寝起きはどうしてもフキゲンになっちゃうなあと思います
カノンは6時のアラームが鳴る前に、巨大な魔力を遠方に感じ、嫌な気分を抱えたまま目覚めた。カノンがパーティの仲間の声と「アラーム」の音色以外で起きるのは、久方ぶりのことであった。時刻は、5:47を指していた。カノンは奏乃子として生活していた時期まで遡っても、ここまで早起きをしたことがなかったため、眠さと遠方に感じる魔力の違和感でフキゲンな朝だなと感じていた。
魔力の音をよく聞いて、その正体を確かめようとしていると、「デーン…デーン…」と兵隊の行進のような音がキーボードから聞こえてきた。カノンの不機嫌な心持ちと同調する、マイナーな和音であった。時刻は6:00を指しており、そういえばもうアラームの鳴る時間かとカノンは、いつもより時間の流れが早いなあ、緊張しているのかなあと感じていた。事実カノンは、ピアノの発表会やバーチャルアイドルの初配信の直前と同じくらい緊張した心境で、この朝を迎えていた。
リスト超絶技巧練習曲6番「幻影」は戦争の始まりを告げるがごとく、「テーン…テーン…テーン…テーン」とチャイムを鳴らすように展開していった。
アラームの音色を聴いていてカノンは、気付いたことがあった。
(この、包み込むようで、あったかくて、それでいてどこかつかみどころのないような音…ミケさんみたいだなあ。ミケさんそのものみたいな音が、聞こえてくるみたいです)
"音"の雰囲気が彼女と契約している死神、ミケことミケーラ・ベネデッティと話しているときとそっくりだな、と感じたカノンは、この「アラーム」を演奏しているのはこのキーボードを用意したミケさん本人なのだな、と勘づいた。
(ミケさん、最近会ってないな…また、会いたいなあ。会いたいって言えば、来てくれるかな…でも、おしごと、忙しいかもしれないしなあ)
曲が進行するにつれて、「幻影」の名の通りつかみどころのないメロディが展開してきた頃に、ルーティが目を覚まし、カノンに話しかけた。
「おはよう、カノンちゃん。それ、いい曲ね……。カノンちゃんも気付いてるかしら。あの、今まで感じたことのない強大な魔力。あれが多分、勇者だと思うのだけれど」
「そう、ですね…すごく、すごく不快な魔力です。そう感じるのは私が、悪魔だからでしょうか。勇者とか、どう考えても敵って感じですし、悪魔としては」
カノンは今、不機嫌であるということをそう自己分析した。その不快な魔力の"音"は、およそ10kmほど先に感じ取れたが、近づくにつれてその不快さは増していった。
「私としても、あまり気分の良い存在には見えないわね…あれが、本当に勇者なのかしら。……リリカ、デイジー、起きて。勇者が来たわ。戦闘の準備をしましょう」
ルーティは壁にもたれかかっているデイジーと、ベッドを枕にして下半身だけ床で寝ているリリカをゆさゆさと揺さぶり、起きるように促した。
「んん~…勇者!?どんなやつかしらないけど、ふっ飛ばしてやるの!」
「ふあぁ…えぇ~、今来ちゃいますかぁ。なにもこんな朝っぱらからやりあわなくてもいいのにぃ…」
起き抜けから元気いっぱいという様子のデイジーと、とても眠そうなリリカは対照的であった。
一行は宿で簡単に朝食を摂ると、ギルド内でネプテュヌス共和国軍待ち合わせ場所とされていた国境を管理する門に向かった。
そこには…これから国と国との戦争が始まるとは思えないほどの、十数人程度の人数しか居なかった。
「アリネスさん、おはようございますっ。なにもこんな朝早くに攻めてこなくてもいいのにって思いますよね」
そこには前回の戦争を一人で終わらせたというアリネスも居たということは、一行を少し安心させた。
「えぇ…そのせいで、兵の集まりがちょっと悪いのぉ……重装歩兵隊はここ数日、常にここに待機してるからぁ、いいのだけれどぉ…ギルド所属のパーティは、今の所あなた達『雪解けレーヴァテイン』しか居ないわよぉ」
「それは…困ったわね。冒険者の影に隠れて、魔法を連発していれば私達は安全だと思っていたのだけれど」
魔法使いが後方から撃ち、重装歩兵隊が勇者の猛攻を耐える…という、一行が「カフェ・デ・グラス」で立てていた作戦は、いきなり頓挫してしまったとルーティは感じていた。
「それなら心配いりませんよ、とっておきの魔法を最近、覚えたんですっ」
そう言うとカノンは、クロード・ドビュッシーの「霧」を巧みな技術で演奏した「プリセット8」を再生した。すると「雪解けレーヴァテイン」の一行の周りを霧のようなものが包み込み…やがて、風景と一体化し、見えなくなってしまった。
「あれぇ、カノンちゃぁん…どこ行っちゃったのぉ」
アリネスは完全に一行を見失ってしまっていた。カノンはアリネスの目の前でニコニコと突っ立っているが、全くこちらに気付いていない様子だった。
「ここです、ここです!魔法、大成功ですっ」
カノンはアリネスの程よい肉付きをした二の腕をがしっとつかみ、自分の存在を主張した。カノンは今日のために、ここ五日間は一日のうちの四ティモほどを「霧」の練習に費やしていた。なんとかそれが形になったのは、昨日の18時であった。
「あらぁ…ここに居たのぉ。こんなに完全に気配を消せちゃうなんてぇ、これじゃあお互いの位置がわからなくならなぁい?」
「それは大丈夫なの!この『ヘル・シンパシー・チェーン』が、みんなの場所を教えてくれるの」
周囲に見えてはいないのだが、デイジーはぴょこぴょことした動きで薬指に巻き付いた「ヘル・シンパシー・チェーン」を見せつけていた。
「へぇえ…聞いたこともない、魔道具ねぇ。ベティの新作かしらぁ」
「そうなんですよお。あの人ぉ、腕は確かですからぁ。でも、お金にはちょっと汚いのでぇ。買うとしたらぁ、百万ドゥカくらいしそうですよねぇ」
リリカは冗談交じりにヘル・シンパシー・チェーンの値踏みをした。その先端にあしらっている薔薇のような花を眺めて、うっとりしていた。
「ふぅん…それ、百万ドゥカくらいだと、思うんだぁ…もっとすると、思うんだけどねぇ…ふふっ」
「世間話は程々にしろ。来る」
「そうねぇ…そうみたぁい。グスタフさぁん、いつもみたいに、頼むわねぇ」
「ああ」
重装歩兵隊・隊長のグスタフ・マレンコフは、500mほど先にいる勇者の軍勢──それもまた、15人ほどの少数部隊であった──を、見据えていた。その右隣では精神統一をしているように静かに目を閉じた、"コロシアム・チャンピオン"フェーベ・フライブルクが、たたずんでいた。





