーだよ…」


 荷物を運び入れながら、サニードは口を尖らかせていた。


 大部屋に居ては他の同僚たちに悪影響を与えるだろうと、サニードは個室への移動を命じられたのだ。

 しかし、部屋はそこそこ広いものの、格子のついた窓は開閉すらできず、扉には外鍵しかなく、実質それは牢獄のような造りをしていた。


「ここってもしかして懲罰房なんじゃね?」

 

 サニードの推測はほぼ合っており、借金を抱えたまま逃げ出そうとした者や、店のルールに従わない者を軟禁する通称、お仕置き部屋と呼ばれる場所なのであった。

 壁に手錠が掛かっており、隅に三角木馬が置かれ、ベッドには血の染みらしきものがあるのを見て、サニードはゲンナリした気分になった。


「あー、クソッ! はやく金が必要なのに! 強いレンジャー雇って…ウェンティを迎えに行かなきゃいけないのにッ!!」


 ベッドの上に突っ伏して枕を殴りつけると、とんでもない量の埃が舞い上がる。


「ウゲェッホ! ゲェッホォ!! あー、もう! ウチ、なにやってんだろ…」


 せっかく客をとって金を稼ぐチャンスなのに、人気がですぎたせいで隔離だなんて皮肉にも程があった。


「……あーあ、オクルスみたいな、いいお客がまた来てくれればなぁ。…ないか。ないよな」


 白馬に跨ったオクルスが来るシーンを思い浮かべ、あまりに似合わなさにサニードは苦笑いする。


「クソッ、それ思うと、あの金やっぱ貰っとくんだった! 失敗したなぁ〜」


 オクルスが金持ちなのは確定だろう。口止め料にしたって、彼からすれば端金に違いない。サニードは自分がつまらないプライドを優先してしまったことを今になって深く後悔する。


「……正体バラしたら、怒ってウチを捜しに来ないかなぁ」


 唯一の接点を思い起こし、サニードはそんな思ってもいないことを口走った。


「それもないか…。『あんたの正体をみんなに教えた!』っても、『そうですか。それは残念です』とか言いそう…アハハハ!」


 腹部を抑えて脚をバタつかせて笑っていると、扉が開いて、トロスカルが引きつった顔を覗かせた。


「1人で馬鹿笑いして…頭おかしくなった?」


「なんだよ! ノックもせず勝手に入ってくんなよ!」


 恥ずかしい場面を見られ、サニードはバツが悪そうに言う。


「部屋を移動してさっそくで悪いけど、アータにルームメイトができたわよ」


「は?」


 サニードが言葉の意味を理解しきる前に、トロスカルは廊下にいた人物を招き入れる。

 それは見たことのないコボルトの少女であり、サニードは「誰?」といった顔をしていた。


「今日入った新人よ。よかったわね。サニード。アータ、先輩になるのよ」


「先輩?」


「ええ。きっと、とーっても短い付き合いになるとは思うけれども、まあ仲良くしなさいな。仕事をちゃんと教えてあげるのよ」


「仕事教えるもなにも、ウチもまだなんもやってないんだけど!」


 トロスカルは面倒くさそうに手を左右に振った。


「いいの! そういうのはノリよ! 適当に先輩風を吹かせて……あー! もうイヤ! こんなに張り合いのない不毛なやり取りはたくさん!」


 なぜかトロスカルは勝手にヒステリックになり、鬼のような形相で「あ゛ー!」と叫ぶと、扉を乱暴に閉めて行ってしまった。


「な、なんだったんだ…」


 サニードがポカーンとしていると、コボルトの少女は困ったようにサニードと扉の方を交互に見やる。


「…あー、ウチはサニード」


「私は…チルアナです」


「チルアナね。よろしく。そんなところへ突っ立ってないで座りなよ」


「は、はい」


 初対面の相手とふたりっきりになるのは、さすがのサニードもためらう。


「んーと、なんでこんなところへ?」


 チルアナが涙ぐむのを見て、我ながら馬鹿な質問をしてしまったものだとサニードは思う。好き好んで娼婦になる者はまずいないからだ。


「もう…今日は色んな事がありすぎて…」


「うん。辛かったんだね…」


 サニードはふと故郷の友人のことを思い出した。雰囲気だけは似ているかも知れない。


 我慢して鬱積していたものを、チルアナはポツリポツリと話す。

 金融業を営んでいた裕福なところの娘だったが、事業の失敗で家族が離散し、自分は騙されて借金の(カタ)に奴隷として売られてしまった事、市場の老人に労働力として買われ、孫娘のように可愛がられていたと思っていたが、実はそれは違っていた等…よくあるような話だったが、サニードは自分とそう変わらない歳の少女がそんな目に遭わされたことに深く同情する。


