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「お前、歳はいくつだ」
「じゅっ十六歳です」
「記憶がないのに歳は言えるのか?」
「えっと、花紋が真紅に変わるのはだいたいその年齢らしいのでっ」
早々にボロが出て王様にツッコミをもらった。
とっさの言い訳はわたしには上出来だと思う。カルステンさんに本物だとお墨付きをもらった緋紋だ。目に見える証拠は言葉より物を言うはず……。
王様は胸の花紋をちらりと見て鼻を鳴らした。
「とても十六には見えぬがな。それよりも、教会の指輪はしているのか?」
「はい、あります」
「見せてみろ」
なにか疑われているのかな? 王宮を去る決定打になった指輪について、すでにクリストフェル殿下から報告を受けていそうだけど。
正装だと思って外さなかった肘までの手袋を脱ぐ。
左手の小指には紅綾石のついた金の指輪。ロベルトさんが嵌めてくれた教会の花である証だ。小さなものだけれど、距離がある場合はどうやって見せればいいだろう?
王様は玉座に座ったままだ。
わたしから近づいたらいいのかな……?
迷いながら一歩踏み出したら、背後でクラウスさんも動く気配がしたので、肩越しに振り返って小さく首を振る。わざわざ彼の手を借りることでもない。
玉座の手前で立ち止まり、指輪を抜いて掌に乗せた。
八つの紅い煌めきが並ぶ方を前に向け差し出すと、王様は懐かしそうに呟いた。
「……アリウムも同じ指輪をしていたな。他にいくつも指輪を与えてやったが見向きもせず、二度と教会へ戻しはしないと言っても決して外さなかった」
王様が贈った指輪はさぞ美しかっただろう。でもアリウムさんは教会の指輪がよかったんだ。自らの意志じゃなく王花にさせられて、相手の望み通りに振る舞いたくなかったのかもしれない。本国から連れ帰るほど愛した花に、王様の想いは通じなかったようだ。
王様が立ち上がった。背も高く体格が良いので、目の前で見下ろされると威圧感がある。
わたしは歩み寄る王様に少し怖気づきながらも手を伸ばし続けた。
ダールガンさんもチッェク済みの本物だ、堂々としていればいい。
「お前はたやすく外すのだな」
アリウムさんと比べているんだろう。要求に従ったにも関わらず、指輪を外したのを咎めるように目を細めた。わたしは大切に扱っていないかのように言われた気がして思わずムッとした。
「あの、確認は終わりましたか? 終わったのならまた嵌めますけどっ」
「緋紋ならばいずれ花結びに出るだろう? “味見”ぐらいさせてもらおうか」
一瞬の行動。
強い力でわたしの手首を掴むと王様が身を屈めた。
押し当てられた熱と濡れた感触。ぬるりと肌を這う感触に、手を舐められたのだと遅れて理解した。
全身がゾッと総毛立つ。
「いっやっ……!!」
至近距離で見交わした王様の眼がすっと醒めた色に変わる。興味が失せたというように。
嫌悪感で手を振り払うよりも早く、強い力で身体が後ろに引っ張られる。
一瞬で暗くなった視界と顔に当たる布の感触。誰かにきつく抱き寄せられている。
ドクドクドクッ!
心臓が胸を内側から叩いているようだ。激しい動悸とともに汗が噴き出す。
「止められなくてすまん」
わたしを王様から引き離してくれた腕の持ち主はクラウスさんだった。
短い謝罪に首を横に振る。
いいえっ、いいえ! 助けてくれてありがとうございます……!
