夕立
安物のスーツに身を包み、鎌田はとある雑居ビルの一室で長机の上に用紙を広げて、熱心に説明をしている。その相手は主に主婦で、取り扱うものはシャンプーや洗剤といった日用品だ。
「それで、毎日使う洗剤やシャンプーをウチの商品に変えるだけで、毎月の月末に代金が返還されるシステムなのです。これなら実質タダで消耗品を使えるので、とても経済的なのです」
説明を受けている主婦はそれを聞いて、やや訝しむような顔をした。しかし鎌田はそれに構わず言葉を続ける。
「何も心配はいりません。品物の品質は確かです。今までお使いの物よりも良い品物が、実質無料なのですよ?これは利用しない手は無いと思いませんか?」
丸い顔に笑顔を張り付けて、違う相手に何度も同じ説明を繰り返してきた。初めは緊張で上手くいかなかったが、何度か繰り返すうちにすっかり板に付いてきている。それに、勧める商品を自分でも使ううちに、その品質とシステムの素晴らしさに感化されていった。そうなると説明に特別な技術は無用だと気が付いた。思っていること、感想、その利点について単純に語ればいいのだ。そして、言葉を尽くして話し終わった後にはある言葉を言うだけで効果は覿面だった。
「実はこれ、僕も使ってるんですよ。この素晴らしさを広めたくて、こうして広報活動を手伝っているのです」
しかし、今回の相手はそれでもまだ半信半疑で、鎌田に向かって質問をした。
「でも……そんなに良い物だったらもっと知っている人が多くていいように思うんですが……私の周りでは聞いたことがないですよ」
それ来た、と言わんばかりに鎌田は姿勢を整えて言葉を吐く。
「それなんです。うちはお客様に代金を返還するシステムを取っているので、どうしても他の会社に比べて資金的に厳しいものがあります。なので、ウチは大々的な告知活動は一切していません。当然、知名度はとても低いです。でもそれは品質と代金返還を第一に考えた結果のことなので、仕方がない。告知にかける資金があるならば、それを品質向上のために使おう、という会社の崇高な方針なのです。しかしこうして有志が集まり、口コミで素晴らしさを広げているってわけなんです。大丈夫です、何も坪や絵画を買うわけじゃない。買うのは日用品です。気に入らなければ辞めればいいし、家にあって困るものでも無いでしょう」
「確かにそうでけど……」
「不安になるのも分かります。僕も初めはそうでした。しかし、使ってみればわかります。それに、ウチの商品を誰かに勧めてそちらに切り替えてもらえれば、返却額は増えるのです。当然、たくさん広めてくれた方は毎月かなりの返却額になります。知り合いには、逆に黒字になっている人もいるくらいですよ?」
「それでもちょっと、なんだか話がうますぎて……」
まだ納得しない様子の主婦に、鎌田は畳みかける。
「こうして僕のようなボランティアがついているくらいです、かなり優良な企業だと思いますよ?それに、ウチの商品を定期的にお届けするのに契約を結んでいただく必要もあります。契約料は一万円ですが、半年も利用すれば元は取れるでしょう。ノーリスクハイリターンならば怪しいですが、ウチの場合、要はお客様に一万円の投資をしていただくのです。どうです?無理のない話ではないですか?」
「一万円……本当にそれ以外にはお金がかからないんですか?」
「もちろんです。むしろさっきも申し上げました通り、返ってくるくらいです。いかがです?今日、早速契約していかれませんか?」
「そうですねぇ……」
その後も巧みな会話で相手をのせて、最後には契約書に判子を押させることに成功した。鎌田は本当にこの会社とシステムについては画期的で優良なものだと信じているし、相手に品物を勧める行為にも疑いは持っていない。しかし、一つだけ嘘を混ぜている。