「サニードさんも…」


「サニードでいいよ」


「わかりました。…サニードも嫌々ここに?」


「あー。まあ、ウチは自分で選んだんだけどね。レンジャーになれなくて、他に稼げる仕事…思いつかなかったから」


 自分の無能さをひけらかしているのが滑稽に思え、サニードは笑って誤魔化す。


「…そうなんですね」


「まあ、こんなところでも住めば都…って、ウチも先週来たばっかだけど」


 サニードはふと妙な事に気づく。


「来たばかりなのに、個室…ってか2人部屋なんだね」


「え? サニードは違ったんですか?」


「うん。ウチは…同じ時期に入った娘たちと大部屋だった。なんか、教育…課程? だったか、なんだかで、部屋ごとに3階に呼ばれて、トロスカルに色々教わるの」


「トロスカル?」


「アンタを連れてきたオッサン。ここの教官なの」


「オッサン…? 女性の人なんじゃ…」


「あれが女性に見えるの?」


「……別種族…ヒューマンだから、特別な感じなのかと」


「ヒューマンの中でも特別っちゃ特別だと思うよ。最初、半巨人(トロル)かと思ったもん。名前も似てるし。ま、それ言ったらゲンコツ喰らったけど」


 サニードは自分の頭を殴って舌を出すと、今まで暗い顔をしていたチルアナはクスッと笑った。


「ようやく笑顔がみれた」


 ニッと笑うサニードに、チルアナは涙を拭いて微笑む。


「ええ。サニードと会えてよかった。同じ部屋があなたで…」


「ウチもだよ。こんなところに閉じ込められて、1人じゃおかしくなるところだった。チルアナが来てくれて助かるよ」


「閉じ込められているの? そういえば大部屋にいたって言っていたけど…」


「まあ、問題起こして…問題? んー、なんか納得いかないな。ウチ、なんも悪いことしてねぇのに」


 顔に疑問符を浮かべるチルアナに、サニードが「嫉妬からのイヤガラセだよ」と答えると、わかったようなわからなかったような曖昧な感じに頷いた。


「ということはさ、チルアナもウチみたいに優秀だからこの部屋になったんじゃない?」


 どこまでも楽観的にサニードは笑う。


「…たぶん、それはないと思います」


「なんでよ? トロスカルは変なオッサンだけど、なんか“男心をくすぐる”みたいな才能を見つけられるんだって」


 サニードは「アータの持ち味を活かす!」と言われ、礼儀作法を教わらなかったのを思いだす。

 実はトロスカルから「教えてもムダ! 犬に喋れ、穴の空いた鍋に水を汲めって言ってるようなもん!」とその際に罵倒もされたのだが、その都合の悪い事はすっかりサニードの記憶から消去されていた。


「……病気なんです」


「え?」


「大丈夫です。側にいるだけでは感染しません」


「あ。ゴメン! 別に引いたとかじゃなくて、ちょっとビックリしただけで…」


「ええ。わかっています」


 チルアナは力なく笑う。同じようなやり取りを何度も繰り返したといった顔をしていた。


「その、病気は…ずっとなの?」


「生まれてからのものです。ただ唾液や血液を通すと伝染る可能性があるみたいなので…私の体液には触れない方がいいです」


「それって…」


 サニードにもそれがなにを意味するのか察する。


「ええ。そうです…。だから、この店では何の価値もないんです…」


「価値がないなんてそんな…」


「ここに連れて来られる時にそう言われましたから事実なんです。“役立たず”を押し付けられたって…」


「あ! 言ったのあのチビデブハゲでしょ!? あんな野郎の言うことなんて気にする必要ないよ!」


 サニードはクズリが言ったのだろうとすぐに理解して言う。

 しかし、チルアナは軽く頷いただけでさっきのような笑みは見せなかった。


「……その、聞いてもいい?」


「ええ。大丈夫ですよ」


「痛いとか、苦しいとかはあるの?」


「いつも疲れている感じがして、身体が重い…ダルさがありますね。動けないほどではないんですが、天気の悪い日は少し辛い時もあります。痛みは…」


 チルアナは困ったように俯く。


「……こんな病気の話なんて聞いてても楽しくないでしょう?」


「そんなことない! ウチ、なんて言うか…図太い? なんか違う? あ! そう! “ソコツモノ”! 無神経! 無神経らしいから、なんかチルアナが傷つくようなこと言わないように聞いておきたいの!」