お礼を言いたいけど、全身が震えて言葉が出てこない。目の前の服を握って必死に肺へと酸素を送る。逞しい胸は今すがれる唯一のよりどころだった。
クラウスさんが謝る必要なんてない。動こうとした彼を制したのはわたしだ。まさかこんなことをされると思わなくてひとりで王様に近づいた。日本の感覚を引きずったまま、盾となり剣となる花護騎士を遠ざけた。
「何をお考えか! リン様に無礼が過ぎますぞ!」
「そうですよ陛下っ、子供相手に騙し打ちみたいに! 指輪なんてふっ飛んじゃってますしね!?」
クラウスさんに庇われながら見ると、王様は非難など聞こえないように悠然と玉座に戻っていた。
腹を立てた様子の護衛騎士が床から指輪を拾い上げ、カルステンさんに手渡した。
震える手でなくさないよう握った。今はとても元通り嵌められる気分じゃない。
クラウスさんがわたしを抱き抱えてさらに後方に下がった。
――狼には気をつけるように。
折に触れ注意された意味を実感する。
教会は安全だから警戒する必要がなかっただけ。一歩外に出たら、わたしは花なんだ。
王様という立場のある人だし、他者の目もあるから滅多なことは起こらないと思っていた。
ラルフさんの懸念が正しかった。王様は恋狼で、アリウムさんと同じ恋花のわたしも興味の対象になる。親子ほどの年齢差もこの世界では関係ないんだ。
「花結びに出れば数多の狼が群がってくるだろうに、大げさに騒ぎ立てることか? 最高位の花へ、国王として挨拶したにすぎない」
「なにが花結びですか、教会へ赴く気などさらさらないでしょう! 納得したのかと思って聞いていたら油断も隙もないっ。――不快な思いをさせてしまいましたね、八花片。主人を止めることができなかったことを謝罪します。カルステン様も、申し訳ありません」
「私も申し訳ありません、リン様。教会の代表としてこの場に居りましたものを、お護りすることができず……」
二人に申し訳なさそうに見られる。王様の振る舞いは予想外の行動だったのだろう。
わたしは王様にされたことがショックで、嘘でも「大丈夫です」とは言いたくない気持ちだった。取り調べされている立場上、王様に文句も言えないけれど、簡単に許すことのできない行為だ。
無言の抵抗で黙っていると、護衛騎士の人はカルステンさんと目を見交わした。
王宮側が王様を諫めたり意見できる人を選んでいるのかな。カルステンさんとも知り合いらしく、お互いに事態収拾を図るべく視線で会話をしているようだ。
かなり失礼で無茶苦茶な王様だから、護衛する方も苦労が絶えないだろう。
「陛下、もうよろしいでしょう? 八花片を呼び出した目的は達成されたのですから」
「青臭い味がか?」
「それが本音でしたら、建前の方です。八花片が離宮に現れた件ですよ。陛下や我が国を害する目的ではないことを確認されたのであれば、陛下の仕打ちをもって不問に処されてはいかがですかと申し上げております」
「噛みついたわけでもあるまいに」
「陛下の行いが露見すればあちらも黙っていませんよっ、教会と事をかまえたいのですか!?」
「――わかったわかった。それでいいからうるさく吼えるな」
王様は面倒くさそうに護衛騎士をあしらう。
……離宮の件をわたしがされたことで相殺するということ? 個人的な感情は別として、内容の重みを考えればチグハグな気がするけれど。
カルステンさんは護衛騎士の目くばせを受け、王様に最終確認をとった。
「陛下、リン様へのお咎めは無しということでよろしいですか?」
「ああ。さっさと教会へ帰れ」
王様はわたしたちを追い払うように手を振った。すっかりわたしへの関心を失った態度だ。
護衛騎士さんもカルステンさんもそれを把握しているようだった。言質を取ったカルステンさんが機を逃さず辞去の挨拶を述べ、謁見の間を後にした。
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謁見の間から離れると徐々に身体の震えはおさまった。