鎌田はアルバイトとして、こうして定期的に勧誘行為を行っている。これは短い時間で高い報酬が貰える契約で、実際その通りに事は進んでいる。趣味に多大な費用を必要とする鎌田は、このアルバイトを見つけたとき、自分にぴったりではないかとすぐに応募したのだ。
主婦の後ろ姿を見送って、鎌田は着なれない上着を脱いだ。こればかりは何回着ても身体に合わない。
「すごいじゃないか鎌田君。これで何件目だい?」
後ろを振り向くと、彫刻のように整った造形の人物がいる。それはアルバイトの先輩でもあり、この会社の社長の御曹司でもある人物だ。御曹司は長い脚を華麗に動かして鎌田の横まで来て、たった今帰っていった主婦の方を向いて言った。
「こうしてウチの名前が広まれば、君は収入が増えるし商品を使う人は満足する。なんとも完璧なシステムだね」
「美作先輩……そうですね。僕もそう思います。こんな素晴らしい物を勧めるという当たり前の行為でお金を頂いて……むしろ申し訳ないくらいですよ」
美作はゆったりと首を振り、くっきりとした二重瞼の目で鎌田を見据えた。
「何を言うんだい。これは君の行動に対する報酬なんだ。気にせず受け取ってくれ」
そう言うと美作は分厚い封筒を取り出し、鎌田の方へと差し出した。
「ありがとうございます。これでまた、お迎えができますよ」
「それはよかった……話は変わるけど鎌田君、君が好きでよく集めているそのフィギュア……だったかな?それって素人でも作れるものなのかい?」
「そうですね……別にプロじゃなくても、上手い造形師さんはいますね。僕も、知り合いに一人います。その人は本業は別でちゃんとあって、趣味でフィギュアを作ってネット販売してるんですが、毎回完売ですよ」
「ほう、その人は腕は確かなのかな?」
「ええ、作品を見てみますか?」
脱いだ上着の胸ポケットからスマートフォンを取り出し、器用に操作して目的のページへと飛ぶ。
「これです。けっこう際どいというか、完全にアダルトな部類ですけど」
画面を見つめる美作は口元を緩め、満足したように微笑んだ。
「これは素晴らしい。まるで本物みたいだ。それで、その人は受注生産をしているのかな?」
「そうですね。最近ではけっこう多いみたいですよ。でも、人気が出てきたので何か月待ちにもなるみたいですが……」
「それは……既存のキャラクターでなくては作れないものなのかな?例えばこう、こちらが写真や画像を用意して、それをフィギュアにしてもらうってことは……」
それを聞いた鎌田は、やや眉根を寄せて丸い頬を掻いた。
「どうなんでしょう、聞いたこと無いですが……出来ないことは無いと思いますけれど……あれ、美作さんもアニメとか見るんですか?それともオリジナルのキャラクターをフィギュアにしたいとか?いやぁ、すごいなぁ」
「いや、まぁ……少し違うけれどね。とにかく、至急仕上げてほしいフィギュアがあるんだ、なんとかその人に連絡は取れないかな?」
「取れますけれど……さっきも言った通り、かなりの人気なので完成には時間がかかりますよ。早くて数か月先かと……」
「それなんだけどね、とにかくその人の連絡先を教えてもらえないかな。僕が直接交渉するよ。とても大事なものだから、金に糸目はつけないつもりなんだ。とにかく、早く実物を自分の部屋に置いて一緒に暮らしたくてね」
「そ、そんなに愛しているキャラクターが……!」
「そう」
美作はにっこりと微笑み、遠くを見つめるようにして目を細めた。
「独占したくらい、愛しているんだ」
一条と吠木が冬野目の下宿に来て、既に三日が経った。月は変わり七月になり、夏休みを一か月後に控えている。日々気温は上がり空気中の湿度も増しているし、二人の客人は一向に出てゆく気配が無い。
壬生は砧を連れてさっさと帰ってしまい、それから連絡は無い。
