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期待と不安

 その日の午後。

 暇を持て余した悠は、大学から少し離れたデパートへとやってきていた。

 悠の大学は街の中心に位置しているため、遠くに足を運ばずとも寄り道には事欠かないのだが、同じ大学の学生と鉢合わせるのも何だか気まずい。

 その点このデパートは大学の最寄り駅から二駅分離れているし、内包されている店舗も充実している。お気楽に雑貨でも眺めていれば暇はつぶせるだろう。

 無理やりに気を紛らわそうとしていることを自覚しつつ、悠はキッチングッズ売り場へと足を運んでいた。何か買ったりするわけでもないが、形状や装飾の異なる食器たちを見ていると、普段は思いつかない料理のアイデアが浮かんだりして意外にも楽しいものだ。

 つい欲しくなったりもするが、生憎と衝動買いするだけの余裕はないし、どうせ自分用の食器ならこだわる必要もない。

 ——ふと、胸がチクっと痛んだ。

 気晴らしに来ているというのに、これでは本末転倒だ。

 そう思いながら、すぐ横の棚にあったこげ茶の木皿を見つめる。

 (これでパンケーキでも焼いたら喜ぶだろうな)

 喜ぶ顔は想像できるのに、ひどく現実味のないものに思えた。

 彼女の面影をかき消すように、頭を横に振ってから木皿を棚に戻す。日を追うごとに女々しくなっていく自分に嫌気が差して、売り場から立ち去ろうと立ち上がった。

 ——その時。

 陳列棚を挟んで向かい側。金糸のように繊細で艶やかな髪が目に止まった

 "彼女"は首を傾げているのか、淡金色の髪が悠の顎くらいの高さで左右に小さく揺れていた。何となく覚えのある身長差に悠は思わず息を呑んだ。

 周りに知った顔はなく、話しかけても面倒ごとにはならないはずだ。

 何を話せばいいんだとか、拒絶されたらどうしようとか、もちろんそういう恐怖はあるけど——得体の知れない衝動が、そんな恐怖をも押しのけて迫ってくる。

 それが何なのかは分からないが、気付けば足が動いていた。

 「ほ、星月さん……!」

 「え? えっ!? 最上君!?」

 悠が横から声をかけると、乃亜は飛び跳ねそうな勢いで肩を揺らした。

 同時に、手に持っていた〝何か〟を後ろ手に隠した。

 「あ、ごめん……急に話しかけて」

 「べ、別に。ちょっとびっくりしただけだから。……それで、えっと……どうしてここにいるの?」

 「な、何ていうか……暇つぶし? 今日バイトないんだけど、なんか家に居る気にもなれなくてさ……。そ、そういう星月さんは?」

 「えっ!? あ~、えーっと……まぁ、買い物かな」

 「そ、そっか! ……その、料理に使う食器探しに来たとか?」

 「う、うん! まぁ、そんな感じ」

 何とか間を持たせようとする悠に対し、乃亜は少しばかり困惑した表情を浮かべていた。

 ——目線は、合わせてくれない。

 いつもの素っ気なくぶっきらぼうな彼女と違って、どこか余所余所しい態度に、胸がスッと冷たくなっていくのを感じた。

 「そ、それじゃ俺……もう帰るから」

 感情の伴わない笑みを浮かべ、悠は踵を返した。

 重たい足を何とか動かそうとする。

 「ま、待って……!」

 ふいにシャツの裾を引かれた。

 立ち止まって振り返ると、乃亜が目線を伏せたまま頬を赤らめていた。

 彼女は何か言いたげに視線をさまよわせてから、決心したように顔を上げる。

 「あ、明日! ……ゆ、夕方に行ってい……?」

 乃亜は照れ臭そうにそう言って、不安げな表情で悠の顔を覗いた。

 ようやく、目が合った。

 呪縛のような息苦しさから解き放たれ、思わず表情を崩しそうになるのを堪えながら悠はゆっくりと頷いた。

 余所余所しさの残る口調も、彼女の緩んだ頬を見てどうでもよくなってしまった。

 また話せる。

 そう思うだけで、胸が熱くなっていく。

 売り場を後にしようと歩き出す悠の手には、こげ茶の木皿が握られていた。


★ ★ ★


 その翌日。

 乃亜との約束を控えた午前、悠はいつもと変わらずアルバイトに精を出していた。

 この時間は客が少なく、混み始めるまでにはまだ時間がある。そのため、厨房で料理の仕込みをする沙羅の隣で悠は洗い物をしていた。

 「あ、そういえば!」

 そんな中、沙羅が陽気な声をあげて悠の方を向く。

 何かと振り向いてみると、彼女はとても楽しそうな表情を浮かべていた。

 「昨日食器の買い出しに隣町のデパート言ってたんだけど、前に来てくれた……悠君の知り合い?って子に会ったの!」

 沙羅の何気ない言葉に、悠は手を止めた。

 そんな様子を気にも留めず、沙羅は続ける。

 「乃亜ちゃんっていうんでしょ? すっごい可愛くて、それに健気な感じもあって……あんな子と仲良しだなんて、悠君も隅に置けないな~!」

 「前にも言いましたけど、星月さんとは本当にただの知り合いで……って、ちょっと待ってください。星月さんと話したんですか?」