緊張が解けて忘れていた頭痛に再び襲われ、こっそり溜め息を吐く。シラーさんに会ったら痛み止めをもらえないか聞いてみよう。
「クラウスさん、もう下ろしてもらって大丈夫です。自分で歩けます」
「着いたときから体調がすぐれなかったのだろう? 遠慮するな」
頭痛がすることに気づいてくれていたんだ…… 。クラウスさんは喋り方も素っ気ないし、あまり他人と関わるのが好きな感じには見えなかったから驚いた。
王様から守ってくれた腕。黒い服に真紅の腕章が目を引く。
花護騎士になってくれたのがクラウスさんでよかった。気の抜けない場所だけれど、抱えられていると怖さも不安も薄れる。一定のリズムの揺れが心地良くて、本当はもう少し甘えていたい。
そっと胸に頭を寄せると一瞬青灰色の視線が落ちる。
わたしは自分のことで精一杯で周囲を見る余裕がなかったけど、クラウスさんはこうやって時々見守ってくれていたのかな。
「リン様、先ほどは陛下を止められず申し訳ありません。少数を条件に出されていたとはいえ、花護以外にも護衛をつけるべきでした。あのような真似を許すとは、主教として面目次第もございません」
カルステンさんが再度申し訳なさそうな顔で謝ってくれた。
「カルステンさんのせいじゃありません。結果的に悪いことばかりでもないというか、解放される理由にもなりましたし」
「リン様の苦痛と引き換えに得た自由では誇れません……。すぐに教会へ帰りたいところではありますが、クリストフェル殿下には一言伝えておいた方がよろしいでしょう」
「殿下にはどう話したらいいんですか?」
「私から殿下に話しましょう。離宮の件について、リン様のご説明で陛下が納得されたと伝えます」
「クリストフェル殿下が信じてくれるでしょうか? 離宮に勝手に入ったことをかなり怒ってましたけど……」
「その場に居らぬ者が何を疑ったところで憶測の域を出ません。リン様にとっては許しがたいことでありましょうが、陛下の行いは口外されぬようにお願いします。クラウス、そなたもわかっておるな?」
カルステンさんの言葉に頷く。
取引の条件だったし、八花片を巡り教会と王様がまた争うことになったら大変だ。もちろんわたしを取り合っているわけじゃないけど、この国ではアリウムさん以来の八花片にみんな敏感になっている。
「わかりました。あの、カルステンさんにお願いがあって……手を洗うところがあれば、案内してもらえませんか?」
王様にされた嫌な行為を忘れたい。綺麗に洗えば記憶や感触も汚れと一緒に消えるかもしれない。
カルステンさんはわたしの気持ちを察してくれたのか了承してくれた。
魔物の口のような広間を抜けると、クリストフェル殿下やラルフさんたち神聖騎士が今や遅しと帰りを待っていた。クラウスさんに抱かれたわたしの姿に神聖騎士の面々は心配顔だ。
「リン様はいかがされたのですか!?」
「カルステン! 父上は何と仰っていた!?」
「落ち着きなさいラルフ。殿下、謁見のことはお話いたしますが、先にリン様を休ませる部屋を用意していただけませんか? 体調がすぐれないため、手洗いのある部屋をお願いします」
「貴族が伴う《花》用の客室が近くにある。案内しよう。……まだ吐くなよ?」
カルステンさんの説明で嘔吐すると思われたのか、客室を使わせてもらえるらしい。水を使いたい本当の理由を話せないので、わたしは目を伏せて気分が悪いふりをしていた。
案内された客室は奥へ何部屋か奥へ縦長の続き間となっているようだ。
カルステンさんはわたしを静かに休ませる必要があると告げて皆を下がらせ、心配して付き添うと言うラルフさんにはシラーさんを呼んでくるよう命じた。
「……殿下やラルフには私から上手く伝えておきますので、リン様はしばし室内でお過ごしください。クラウスは残します。何かあればすぐお呼びください」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