砧と烏丸一派の抗争について、その後に動きは無い。ここ三日は冬野目が大学から帰ると吠木が食事をつくり、一条がパソコンでゲームの実況動画を見ているという風景が続いている。一見いい大人である一条ではあるが、家事の類は一切できない。そして一見子供である吠木は、今すぐにでも一人暮らしが可能な程に全てにおいて手際が良い。この日も冬野目の帰宅時間に合わせて米を炊き、食卓についてから茶碗が出てくるまでの待ち時間が少なく、尚且つ料理が冷めないように実によく調整されていた。鍋やフライパンを同時進行で管理し、一度に数品目の小皿をテーブルに並べる。それを見た一条が感嘆のため息を漏らし、ここ三日でもう吠木が聞き慣れた台詞を口にした。
「まったく、はじめくんをお嫁さんにできたら楽でええのになぁ」
花柄のエプロンをたくしあげて作業をしている吠木はそれを聞き流すフリをし、食事なのでパソコンを閉じてください、と素っ気なく言う。
しかし、茶碗にごはんを盛り付ける手が震えている。
「冬野目、まだ帰らんのかぁ」
一条が長い両足をばたばたとさせて言う。それも、ここ三日で何回も聞いた台詞だ。
「もうすぐじゃないですか……ほら、自転車の音が聞こえてきました」
施錠を解除する音がして、部屋の扉が開かれた。冬野目は急いでる様子で部屋にあがり、出来たばかりの料理を見て声を上げた。
「おぉ、やっぱり吠木君は料理が上手いなぁ。今日も美味しそうだ。一条さんも、見習ってはどうです?」
「ウチは食う専門や。それより冬野目、何をそんな急いでんのぉ?」
冬野目は出来た料理からいくつかつまみ食いをして、指先を拭き乍ら吠木に小言を言われてたが、一条の言葉ですぐに洗濯物の中から一枚のエプロンを取り出し、鞄にしまった。
「実は、今日これからバイトなのです。なのでお二人で食べていてください。帰りはけっこう遅くなるので先に寝ててください」
それだけ言うと素早く靴を履いて出て行ってしまった。
「バイトかあ。ほな、食べよか」
「そうですね。でも、そうなると少しつくりすぎましたね……明日のお昼にでも食べてもらいましょうか」
「ウチが全部食べるで」
「太りますよ」
「だ、大丈夫や。ウチは背ぇが高いから他の人よりもカロリーが必要やねん」
「詭弁ですね……」
「それよりはじめくん!このピーマンの肉詰め美味しいなぁ!」
冬野目は時計を気にし乍ら自転車を漕いでいる。いつも大学が終わってからアルバイトに向かう時は急いでいるが、この日は居候とのやりとりがあったので、いつもより時間をロスしてしまったのだ。
アルバイト先である古本屋は中央線の駅前にあり、店の前には人通りが多い。同人誌を取り扱っている店が周りにないので、それを求める客は全てこの店に集まる。店内は雑然に本が置いてあり、日に日に通路が狭くなっていくようである。
乱暴に店の横に自転車を停めて、慌ててエプロンを羽織り、タイムカードを切る。どうにか間に合ったようだ。
「……冬野目君、いつもギリギリだねぇ」
先に作業を開始していた先輩が、横目で冬野目を窺っている。
「すいません……大学の講義が長びいて……えへへ」
苦笑いでなんとかやり過ごし、自分の持ち場を見る。この日は業者から大量に仕入れたのか、目の前には山のように雑誌が積まれている。
「それ、君の分ね」
レジ横にあるパソコンに向かったままで先輩は言った。本来ならば明らかに二人で片付けるべき冊数なのだが、この先輩はいつもパソコンに向かっている。そして値付けやレジ打ちといった作業は同僚に任せ、自分は閉店までモニターとにらめっこをしている。手間のかかる作業を他人に押し付けて何をしているのか尋ねようと思ったのは一度や二度ではないが、その度にこの先輩が垂れ流しにする『話しかけんな』オーラに当てられて口をつぐんでしまう。他の先輩店員の話によると、店のホームページの管理をしているらしいが、それも四六時中監視が必要なものとは思えない。釈然としない気持ちは持ち乍らも強気に出られない冬野目は、いつも膨大な作業量をひとりでこなしている。その合間にレジを打ち、売れた本を補充している。するとすぐに時間は過ぎて閉店だが、その業務すらこの先輩は満足に手を出しはしない。
