100 戦士長と竜殺し
(およそ2,500文字)
空中城塞エアプレイス。
中央外縁と呼ばれる、まるで城塞を囲い支えるような大きな長いスロープがあり、そこは飛竜の離発着所としての機能だけではなく、戦士たちの訓練所ともなっていた。
アップダウンの激しい道を、上半身裸の若い戦士たちは汗だくになって走って行く。
「いつ如何なる有事に際し備えよ!」
「我々は世界の守護者! 我々の後には、底も見えない深き崖があるだけだ! 支える者はない!」
「エアプレイス飛竜戦士隊こそ最強! 誇りを持て! 誇り続けるためにこそ、力は必要だ!」
「培え! 日々の培いこそが、明日に貴様らを生かす唯一の術だ!」
各所にある尖塔で、ベテランの戦士たちが若者たちを鼓舞する。
監視の目があるからサボれないだけでなく、グズグズしていると通路を挟んだ隔壁が降りてくるため、決められた時間内に走り抜けなければならない。
隔壁に阻まれた者は食事抜きとなる重いペナルティがあるので、全員が決死の表情で走る。
広縁翼と呼ばれる城塞の防衛拠点が各所にあり、その道幅が倍以上に拓けたゴールに指定された場所で、息も絶え絶えの兵士たちは膝頭をつかんで息を整える。
「こんなんやって何になんだよ……」
「ホントだぜ……」
監視の目が緩むのを狙い、若者は小声で不平不満を漏らす。
エアプレイスの戦士たちは自ら志望兵もいるが、兵役により徴兵されて集められた者も少なくはない。
戦意高揚を狙い一括りに“戦士”と呼称しているが、厳密には“兵士”という扱いであり、熱意を持って訓練に臨む若者などは稀有だった。
「“魔王”なんて御伽噺にしか出てこねぇだろ。本当に存在したとして大昔の話だぜ」
「ジジイどもはそれにビビってんだよ。それで俺らに当たり散らすとか勘弁して欲しいよ」
「そもそもこのエアプレイスが遥か上空にあるんだぞ。魔物がどうやってここまで来るってんだよ。安全じゃねぇ?」
彼らの言う通り、この数百年の歴史で空中城塞が攻め入られたことなどなかった。だからこそ、単なる杞憂に過ぎないと鼻で笑っているのである。
そんな無駄話も、戦士長ドラグナル・ラマハイムの登場でピタリと収まる。
褐色肌で筋骨隆々、荒々しいタテガミのような黒髪には白髪がメッシュのように入り、顔は巌のようで、鋲打ちされた厚革鎧を着ていた。
嫌々で隊に属している彼らも、この空中城塞エアプレイスで名を知らぬ者はいない。かねてから英雄と知られる最強の戦士には、誰もが一目を置いていたのだ。
上官たちが整列を促す前に、彼らは汗を払って八列横隊に整列する。
ドラグナルは石造りの高台の上に立つと、尊敬や畏怖といった視線が自分に集まるのに、鷹揚に頷いてみせた。
「『毎日毎日、同じことを繰り返し』といった顔をしてるな」
ドラグナルがそんな事を言うのに、先程軽口を叩いていた者たちはギョッとした表情になる。
「それはそうだ。基礎訓練ばかりだ。さぞかし、つまらんだろう」
さっきまで厳しかったドラグナルの顔が、まるで悪童のようにニヤリと笑う。
「その気持ちはよーく分かる。なぜなら、俺も同じだったからだ!」
ドラグナルが「ガハハ!」と大口を開いて笑うのに、老練の戦士たちは揃って渋い顔を浮かべたが、嗜めるような発言まではしなかった。
肩をすくめ、ドラグナルは「見ろ。なんで注意しない? それは俺が“戦士長”だからだ」と茶化すように言う。
「不満があるのは、一向に構わん。走るのはまっぴら、訓練が嫌いだ、上官が腹立つだ。もしかしたら、俺が憎いという者もいるかもしれん。そんな気持ちを捨てろなどとは言わん!」
戦士長を憎むなどと不遜だと誰もが思ったが、ドラグナルは片手を水平に払う。
「だが、もしそんな気持ちを抱くのならば、だ! 強くなることだけは決して諦めるな! もっと怒れ! 叫べ! 怒鳴れ! 泣け! だが、中途半端に諦めるな! 誰にも文句を言わさせないぐらいに強くなればいいだけのことだ!」
ドラグナルは大きな拳を突き上げて言う。
「父よりも叔父よりも、隣にいる友よりも強くあれ! どこの誰よりもだ! そして、その腹立たしさを覆すだけの力を手にし、いずれはここにいるベテラン戦士たちを屈服させ、この俺をも打ち倒し、お前が“戦士長”となればいい!」
ドラグナルは野獣のような獰猛な笑みを浮かべる。
何人かは気圧されたような表情を浮かべたが、中には目の奥に決意の炎が灯った者もいて、ドラグナルはそれを見て満足そうに頷く。
「よーし! 偉そうな説教はこれまで! これから、俺直々に組手を……!?」
ドラグナルは眉をピクッと動かすと空を見上げた。
青空の中に、黒い小さな点が1つあった。それは左右に揺れるように動いている。
「なんだ? あれは……鳥か?」
「バカか。ここは山よりも高い場所だぞ?」
全員が呆けている中、ドラグナルだけはナタを一回り大きくしたような剣を引き抜く。
そして、小さな黒点がみるみるうちに大きくなったかと思いきや、それはこっちに向かって急速接近しているのだと、戦士たちがようやくになって気づいた時だった。
全員が金属同士がぶつかる強烈な音と、そして一瞬だけ遅れて辺りに吹き荒れた暴風に皆が目を丸くする。
「戦士長!?」
「は、早い! いつの間に!」
振り返ると、ドラグナルは歯を食いしばり、黒服の男と斬り結んでいるのが皆の目に飛び込んできた。
ドラグナルの足元は割れ砕け、目にも止まらぬ剣戟が数度繰り返され、互いに押し切れないと見た両者は後方へ飛び退いて距離を置く。
いま斬り結んでいた地面は割れ崩れ、遥か下に広がる雲海へ消えていった。
「このエアプレイスの建造物は、地上のどんな鉱石よりも硬い物質で造られておるのに……」
老練の戦士のひとりがゴクリと息を呑んで、今しがたできた大穴を見やる。
「……なかなかやるな」
ドラグナルはそう言ってニヤリと笑い、その時になって鼻血が一筋垂れてることに気づいて親指で払った。
「“地上”から来たのかい?」
剣を肩に担いだドラグナルが尋ねるのに、戦士たちは誰もが信じられないといった顔を浮かべる。
「……お前の名は? 聞かせてもらえるか?」
さっきからドラグナルしか話していなかったが、黒服の男はようやくマントを翻して頷く。
「……ベイリッド。私はベイリッド・ルデアマーだ」
長い黒髪を整え、ベイリッドは真っ直ぐにドラグナルを見据えてそう名乗ったのであった。
これが、ベイリッド・ルデアマーと、ドラグナル・ラマハイムとの初めての邂逅であった──