 「悠君を見つめる視線が情熱的だったから、どんな子なのかな~ってお母さん気になっちゃって……。でも、うんうん。お母さんは安心したよ」

 「情熱的な視線とか、いつ俺の母親になったんですかってのは一旦置いといて……い、一応聞きますけど、変なこと言ったり聞いたりしてないですよね?」

 乃亜が来店した際、彼女との関係性について質問攻めにあったことを思い出し、彼女にも同じことをしたのではないかと邪推してしまう。

 それも、状況が状況だけに。

 「ダイジョブダイジョブ! 悠君は優良物件だぞ~とか売り込んだりしてないから!」

 「それ言っちゃった人の言い方ですよね!?」

 「あはは、冗談だよ! ほんとのホントに何も言ってないから安心して。あ~、でも——」

 沙羅は唇の前に人差し指を当てながら、何やら油断ならぬ笑みを浮かべた。

 その怪しげな表情に、悠はゴクリと唾を呑みこむ。

 「困ってそうだったから、ちょ~っと手を貸してあげたけどね?」

 「手を貸した……? い、一体何を——」

 「はいはい、これ以上はなーいしょ! 悠君ったら野暮なんだから~」

 脇腹を小突いてくる沙羅にため息をこぼす。

 (星月さんの名前が出てつい過剰に反応しちゃったけど、単に困っていたところを助けたってだけなら、別に自分の話題なんて出す必要なんてないか……)

 取り乱して損したと、悠は少し顔を赤らめた。

 ——ふと、昨日のことを思い出す。

 乃亜にもある程度の気まずさがあったのかもしれないが、時折見せ困ったような表情がやはり気になる。それに彼女は話がしたいと言っただけで、その内容が自分にとって喜ばしいものである保証はどこにもない。

 拭い切れたと思っていた不安が、再び悠の心に靄をかけた。

 それこそ、変に律儀な一面がある乃亜のことだ。『今までありがとう』や『さようなら』を直接伝えに来ることだって想像は出来る。

 「悠君、もしかして体調悪い?」

 「え? ……あ、いや……そういうわけでは」

 食器を洗いながら鬱々と考え事をしていると、表情に出てしまっていたのか、沙羅が心配そうに顔を覗き込んできた。

 「大学もあるのにいっつもシフト入ってくれるし、私としては大助かりなんだけど……本当に疲れてない?」

 「まぁ……疲れてないと言えば嘘になりますけど、そんなの今更ですよ。何より好きでやってる仕事ですので気にしないでください」

 あからさまな空笑いで返す悠に、沙羅は相変わらず心配そうな面持ちを向けてくる。

 すると彼女は何やら体を捻ってホールに目をやった。小さく『よしっ』と呟くと、業務用ミルでコーヒー豆を挽きはじめる。

 気になって店内を見渡してみるも客はおらず、沙羅に何をしているのかと尋ねると、彼女は『いいから』といたずらっぽく微笑みながらカウンター席を指さした。

 座れと言うことだろう。言われるがままカウンター席に腰かけると、沙羅は手際よくコーヒーを淹れて悠の前に差し出した。

 「はい、どうぞ」

 「なんですかこれ」

 「コーヒーだよ?」

 「いや、それはそうなんですが……」

 訳が分からずキョトンとする悠に、沙羅はクスっと笑った。

 エッヘンと両手を腰に当てて、得意げに続ける。

 「日頃の感謝のしるしだよ。悠君のおかげでここ一年くらい経営も順調だし、賄いの一杯とでも思ってくれればいいから!」

 「な、なるほど……。お気持ちは嬉しいんですけど、本当にタダでいただいちゃっていいんですか?」

 「私が勝手にしてることなんだから、悠君はそのわがままを聞くつもりで飲んでくれればいいの! それにほら、今お客さんいないし?」

 沙羅はウインクしながら、おどけるように言った。

 去年から沙羅の苦労や仕事ぶりを隣で見てきたからこそ、悠にはこのコーヒー一杯にどれほどのコストがかかっているのか痛いほどに分かる。

 それだけにタダ飲みというのは気が引けるが、同時に彼女の自分への心配も知っている。

 これまでも散々心配の声をかけられてきたが、彼女だって日々忙しなく働く身だ。簡単に休みなさいという訳にもいかず、色々と板挟みだったのだろう。

 悠はカップを持ち上げ、ゆっくりと口元へ運んだ。

 「——やっぱ美味しいですね、沙羅さんのコーヒー」

 「そうでしょ~?」

 心なしか柔らかくなった悠の表情に、沙羅は笑顔で返した。

 当然、コーヒーの風味は種類や産地によって千差万別だが、沙羅の淹れるコーヒーは一貫して雑味が最低限に抑えられている。それによって、本来コーヒーが持つフレッシュな甘みや酸味が引き立っていた。

 まろやかで芳醇なアロマが体を巡り、疲れた心と頭を解していく。キレのある苦みが頭を覆っていた不安を晴らしていった。

 それなのに、何とも言えない渋みだけが喉の奥に残っていた。



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