 サニードは、トロスカルから教育棒(棒切に綿布を厚く巻いた折檻用の道具)で頭をバカスカ殴られて言われた言葉を思い起こす。


「排尿時に…」


「“ハイニョー”?」


「……おしっこ…のことです」


「あ、ああ。うん。ゴメン…」


「いえ。…その時に痛みがあります。時々、出血や膿が出ることも…」


「ゴメン。なんか言いづらいこと言わした…かも」


 サニードは「粗忽者!」とトロスカルに頭を叩かれた気分になった。


「治療とかは…」


「前に診て貰った時は治せる可能性はあるみたいなことを言われましたけど…それには見たこともない、たくさんのお金がかかるらしいです」


「そ、そうか…」


「まあ、別に命にかかわるわけじゃ…悪化すればどうなるかわかりませんけど、死ぬ確率は低いみたいですし。上手く付き合っていき……」


「うん?」


 チルアナが一瞬止まったのに、サニードは不思議そうにする。


「……あ、いえ。そういえば、痛みがなかったなぁと。今になって思い出して…」


「痛みがなかった? いつの話?」


「あ……」


 さっきまで症状について淡々と話していたチルアナが少し恥ずかしそうにする。


「その、実は連れて行かれそうになった時に助けてくれた人がいて…」


「おお! スゴイ! そんな正義の味方みたいなのがこの町にもいたんだ!」


 少し興奮気味にサニードは握り拳を振るが、チルアナの落ち込んでる顔を見てすぐに肩を落とす。


「…って、そうか。チルアナがここに来たってことは負けちゃったんだよね」


「負けた……と言うのかどうか。その人には、『殺す』と言われたんです」


「…は? 意味がわからないんだけど…チルアナに向かって殺すって言ったの?」


「たぶん…」


 改めて聞かれたことで、チルアナは自信なさ気に言う。


「あの時はパニックになってて…でも、別に私を助けよう思ってしたことでもないと思います。結果的にそうなっただけで」


「はあ。よくわかんないけど、それと痛みがないってどう結びつくの?」


「そ、その…その時、少しお漏らし…して…しまって…」


「ああ…」


「ほんの少しなんです! 信じて!」


「も、もちろん信じるよ」


 祈るように手を組んで懇願するチルアナに、サニードは何度も頷く。


「汚い話ですよね…。ごめんなさい」


「いや、生理現象だから汚いとかも思わないから安心して。でも、替えの下着とかは大丈夫?」


「あ、あの…さっきの方が…」 


 それでサニードは納得する。トロスカルはそういうところに“気配りできるレディー”なのだ。女性の抱えてる問題点に即座に気付き、完璧なフォローができる。だからこそ、この娼館でオーナーよりも権限を持ち、娼婦たちから尊敬されているのだ。


「それで、漏らした時に痛みがなかった…ってこと?」


 チルアナは赤面したまま頷く。


「その時は普通の状態じゃなかったんでしょ? 怯えてたって言ってたし…。痛みを感じなかったのはそれどころじゃなかったからじゃないの?」


「でも、さっき汚れた下着が…その、やけに綺麗で。気のせいかもしれないんですが、なんか体調もいつもより楽な気がしていて…」


 サニードは首を傾げつつ「うーん」と唸る。


「……それって自然に治るの?」


「いいえ。そんな話は聞いたことがありませんが…」


「普段とは違う状況に陥って、未知の力が当然に出てきたり…ってのは確率は低くてもあるって、そういえばじいちゃんが昔に言ってた」


「未知の力ですか?」


「まあ、エルフだと魔法の才能に目覚めたり? それがチルアナは治癒に働いた…うん。我ながら当たりだと思う!」


 チルアナはしばらく考えるようにして、それから首を横に振る。


「……それこそ一時的なものかも知れません。まだ動揺が収まってないせいで、感覚が麻痺しているだけなのかも」


「なにか確かめる方法はないのかな?」


「確かめる……神殿で診察を受ければ…」


「金がかかるよねー。それに今のウチらは自由に外行けないし。トロスカルに……ダメだ。『なんとなく治った気がする』じゃ、あの人は絶対に納得しない。下手をしたら“地獄の説教コース”で別の病気になりかねない」

 

「地獄の説教…」


 言葉の響きから、どんなとんでもない過酷な内容なのかとチルアナは想像して身震いする。


「……なら、もうウチが診るしかないか」


「……え?」

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