「先輩、この量はきついですよぉ」
一応弱音を吐いて反応を見る冬野目。しかし返答は無く、仕方がないので一人で作業を開始した。
目の前に積まれた雑誌の山には、それぞれに付箋がはりつけてある。それには数字が書き込まれており、値段を表している。冬野目の仕事は雑誌を値段ごとに分類し、表紙をきれいに拭いてから値付けをして、その後出版社順に並び替えてから雑誌のタイトル順に更に細かく分類する。それが終わったら雑誌を棚に補充して、次は小説やビジネス書など、違うジャンルの本で同じ作業を繰り返す。
単純作業だし特に体力を使うことも無いのでその点では助かるが、なにしろ量が多い。次から次へと本を片付けていっても、一向に山は減らない。
すぐさま嫌気がさしてきた冬野目が手にした雑誌は、彼の頭を一瞬で覚醒させた。
「……お尻特集だと」
彼の目の前には各種様々な成人雑誌が山を連ねていた。どうやら今日の仕入れの大半はこういった内容の雑誌らしい。
「どれどれ」
すぐ横にいる先輩からは死角になる位置に尻特集を設置し、その表紙を凝視し乍ら作業を進める。するとどうだろう、先ほどまであんなにも飽き飽きして嫌気がさしていた作業がずんずん捗るではないか。なんという革命的な発想。嫌気がさすと同時に遣る気を自らの脳内に取り入れてやることで、まるで効率の神様が降りてきたかのように手が動く。このアイデアを自分だけにとっておくのはもったいない。ぜひ全国的に、特に作業時間が限られている市役所や区役所などで活用すべきだと冬野目は考えた。
と言うのも、冬野目には苦い思い出がある。彼が上京してその届け出を市役所に提出する際、その窓口はひどく混雑していてなかなか受付ができなかったのだ。何十分も待ってようやく書類を提出することができたが、その受理にもまた時間がかかるという。この役所の時間感覚に慣れている近所の人などは、待ち時間を利用して夕飯の買い物に出かけたりもしていたが、要領が悪い冬野目にはそんな発想は無かった。なので馬鹿正直に待合所の冷たい椅子に座り、自らの尻が痺れを訴えはじめる頃にようやく名前が呼ばれた。しかし窓口で話を聞くと、なにやら書類に不備があるので受理は出来ないという。
この日の彼は、ただ悪戯に尻を痺れさせただけで帰宅したのだ。
受理ができないのであればもっと早く言ってくれれば対応もできたし、それに何よりも待たずに済んだはずだ。
今こそ全国の役所にこの手の雑誌を……と、冬野目は強く望み乍ら作業を続け、そしてモデルの尻を凝視した。
仕事は至って快調である。
しかしそんなときにも、不確定要素は入り込む。それはこちらの事情など何も考えずに自らの要望をねじ通そうとするエゴイズムの権化で、歯向かおうものならすぐさまにクレームという伝家の宝刀を抜く。
その不確定要素を、世間では客と呼ぶ。
この日も順調な冬野目の凝視を遮る無粋な客が現れた。視線を下げていた冬野目の耳に「すいません」と声がかかったのだ。しかし彼の集中力はそれ位では乱されない。まるで仏像のように、慈愛の目付きで尻を射抜き続けた。
「あのぉ……すいません」
客も諦めない。そこまでして自分の欲望に従うのか、そんなに欲しい本があるならばネットで買えば良いではないか、そう考え乍らも彼は今だに仏像であった。
「レジ、お願いできるかしら?」
先程までの声とは違う、強気で刺すような声だ。その声にはふんだんに敵意が含まれており、このまま無視を決め込んだらやっかいなことになるという確かな直感があった。
「……はい」
冬野目もなるべく敵意を込めて応えた。なにせ、貴重な尻タイムを壊されたのだ。胸中穏やかではない。切り捨て御免の侍よろしく鋭い目付きで顔を上げると、そこには見慣れた顔があった。
「冬野目君、お尻ばっか見て何してるの」
角度的にも、そして態度的にも冬野目を見下し乍ら、砧の小さい手を握った壬生が目の前に立っていた。