事情を知る人が傍にいてくれたら心強い。
人の気配が遠のくと、クラウスさんが室内の長椅子に下ろしてくれた。天鵞絨のような手触りとクッションのきいた座面は、そのまま横になりたいほどの誘惑だ。
王宮の客室は豪華で、壁掛けの絵画ひとつとっても額縁からして彫刻がある立派なものだ。花用というだけあり、調度品は繊細な彫刻を施され、椅子の背もたれや手摺りなど優美な曲線が柔らかい印象を与える。長椅子の布や生花が飾られてる花瓶に敷かれた刺繍布など、随所に花への気遣いがうかがわれる。
落ち着い茶色やくすんだ緑などの色味で統一されたくつろげる雰囲気の部屋だった。
クラウスさんが手洗い桶を見つけて、ローテーブルに運んでくれた。
お礼を言って、ゴシゴシとしっかり手を洗う。
王様は八花片の香りや味を求めたのかもしれないけれど、そもそもわたしは匂いがしないし、匂い消しのお茶を飲み、クリームも入念に塗っている。がっかりしたならおあいにく様だ。
何度も指を擦りながら、ついすさんだことを考えてしまう。
匂い消しのクリームが苦いだけじゃなくて、もっとペナルティがあればいいのに。口にした狼の体が痺れるとか、お腹を壊すとか……。
「その辺にしたらどうだ。肌が赤くなっているぞ」
差し出されたハンカチに頬が緩む。
神聖騎士のたしなみなのかな。どんどんハンカチコレクションが増えてしまいそう。
「はい、ありがとうございます。でもハンカチは持っていますから大丈夫です」
手を拭きながら、無言で後片づけをしてくれているクラウスさんを目で追う。
初対面の印象とかなり違う。あまり表情の変わらない人だけれど、素っ気ない言葉と裏腹に面倒見の良い感じだ。シラーさんが花護騎士になる前は外務だと言っていたけれど、内務に異動になったのはどうしてだろう。
「クラウスさんはどうしてわたしの花護になってくれたんですか? 通常は内務から選ばれると聞きましたけど」
「理由は知らん。主教に命じられたからだ」
ダールガンさんの意向ってこと? ロベルトさんはわたしの花狼だから選ばれたとしても、クラウスさんとわたしには接点がない。だとしたらロベルトさんかな。
「クラウスさんは外務だったんですよね? ロベルトさんと同じ部署で働いていたんですか?」
「そうだ。ロベルトと組んで任務に当たることが多かったな」
「グラナートでは内務と外務の対立が激しかったりしますか? もしロベルトさんひとりだけ花護になっていたら、他の人にいじめられる……みたいな」
「あれに虐められるほど可愛げがあるようには見えないが」
クラウスさんの言葉に、ロベルトさんが他の狼の嫉妬が快いと笑っていたことを思い出す。
うん、ロベルトさんはひとりでもやっていけそうだ。
じゃあ単純に慣れている相手を相棒にしたってことかな。花護として二人一組で行動するなら気心の知れた人がやりやすいだろうし。
内務の騎士と組んでいたら任命式のように反発が予想される。狼は実力主義だけれど、トリスタンに対する人種差別は思うよりも根深い。その点クラウスさんはロベルトさんを嫌っている様子はないから、関係は悪くないのだと思う。
わたしは花というだけで黒髪でも受け入れてもらえているから、教会の保護制度には感謝しかない。花に生まれると大変なこともあるけど、得をすることもある。
「クラウスさんはわたしの花護に選ばれて、嫌だと思ったことはないですか?」
「命令に従うだけだ」
青灰色の瞳は静かに凪いでいる。神聖騎士としてトップの命令には絶対服従なんだろう。規律に従っているだけだとしても、負の感情がなかったことにホッとする。
クラウスさんが入り口に顔を向けた。
「シラーが来たようだ」
狼の耳はとてもいい。
わたしはシラーさんが来てくれたことに心強さを感じながら、匂い消しのクリームを手に塗り直したいけど、なんて説明しよう……と考えていた。




